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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第3幕 北方民族の行方
28/43

飛躍の同盟

登場人物

〈漢〉

桓帝かんてい…………漢のみかど

唐衡とうこう…………漢の小黄門史しょうこうもんり。桓帝に仕える宦官かんがんのひとり。

梁冀りょうき…………漢の大将軍。桓帝により死に追い込まれる。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。故郷の涼州りょうしゅう隠棲いんせいする。

公孫延こうそんえん…………玄菟げんと郡の官吏かんり。漢からの独立を目論む。

鮮卑せんぴ

檀石槐…………鮮卑の部族の大人たいじん。各部族の大人を束ねる鮮卑のかい

素利そり…………鮮卑の部族の大人。鮮卑の軍師的存在。

慕容ぼよう…………鮮卑の部族の大人。万夫不当の豪傑。

宴茘游えんれいゆう…………鮮卑の部族の大人。鮮卑随一の狙撃手。

趙娥ちょうが…………檀石槐の妻。漢人。

和連かれん…………檀石槐と趙娥の子。

如羅じょら…………檀石槐の母。あやかしの雷獣らいじゅうにより檀石槐を身籠みごもる。

破多羅はたら…………檀石槐の祖母。如羅の母。巫者ふしゃのような特性を持つ。

弥加びか…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者てだれ

厥機けつき…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。近隣諸国との外交を担当する。

置鞬落羅ちけんらくら…………鮮卑の部族の大人。宴茘游の副官。年長の歴戦の戦士。

成律帰せいりつき…………素利の弟。

南匈奴みなみきょうど

居車児きょしゃじ…………南匈奴の単于ぜんう。鮮卑の部族の大人、闕居を討った過去を持つ。

夫餘ふよ

蓋蘇武ゲソム…………牛加ぎゅうかと呼ばれる夫餘の大将軍。

 その地位は、依然、空位だった。

 大将軍をほうむった漢では、奇妙なことが起きていた。財政難と称し、百官の俸給を減らすと、関内侯以下の官職を売り出した。西暦一六一年のことである。

 時を同じくして、宦官かんがん唐衡とうこう等が政治を統べるようになった。

 桓帝かんていは、梁冀りょうき粛清しゅくせい後、功労者の唐衡等宦官たちに恩賞を与えた。梁冀の専横を排除することには成功したが、次は、宦官に権力が集中することになった。

 これに不満を抱いた忠臣も居たが、宦官たちに弾圧された。宦官たちにより、言葉巧みに親政から遠ざけられた桓帝は、宦官を信じきっていた。

 漢は、梁冀という毒を、宦官という更なる毒を以って制したに過ぎなかった。依然として国の在りようは腐っていた。

 漢の内情を他所よそに、鮮卑せんぴ厥機けつきを先駈けとして、近隣諸民族との盟約に本腰を入れた。その間隙を突いたように侵攻してきたのは、鮮卑の東側に蟠踞ばんきょする夫餘ふよ族だった。

 山をひとつ越えて来たようだった。その山を背に、三千ほどの歩兵軍が隊列を組んでいる。白い戦袍せんぽうに身を包み、簡素なよろいまとっていた。統率する者だけが騎乗している。

 それを眼前に、八十間(約百五十m)ほどの距離で対峙していたのは、成律帰せいりつきが率いた騎馬、東方の鮮卑二千ほどだった。副官のような立場の弥加びかを伴っている。

 双方、にらみ合いが続いた。夫餘が仕掛けてくる様子はない。しかし、此方こちらから矢を射れば、夫餘も応戦していた。

 其処そこへ、百騎ほどを従えた檀石槐だんせきかい素利そりが駈け付けた。辺りには、夫餘から放たれた無数の矢が地に突き立っている。遅れて、厥機も一騎で駈けて来た。

「ま、待て! 待て、待て、待て!」

 慌てた様子の厥機は、夫餘の軍に背を向けるように鮮卑の一群の前で急停止した。

威嚇いかくするなよ! 夫餘族は、目的があって山を越えて来ている」

 肩で息をした厥機は、大声を放った。夫餘の侵攻を聞きつけ、遼東烏丸族の許から馳せ寄せていた。

「夫餘とは、交渉が進んでいると聞いていたが、厥機?」

 檀石槐は、馬を進めると尋ねた。

「ああ。良い感じでな。だが、ひとりだけ首を縦に振らない奴が居る。今、夫餘の軍を率いているあの騎馬の男、牛加ぎゅうか蓋蘇武ゲソムだ」

 檀石槐は、遠目にその男を見遣みやった。勇壮な男に見えた。白い戦袍の上から黒い獣毛を纏い、被った帽子を金銀で彩っている。

「夫餘族には、馬加ばか、牛加、豬加ちょか狗加くかと呼ばれる四人の大将軍が居る。その四人が承諾しない限り、夫餘王は、鮮卑との盟約には応じられないと云っている」

 厥機は、深刻そうなかおで云った。

「じゃあ、その蓋蘇武って奴をれば、盟約とやらは上手くいく訳だ」

 無風だった。成律帰は、おもむろに馬上から一矢を夫餘軍へ向けて虚空こくう高く放った。夫餘軍には届かず、手前の地に突き立った。

「おいおい! だから、威嚇するなって、成律帰!」

「わかっちゃいるが、これを檀石槐と兄者にも見て欲しいんだ」

 応戦するように、夫餘軍からも一矢が放たれた。

 厥機も、檀石槐も、素利も成律帰も、弥加も、皆その一矢の軌跡きせきを眼で追った。虚空に弧を描いたその矢は、当たり前のように避けた戦士たちの一群の中に落ちた。

「な? 変だろ?」

 成律帰は、檀石槐と素利に怪訝けげんな貌を向けた。

「な、何も変じゃないだろ――⁉」

 厥機は、声を荒らげた。

 その遣り取りを見ていた弥加は、何方どちらが云っていることが正しいのか、判断がつかない様子だった。

いや、確かに変だ」

 下馬した檀石槐は、地に突き立った夫餘の矢をまじまじと見遣った。

「え、ええ? 何? な、何が変なのさ――?」

 眼をまるくした厥機は、檀石槐に馬を寄せた。下馬すると檀石槐が手にした矢を食い入るように凝視した。

「……鮮卑の矢と、たがわないな」

「だったら、弓の方だね」

 檀石槐に続いて、笑みを浮かべた素利が云った。

如何どう云うこと……?」

 呆気あっけに取られたような厥機は、たすけを求めるように素利に尋ねた。

「厥機も見ていただろ。成律帰が放った矢は、夫餘軍には届いていない。一方で、夫餘軍が放った矢は、僕たちが居る処まで届いている」

「――――⁉」

「だよな。夫餘が使っている弓の方が、俺たち鮮卑の弓より飛距離が出る。弓の材質が違うってことだ、厥機」

 夫餘軍に眼を向けたまま、成律帰が不敵に笑った。

「夫餘との盟約、何としても取り付けたいな」

「だね」

 檀石槐と素利も、対峙している夫餘軍に眼を遣った。

「でも、牛加の蓋蘇武は、どうして鮮卑との盟約に反対しているの?」

 素利は、冴えた眼差まなざしを厥機に据えた。厥機は、深刻な面持ちとなった。

「反対している訳ではない。ひとつ、条件を出している。だが、これは俺の意思では判断できない。だから、急いで此処ここへ来た」

「条件って――?」

 素利の問いに、厥機は、檀石槐に向き直った。

「鮮卑のかい、檀石槐に会わせろ――だ。どうする、檀石槐?」

 檀石槐に、不気味な笑みが浮いた。すると、夫餘軍に向かって歩き出した。

「面白そうだ。付いて来い、厥機。残るは待機だ」

「うん」

「はいよ」

 返事をしたのは、素利と成律帰だった。

「え、ええ⁉ このまま往くのか? 本当に、大丈夫なのか――⁉」

 驚愕きょうがくした厥機は、先を独歩する檀石槐を小走りで追い掛けた。

 鮮卑の戦士たちもこぞって唖然あぜんとした。弥加だけが恍惚こうこつとした表情を浮かべている。

 夫餘と鮮卑が睨み合う、その中央に進むにつれ、対峙する夫餘軍にも動きがあった。

 下馬した男が、独歩して向かってくる。白い戦袍の上に黒い獣毛を羽織り、帽子が金銀で装飾されている。釣り上がった眉は太かった。威厳のようなものまで感じられる。牛加の蓋蘇武だった。

 檀石槐と厥機は、その歩みを止めた。

 蓋蘇武も、二人の前まで来ると立ち止まった。眼前の二人を見比べていた。

「厥機よ、我が要望、良くぞ受け入れた」

 蓋蘇武は、眼を細めた。厥機は、落ち着きを失ったように右往左往している。

 蓋蘇武は、胸を張った。

「我が名は、夫餘の牛加、蓋蘇武」

「鮮卑の檀石槐だ」

 じることなく、檀石槐は一歩前に歩み出た。涼やかな眼をしている。

 蓋蘇武は、微笑んだ。

「遠目からでも、お主が檀石槐だとわかっていた。他の者とは覇気の色がまるで違う。遠くからは圧倒するような色に見えるが、不思議なことに、近付くと柔らかい色だ。これが鮮卑の王、檀石槐か。近隣の民族にまでその名がとどろくのもうなずける」

「俺は、王ではない。鮮卑族を誰人だれよりもこよなく愛する者だ」

 檀石槐は、蓋蘇武に微笑み返した。

 蓋蘇武は、高笑った。

「王たる資格は、持っているということか。面白い男だ。私の想像を遥かに超えている。噂に違わぬ傑物のようだ」

「夫餘と盟約を交わしたい。互いに不要な争いを避け、困難は共に援け合い、交易により末永く友好な関係を築きたい」

 檀石槐は、破顔はがんした。それを見た厥機も、やっと落ち着きを取り戻したようだった。

「望む処だ。夫餘王には、即刻、鮮卑と盟約を結ぶよう強く進言することを約束する」

「ところで、蓋蘇武、お前の弓を見せてくれないか?」

「ん? 弓だと?」

 蓋蘇武は、眉をしかめると、背にしていた弓を檀石槐に手渡した。

 檀石槐は、徐に弦を引いた。しなりが違う。離した弦の戻りが早い。弓自体がしなやかなで、弾力があるようだった。

「この弓は、何の木で作っている?」

まゆみの木だが、鮮卑にはないのか? 夫餘の南には、檀の森が至る処に在る」

 見聞きしたことはあったが、鮮卑では珍しい樹木だった。反対に、夫餘の地では、檀弓だんきゅうが名産と云えた。檀弓のしなやかな弾力が、矢の飛距離を伸ばしている。鮮卑の戦士が檀弓を扱えば、戦略の幅が広がるのは確かだった。

 檀石槐は、ふと思い出したようだった。

「差し当たって、取引がしたい」

 懐中ふところに手を入れた檀石槐が取り出したのは、てのひらに収まるほどの透明な塊だった。

「これで、檀弓をどれほど譲ってもらえる?」

 蓋蘇武は、檀石槐の掌にあるものに眼を見張った。

「が、岩塩――⁉ 鮮卑の王は、そんなものまで持ち歩いているのか?」

「以前、北の湖畔で手に入れた。内側の衣嚢いのうに入れていたのを忘れていた」

「ど、どれほどって、連れてきた兵の弓を全部差し出しても、まだ釣りが出る」

「ならば、交渉成立だな」

 微笑を浮かせた檀石槐は、岩塩を蓋蘇武に手渡した。

 当時、岩塩は金銭と同等、それ以上の価値があった。

 蓋蘇武は、呆気に取られた。そして、呵呵かかと大笑した。厥機も唖然あぜんとなっていた。

「これほど気持ちが良い男は、夫餘にはおらぬ。檀弓は全て置いて往こう。盟約の手続きは、厥機を通すことで良いな?」

 檀石槐は、頷いた。

「檀弓を手にした夫餘を敵に回していたかと思うと、ぞっとする。それが、心強い盟友になってくれるとはがたい。手柄だな、厥機」

「え、え? 俺? いやあ、それほどでも」

 驚きの表情となった厥機は、その貌を自分で指差した。頭をきながら、照れ臭そうに笑った。

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