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鋼鉄の魔女  作者: せうゆ
2/5

灰色の日常 その1

夜が明けた。


窓から差し込む光は、いつもの優しい朝日ではなかった。灰色の煙に濁った、濁った光。


僕は一睡もできなかった。ベッドの上で膝を抱えて、ずっと外の音に耳を澄ませていた。


炎の音。崩れる音。泣き声。


父さんと母さんは、まだ帰ってこない。


「だ、大丈夫…きっと大丈夫…」


ウサギのぬいぐるみに話しかける。でも、声が震えている。

階下から物音がして、僕は飛び上がった。


「ライム!」


母さんの声だ。


「母さん!」


僕は部屋を飛び出して、階段を駆け降りた。

玄関には、煤と血で汚れた母さんと父さんがいた。二人とも、ひどく疲れ果てた顔をしている。


「無事だったのね…よかった…」


母さんが僕を抱きしめた。その腕が震えているのが分かる。


「町は…町は、どうなって…」


「…半分以上が、焼けた」


父さんが重い声で言った。


「診療所も、市場も、広場も…あのミセス・ハーゲンさんは…?」


「…無事だ。でも、多くの人が…」


父さんは続きを言わなかった。言えなかったんだと思う。

母さんが僕の肩を掴んだ。


「ライム、聞いて。これから大変なことになる。町には、もう食料も水も十分にない。負傷者も多い。そして…」


「そして?」


「あれが、また来るかもしれない」


あの灰色の「何か」。


あれが何なのか、僕たちは知らない。でも、このことは確信している。


あれは、人間が作ったものだということ。


「バルディン帝国の…新兵器…」父さんが呟いた。


「まさか、こんなものを…」


何か、何かが引っ掛かるような...

今まで何百年も新兵器なんて開発されてなかったのになぜ今急に?

しかも突然、なんの前触れもなく...


ふと窓の外を見る。町の向こう、西の空はまだ煙で霞んでいる。



昼過ぎ、町の広場――正確には、広場だった場所に、生存者が集まった。


三千人いた町民のうち、集まったのは二千人ほど。

残りの人たちは…考えたくない。


あの可愛い天使の噴水は、もう原型を留めていなかった。


町長のマイヤーさんが、壊れた台座の上に立って話し始めた。


「…皆さん。昨夜の攻撃で、我が町は壊滅的な被害を受けました」


皺だらけの顔は、一晩で十歳は老けて見えた。


「負傷者は五百名以上。行方不明者も…多数です」


ざわめきが広がる。泣き出す人もいる。


僕は父さんと母さんの後ろに隠れるようにして立っていた。こんなにたくさんの人が集まっていると、息が苦しくなる。


「バルディン帝国が、南方諸国への侵攻を開始したとの情報が入りました。我がグランツェルは中立国ですが…」


町長さんは言葉を詰まらせた。


「…彼らは、中立など気にしていないようです」


絶望が、群衆に広がっていくのが分かった。


「我々には、二つの選択肢があります。一つは、ここに留まり町を再建すること。もう一つは…」


町長さんは東を指差した。


「東へ逃げることです。州境を越えて、バルディン帝国の支配が及んでいない地域へ」


「しかし!」誰かが叫んだ。「東へ逃げたところで、同じではないか! あの悪魔の鳥は、どこまでも追ってくるだろう!」


「だからといって、ここに留まれば確実に死ぬぞ!」


言い争いが始まる。


僕は耳を塞ぎたくなった。みんなの怒りと恐怖が、渦巻いている。


「静まりなさい!」


母さんが叫んだ。


「…アンナさん」


「言い争っている場合じゃありません。負傷者の手当てを優先すべきです。それから食料と水の確保。避難するにしても、留まるにしても、まずは生き延びなければ」


母さんの言葉に、人々は少し落ち着きを取り戻した。


看護師として、母さんは町中から信頼されている。


「…その通りだ」町長さんが頷いた。「まずは、できることから始めよう」


群衆が散り始める。


父さんが僕の頭に手を置いた。


「ライム、お前も手伝ってくれるか? 瓦礫の撤去とか…」


「う、うん…でも、僕…人がたくさんいると…」


「分かってる。無理しなくていい。できる範囲でいいんだ」


父さんは優しく微笑んだ。でも、その目は笑っていなかった。



午後、僕は町外れの井戸で水を汲む手伝いをしていた。


一人でできる作業だから、これなら僕にもできる。

バケツに水を汲んで、大きな樽に移す。それを繰り返す。

単純な作業だけど、体はすぐに疲れた。


「ライム、休憩しろよ」


振り返ると、昨日会った仕立て屋の息子――トーマスがいた。


「あ…う、うん…」


「お前、ずっと働いてんな。偉いじゃん」


「そ、そんな…これくらいしか、できないから…」


トーマスは樽の横に腰掛けた。


「…なあ、ライム。お前、魔法とか詳しいんだろ?」


「え? あ、まあ…趣味で…」


「あの灰色の鳥。あれ、魔法じゃねえよな?」


「…うん。魔法じゃない。魔法であんな大きなものを飛ばすのは、理論上不可能だよ。」


「じゃあ、何なんだ? どうやって戦えばいい?」


トーマスの目には、恐怖と怒りが混じっていた。


「僕にも…分からない。ごめん…」


「…そっか」


トーマスは立ち上がった。


「じゃあな。あんまり無理すんなよ」


彼が去った後、僕はバケツを握りしめた。

魔法を学んできた。何年も。


でも、何の役にも立たない。


あの「悪魔の鳥」を止めることも、傷ついた人を癒すこともできない。


指先にマッチ程度の火を灯すことしかできない、無力な僕。


「くそ…」


初めて、そんな言葉が口から出た。



夕方、家に戻ると父さんが工房で何かを作っていた。


「父さん、何してるの?」


「…荷車だ」


「荷車?」


「ああ。明日の朝、町を出る」


僕は息を呑んだ。


「で、でも…」


「ここに留まるのは危険だ。母さんとも話し合って決めた。東へ向かう」


父さんは手を止めて、僕を見た。


「ライム。お前の荷物をまとめておけ。持てるだけでいい。大切なものを選ぶんだ」


僕は部屋に戻った。


机の上には、『ライムの魔法研究ノート』。


壁には、押し花の額縁。


ベッドには、たくさんのぬいぐるみたち。


全部、大切なもの。全部、持っていきたい。

でも、持てるのは…


僕はウサギのぬいぐるみと、魔法研究ノートと、父さんからもらった魔法書を一冊だけ選んだ。


「…ごめんね」


他のぬいぐるみたちに謝る。

パステルブルーのシャツと、いくつかの服を小さな鞄に詰めた。


これだけ。


これが、十五年間の人生で持ち出せる全て。


窓の外を見る。

燃え跡と瓦礫だらけの町。


ここで生まれて、ここで育って。


初めて魔法を使えたのも、初めて可愛い服を着たのも、初めて友達(と呼べるかは分からないけど)と話したのも、全部この町で。


「さよなら…」


小さく呟いた。


その夜、遠くでまた轟音が聞こえた。

でも今度は、町を襲うことはなかった。


もっと南の、別の町が標的になったのだろう。


僕は毛布を被って、耳を塞いで、ウサギのぬいぐるみを抱きしめた。


明日、僕たちは故郷を捨てて、逃げる。


どこへ? 分からない。

いつまで? 分からない。


ただ一つだけ確かなのは――


平和な日々は、もう二度と戻ってこないということ。


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