大抜擢
登場人物
〈漢〉
桓帝…………漢の帝。
唐衡…………漢の小黄門史。桓帝に仕える宦官のひとり。
梁冀…………漢の大将軍。桓帝により死に追い込まれる。
張奐…………漢の歴戦の将軍。故郷の涼州で隠棲する。
〈鮮卑〉
檀石槐…………鮮卑の部族の大人。各部族の大人を束ねる鮮卑の魁。
素利…………鮮卑の部族の大人。鮮卑の軍師的存在。
慕容…………鮮卑の部族の大人。万夫不当の豪傑。
宴茘游…………鮮卑の部族の大人。鮮卑随一の狙撃手。
趙娥…………檀石槐の妻。漢人。
和連…………檀石槐と趙娥の子。
如羅…………檀石槐の母。妖しの雷獣により檀石槐を身籠る。
破多羅…………檀石槐の祖母。如羅の母。巫者のような特性を持つ。
弥加…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者。
厥機…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。
置鞬落羅…………鮮卑の部族の大人。宴茘游の副官。年長の歴戦の戦士。
成律帰…………素利の弟。
漢の帝、桓帝は、宦官の唐衡等と共に、梁冀の専権に反発する機会を窺っていた。
梁冀の妻である梁女瑩が病で世を去ると、桓帝と唐衡は、梁冀の討伐に打って出た。屋敷を禁軍に取り囲まれ、事の次第を悟った梁冀は、呆気なく自害した。後に、梁冀の財産を調べると、国庫の半分ほどもあった。
その梁冀に連座して、死刑や免職になった者は、三百人を超えた。朝廷には人が居ないようになった。
張奐は、死罪こそ免れたものの、官職は取り上げられ、故郷の涼州での隠棲を余儀なくされた。張奐も梁冀が推挙した者のひとりだった。
北辺の変事に眼を光らせ、謀略に巧みな張奐が失脚し、天は鮮卑に味方したかに見えた。
しかし、異変は、それだけで収まらなかった。
辺境の各民族にまで、鮮卑では漢から略奪した物資で潤っていることが伝わった。それに加え、先導する檀石槐の名も、各地に鳴り響いた。
隣接する東の夫餘、北の丁零、西の烏孫が、頻繁に鮮卑へ侵攻した。幸い、奥地までの侵攻ではなく、鮮卑がどう出るのか牽制しているようなものだった。
それを追い返すのに各地の大人たちは奔走した。素利、慕容、宴茘游も、戦士を率い、神出鬼没の侵入者に応戦した。鮮卑の大人たちは多忙を極めた。
更に、これも変事と云えば変事だった。檀石槐と趙娥の間に、男児が生まれた。
「部族の和が、いつまでも連なるように――」
そう願いを込め、和連と名付けられた。
檀石槐は、赤子の和連を持て余した。どう扱って良いのかわからなかった。
趙娥は、和連の世話で忙しそうにしている。家畜の世話どころではなかった。隣の穹廬から如羅が手伝いに来ていたが、忙しさは変わらないように見えた。
鮮卑では、家庭のことは女に主導権がある。和連に逡巡する檀石槐に、どんな災禍が降り掛かるかわからなかった。
きまりが悪くなった檀石槐は、そそくさと隣の穹廬に移動した。奥では、破多羅が静かに編み物をしている。既に古希(七十歳)を迎えていたが、健勝だった。
檀石槐は、胡床にどっと腰を下ろした。何もしていないのに疲れている気がした。様々なことが一度に起きているようだった。何から着手すべきか、わからなかった。
「孫さんや、大人たるもの、常に忙しくしておるものじゃ。こんな処で休んでおる場合ではないのう」
破多羅は、手許に視線を落とし、編み物を続けていた。
「気付いたら、鮮卑の周りは敵だらけになっていた。漢に侵攻する前に、周りの諸民族の侵攻を防がなければならない。それに人が割かれ、思うように事が進まない」
「忙しければ、趙娥のように誰人かの手を借りれば良い。そもそも、夫餘や丁零は敵なのかえ? 我ら鮮卑と似た者同士。手を取り合えば良いではないか」
破多羅の言に、檀石槐は、はっとなった。
「婆さま、恩に着る」
破多羅は貌を上げると、檀石槐の姿はもうなかった。微笑が浮いた破多羅は、再び手許に視線を落とすと編み物を続けた。
檀石槐は、弾汗山の麓にある啜仇水の畔に大人たちを集めた。
集ったのは、素利、弥加、厥機、置鞬落羅だった。
「宴茘游は、参加できる状況にない。いつ、烏孫が急襲を仕掛けて来るかわからないからな。代わりに俺が来た」
揉み上げと顎鬚が繋がっている。鼻の下に髭はない。笑みを浮かせ、目尻の皺を深くした置鞬落羅が云った。
「慕容も来られないだろう。北も丁零の動きが穏やかじゃないからね。夫餘には成律帰を向かわせているよ」
素利は、弥加と厥機が張った穹廬に皆を誘った。円座になって胡床に腰掛けた。慕容と宴茘游の不在に、どこか寂しさを覚える。
慕容は、北の丁零の侵攻に備え、宴茘游は、西の烏孫を牽制していた。東の夫餘には、素利の弟の成律帰が不測の事態に備えている。そのような状況でも、集った者は檀石槐の言葉を待った。
「過去にも例がない。周りの各民族が、挙って我ら鮮卑に侵攻している。これも、俺たちが漢からの略奪に成果を上げ続けているからだ」
檀石槐は、集った大人たちを見回した。弥加が目線を逸らして下を向いた。頬が赤らんでいる。気にも留めず、檀石槐は続けた。
「考えてみれば、周りの諸民族も我らと似たようなもの。争うのは得策ではない。奪うのは漢からだけで良い」
腕組みした素利は、瞑目して檀石槐の話を聞いた。ゆっくりと目を開けると、檀石槐を見遣った。檀石槐と眼が合った。
「……同盟か? もしくは、連合――?」
尋ねた素利に、檀石槐は微笑を刷いた。
「ああ。同盟でも連合でも良いが、それぞれの民族と交易しよう。互いに必要な物資を、同じ対価の物で交換する。糧食に不足しているのならば、糧食を譲り、俺たちが苦しいときは、援けて貰おう。そういう盟約を各民族と交わしたい」
「それは、良いね。後顧の憂いなく、漢の侵攻に集中できる。張奐も前線には出て来ない。侵攻を厚くするのにも良い時期だ。諸民族と盟約を交わすなら、早いに越したことはない」
素利にも笑顔の花が咲いた。
「ちょっと、待て。名案だと思うが、諸民族もそれなりに癖のある連中だ。交渉に難儀するのではないか、檀石槐?」
身を乗り出したのは、置鞬落羅だった。集った者の中では最年長だった。
「だから、外交の担当を選任したい。交渉によって、今の状況を利に変える重要な役だ」
「だ、誰人に……?」
素利も身を乗り出すようにして質した。
檀石槐は、大人たちを見回した。弥加が貌を上げて檀石槐を見遣った。頬が赤らんでいる。檀石槐は、意中の者に眼を合わせた。
「頼まれてくれないか、厥機」
「お、俺――⁉」
厥機は、驚きの表情を晒した己の貌を指差した。
「うん。悪くない人選だよ。厥機なら上手くやれると思う」
素利は、驚愕している厥機に微笑を向けた。十ほども歳の離れた兄貴分のような存在は、柔らかい物腰と気さくな性質だった。加えて、戦では粘り強さを見せる。苦境でも簡単には諦めない性分だった。外交の担当には適任の人材だった。
嫣然と微笑んだ弥加が、隣に座っている厥機の肩をぽんと叩いた。
「厥機か。ならば安心だ。宴茘游には俺から報告しておく。反対はしないだろう」
置鞬落羅も、厥機に優しい笑みを見せた。
厥機は、意を決したように立ち上がった。
「わかった。皆がそう云うなら、やってみる。どんな奴らと会えるのか、今から愉しみだ」
厥機は、北叟笑んだ。頼もしかった。




