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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第4幕 悠久の果て
36/43

知られざる過去

登場人物

〈漢〉

霊帝れいてい…………漢のみかど

竇武とうぶ…………漢の大将軍。宦官かんがんにより自害に追い込まれる。

鮮卑せんぴ

檀石槐…………鮮卑の部族の大人たいじん。各部族の大人を束ねる鮮卑のかい

李平りへい…………檀石槐に仕える漢人の使用人。

趙娥ちょうが…………檀石槐の妻。漢人。捕虜の収容地を統括する。

破多羅はたら…………檀石槐の祖母。巫者ふしゃのような特性を持つ。

其至鞬きしけん…………破多羅の夫。生前は鮮卑の部族の大人。

如羅じょら…………檀石槐の母。其至鞬と破多羅の娘。あやかしの雷獣らいじゅうにより檀石槐を身籠みごもる。

和連かれん…………檀石槐と趙娥の子。

投鹿侯とうろくこう…………鮮卑の部族の大人。如羅の元夫。漢の王衛おうえいにより討たれる。

〈独立勢力〉

公孫延こうそんえん…………幽州遼東郡ゆうしゅうりょうとうぐん以東から朝鮮半島北部の楽浪郡らくろうぐんを本拠に漢から独立する。

 漢の新しいみかどは、霊帝れいていと云った。第十二代皇帝である章帝しょうてい玄孫げんそんに当たる者だった。

 その霊帝を擁立したのは、大将軍の座に就いた竇武とうぶだった。

 竇武は、鮮卑せんぴの動きを研究していた。明らかに、中央から搬送される物資が多い地にばかり侵攻している。漢の内部に、鮮卑と繋がる者が居ることは確かだった。その者を突き止めようとしていた。

 同時に、竇武は、大将軍として政権を磐石ばんじゃくにしようと宦官かんがんの排除に画策した。

 しかし、その計画は宦官に漏れ、竇武は自害に追い遣られた。大将軍の地位に就いて、二年も経っていなかった。鮮卑との繋がりに、嫌疑を掛けられる者は居なくなった。

 そして、再び漢の帝は、宦官の傀儡かいらいと化した。

竇武の死と、暗愚あんぐな霊帝の話は、当然として公孫延こうそんえんの耳にも入った。公孫延は、これを契機と捉えた。

 遂に、幽州遼東郡ゆうしゅうりょうとうぐん以東から朝鮮半島北部の楽浪郡らくろうぐんを本拠とし、実質的に漢からの独立を図った。高らかに王を僭称せんしょうするようなこともしない。公孫延にしてみれば、漢は、そのようなことをする価値もない国だった。

 その公孫延からは、これまでどおり鮮卑へ漢の情報がもたらされていた。

 北辺に侵攻した檀石槐だんせきかいは、黒雷こくらいに跨り、東の空へ眼を凝らした。綿のようなひとつの雲が、西から東へゆっくりと流れている。その果てには、野望を実現し、一国の王のようになった公孫延の地があった。

 雲が流れるように、時も流れている。

 檀石槐の部族の許では、李平りへいが衰弱していた。一日中、寝床から起きて来ない日が増えていた。無理もない。既に八十を数える老夫だった。北の収容地を含む漢人の捕虜の取り扱いは、既に趙娥ちょうがが引き継いでいる。

 八十を超えていたのは、破多羅はたらも同じだった。穹廬きゅうろの奥の胡床こしょうに腰掛け、編み物をしながら、静かに李平を見守る日々だった。

 檀石槐は、李平と破多羅の居る穹廬に顔を出した。

「これは、これは、孫さま」

 寝床から上半身を起こし、白湯さゆを飲んでいた。小さくしぼんだような李平が、弱々しい笑みを浮かせていた。

 檀石槐は、寂しさを覚えた。剣術の師だった。あれほど強かった李平が、今では押しただけで倒れてしまいそうなほど老いていた。

「元気そうだな、李平」

 檀石槐は、寂しげに微笑んだ。もう、長くはないだろう――。そう思った途端、無理に笑みを浮かばせていた。李平の側に腰を下ろした。

「何とか、今日まで生きてこられました。これも其至鞬きしけんさま、破多羅さま、じょうさま、そして、孫さまのお陰でございます」

「礼など要らぬ。それよりも、からだを労わり、益々長生きして、俺を叱咤しったしてくれ」

「嬢さまが抱いてこられた御子みこが、随分と御立派になられた」

 李平は、檀石槐に眼を細めた。

「私は、充分に生きました。孫さまと出会い、更に充実した人生となりました。私の剣術を、鮮卑の王につむげたことが、何よりも嬉しいのです」

 李平は、破顔はがんした。厳しく剣術を指導した後にいつも見せた、あの優しい笑みだった。

 奥の破多羅にも、微笑が浮いたようだった。

「ささ、孫さま、私になどかまっている場合ではありません。次の仕事に向かわれませ」

 李平に追い出されるようにして、檀石槐は穹廬を後にした。

 明くる日――。李平が、眼を覚ますことはなかった。破多羅に呼び出され、檀石槐は穹廬で伏せる李平に眼を落とした。既に穹廬には、如羅じょらと趙娥、九歳になった和連かれんも居た。

がたいことだ。我らによく尽してくれた。孫さんや、李平の背を見てみるがよい」

 奥の胡床に座した破多羅が、編み物をしたまま檀石槐に促した。

 ゆっくりと李平のからだを起こした。軽かった。少し、着物をはだけさせ、その背を見た。檀石槐は、言葉を失った。おびただしいほどの傷痕きずあとだった。

「昔、鮮卑の子がひとり、北辺の漢人に捕えられた。我が夫の其至鞬は、その子を救いに幾度も北辺に侵攻したが、見付けられなかった。その子は、家畜のように扱われた。それを哀れに思ったある漢人が、その子を逃がした」

「…………」

「鮮卑の子を逃がした漢人は、罪人のとがで刑罰を受けた。鮮卑に戻ったその子は、それを其至鞬に伝えた。我が夫は、鮮卑の子を逃がした漢人をさがしに、一群を引き連れ北辺に侵攻した。そして、見付けて救った」

「婆さま……」

 破多羅は、編み物の手を止めると、檀石槐を静かに見遣みやった。

「そう。鮮卑の子を救ったのは、李平。そして、李平に救われた鮮卑の子は、投鹿侯とうろくこう。如羅の元夫じゃ」

 檀石槐は、横たわる李平に眼を遣った。その死面しめんには、少しだけ微笑が浮いているように見えた。

 漢人の李平は、鮮卑の子を援けたがために、漢にしいたげられた。そして、鮮卑の子に愛を与え続けた。最後は、幸せそうに死んでいった。

 何かが、に落ちなかった。

 檀石槐は、眉間みけんしわを寄せ瞑目めいもくした。いきどおりを覚えたのは、やはり、漢に対してだった。

 檀石槐による漢の北辺への侵攻は、止むことを知らなかった。

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