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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第2幕 蠢動の列国
15/43

名将、現る

登場人物

〈漢〉

桓帝かんてい…………漢のみかど

梁冀りょうき…………漢の大将軍。

唐衡とうこう…………漢の小黄門史しょうこうもんり。桓帝に仕える宦官かんがんのひとり。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。梁冀により安定属国都尉あんていぞっこくといに任じられる。

王衛おうえい…………張奐に仕える勇将。

南匈奴みなみきょうど

台耆だいき…………南匈奴の部族の大人たいじん(部族長)。

伯徳はくとく…………南匈奴の部族の大人。

鮮卑せんぴ

投鹿侯とうろくこう…………鮮卑の部族の大人。

 南匈奴みなみきょうど蠢動しゅんどうしていた。

 かつては精強を誇った匈奴も、長城を隔てて南北に分裂していた。南匈奴は漢に服属し、長城の内側で辺境の守備に当たった。

 北匈奴は、しばしば漢の北辺を荒らしたが、漢と連合した南匈奴に攻撃されると、次第に衰退していった。遂に、北匈奴は勢力を増した鮮卑せんぴに飲まれると、歴史からその姿を消した。西暦九一年頃のことである。

 時は流れ、漢の文化が浸透した南匈奴は、漢に従順であったかに見えた。

 北方に蟠踞ばんきょする異民族を糾合したようだった。并州へいしゅう西河郡せいかぐん美稷県びしょくけんを標的に侵攻を目論もくろんでいたのは、南匈奴の大人たいじん台耆だいき伯徳はくとくだった。それに鮮卑族も加担し、騎馬七千ほどの勢力となっていた。

「妻に逃げ出されてからは、略奪が生き甲斐のようだな?」

 軽鎧けいがい胡服こふくまとった台耆が、駈けながら左方を見遣みやってあざけり笑った。子羊の髑髏どくろを首飾りにしている。

「いつの話をしている、台耆? 生き甲斐が略奪でなければ、居車児きょしゃじの誘いを受け、周到にこの計画を立ててはいまい」

 台耆に応じたのは、壮健な男だった。被ったさくの下からは、鋭さを増した眼付きをのぞかせ、胡服の上から狼の毛皮を纏っている。如羅じょらの元夫、投鹿侯とうろくこうだった。

「美稷で西河郡の各地から集めた糧食を蓄えている。その情報を得たことが大きかったな。きょう族も呼応することになっている。北と南からの挟撃きょうげきに、漢の守兵どもも対応できまい」

 子羊の髑髏の首飾りが揺れている。台耆のように、軽鎧の上から胡服を羽織った伯徳が、舌舐したなめずりして右方の投鹿侯に視線を向けた。

「予定どおり、大収穫になりそうだな」

 投鹿侯は、疾駈しながら前方を見遣った。餓狼がろうの群れが目指す美稷の地は、目と鼻の先だった。


 囲碁を打っていた。

 赤の折上巾せつじょうきんを被り、痩身そうしん戦袍せんぽうを纏っている。稟性りんせい漂う面貌めんぼうに澄んだ瞳を携え、あご先に三寸ほどの白んだひげを垂らした知命の頃の将軍だった。

 幕舎で胡座こざしたその将が対峙していたのは、黒髪を赤の緇撮しさつで結い、重鎧じゅうがいを纏った偉丈夫いじょうぶだった。見れば、而立じりつの頃の凛凛りりしい顔付きである。

 十人ほどの将校が、対局を前に整然と横一列に並んで佇立ちょりつしている。

 熟考していた痩身の将軍は、碁盤に白の碁石を静かに打った。

「……羌族の方は如何どうなっている、王衛おうえい?」

 呼ばれた重鎧の偉丈夫は、すぐさま黒の碁石を打ち返した。

「既に使者を向かわせており、盟約が結ばれるのも間もなくかと」

「――――⁉」

 王衛の一手に、痩身の将軍は渋面じゅうめんとなった。

「また、私の勝ちですな、張奐ちょうかんさま」

 王衛の凛凛しい顔付きがほころんだ。

 一度、天を仰ぎ見るようにした張奐は、笑みを浮かせて王衛を見遣ると、ゆっくりと髯をしごいた。

「どうも囲碁は苦手だ」

「張奐さまが練る戦略は、この狭い碁盤の上では納まりますまい」

 王衛は微笑を返すと、続けて尋ねた。

「して、此度こたびの餓狼どもは如何いかに?」

「王衛は、精鋭の重騎兵百五十を以って威嚇いかく。盾兵は二十ほど一所ひとところに在れば良い。私は三十ほどの軽騎で機会を作ろう」

かしこまりました」

 王衛は拱手きょうしゅすると、その幕舎から麾下きかの許へと向かった。

「さあ、我らも往こうか。狼どもがすぐ其処そこまで来ているはずだ」

「はっ」

 張奐が声を掛け、幕舎の外に出ると、将校たちもそれに従った。


 前方には、草原の中に幾つもの木造食糧倉庫が立ち並んでいるのが見えていた。周辺一体を木の柵で囲っているようだったが、馬で飛び越えられる高さだった。

「まだ漢兵に悟られていないようだ。このままさらうぞ」

 勇んだ投鹿侯は、左右の台耆と伯徳をあおると、馬速を上げた。

「……ま、待て! 投鹿侯!」

 台耆が声を上げた刹那せつなだった。

 突如、右方から姿を現したのは、百五十ほどの漢の重騎兵だった。一塊ひとかたまりだった重騎兵が、羽を広げたように散って向かってくる。

「漢兵が現れるのが早い! しかも、重騎。此方こちらの動きを悟られていたか?」

 おもて焦燥しょうそうの色を浮かせた台耆が戦慄おののいた。

「偶然だ。今回は時を掛け、綿密に練った侵攻だぞ? 漢が察知しているはずがない」

 迫り来る重騎兵に臆することなく、伯徳はせせら笑った。

何方どちらにしろ七千も率いて此処ここまで来たのだ。後には引けまい。羌族も後続する手筈てはずだ。重騎の百五十など、殲滅せんめつすれば良い話」

 投鹿侯は更に加速すると、鮮卑の戦士もそれにならって馬速を上げた。騎射で応戦しながら、長柄の得物を手にした重騎兵と馳せ違う。

 騎射は、ほとんど効かなかった。血飛沫ちしぶきを上げて落馬したのは、鮮卑の戦士だけだった。漢の重騎兵は、そのまま後続する餓狼の群れに向かって突進する。

「……くっ!」

 長柄の閃光をくぐった投鹿侯は、後続を振り返った。重騎兵と馳せ違った者の殆どが、斬り伏せられていた。更に奥では、台耆と伯徳の兵たちも翻弄ほんろうされ、散を乱している。

 前方に向き直った投鹿侯は、蝟集いしゅうした二十ほどの盾兵を捉えた。漢将の本陣に見えた。投鹿侯はその盾兵の許に馬首を向けた。

「漢将の首をる! そうすりゃあ、敵は総崩れだ!」

 投鹿侯が大声を上げると、それに幾つかの鮮卑の戦士が従った。

 駈ける投鹿侯に、左方から矢が飛んできた。並走して、巧みに騎射を放っている。三十ほどの軽騎兵だった。

たのみの羌族は来ぬぞ!」

 大音声だいおんじょうを上げたのは、軽騎の先頭を駈ける顎先に三寸ほどの白んだ髯を揺らした男だった。赤の折上巾を被っている。張奐だった。

 投鹿侯には、張奐が笑っているように見えた。張奐は馬首をひるがえすと、後続の三十騎ほどを従え、台耆と伯徳の兵の中に踊り込んだ。

「と、投鹿侯さま――‼」

 麾下きかの声に、はっとした投鹿侯は、右を振り向いた。覆い被さるほど大きく見えた。勇壮な顔立ちの男が、截頭せっとう薙刀なぎなたを振り被っていた。王衛だった。

 次の瞬間、投鹿侯は袈裟懸けさがけに斬り下げられた。からだがずり落ちたようだった。眼の前が真っ暗になった。

「良し。王衛が大人たいじんをひとり始末したようだ。これで餓狼は潰走する。追撃はするなと云って回れ」

 馬上の張奐は、従えた三十の軽騎に指示した。

 大人を失った鮮卑の戦士たちは、一様に馬首をひるがえすと、一目散に潰走した。

「投鹿侯さまが、討たれました!」

「チッ。投鹿侯の奴、しくじりやがった」

 重騎兵に騎射で応戦していた台耆が、鮮卑の戦士の声に渋面をさらした。

「これは駄目だ! 一旦、退いて立て直すぞ、台耆」

 伯徳は、呼び掛けながら馬首を巡らせると、台耆も応じたように伯徳に続いた。

 同時に、台耆と伯徳は、羌族に使者を走らせた。羌族が援軍を差し向けた様子はなかった。台耆と伯徳の使者は、亀茲きじまで至ると、其処そこから先には通してもらえなかった。

 羌の諸部族は、既に漢と和睦していた。盟約により、南匈奴と羌との国交は、断絶を余儀なくされていた。


 後日、羌と連合した張奐は、台耆を討伐した。それに恐れおののいた伯徳は、配下の兵を率いて張奐に投降した。

 これらの事態に、張奐を畏怖いふした羌の部族長たちは、数十の馬と金鐻きんきょを献上するに至る。

 しかし、張奐はそれを固辞し返還した。羌族は、たちまち張奐に感銘した。

 以来、北辺の異民族の間には、またたく間に漢将、張奐の名が鳴り響いた。

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