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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第2幕 蠢動の列国
16/42

大人への推戴

登場人物

〈漢〉

桓帝かんてい…………漢のみかど

梁冀りょうき…………漢の大将軍。

唐衡とうこう…………漢の小黄門史しょうこうもんり。桓帝に仕える宦官かんがんのひとり。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。梁冀により安定属国都尉あんていぞっこくといに任じられる。

王衛おうえい…………張奐に仕える勇将。

南匈奴みなみきょうど

台耆だいき…………南匈奴の部族の大人たいじん(部族長)。張奐により討たれる。

伯徳はくとく…………南匈奴の部族の大人。張奐に投降する。

鮮卑せんぴ

投鹿侯とうろくこう…………鮮卑の部族の大人。王衛により討たれる。

如羅じょら…………投鹿侯の前妻。檀石槐だんせきかいの母。(投鹿侯と檀石槐に血の繋がりはない)

檀石槐…………鮮卑の部族の青年。如羅の息子。

李平りへい…………檀石槐に仕える漢人の使用人。

破多羅はたら…………如羅の母。檀石槐の祖母。

其至鞬きしけん…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。

 如羅じょらが、穹廬きゅうろの隅で泣いていた。

 家畜の放牧から帰った檀石槐だんせきかいが、何の気なしに穹廬に入った折だった。

 如羅は平静を装ったが、檀石槐は気付かない振りをした。

「今、戻ったよ。どれも元気だ」

「あら、そう。そうしたら、私がまぐさを与えてきましょう」

 赤い眼をした如羅は、無理に作った笑みを返すと、そそくさと穹廬から出て往った。

 近隣の部族の大人たいじん投鹿侯とうろくこうが討たれた。そのしらせを受けてからというもの、如羅の様子はおかしかった。李平りへいも投鹿侯の訃報ふほうを受け、どういう訳か肩を落としていた。

 十九歳の檀石槐は、過去は詮索せんさくしないものと決めていた。誰人だれにでも知られたくない過去のひとつや二つはあるものだった。

 突如、穹廬の扉が開いた。杖を突いた破多羅はたらだった。後ろに李平を伴っている。

「これは都合が良い。孫さんや、外へ出ておいで」

 破多羅に促されるまま、穹廬の外へ出た檀石槐を待っていたのは、部族の古老が二十人ほどだった。どれも腰は曲がり、破多羅のような杖を突いている。何事かと慌てた様子で駈けつけた如羅も、李平により檀石槐の側にいざなわれた。

「見てのとおり、部族の古老たちだよ。孫さんに話があるそうだ」

 檀石槐の左に立った破多羅が、春の日差しに眼を細めた。

 古老のひとりが、それに反応したように一歩進み出た。

其至鞬きしけんと破多羅の孫、そして、如羅の子、檀石槐。お主をこの部族の大人たいじん推戴すいたいしたい。古老と呼ばれる我らの総意じゃ」

 驚きの表情となった如羅が、口許を両手で覆っている。

 破多羅の後方で、李平はひとつ大きくうなずくと、莞爾かんじとして笑った。

 卜賁邑ぼくほんゆうの死後、部族の大人は不在となっていた。隣の部族でも、投鹿侯の死により大人が不在だった。近隣の部族でも大人の高齢化が進み、指導力が失われつつあった。

「お主の指示、禁令きんれい、裁き、全ては公平、平等。部族間の争い、訴訟を裁く能力もいちじるしい。加えて、勇敢、壮健、軍事統率能力も抜きん出ていると評価する。どうか引き受けてくれ、檀石槐」

「…………」

 檀石槐は視線を地に落とし、何か思案しているような面持ちだった。

 四年前、檀石槐は部族の大人、卜賁邑を斬った。その折、檀石槐は己の牛馬を取り返したのみならず、卜賁邑に奪われた牛馬を部族の民に全て返還していた。

 そして、残された卜賁邑の妻子に部族からの報復を懸念けねんした檀石槐は、その妻と子をわずかな牛馬と共に西の生家へ帰した。その妻子でさえ、卜賁邑にしいたげられていたようだった。

 檀石槐の措置に、卜賁邑の妻と子は感謝した。

 生産力の低い遊牧民族が、統率能力を欠いた者を大人に選べば、たちまち自分たちの命に関わる大問題となる。部族民を食べさせるには、他国に侵攻すれば必ず戦果を上げ、奪った穀物や家畜を公平に分配する。大人の資質には、それが問われた。

「我らは見誤った。卜賁邑は大人に相応しくなかった。それどころか、卜賁邑の専横に息を潜め、身を隠しておった。その過ちを断ち切り、我らを目覚めさせてくれたのも檀石槐、お主だ」

「…………」

 檀石槐には、素利そり慕容ぼよう宴茘游えんれいゆうの顔が浮かんだ。機は熟したような気がした。

 檀石槐の名が諸部族にとどろくと同時に、檀石槐の部族は尚武しょうぶの気風を帯びた。若者は好んで剣を使うようになり、騎射にも更に力を入れるようになった。

 遂には、檀石槐の許を訪れ、指南を請う者まで現れた。それを檀石槐と李平が丁寧に指導した。その噂は広まり、他の部族から足を運ぶ者まであった。

「どうか、大人となって、この部族を、鮮卑せんぴを導きたもれ」

 古老たちは、こぞって深々と頭を下げた。

「孫さんや、己に問い、しっかり答申せねば」

 檀石槐の左で、杖を突いた破多羅が、頭を下げる古老たちを見渡した。

 檀石槐は、精悍せいかんな顔付きを古老たちに向けると、高らかに宣言した。

「この檀石槐、今よりこの部族の大人となり、民が幸福な生涯を全うできるよう尽力する」

 威風堂々たるものだった。

「お、おお……」

 その返答に、古老たちの中には感涙する者まであった。

 檀石槐は、直ちに同志と練っていた試案どおり実行した。

 まずは、鮮卑としての本拠地を、幽州代郡高柳県ゆうしゅうだいぐんこうりゅうけんの北三百余里にある弾汗山だんかんさんふもと啜仇水せつきゅうすいほとりとして提唱した。今後、大人たちの会議の地として活用することを想定していた。四人で語り合った、言わば始まりの地だった。

 鮮卑の諸部族に、檀石槐が大人となったしらせが届くと、これを契機としたように続々と若い大人が誕生した。勿論もちろん、素利、慕容、宴茘游も大人に推戴された。

 檀石槐が大人となってから、破多羅と如羅は忙しなかった。矢をこしらえているようだった。それも、黒い矢だった。

「婆さま、母さま、それは何に使う矢か?」

 檀石槐は、尋ねた。

 破多羅は、笑みを携えて返した。

黒矢こくしじゃ」

「黒矢……?」

 檀石槐は、怪訝けげんな面持ちとなって首を傾げた。

「近頃、頻繁にお主の爺さまが夢に出てきおる。それも、急げ急げとくし立ててならん」

「爺さまが?」

 檀石槐は眼をいた。それを見遣って微笑を浮かべた如羅が、作業をしながら云った。

かつて、この部族では、大人だけが黒い矢を使うことができたの。貴方あなたの爺さま、其至鞬も好んで黒矢を使っていたものだわ」

「それには、どのような効果がある?」

 破多羅と如羅に近付き、作業を見ながら檀石槐がただした。

 破多羅は、檀石槐に不気味な笑みを返した。

「標的を外し、地に落ちていることなどあってはならぬ。常に狙った獲物を仕留め、突き立った矢に敵は戦意を失い、味方は勇躍する。大人が放つ矢は、常にそうでなければならぬ。それが黒矢」

誰人だれ見ても、貴方あなたが放った矢だとわかるでしょ、檀石槐。我が父、其至鞬は、黒矢を敵将に突き立て、戦士を鼓舞し、士気を上げていた」

 如羅は手許の作業を続けながら、懐かしそうに眼を細めた。

「孫さんや、それだけ大人の矢は重さが違うということじゃ。戦勝を祈願し拵える故、しっかりと肝に銘じなされ」

 破多羅は、厳しい眼付きを檀石槐に向けた。すぐに顔をほころばせると、作業に没頭した。

「婆さま、母さま、しっかりと肝に銘じる」

 檀石槐はこうべを垂れた。その折だった。

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