鮮卑の若駒たち
登場人物
〈漢〉
桓帝…………漢の帝。
梁冀…………漢の大将軍。
唐衡…………漢の小黄門史。桓帝に仕える宦官のひとり。
張奐…………漢の歴戦の将軍。梁冀により安定属国都尉に任じられる。
王衛…………張奐に仕える勇将。
〈南匈奴〉
台耆…………南匈奴の部族の大人(部族長)。張奐により討たれる。
伯徳…………南匈奴の部族の大人。張奐に投降する。
〈鮮卑〉
投鹿侯…………鮮卑の部族の大人。王衛により討たれる。
如羅…………投鹿侯の前妻。檀石槐の母。(投鹿侯と檀石槐に血の繋がりはない)
檀石槐…………鮮卑の部族の青年。如羅の息子。部族より大人に推戴される。
李平…………檀石槐に仕える漢人の使用人。
破多羅…………如羅の母。檀石槐の祖母。
其至鞬…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。
素利…………鮮卑の部族の大人。檀石槐の同志。
陳正…………北の湖畔で暮らす李平の知人。漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。
厥機…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。
弥加…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者。
「孫さま、素利どのがお見えですぞ」
外から穹廬の扉を開け、李平が呼んでいた。
それに応じたように、檀石槐は外に出た。
素利は姿を現した檀石槐に笑みを向けた。左の耳朶に付けた翡翠の耳飾りが綺羅と揺れている。鼻の下に薄っすらとした口髭があった。腰には、柄が朱色の剣を佩びている。
素利の左右には、胡服を纏った男女が侍っていた。
「久しぶりだね、檀石槐」
檀石槐も素利に笑みを返した。
「いよいよ始まるな」
「うん。僕たちの時代が来る」
冴えた眼差しで檀石槐を見詰め返した素利は、はっとした様子で云った。
「それはそうと、大人になったからと云って、これは大袈裟だよ」
素利は、腰に佩びた剣を抜いた。陽光に照らされ、虹彩を放っていた。柄が朱色のその剣の根元には、点魂と彫られている。
素利は、やれやれ顔を晒した。
「いつかの焼き魚の礼だとでも云いたいの? 有り難く受け取るけどさ、名剣に属する代物じゃないの、これ?」
素利は、静かに点魂の剣を鞘へ収めた。
「湖畔の陳正に依頼していた代物だ。あの陳正のことだ。恐らく、渾身の一振りだろう。お前が大人になったら届けてほしいと頼んでいた」
「どうして点魂なんだ? 檀石槐の滅魂と雌雄ってこと?」
訝った素利は、檀石槐に尋ねた。
「俺の滅魂と雌雄ということではない。俺たちの心が折れそうな時、焚きつける奴でいてほしいから点魂にした」
「なるほどね」
素利は、莞爾として笑った。
「心が折れる暇なんてないさ。僕は、いつでもみんなを焚きつけるよ」
「おいおい。そろそろ俺たちのことも紹介してくれよ」
背の高い男だった。口許に髭を蓄え、柔らかな笑みを浮かべている。檀石槐や素利よりも十ほど年上のように見えた。
「そうだった。ごめんごめん。紹介するよ、檀石槐。こっちは、僕を含む東方鮮卑の大人、厥機。僕の兄貴分ってとこかな」
素利は、右側に立っている背の高い男を見遣った。
「厥機だ。素利からは色々と話を聞いている。鮮卑のためならば、俺も協力は惜しまない。少しは役に立てるだろう。よろしくな、檀石槐」
物腰が柔らかく、気さくな男だった。何よりも素利が信頼している人物という点で、檀石槐も自ずと笑みとなった。
「それと、僕と同じで大人になったばかりだけど、東方鮮卑の大人、弥加。君と同じで、相当な剣の使い手だよ」
素利は、厥機と反対側に立った華奢な体軀に振り返った。長い黒髪をひとつに束ねている。見目麗しく、備えた柳眉から気位の高さが感じられた。檀石槐や素利と同じ年頃の女大人だった。
弥加は、素利を押し退けるようにして歩み出ると、檀石槐を睨み据えた。
「私は、弥加。お前の話は聞いているぞ、檀石槐。巧みな剣術の持ち主とのことだが、私より強いのか?」
「……どうだろうな?」
檀石槐は、弥加に臆することなく首を傾げてみせた。
「いやいや、弥加よ。挨拶に来てそれはないだろ? すまない、檀石槐。こいつ、喧嘩っ早くて」
挑発する弥加を制するように割って入ったのは、厥機だった。
その遣り取りを、微笑して傍観していた素利が腕組みした。
「どう、檀石槐? 勝負してみる? そうしないと、弥加はおとなしく帰りそうにないけど」
近くでは、部族の若者に李平が稽古をつけている。弥加もそれに触発されたようだった。
「李平!」
檀石槐は、李平を呼び招いた。
足早に寄ってきた李平は、二本の木剣を携えていた。李平はそれを檀石槐に差し出すと、ちらと弥加を見遣って、再び稽古をする若者たちの許へと去って往った。
檀石槐は一本を弥加に手渡すと、口辺に微笑を刷いた。
「試してみよう」
「え⁉ 勝負するの? いやいや、怒らせたのなら俺が謝るからさ、檀石槐。仲良くしようぜ。おい! 弥加も無礼を謝れ!」
慌てふためいた厥機が、檀石槐と弥加の間を右往左往している。
「あんた邪魔。退いて、厥機」
弥加は、長身の厥機を押し退けて歩を進ませると、それに檀石槐も続いた。
「え? ええ⁉ おいおい、止めなくて良いのかよ、素利」
素利は、距離を取って対峙する檀石槐と弥加に、聡明そうな眼差しを向けた。
「これで良いんだよ、厥機。更に大きく進化させるためには、必要なことだ」
「……必要なこと? 何だ、そりゃあ?」
合点がいかない厥機は、対峙する二人に首を傾げて心配そうな面持ちを向けた。
弥加は腰を落とした。木剣の切っ先を檀石槐に向けて構えた。
檀石槐は、切っ先を地に向けて仁王立ちしている。
草原で剣の稽古をしていた若者たちも、只ならぬ事態に棒立ちとなって傍観していた。
「そんな構えで私に勝てるとでも? 甘く見ないで」
弥加は、怒気を込めて檀石槐を睨んだ。
「甘く見ている訳ではない。この方が動きやすいからだ」
檀石槐は、真顔で応じた。
「あら、そう」
近くの馬が、嘶いた。
刹那、弥加は突風の如く猛進した。檀石槐の眼前で消えたように見えた。
ガシッ――。
檀石槐は、左からの一振りを、身を翻して防いだ。
黒髪を靡かせ、薙ぎ、突き、払い、眼にも留まらぬ弥加の流麗な剣技に、見ている者は息を飲んだ。
檀石槐は後退りながら、それを全て防いでいた。力は男に劣るが、それを凌ぐ速さがあった。鮮卑には、まだこれほどの剣の使い手が居たのかと、檀石槐の胸は躍った。すると、李平に鍛えられた幼少の頃や、素利たちと競い合った記憶が思い起こされた。
防戦一方の檀石槐に微笑が浮いた。
「――――⁉」
弥加は眼を剥いた。眼前にいた檀石槐の姿が消えている。次の瞬間、背を地に打ち付けていた。視界に青空が広がっている。切っ先を首に向けた檀石槐の影が映った。
「お、おお……」
傍観していた若者たちがどよもした。
「え? 今、如何なった? 何? え?」
厥機は、驚きの表情で何度も瞬きしている。
「勝負ありだね。弥加、戻っておいでよ」
笑みを浮かべた素利は、弥加を呼ばわった。
様子を眺めていた李平も、微笑を弥加に向けると、若者たちに向き直って叱咤した。
「お前のような大人がいると、俺も心強い。これからよろしくな、弥加」
檀石槐は、手を差し延べて弥加を起こした。
「……私は、弱い……のか……?」
弥加は、生気を失ったようだった。
「お前は強いさ。只、強い奴がいつも勝つ訳ではない。負けたことのある奴は、更に強くなれるんだよ、弥加」
檀石槐は、弥加に屈託のない笑みを見せた。
突如、弥加の眼から滂沱と涙が溢れた。声を出して泣いていた。
それに気づいた厥機は、弥加に駈け寄ると、肩を支えて誘導した。
「部族では負けなしだったんだろ? 学ばせて貰って良かったじゃないか」
厥機は、弥加に優しく云った。笑顔となった厥機は、檀石槐に振り返った。
「素利が惚れ込むのもわかる気がする。俺もお前に付いて往きたくなったよ、檀石槐。おい、素利。俺たちは先に帰ってるぞ」
「うん」
素利は笑顔で見送った。厥機と弥加は、騎馬で還って往った。何やら馬上でも厥機が弥加に慰めの言葉を掛けているように見えた。
そこへ、胡服を纏っているが、見たこともない者が素利へ身を寄せ、何か話している。何処から現れたのかわからなかった。歩みを寄せていた檀石槐も、気付いたら何者かが素利の側にいたようだった。
「その者は?」
檀石槐は、素利に侍る者に視線を遣って質した。
「僕が使っている間者だよ。十人ほどいる」
「…………」
「檀石槐、今度、会ってほしい人がいるんだ」
「…………」
「君に会ってほしいのは、僕に間者を与えてくれた人でもある」
素利は、涼やかな眼差しを檀石槐に向けた。
不敵に笑う素利を見て、檀石槐は何かが始まる予感がした。




