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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第2幕 蠢動の列国
20/43

英雄、伴侶を得る

登場人物

〈漢〉

桓帝かんてい…………漢のみかど

梁冀りょうき…………漢の大将軍。

唐衡とうこう…………漢の小黄門史しょうこうもんり。桓帝に仕える宦官かんがんのひとり。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。梁冀により安定属国都尉あんていぞっこくといに任じられる。

王衛おうえい…………張奐に仕える勇将。

公孫延こうそんえん…………玄菟げんと郡の官吏かんり

趙娥ちょうが…………漢の議郎ぎろう趙彦ちょうげんの次女。

南匈奴みなみきょうど

台耆だいき…………南匈奴の部族の大人たいじん(部族長)。張奐により討たれる。

伯徳はくとく…………南匈奴の部族の大人。張奐に投降する。

鮮卑せんぴ

投鹿侯とうろくこう…………鮮卑の部族の大人。王衛により討たれる。

如羅じょら…………投鹿侯の前妻。檀石槐だんせきかいの母。(投鹿侯と檀石槐に血の繋がりはない)

檀石槐…………鮮卑の部族の青年。如羅の息子。部族より大人に推戴される。滅魂の剣の使い手。

李平りへい…………檀石槐に仕える漢人の使用人。

破多羅はたら…………如羅の母。檀石槐の祖母。

其至鞬きしけん…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。

素利そり…………鮮卑の部族の大人。檀石槐の同志。点魂の剣の使い手。

陳正ちんせい…………北の湖畔で暮らす李平の知人。漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。

厥機けつき…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。

弥加びか…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者てだれ

成律帰せいりつき…………素利の弟。

慕容ぼよう…………鮮卑の部族の大人。檀石槐の同志。朱矛の使い手。

宴茘游えんれいゆう…………鮮卑の部族の大人。檀石槐の同志。大弓の使い手。

置鞬落羅ちけんらくら…………鮮卑の部族の大人。宴茘游の副官。年長の歴戦の戦士。

闕居けつきょ…………鮮卑の部族の大人。慕容の副官。年長の歴戦の戦士。

 貯蔵されていた穀物を初めとする大量の物資に加え、牛や羊、馬も捕獲した。捕虜は、素利そりの指示により、百ほどに留めていた。どういう訳か、そのうちのひとりは、手を縛られたまま捕獲した馬に乗っている。

 檀石槐だんせきかいが率いた一群は、並足で北へ帰る途上にあった。

「お前の云う略奪とは、こういうことだったのか、檀石槐?」

 駒を寄せた慕容ぼようが、冷やかすように云った。

「檀石槐のことだ。何か考えがあるんだろう」

 少し離れたところから、宴茘游えんれいゆうが辺りに聞こえるように声を放った。

「そんなこと、わかってるよ。それにしても、一体、どうするつもりだ?」

 慕容だけではない。凱旋がいせんする戦士たちの注目の的は、手を縛られた馬上の者だった。

 無理もない。それは、肌が土色の漢人の娘子むすめだった。華奢きゃしゃからだだったが、顔付きからは気概と叡智えいちにじみ出ていた。

 檀石槐は、挑むような眼をした娘子を斬ることはなかった。むしろ、助けるかのようにその身を拾い上げていた。

 娘子は何も語らなかった。ただ、檀石槐に厳しい視線を注いでいる。

 話題をらすように云ったのは、檀石槐にくつわを並べた素利だった。

「戦果は上々。脱落者もいない。これを繰り返すんだ。物資は、大人たいじんに分けるから、それぞれの部族に支給してくれ。捕虜は、このまま北へ移送する。今回は一堂に集ったけど、次からは、各大人に侵攻の指示が出ることもあるからね」

 部族の大人と戦士たちは、略奪した物資と共に、互いの本拠地へと戻った。

 檀石槐は、捕虜の娘子を連れて部族の許へと帰って往った。

「けど、どうする気だろ?」

 馬を止めて振り返った素利が、遠くなる檀石槐の背を眺めていた。素利の近くで、弥加びか厥機けつきも同じように馬を止めていた。

 弥加は、小さくなる檀石槐の後ろ背に、不安げな眼差まなざしを送っていた。


 穹廬きゅうろの中央で、土色の肌の娘子が端座たんざしている。手に縛られた縄は、解かれている。

 対面には、稀有けうな物でも見るようにした檀石槐が、胡床こしょうに座していた。

 同じように胡床へ腰を下ろした破多羅はたら如羅じょらが、奥で編み物をしていた。

 依然としてその娘子は、檀石槐に挑むような視線を向けている。鮮卑せんぴの地に連れて来られてもなお、心が折れた様子は微塵みじんもない。

「名は?」

「……漢の議郎ぎろう趙彦ちょうげんは次女、趙娥ちょうが

 土色の肌をした趙娥は、檀石槐から視線を逸らさず、毅然きぜんとした態度で応じた。

「なぜ、逃げなかった?」

 しばしの沈黙の後、趙娥はせきを切ったように語った。

「長年、漢は、貴方あなたたち遊牧民族による襲来のせいで、寿命を全うできない者が続出しております」

「…………」

何故なぜ、遊牧民族は漢を襲うのです? 何が不満なのです? いつまで続くのですか? 私は、貴方あなたたちの行いをがえんじることができません。だから、遊牧民族というものを知りたかっただけです。糧食、家畜、人をも奪い、それで貴方たち遊牧民族の秩序は、保たれるのですか?」

 檀石槐は、不思議な物でも見るように眼をまるくした。

 奥で編み物をしていた破多羅と如羅も、その手を止めて一度首を上げると、再び視線を落とした。

「私は、胸中に渦巻く怒りにも似た疑念を、貴方にぶつけていた。それを貴方が此処ここまで連れて来ただけです」

「死を、恐れていないのか?」

何処どこに居ようと、死すればこの世での役割を終えたということ。生きているのであれば、果たすべき役割が、まだ残されているということでしょう」

「お前は、俺たち遊牧民族を侮蔑ぶべつしないのか、趙娥?」

「…………?」

 趙娥の、熱のもった眼差まなざしの上にある眉根びねが、わずかに動いた。

「漢には、貴方たち塞外さいがいの者を侮辱ぶじょくし、さげすむ者が居ることも知っています。しかし、何処に住んでいようと、人は人。北方の戦渦せんかの原因、それは漢にあるのでしょうか? それとも遊牧民族にあるのでしょうか? 私はそれを、己の眼で確かめたいのです」

「漢帝が、我等を人として見ていなければ、我等は人でないことになる。それだけだ」

 檀石槐は、口許に微笑を刷くと、続けた。

「俺と共に暮らし、鮮卑せんぴを学べ、趙娥」

 趙娥は、端整なたたずまいだった。瞑目めいもくすると、低頭した。

 破多羅も如羅も、檀石槐の決定に異を唱えなかった。

 趙娥は、檀石槐より三つ年下だった。父の趙彦は朝廷に出仕し、姉を幼くして失っている。病軀びょうくの母がって間もなく、檀石槐たちの襲撃にっていた。

 檀石槐は、近くに新たな穹廬きゅうろを張り、其処そこに趙娥と共に暮らすことにした。鮮卑での生活の手解きは、如羅に受けている。鮮卑の部族において、生活に関する全てのことは、婦人が決定する。戦に関することだけ男に裁量があった。

 趙娥は、素直だった。それゆえに、飲み込みが早かった。日が経つにつれ、笑みが見られるようになった。破多羅や如羅と談笑までしている。趙娥は、鮮卑での暮らし方を受け入れるように学んでいた。

 しばらくは、趙娥を監視するつもりだった檀石槐も、いつしか趙娥の笑みに和みを覚えるようになっていた。

 檀石槐は、季節ごとに漢の北辺へ侵攻した。

 宴茘游を初めとする西方の戦士を率いて襲撃することもあれば、慕容の中央の戦士、素利の東方の戦士を率いて侵攻することもあった。常に、公孫延こうそんえんからの情報を基に、檀石槐が略奪の地を決めている。そして、公孫延の情報に誤りはなかった。

 部族に戻れば、いつも趙娥が待っていた。

 胡服こふくを着た趙娥に、違和感がなくなった頃、檀石槐は、弾汗山だんかいさんふもとまで趙娥と騎馬で駈けた。漢の北方である并州雲中郡へいしゅううんちゅうぐん出身の趙娥にとって、騎馬は慣れたものだった。

「鮮卑が何たるか、お前の答えは出たのか、趙娥?」

 弾汗山の麓の森林で馬を止め、薬草を収集していた。檀石槐は、何の気なしに趙娥にただした。鮮卑の部族の中で生きる趙娥も、季節に応じて遊牧していた。今では、巧みに羊を追い、穹廬もひとりで張ることができる。

「時に自然は過酷かこく。季節と共に遊牧し、糧食に乏しい時期もある。それを漢からの略奪によりまかなっている。しかし、過酷な自然と共に生きることをしとし、自由な気風で人生をたのしんでいる。これが鮮卑の人たちだとわかりました」

「漢人は違うのか?」

「民は、重税にあえいでおります。私が居た雲中郡だけではありません。加えて、何処どこの地でも役人に袖の下から金銭を渡さなければ、商いはおろか、その地に住むことさえもままなりません」

「漢が腐っていることは知っていたが、それほどだったとはな」

「漢民族は、唯一主義。塞外にある者を異民族とさげすみます。その内情は腐敗しており、漢の民は人生を愉しむことなどできません。誰人だれしもが懸命に生きる中、北方では更に遊牧民族の戦渦に見舞われるのです」

「お前は、導き出した答えの先に何を望む、趙娥?」

 趙娥は、薬草を拾う手を止め、腰を上げた。涼やかな瞳をしていた。

「不正のないまつりごとにより、漢と遊牧民族が境なく共生でき、誰人しもが生きることを愉しみ、生涯を全うできる世です」

 檀石槐も腰を上げると、趙娥の瞳を見返した。

「俺たちの志も、お前と似たようなものだ。漢の領土を奪うのではない。鮮卑はいつか、漢に浸透する。そのためには、漢に鮮卑との共生を思い至らせるしかない。だから、俺たちは、繰り返し漢の北辺に侵攻している」

 再び、檀石槐は、生い茂った草叢くさむらに眼を凝らすと、ゆっくりと森林の奥へ歩を進めた。そして、己の生い立ちと宿命を語った。

 趙娥は、顔色を変えず、檀石槐の後に続きながら聞き入った。

 薬草を見付けた檀石槐は、その場にしゃがみ込んだ。

「短くても良い。だからこそ、太く、厚い生涯にしたい。それを同志たちにつむぐ。俺の志は、絶えることはない」

 檀石槐は、隣に屈んだ趙娥に、にこにこと笑ってみせた。嬉しそうだった。

 趙娥は、その笑みに魅了された。檀石槐が語った構想は、理に適っているように聞こえた。漢と鮮卑、それを隔てる長城の存在も、境界線として人の意識に植え付けられているような気がした。漢も鮮卑も問わず、人の意識を変える。檀石槐の笑みに、趙娥はその可能性を見た。

「私でよろしければ、お手伝いさせてください」

「なってみるか? 俺の妻に」

 檀石槐は、微笑んだ。

「……はい」

 趙娥も屈託くったくのない笑みを檀石槐に返した。檀石槐が摘んでいた薬草と似たような草に手を伸ばした。

 すると、眼の色を変えた檀石槐が、伸ばした趙娥の手を掴んだ。

 趙娥の動悸どうきが高鳴った。収まる様子がなかった。

「それは、毒草だ」

 檀石槐の言葉に、はっとした趙娥は、摘もうとしていた草に視線を移した。檀石槐が摘んでいた草葉と相違ないように見えた。

「よく似ているが、違いは茎だ」

 趙娥は、摘もうとした草の茎を凝視した。無毛で光沢があった。檀石槐が差し出したそれには、細かい毛が生えている。

「こっちが薬草の風露ふうろ。煎じて飲めば、腹痛にたちどころに効く。お前がいま摘もうとしていたのは、毒草の鳥兜とりかぶとだ。風露と違えて飲めば、死に至る」

「も、申し訳ございません」

 趙娥は佇立ちょりつすると、無知を恥じ入るようにしてかぶりを垂れた。

 檀石槐は、再び趙娥へにこにこと笑ってみせた。

いや、良いんだ。これで趙娥は、またひとつ鮮卑の民に近付いた」

 檀石槐は、眼前の風露を摘みながら続けた。

「毒があろうとなかろうと、草花は一所に混生しているのに、人となるとそれは難しいことなのだな」

 趙娥は、屈んでいる檀石槐の横顔を見た。少し寂しそうに見えた横顔に、愛おしさを覚えたようだった。

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