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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第3幕 北方民族の行方
30/44

王后の判断と富国策の末

登場人物

〈漢〉

桓帝かんてい…………漢のみかど

唐衡とうこう…………漢の小黄門史しょうこうもんり。桓帝に仕える宦官かんがんのひとり。

梁冀りょうき…………漢の大将軍。桓帝により死に追い込まれる。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。故郷の涼州りょうしゅう隠棲いんせいしていたが、涼州武威郡の太守に復帰する。

公孫延こうそんえん…………玄菟げんと郡の官吏かんり。漢からの独立を目論む。

段熲だんけい…………漢の歴戦の将軍。

公孫度こうそんど…………公孫延の子息。漢の都、洛陽で遊学する。

鮮卑せんぴ

檀石槐…………鮮卑の部族の大人たいじん。各部族の大人を束ねる鮮卑のかい

素利そり…………鮮卑の部族の大人。鮮卑の軍師的存在。

慕容ぼよう…………鮮卑の部族の大人。万夫不当の豪傑。

宴茘游えんれいゆう…………鮮卑の部族の大人。鮮卑随一の狙撃手。

趙娥ちょうが…………檀石槐の妻。漢人。

和連かれん…………檀石槐と趙娥の子。

如羅じょら…………檀石槐の母。あやかしの雷獣らいじゅうにより檀石槐を身籠みごもる。

破多羅はたら…………檀石槐の祖母。如羅の母。巫者ふしゃのような特性を持つ。

弥加びか…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者てだれ

厥機けつき…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。

置鞬落羅ちけんらくら…………鮮卑の部族の大人。宴茘游の副官。年長の歴戦の戦士。

成律帰せいりつき…………素利の弟。

陳正ちんせい…………漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。

李平りへい…………檀石槐に仕える漢人の使用人。

南匈奴みなみきょうど

居車児きょしゃじ…………南匈奴の単于ぜんう。鮮卑の部族の大人、闕居を討った過去を持つ。

夫餘ふよ

蓋蘇武ゲソム…………牛加ぎゅうかと呼ばれる夫餘の大将軍。

丁零ていれい

頡斤イルキン…………丁零の第二太子。盟約により鮮卑に合流する。

 同じ頃――。

 厥機けつきが、丁零ていれいに赴いているはずだった。

 しかし、鮮卑せんぴの北には、丁零族が軍を進めていた。一万を超える軍勢だった。漢の捕虜を収容している北の湖畔の脇を素通りして、数多あまたの幕舎を張っている。

「攻めて来る気配は、ないように見えるが……」

 すっかり頭髪の薄くなった陳正ちんせいは、くつわを並べた李平りへい怪訝けげんの色を浮かべてみせた。

彼処あそこに留まって既に三日か。狩りには出ているようだが、確かに、兵を動かす様子はないな」

 痩身そうしんの李平も、丁零の軍勢に眼を凝らした。李平は、漢の捕虜の収容地、その一切を趙娥ちょうがに引き継いでいる最中だった。李平は、七十も半ばを超えている。李平の仕事を趙娥に引き継ぐことは、檀石槐だんせきかいも承諾していた。

 李平が趙娥を伴い、陳正の居る北の湖畔を訪れたのは、これで五度目だった。今回は、如羅じょらも同行している。三歳の和連かれんは、破多羅はたらが面倒を見ていた。そのような折の丁零軍の南下だった。

「いつ丁零が軍を動かし、鮮卑に牙を向けるかわかりません。義母おかあさま、此処ここに居ては危険です。せめて、集落の者と一緒に、建物の中に」

 李平に駒を並べた趙娥は、後方を見遣みやって如羅を気遣った。

 それとは裏腹に、嬉嬉ききとした如羅が、趙娥に馬を寄せた。

「あれが丁零の民ね。初めて見るわ。陽光の加減かしら。どこか髪が赤く見えるわね」

 如羅は、額に手を添え、遠方に見える丁零軍を笑顔で眺めている。

「義母さま! 物見遊山ではいけません! 何かあってからでは遅いのです!」

 眉間みけんしわを寄せた趙娥は、聞き分けのない義母をしかった。

「あらあら、趙娥は怖いのね。丁零が、本気で侵攻する気があるのであれば、既に私たちの命はありません。あれは、何かを待っている」

「……何を待っているのでしょうか、じょうさま?」

 李平は、馬の首に身を預けるようにして如羅に聞いた。

「恐らくは、檀石槐。しくは、それに近い者」

「確か、檀石槐どのは、遼東に居るのではありませなんだか?」

 陳正も、李平と同じように馬の首に身を預けるようにした。

 如羅は、趙娥を見遣った。陳正の問いに応じたのは、その趙娥だった。

「そうです。檀石槐さまは、今、遼東に。ですが、間もなく一群が到着することでしょう」

 趙娥が応じた、ちょうどその時だった。

 後方から、馬蹄の響きが聞こえてきた。四人が眼を向けると、五千ほどの一群だった。先頭を駈けてくる者は、率いる戦士より一回り大きく見える。慕容ぼようだった。

「来ていたのか、李平! 御母堂ごぼどうさまと趙娥も一緒か!」

 馬で駈け寄りながら、大音声だいおんじょうの慕容は笑みを見せた。

 よわい十四、五だろうか、慕容のかたわらで、つぶらな瞳をした辮髪べんぱつの少女が駈けている。手にしていたのは、長柄の武器だった。

「三日もあの調子だ。攻めて来る様子はない。檀石槐どのの到着を待っているようだと如羅どのは申しておるが……」

 振り返った陳正は、丁零軍を指差さすと、駈け付けた慕容に云った。

「厥機の野郎、一体、何してやがる」

 慕容は、奇妙な丁零軍に眼差まなざしを据えた。

 一方、丁零軍では――。

「父上、鮮卑の一群が到着したようです」

 軽鎧けいがいまとった長身の若武者が云った。

 毛皮で覆われた長椅子に巨軀きょくを委ねている。その身を起こし、鋭い視線を返したのは、丁零王だった。

「やっと来たか。今日は、門出だ。別れは惜しまぬぞ。わずかな期間で強大となった鮮卑。その理由を己が目で見極め、盗め。そして、持ち帰れ。その時こそ、我が丁零は、鮮卑を凌駕りょうがするほど精強になるであろう」

「わかっております。父上も、どうかお元気で」

 若武者は、深々と頭を下げた。なかなか頭を上げなかった。

「うむ。では、頼んだぞ」

 丁零の王は、若武者の後ろに控えた者に鋭い視線を遣った。胡服を纏っている。厥機だった。

「委細、承知した。これで盟約は成った。以後、鮮卑が丁零にたがうことはない」

 厥機は、微笑を浮かべた。丁零の王は、それに不敵な笑みを返した。

 北から吹いてくる風が、軍馬の匂いを運んで来た。

「慕容さん、丁零軍から此方こちらに駈けて来る者がいます」

 慕容に馬を寄せ、指を差しながら云ったのは、辮髪の少女だった。

「あん?」

 暢気のんきな返事をした慕容は、少女が指差した方に眼を凝らした。

「確かに、駈けて来るわね」

「二騎……ですね」

 指差した少女に釣られたように、如羅と趙娥も遠方を静観した。

「片方は、胡服のようですな」

 目蓋まぶたを擦りながら云った李平に、慕容は不審な表情となった。

「ありゃあ……厥機じゃねえか?」

 慕容が云うや否や、駈け寄せる一騎が、手を振っていた。

「どうやら、此処が戦場になることは免れたみたいね」

 如羅は、微笑んだ。それに周りの者は、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、厥機が連れているもう一騎の方に眼を奪われた。

 二十を幾つか過ぎた年端に見える。笑みを浮かべた厥機の後方を駈ける若武者は、髪赤く、緑の瞳だった。白銀の軽鎧を纏い、短槍を手にしている。馬上からでもわかる猛猛たけだけしさに、慕容も思わず眼を引かれていた。

 厥機は、並足にした馬を寄せて云った。

「丁零との盟約は取り付けた。ただし、要求はこれだ」

 笑みを浮かべた厥機は、轡を並べた若武者に眼を遣った。

「丁零の第二太子、頡斤イルキンと申す。以後、鮮卑の世話になる所存。鮮卑の王の許可を得たい」

「――――⁉」

 緑の瞳で眼前に集う鮮卑の者を見渡しながら、頡斤は胸を張った。

「こ、此奴こいつは、な、何を云っている? しかも、太子だと? どういうことだ、厥機?」

 眼をいた慕容は、つばき散らしながら厥機にただした。

「丁零の王は、鮮卑との交易に前向きだった。すぐに盟約は成ったよ。けれど、丁零にも戦略はあった」

 丁零王の子には、男子が十人ほど居た。見込みのある近隣の民族や国に、息子の太子たちを派遣し、その国の王が死するまで内情を洞察させていた。帰国した太子たちが、丁零に新たな息吹をもたらす。丁零王は、長期的な視野で、丁零の将来を脳裏に描いていた。

 厥機は、静かな眼差しで続けた。

「盟約とは別の話になる。鮮卑に頡斤を派遣し、檀石槐が世を去るまで仕えさせる。それが丁零王の富国策。頡斤は、紛れもない丁零王の次男だよ」

「そ、そんな勝手なこと、檀石槐でもなけりゃあ、承諾できる訳ねえだろ!」

 珍しく、狼狽ろうばいしたような慕容を尻目に、如羅は趙娥に目配せした。

 それに促された趙娥は、下馬すると頡斤の前まで歩を進めた。

「檀石槐の妻、趙娥です」

 堂々としたものだった。趙娥は、冴えた視線を馬上の頡斤に向けた。

「檀石槐の妻……、王后おうこうさま――⁉」

 驚愕きょうがくした頡斤は、慌てて下馬すると、趙娥の前で拝跪はいきした。

「我が夫、檀石槐に代わり申し伝えます。丁零の頡斤、其方そなたを歓迎する。以後、鮮卑の発展に力を貸してほしい。この鮮卑が、其方そなたにとって第二の故郷となることを願っています」

がたきお言葉。この頡斤、鮮卑の全てを学ばせて貰う代わりに、いかなる労もいといません」

 頡斤は、低頭した。かおを上げると、趙娥が微笑を浮かせていた。

 趙娥は、その笑みを、呆気あっけに取られていた慕容へと向けた。

「早く鮮卑の生活に慣れて貰うため、頡斤の面倒は慕容が見なさい」

「お、俺――⁉」

「檀石槐さまなら、きっとそう云う筈です」

 溜息交じりで肩を落とした慕容を横目に、趙娥は再び馬上の人となった。

「大したものだ。檀石槐どのも、良き妻を得た」

「うむ。確かに、孫さまも同じ判断を下されていたであろう」

 陳正と李平は、互いに嬉しそうにした。

「ど、どうでしたか?」

 突如、不安げな表情に変貌へんぼうした趙娥は、如羅に尋ねた。

 如羅は、屈託のない笑みで頷首がんしゅした。

「上出来」

 円らな瞳でそれを見ていた辮髪の少女も、にこやかに笑った。

 丁零軍に動きがあった。幕舎をたたんでいる。既に整然と並んだ兵たちが撤退のに就いていた。

 それに気づいた頡斤は、自然とからだが丁零軍の方に動いた。歩を止めると、しばらくその撤退を眺めていた。赤い髪が風になびいている。意を決したような、勇壮な貌付きだった。

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