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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第2幕 蠢動の列国
18/43

取引

登場人物

〈漢〉

桓帝かんてい…………漢のみかど

梁冀りょうき…………漢の大将軍。

唐衡とうこう…………漢の小黄門史しょうこうもんり。桓帝に仕える宦官かんがんのひとり。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。梁冀により安定属国都尉あんていぞっこくといに任じられる。

王衛おうえい…………張奐に仕える勇将。

公孫延こうそんえん…………玄菟げんと郡の官吏かんり

南匈奴みなみきょうど

台耆だいき…………南匈奴の部族の大人たいじん(部族長)。張奐により討たれる。

伯徳はくとく…………南匈奴の部族の大人。張奐に投降する。

鮮卑せんぴ

投鹿侯とうろくこう…………鮮卑の部族の大人。王衛により討たれる。

如羅じょら…………投鹿侯の前妻。檀石槐だんせきかいの母。(投鹿侯と檀石槐に血の繋がりはない)

檀石槐…………鮮卑の部族の青年。如羅の息子。部族より大人に推戴される。

李平りへい…………檀石槐に仕える漢人の使用人。

破多羅はたら…………如羅の母。檀石槐の祖母。

其至鞬きしけん…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。

素利そり…………鮮卑の部族の大人。檀石槐の同志。

陳正ちんせい…………北の湖畔で暮らす李平の知人。漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。

厥機けつき…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。

弥加びか…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者てだれ

成律帰せいりつき…………素利の弟。

 数日を費やし、素利そりに案内され辿たどり着いたのは、素利の部族の本拠とも云える幽州ゆうしゅうの遼東郡だった。遠くには、部族の穹廬きゅうろが幾つも点在しているのが見えた。

 春の穏やかな日差しが、中天から降り注ぐ頃合だった。

 原野に現れたのは、一騎だった。檀石槐だんせきかいと素利の許へ、ゆっくりと駒を寄せている。次第に近付いて来たのは、口許にひげを携えた、而立じりつの頃の村夫子そんぷうしのような男だった。漢服をまとってはいるが、これといった特徴がない。

公孫延こうそんえんさんだ」

 下馬して待っていた素利が、檀石槐を一瞥いちべつすると、出迎えるように歩を進めた。

 素利が使っている胡服こふくの間者たちが、遠くから取り巻くようにして牛や羊を追っている。遠方に見える商人の格好をした者や、旅装をした漢人も間者のようだった。

 檀石槐も素利に続くと、公孫延は下馬して柔らかな笑みを二人に向けた。

「足を運ばせて悪かったね。私が出向くより、君たちに来てもらった方が早いと踏んだ」

「公孫延さん、彼こそがこれからの鮮卑せんぴ族を牽引けんいんする大人たいじん、檀石槐です」

 笑みを浮かせた素利は、檀石槐と公孫延を見比べながら引き合わせた。

 公孫延は、まじまじと檀石槐を見遣みやった。

「素利から話は聞いていたが、想像していた以上の好漢こうかんだ。私は公孫延。玄菟郡げんとぐん官吏かんりだ」

 公孫延は、にこりと微笑んだ。

「檀石槐、僕は君に公孫延さんの話を聞いて欲しいんだ。僕たち鮮卑せんぴが躍進するためにも、この公孫延さんと手を組むべきだと思うんだ」

「手を組む――?」

 檀石槐に怪訝けげんの色が浮いた。

「手を組むという云い方も間違いではないが、私と鮮卑の取引と云った方が正しいだろう」

 檀石槐は、公孫延の次の言葉を待った。

 瞳を輝かせた素利が、檀石槐を見ながらうなずいた。

「君たちの志すところは、素利から聞いている。私も胸に大望を抱いていてね」

 公孫延は、相貌そうぼうに涼やかな笑みを携えると続けた。

「漢とは別の、新たな国を建てようと思っている」

「……漢から独立する、ということですか?」

 落ち着き払った檀石槐は、猜疑さいぎの眼を以って尋ねた。

「そういうことになるね。遼東以東を漢から切り離し、北は鮮卑や烏丸うがんなどの遊牧騎馬民族、西はきょう烏孫うそん堅昆けんこん、東は夫餘ふよ高句麗こうくりさい東沃沮とうよくそ、交易を主として国を富ませ、汚濁おだくのないまつりごとで民を統治する」

「新たな国。……漢人の貴方あなたが、漢を見限った?」

 檀石槐の問いに、公孫延はこくりとうなずいた。

「漢は、既に腐っている。中枢の高職にある者にとって、民は奴隷のようなものだ」

「漢は、僕たちを人として見ていない。異民族とさげすみ、しいたげる。けど、公孫延さんは、僕たちを同じ人として共生を望んでいるんだ」

 素利の声が大きくなった。翡翠ひすいの耳飾りが大きく揺れていた。

「ただし、大望を果たすためには、しばし時を要する。今は、基盤を固めていると云ったところだ。そこで、取引になる」

 檀石槐は、公孫延の眼を見詰めた。

「穀物や牛馬が北辺の城市に運び込まれる日時、糧食が備蓄されている都市、北辺を守備する漢兵の数と位置、これらの情報を逐次ちくじ、鮮卑に提供する。私から直接、鮮卑に大量の物資を提供するようなことはないよ。漢の朝廷に怪しまれては困るからね」

「――――⁉」

「その代わり、私の息が掛かった遼東以東への侵攻は、一切控えてほしい」

 公孫延が涼やかに笑った。

 漢の都、洛陽から遼東郡までは、北辺の漁陽郡ぎょよう右北平郡ゆうほくへいぐん遼西郡りょうせいぐんを通らなければならない。そこは、烏丸の諸部族が割拠している。異変に気づいた漢が遼東へ遠征しても、公孫延はその地域を緩和剤として利用するつもりのようだった。

 烏丸と鮮卑に同じ条件で盟約を交わすことで、遼東以東の地は、遊牧騎馬民族の侵攻にさいなまれることなく、独立へ向けての基盤固めができる。

 鮮卑にしてみれば、公孫延から情報を得ることにより、より少ない犠牲で、より多くの物資を獲得することができる。

 檀石槐は息を飲んだ。悪い話ではないように聞こえた。

「……情報の正確性と頻度は?」

「これでも私は玄菟郡の官吏だ。北辺の情報はつぶさに手に入る。情報が入り次第、間者を使って素利と成律帰せいりつきに伝える。それ以降の判断は、君たち次第だ」

 成律帰とは、素利の二つ下の弟だった。素利より上背があり、膂力りょりょくもあったが、性格は素利に似て人懐ひとなつっこい。左に藍玉らんぎょくの耳飾りを着けており、兄弟で部族の大人を務めているようなものだった。

「檀石槐には黙っていたけど、既に遼東の鮮卑族では、五年ほど前から実践している。情報の有無で成果が変わるのは確かだ。それを慕容ぼようの居る中央、宴茘游えんれいゆうの居る西方にまで広げられれば、鮮卑は大きくなり、僕たちの志にも一歩近づくはずだ」

 素利は、真摯しんしな瞳を向けて、檀石槐をさとすように云った。

「素利は、弟の成律帰を連れて、私のやしきに来ることも多くなった。二人とも、あっと云う間に読み書きができるようになった。今は兵法書をたしなんでいるよ」

 公孫延は、嬉しそうに素利を見遣った。

 素利は、照れ臭さそうにした。

「僕は、檀石槐のような剣術は使えない。慕容のような棒術もできない。宴茘游ほどの弓術も持ち合わせていない。だから僕は、知識と知恵、そして、情報を駈使して同志と走ることにしたんだ」

「君たちは、まだ若い。返事は急がない。だが、若さには勢いがある。時にその勢いは、何かをきっかけに大きなうねりとなることがある。私との出会いが、そのきっかけであることを期待しているよ、檀石槐」 

 公孫延は微笑むと、きびすを返した。馬上の人となると、二人には眼もくれず駈け去った。

 公孫延が去った後、檀石槐と素利も並走するように馬を走らせた。素利は、何もしゃべらなかった。檀石槐の答えを待っているようだった。

「お前、見えない処で頑張っていたんだな、素利」

 風を頬に受けながら、檀石槐が不意に云った。

「頑張っていたのかな? たのしかったけど」

「騎射や剣術だって、群を抜いた実力者だよ、素利は。無理して、皆と違うことをしなくても良かったじゃないか」

「無理なんかしてないさ。僕はせられたんだよ、君が唱えた志に。何年掛かろうとも、成し遂げてみたいんだ。だから、僕に何ができるか考えただけさ」

 素利も頬に風を受けていた。笑ったようだった。

「公孫延か。漢人にも面白いことを考える奴が居るんだな」

「で、如何どうするの?」

「俺たちの勢いが、大きなうねりとなる処を見てもらうとしよう」

 檀石槐は、不敵に笑った。

 それを見遣った素利は、莞爾かんじとした笑みに優しい風を受けていた。

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