飛躍の同盟
登場人物
〈漢〉
桓帝…………漢の帝。
唐衡…………漢の小黄門史。桓帝に仕える宦官のひとり。
梁冀…………漢の大将軍。桓帝により死に追い込まれる。
張奐…………漢の歴戦の将軍。故郷の涼州で隠棲する。
公孫延…………玄菟郡の官吏。漢からの独立を目論む。
〈鮮卑〉
檀石槐…………鮮卑の部族の大人。各部族の大人を束ねる鮮卑の魁。
素利…………鮮卑の部族の大人。鮮卑の軍師的存在。
慕容…………鮮卑の部族の大人。万夫不当の豪傑。
宴茘游…………鮮卑の部族の大人。鮮卑随一の狙撃手。
趙娥…………檀石槐の妻。漢人。
和連…………檀石槐と趙娥の子。
如羅…………檀石槐の母。妖しの雷獣により檀石槐を身籠る。
破多羅…………檀石槐の祖母。如羅の母。巫者のような特性を持つ。
弥加…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者。
厥機…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。近隣諸国との外交を担当する。
置鞬落羅…………鮮卑の部族の大人。宴茘游の副官。年長の歴戦の戦士。
成律帰…………素利の弟。
〈南匈奴〉
居車児…………南匈奴の単于。鮮卑の部族の大人、闕居を討った過去を持つ。
〈夫餘〉
蓋蘇武…………牛加と呼ばれる夫餘の大将軍。
その地位は、依然、空位だった。
大将軍を葬った漢では、奇妙なことが起きていた。財政難と称し、百官の俸給を減らすと、関内侯以下の官職を売り出した。西暦一六一年のことである。
時を同じくして、宦官の唐衡等が政治を統べるようになった。
桓帝は、梁冀を粛清後、功労者の唐衡等宦官たちに恩賞を与えた。梁冀の専横を排除することには成功したが、次は、宦官に権力が集中することになった。
これに不満を抱いた忠臣も居たが、宦官たちに弾圧された。宦官たちにより、言葉巧みに親政から遠ざけられた桓帝は、宦官を信じきっていた。
漢は、梁冀という毒を、宦官という更なる毒を以って制したに過ぎなかった。依然として国の在りようは腐っていた。
漢の内情を他所に、鮮卑は厥機を先駈けとして、近隣諸民族との盟約に本腰を入れた。その間隙を突いたように侵攻してきたのは、鮮卑の東側に蟠踞する夫餘族だった。
山をひとつ越えて来たようだった。その山を背に、三千ほどの歩兵軍が隊列を組んでいる。白い戦袍に身を包み、簡素な鎧を纏っていた。統率する者だけが騎乗している。
それを眼前に、八十間(約百五十m)ほどの距離で対峙していたのは、成律帰が率いた騎馬、東方の鮮卑二千ほどだった。副官のような立場の弥加を伴っている。
双方、睨み合いが続いた。夫餘が仕掛けてくる様子はない。しかし、此方から矢を射れば、夫餘も応戦していた。
其処へ、百騎ほどを従えた檀石槐と素利が駈け付けた。辺りには、夫餘から放たれた無数の矢が地に突き立っている。遅れて、厥機も一騎で駈けて来た。
「ま、待て! 待て、待て、待て!」
慌てた様子の厥機は、夫餘の軍に背を向けるように鮮卑の一群の前で急停止した。
「威嚇するなよ! 夫餘族は、目的があって山を越えて来ている」
肩で息をした厥機は、大声を放った。夫餘の侵攻を聞きつけ、遼東烏丸族の許から馳せ寄せていた。
「夫餘とは、交渉が進んでいると聞いていたが、厥機?」
檀石槐は、馬を進めると尋ねた。
「ああ。良い感じでな。だが、ひとりだけ首を縦に振らない奴が居る。今、夫餘の軍を率いているあの騎馬の男、牛加の蓋蘇武だ」
檀石槐は、遠目にその男を見遣った。勇壮な男に見えた。白い戦袍の上から黒い獣毛を纏い、被った帽子を金銀で彩っている。
「夫餘族には、馬加、牛加、豬加、狗加と呼ばれる四人の大将軍が居る。その四人が承諾しない限り、夫餘王は、鮮卑との盟約には応じられないと云っている」
厥機は、深刻そうな貌で云った。
「じゃあ、その蓋蘇武って奴を殺れば、盟約とやらは上手くいく訳だ」
無風だった。成律帰は、徐に馬上から一矢を夫餘軍へ向けて虚空高く放った。夫餘軍には届かず、手前の地に突き立った。
「おいおい! だから、威嚇するなって、成律帰!」
「わかっちゃいるが、これを檀石槐と兄者にも見て欲しいんだ」
応戦するように、夫餘軍からも一矢が放たれた。
厥機も、檀石槐も、素利も成律帰も、弥加も、皆その一矢の軌跡を眼で追った。虚空に弧を描いたその矢は、当たり前のように避けた戦士たちの一群の中に落ちた。
「な? 変だろ?」
成律帰は、檀石槐と素利に怪訝な貌を向けた。
「な、何も変じゃないだろ――⁉」
厥機は、声を荒らげた。
その遣り取りを見ていた弥加は、何方が云っていることが正しいのか、判断がつかない様子だった。
「否、確かに変だ」
下馬した檀石槐は、地に突き立った夫餘の矢をまじまじと見遣った。
「え、ええ? 何? な、何が変なのさ――?」
眼を円くした厥機は、檀石槐に馬を寄せた。下馬すると檀石槐が手にした矢を食い入るように凝視した。
「……鮮卑の矢と、違わないな」
「だったら、弓の方だね」
檀石槐に続いて、笑みを浮かべた素利が云った。
「如何云うこと……?」
呆気に取られたような厥機は、援けを求めるように素利に尋ねた。
「厥機も見ていただろ。成律帰が放った矢は、夫餘軍には届いていない。一方で、夫餘軍が放った矢は、僕たちが居る処まで届いている」
「――――⁉」
「だよな。夫餘が使っている弓の方が、俺たち鮮卑の弓より飛距離が出る。弓の材質が違うってことだ、厥機」
夫餘軍に眼を向けたまま、成律帰が不敵に笑った。
「夫餘との盟約、何としても取り付けたいな」
「だね」
檀石槐と素利も、対峙している夫餘軍に眼を遣った。
「でも、牛加の蓋蘇武は、どうして鮮卑との盟約に反対しているの?」
素利は、冴えた眼差しを厥機に据えた。厥機は、深刻な面持ちとなった。
「反対している訳ではない。ひとつ、条件を出している。だが、これは俺の意思では判断できない。だから、急いで此処へ来た」
「条件って――?」
素利の問いに、厥機は、檀石槐に向き直った。
「鮮卑の魁、檀石槐に会わせろ――だ。どうする、檀石槐?」
檀石槐に、不気味な笑みが浮いた。すると、夫餘軍に向かって歩き出した。
「面白そうだ。付いて来い、厥機。残るは待機だ」
「うん」
「はいよ」
返事をしたのは、素利と成律帰だった。
「え、ええ⁉ このまま往くのか? 本当に、大丈夫なのか――⁉」
驚愕した厥機は、先を独歩する檀石槐を小走りで追い掛けた。
鮮卑の戦士たちも挙って唖然とした。弥加だけが恍惚とした表情を浮かべている。
夫餘と鮮卑が睨み合う、その中央に進むにつれ、対峙する夫餘軍にも動きがあった。
下馬した男が、独歩して向かってくる。白い戦袍の上に黒い獣毛を羽織り、帽子が金銀で装飾されている。釣り上がった眉は太かった。威厳のようなものまで感じられる。牛加の蓋蘇武だった。
檀石槐と厥機は、その歩みを止めた。
蓋蘇武も、二人の前まで来ると立ち止まった。眼前の二人を見比べていた。
「厥機よ、我が要望、良くぞ受け入れた」
蓋蘇武は、眼を細めた。厥機は、落ち着きを失ったように右往左往している。
蓋蘇武は、胸を張った。
「我が名は、夫餘の牛加、蓋蘇武」
「鮮卑の檀石槐だ」
怖じることなく、檀石槐は一歩前に歩み出た。涼やかな眼をしている。
蓋蘇武は、微笑んだ。
「遠目からでも、お主が檀石槐だとわかっていた。他の者とは覇気の色がまるで違う。遠くからは圧倒するような色に見えるが、不思議なことに、近付くと柔らかい色だ。これが鮮卑の王、檀石槐か。近隣の民族にまでその名が轟くのも頷ける」
「俺は、王ではない。鮮卑族を誰人よりもこよなく愛する者だ」
檀石槐は、蓋蘇武に微笑み返した。
蓋蘇武は、高笑った。
「王たる資格は、持っているということか。面白い男だ。私の想像を遥かに超えている。噂に違わぬ傑物のようだ」
「夫餘と盟約を交わしたい。互いに不要な争いを避け、困難は共に援け合い、交易により末永く友好な関係を築きたい」
檀石槐は、破顔した。それを見た厥機も、やっと落ち着きを取り戻したようだった。
「望む処だ。夫餘王には、即刻、鮮卑と盟約を結ぶよう強く進言することを約束する」
「ところで、蓋蘇武、お前の弓を見せてくれないか?」
「ん? 弓だと?」
蓋蘇武は、眉を顰めると、背にしていた弓を檀石槐に手渡した。
檀石槐は、徐に弦を引いた。撓りが違う。離した弦の戻りが早い。弓自体がしなやかなで、弾力があるようだった。
「この弓は、何の木で作っている?」
「檀の木だが、鮮卑にはないのか? 夫餘の南には、檀の森が至る処に在る」
見聞きしたことはあったが、鮮卑では珍しい樹木だった。反対に、夫餘の地では、檀弓が名産と云えた。檀弓のしなやかな弾力が、矢の飛距離を伸ばしている。鮮卑の戦士が檀弓を扱えば、戦略の幅が広がるのは確かだった。
檀石槐は、ふと思い出したようだった。
「差し当たって、取引がしたい」
懐中に手を入れた檀石槐が取り出したのは、掌に収まるほどの透明な塊だった。
「これで、檀弓をどれほど譲って貰える?」
蓋蘇武は、檀石槐の掌にあるものに眼を見張った。
「が、岩塩――⁉ 鮮卑の王は、そんなものまで持ち歩いているのか?」
「以前、北の湖畔で手に入れた。内側の衣嚢に入れていたのを忘れていた」
「ど、どれほどって、連れてきた兵の弓を全部差し出しても、まだ釣りが出る」
「ならば、交渉成立だな」
微笑を浮かせた檀石槐は、岩塩を蓋蘇武に手渡した。
当時、岩塩は金銭と同等、それ以上の価値があった。
蓋蘇武は、呆気に取られた。そして、呵呵と大笑した。厥機も唖然となっていた。
「これほど気持ちが良い男は、夫餘にはおらぬ。檀弓は全て置いて往こう。盟約の手続きは、厥機を通すことで良いな?」
檀石槐は、頷いた。
「檀弓を手にした夫餘を敵に回していたかと思うと、ぞっとする。それが、心強い盟友になってくれるとは有り難い。手柄だな、厥機」
「え、え? 俺? いやあ、それほどでも」
驚きの表情となった厥機は、その貌を自分で指差した。頭を掻きながら、照れ臭そうに笑った。




