雷獣宿りし娘子
登場人物
元緒…………異国の方士。
如羅…………鮮卑の部族の娘子。
北の大地には、広大な草原が広がっている。
其処には、人の営みがある。遊牧民である。
厳しい自然環境の中で、家畜の世話をしながら暮らす。自由な気質で秩序に従うことを好まず、己を重んじ、時間というものに束縛されない。自然と向き合い、あらゆる可能性を求め、移動しながら新しい結果を導くため、常に変化している。
西暦一三六年――。
北の大地に、鮮卑と呼ばれる遊牧騎馬民族が居た。
曾て、烏丸と称される遊牧騎馬民族と共に、東胡と呼称されていた部族の子孫である。
漢の初め、匈奴に敗れた東胡の一部は、遼東の地へ逃れた。逃れた者は、大鮮卑山と名付けられた興安嶺の山岳地帯に住んだことから、鮮卑と呼ばれるようになった。
騎射に巧みで、水や牧草を追って放牧し、定住地を持たない。穹廬と呼ばれる折り畳み式のテントを住居とし、鳥獣を狩り、肉を食べ、酪(ヨーグルト)を飲み、毛皮で衣類を作った。
百数十人を擁する約二十戸の邑落が、数百から千ほどが集まって、ひとつの部族を形成していた。
空は、晴れている。
ある部族の若い女が、飼育している牛の乳を搾ろうと、昼間にひとり穹廬から出た折だった。
突如、雷鳴が轟いた。
「ひっ!」
驚いた女は、頭を抱えてしゃがみ込むと、はっと、空を見上げた。
すると――。
眩い光を放った稲妻が、その女の口に入ったかと思えは、ごくりと飲み込んでしまったのである。女は眼を剥くと、はたと倒れ意識を失ってしまった。
「これはいかん! 宿ってしまったか――⁉」
息を切らせて駈け寄って来たのは、ひとりの老夫だった。遊牧民らしからぬ漆黒の襤褸を纏っている。
「此処まで追い詰めたが、どうやら、しくじったわい」
被った蓑笠の下で、苦々しい表情を浮かべた老夫は、額が異常に突出し、鼻はひしゃげ、反歯である。身の丈は六尺にも満たず、藜の杖を突いている。どういう訳か右足が木脚だった。
老夫は、気絶している女の顔を覗き見ると、深く溜息をついた。
女が目覚めたのは、自分の穹廬の中だった。
得体の知れない老夫が胡座している。静かに女を窺っていた。
「あの……貴方さまは……?」
臆した様子はない。肝が据わっている。寝ぼけた調子で眼を擦りながら、その女は老夫に尋ねた。
「気分はどうじゃ? 儂は方士の元緒という者」
「方士の……元緒……さま?」
「南より長城を越え、雷獣を追って来たが、お主に宿ってしまったわい」
「……はい?」
合点がいかない様子で、女は首を傾げた。二十を幾つか過ぎた年頃であろうか、きりりとした眉からは意思の強さが窺い知れた。
「覚えておらぬか? 稲妻がお主の口の中に入ったであろう? それで気を失っておったところを儂が見付け、この穹廬まで運んだという塩梅じゃ」
「ああ! そういえば、私は、雷に打たれたのでした」
はっとした女は、驚きの表情を元緒に晒した。
「……お主、名は何という?」
元緒は、銅鑼のような声音で質した。
「如羅……です」
「如羅よ、よく聞くが良い」
元緒は、如羅に真摯な眼差しを向けると、身を乗り出して続けた。
「お主は、雷に打たれたのではない。妖しの雷獣を宿してしまったのじゃ」
「…………」
「十月もすれば、お主は赤子を生むことになろう。しかし、雷獣を宿して生まれくる赤子は、寿命が半分となる」
「…………」
「それと引き換えに、その子が抱く大志は、必ずや成就するであろう」
「…………」
「よって、志は大きければ大きいほど吉」
「……素敵!」
深刻な面持ちで元緒の話に聞き入っていた如羅に、笑顔の花が咲いた。
思いもよらぬ反応に、がくりと項垂れた元緒は、気を取り直してその首を上げた。
「如羅よ、決して忘れるでないぞ。生まれくる赤子は、大志を遂げる代わりに、寿命は半分じゃ。志の大小に関わらず、寿命は半分」
如羅は、何度も頷き返した。
「そうじゃ、そうじゃ。赤子の御護として、これを置いて往こう」
元緒は、背から鞘に収まった一本の剣を取り出すと、如羅の前にそっと置いた。
「曾て、越王勾践が鍛冶師に命じ、昆吾の神を祀って作らせた霊剣、滅魂の剣じゃ。赤子が十歳になったら授けるが良い。それで雷獣も更なる悪事をせぬ」
如羅は、滅魂の剣を受け取ると、さも大切そうに抱き締めた。
優しげな笑みを浮かべた元緒は、藜の杖を使って立ち上がると、穹廬の扉まで歩を進めた。
「さて、連れを南へ残して来てしもた。早く戻らねば、また叱られるわい」
元緒は独り言ちて、ひょこひょこと穹廬の外へ身を運んだ。
如羅も元緒を追うように穹廬の外へ出た。
其処には、既に元緒の姿はなかった。
如羅は手許を見遣った。滅魂の剣だけが確かにあった。




