志、ひとつに
登場人物
元緒…………異国の方士。
如羅…………鮮卑の部族の娘子。
投鹿侯…………鮮卑の部族の大人(部族長)。如羅の夫。
李平…………如羅の父が連れて来た漢人の使用人。
破多羅…………如羅の母。
檀石槐…………如羅が産んだ男児。鮮卑の部族の少年。
陳正…………北の湖畔で暮らす李平の知人。漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。
其至鞬…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。
素利…………鮮卑の部族の少年。
慕容…………鮮卑の部族の少年。
宴茘游…………鮮卑の部族の少年。
其其の部族で、遊牧して暮らす檀石槐たち四人は、季節ごとに集まる場所を定めて遊んだ。集っては狩りや釣りなど、獲物を追うこともあったが、武芸を競い合い、馬術や騎射の腕を磨いた。
宴茘游の弓が、たびたび壊れる。力一杯弦を引くと壊れるようだった。
それを怪訝に思った檀石槐は、ある時、宴茘游の姿をまじまじと見遣った。よく見ると腕が長い。佇立すると両腕が膝まで達している。
「随分と腕が長いな、宴茘游。それは、剛弓を扱える者に天が与えた腕だ。まさに天稟じゃないか。なんて羨ましい」
檀石槐は、宴茘游を称えた。
話を聞いた素利と慕容も、宴茘游を褒めた。
宴茘游は、三人に隠れて声を上げて泣いた。嬉しくて号泣した。
長い腕のせいで、宴茘游は部族の者から爪弾きにされていた。いつも奇異なものでも見るような視線を向けられていた。部族の中に、友と呼べる者はできず、いつもひとりだった。生きるのも辛かったが、家族が守り、励ましてくれた。悔しさと寂しさに抗うように、ひとりで弓術の腕を磨いた。
その呪われたような腕を、檀石槐は天稟と云って称えた。素利と慕容も褒めてくれた。宴茘游は、生きていて良かったと思えた。三人の友のためならば、何でもしてやろうと心に誓った。
遊びの中で互いに切磋琢磨したが、素利には、ほかの三人に勝るものがないように見えた。それでも素利は、いつも笑顔で愉しそうだった。
そうやって数年が過ぎると、檀石槐は十四歳になった。
季節は、秋から冬に移り変わろうとしていた。
空は晴れている。弾汗山の麓に流れる啜仇水の畔に四人の姿は在った。焚いた火を四人で囲み、釣った魚を枝に刺して焼いていた。
「皆は将来、如何なりたいんだ? 何か、夢とか野望とか、志とかあるのか?」
焼ける魚を見ながら、素利が何の気なしに聞いていた。風に翡翠の耳飾りが揺れている。
「ないことはないが、云えばお前ら、絶対に馬鹿にするから云いたくない」
「馬鹿になんかしなさ。云ってみろよ、慕容」
瞳を輝かせた檀石槐が、慕容に迫った。
「そうだよ。云えよ、慕容」
宴茘游も慕容の吐露を期待した。
「……絶対に笑うなよ」
そう云うと、慕容は意を決して、真顔になって続けた。
「俺は、帝というものになりたい」
「……帝とは、漢の帝のことか?」
向かい側の素利が、眼を剥いて問い返した。
「別に漢でなくても良い。帝というものになってみたいだけだ」
「どうして、帝なんだ?」
左側の宴茘游が、慕容の貌を覗き込むようにして尋ねた。
「あん? それはな……いつでも何処でも、好きなものを食べ放題と聞いたからだ」
一瞬、静寂が訪れた。反応に困った素利と宴茘游の眼が合った刹那だった。
「なれるさ。俺たちが力を合わせれば、慕容を帝にすることだってできる」
云った檀石槐は、眼を輝かせ、屈託のない笑みを浮かせてみせた。
その反応に一番驚いたのは、慕容だった。
「お、お前、……本当にそう思っているのか、檀石槐?」
「ああ。慕容が帝になりたいと云うなら、誰人が何と云おうと、俺は全力でお前を帝にする」
「お前……」
慕容は瞑目して苦渋の表情を浮かべると、静かに涙を流した。止めどなく溢れ出る涙に、肩を顫わせ涕泣している。
無理もない。帝になりたいと豪語する慕容を、部族の者は馬鹿にした。悔しさで暴力を振るう慕容を、部族は厄介者扱いしていた。慕容は純粋だった。なりたいものを云っただけだった。それを馬鹿にする部族の者の方がおかしいと思っていた。
それを檀石槐は、なれると云った。どうやったら帝になれるのかわからなかったが、問答無用で肯定されたことが嬉しかった。何よりも、檀石槐が手を貸すと云ってくれたことの方が嬉しかった。
宴茘游が、慕容の肩を優しく叩いた。
「帝も良いが、俺は王の方が良いな。戦士を従え、戦場を駈け巡り、領土を広げ、民から慕われる偉大な王、格好良いとは思わないか?」
「偉大な王か。それも良いな、宴茘游」
上機嫌となった檀石槐は、身を乗り出すようにした。
「お前はどうなんだ、檀石槐?」
素利は、丁寧に四人の魚を返しながら聞いていた。
「俺は、鮮卑の民が食糧に困らず、いつまでも自由に暮らしていけることを望む」
「…………」
「…………」
「…………」
「そのために、漢に虐げられる近隣の民族と手を取り合いながら、俺たちと同じ人であることをわからせるために漢へ侵攻する。勿論、糧食と人も奪う」
素利と宴茘游は、聞き入った。
慕容は泣き止むと、赤い眼で檀石槐を見遣った。
「そしていつか、漢の国も、遼東のような地になれば良いと思っている。俺はその理想を掲げて戦う戦士になりたい」
檀石槐の話を聞いていた三人は、俯き加減となると、何か考え込むようにした。
逸早く貌を上げたのは、宴茘游だった。
「素利は?」
「え?」
考え込んでいた素利が貌を上げた。
「お前はこの先、どうなりたいんだ、素利?」
宴茘游は、素利に笑みを向けた。
檀石槐も期待に胸を膨らませ、素利を見遣った。
「慕容が野望で、宴茘游が夢、檀石槐が志といったところかな。僕は、漢を凌駕するほど鮮卑を強く、大きくしたい。みんなが胸に抱いているものも手援けしたい」
「何が云いてえんだ、素利?」
赤い眼を擦りながら、慕容が質した。
「僕たちがそれぞれ抱いているものは、違うようで、そう遠くはない」
素利は、真摯な眼差しで三人を見回した。
「檀石槐が抱く志に乗れば、慕容の野望も、宴茘游の夢も、僕の希望も、いつか叶えられるような気がしないか?」
「……なるほど。確かにそうだ」
腕組みした宴茘游が、何度も頷いた。
「ん? そうなのか?」
慕容は、素利と宴茘游を交互に見比べた。
はっとしたような素利は、檀石槐に訊いた。
「もしかして、檀石槐が抱く志の先は、多民族の国――⁉」
檀石槐は、素利に破顔した。
「そうだよ」
「た、多民族の国――? 鮮卑の民族だけでなく、烏丸の民族、漢の民族なんかも同居する国を目指すということか?」
眼を剥いた宴茘游が、興奮で声を大きくしていた。
「ああ。既に素利の本拠、遼東がそうなっているからな。それを広げてみたい」
檀石槐は、空を見上げて云った。
「お、驚いたな。こりゃあ、想像以上だった」
素利の笑みが引き攣っていた。無理に笑みを作っているようだった。
「良し! やろう!」
大音声を上げたのは、慕容だった。慕容は、檀石槐を見詰めると続けた。
「お前は、俺の野望を一切馬鹿にしなかった。それどころか、叶うとさえ云う。お前の志とやらを遂げれば、俺の野望も果たせるんだな? だったら話は早い。俺は死ぬまでお前に付いて往くぜ、檀石槐」
「慕容がやると云うなら、俺もお前に付いて往く、檀石槐。素利もだろ?」
宴茘游が、左の素利を向いた。
素利の貌には、喜色が浮いていた。
「勿論だよ。それにしても、大きな志だなあ」
意気が高まる中、ひとり、貌色が雲っていたのは、檀石槐だった。
「嬉しいんだけどさ、俺には、皆に云ってないことがあるんだ」
「何だよ? どうしたってんだ?」
高ぶった慕容は、喧嘩越しだった。
「云えよ、檀石槐。俺たちは、もう同志だろ?」
宴茘游は、心配げな面持ちで促した。
寂しそうな微笑を湛えて、檀石槐は己の出生を語り出した。宿った雷獣により寿命が半分であること、その代わりに志が遂げられること、滅魂の剣のことも伝えた。
三人は、静かに耳を傾けた。
その静寂を破ったのは、慕容だった。
「……俺の魚、お前が食え」
慕容は、焼かれた魚を手に取ると、眉間に皺を寄せて檀石槐に差し出した。
「お前に早く死なれちゃ面白くない。百歳まで生き抜ける躰を作れ。そうすりゃあ、この世を去るのは五十歳だ」
「俺のもお前にやるよ、檀石槐。俺たちは、これからなんだ。皆でやろうぜ」
宴茘游も眼の前で焼かれた魚を取ると、檀石槐に差し出した。
素利も魚を檀石槐に渡してから続けた。
「そうだね。宴茘游の云うとおりだ。僕たち四人は同志だ。誰人かが倒れても、残った奴が意思を紡げば良い」
檀石槐は、はっとした。いつか、破多羅に云われたことだった。自分が滅しても、志は同志に紡ぐことができることを思い出した。
檀石槐は、眼の前の三人を見回した。どれも自信に溢れた笑みを晒している。心強かった。其其から差し出された焼き魚を受け取った。
「……有り難う」
檀石槐は頭を垂れた。なかなか頭が上がらなかった。
三人は、檀石槐から涙が零れているのに気付いた。それに気付かない振りをした慕容は、素利に尋ねた。
「話は盛り上がったがよ、俺たちは、何から始めりゃ良いんだ?」
素利は、考え込むようにすると、すぐに明るい貌を上げて応じた。
「まずは、其々の部族の大人を目指そう。そうすれば、戦士を率いることができる。戦士を率いた僕たち四人が集まれば、大きな勢力になる」
「面白えじゃねえか。やってやんよ!」
慕容の眼の色が変わったようだった。
「当然だ。部族の大人にならねば、戦を仕掛けることもできないからな」
宴茘游は、肩を回して勇んだ。
檀石槐は、三つの焼き魚にかぶりついた。急いで咀嚼して飲み込むと、涙で濡らした頬をそのままに拳を天に突き上げた。そして、意気揚々と大音声を張り上げた。
「良し、皆、やろう――‼」
「応――‼」
素利、慕容、宴茘游も、檀石槐に続いて拳を天に突き上げた。
青空に日輪が輝いていた。四人を見守っているようだった。




