表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鋼鉄の魔女  作者: せうゆ
1/5

魔法と鋼鉄

僕の名前はライム・フリードリヒ・ドレイク。十五歳。

鏡に映る自分を見る。小柄な体に、どうにも言うことを聞かないくせ毛。朝から櫛で整えようとしたけど、すぐにまたはねてしまう。


「ま、いっか…」


諦めて、お気に入りのパステルブルーのシャツを着る。襟には小さなレースがついていて、袖口にはリボンの刺繍。母さんが誕生日にくれたものだ。

可愛い服を着ると、なんだか少しだけ勇気が出る。

……人と話すのは、相変わらず苦手だけど。


「ライム、朝ごはんよ!」


階下から母さんの声。

「は、はーい!」

階段を降りて、食卓へ。



朝食を済ませて、市場へ買い物に出かける。


故郷のエルデンベルク。人口三千人ほどの、のどかな田舎町だ。石畳の道には午前の柔らかな陽射しが降り注ぎ、広場の噴水には可愛らしい天使の彫像が水を吐き出している。


「あら、ライム君!」


野菜売りのミセス・ハーゲンさんが声をかけてくる。


「あ、おはよう、ございます…」


声が小さくなる。視線を逸らしてしまう。


「今日はトマトが新鮮よ。持っていきなさいな」


「え、あ、その…お金、が…」


「いいのいいの。あんたのお母さんには世話になってるんだから」


「あ、ありがとう、ございます…」


トマトを三つ、布袋に入れてもらう。

もっとちゃんとお礼を言えたらいいのに。もっと会話を続けられたらいいのに。


でも、言葉が出てこない。

こういうとき、自分が嫌になる。


「ライム、またお使い?」


振り向くと、同じ年頃の少年が三人。町の仕立て屋の息子たちだ。


「あ、うん…」


「お前、いっつもそういう可愛い服着てんな」


「…う、うん」


どう返していいか分からない。


「別に悪くは言ってねえよ。似合ってんじゃね?」


「…あ、ありがと」


「またな」


少年たちは笑って去っていった。

……悪い人たちじゃないんだ。でも、こういう会話が本当に苦手で。


僕は足早に、町外れの自宅へと向かった。



家に着くと、父さんが工房で木材を削っていた。

父さん――エルヴィン・ドレイクは、この町で一番腕のいい家具職人だ。


「おう、ライム。買い物お疲れさん」


「た、ただいま…」


工房の隅には、父さんの趣味の本棚がある。魔法関係の古書がぎっしりと並んでいて、僕はあれを眺めるのが好きだった。


魔法。


この世界では、誰でも魔法を学ぶことはできる。理論上は。

でも、実際に魔法を趣味にする人は少ない。

なぜなら、魔法は恐ろしく複雑だからだ。


一つの呪文を覚えるのに数週間。魔法陣の描き方を理解するのに数ヶ月。そして実際に使えるようになるまでに数年。

それだけ時間をかけても、できるのはマッチ程度の火を灯すとか、夜露程度の量の水を出すとか、その程度。


火が欲しければ火打ち石を使えばいいし、水が欲しければ川とか、井戸とか...


魔法を学ぶより、普通に生活した方がよっぽど効率的だ。


だから、魔法は「好事家の趣味」。暇と情熱を持て余した変わり者が、何年もかけて学ぶものだった。


父さんも、そんな「魔法マニア」の一人。仕事が終わった後、晩酌しながら魔法書を読むのが趣味だった。


そして僕も、いつの間にか魔法を好きになっていた。


父さんと一緒に古い魔法書を読んでいるとき。

それが、唯一、僕が誰かと「普通に」話せる時間だった。


自分の部屋に戻ると、僕は机に向かった。

部屋の中は、僕の「好き」で溢れている。


ベッドには、ぬいぐるみがいっぱい。ウサギに、クマに、小さなドラゴン。どれも可愛くて、見ているだけで癒される。


壁には、押し花を飾った額縁。町外れで摘んだ、小さな野花たち。

そして、本棚には魔法書と、可愛い装丁の絵本が並んでいる。


「よし…今日も研究、続けよう」


机の引き出しから、手書きのノートを取り出した。


『ライムの魔法研究ノート』


ページをめくると、僕が試した魔法の記録がびっしりと書かれている。余白には、小さな花やウサギの落書き。


「発火の呪文、成功率…30パーセントか」


魔法の処理は、本当に複雑だ。


まず、呪文を正確に発音する。古語で書かれた、発音も文法も難しい。その上一単語でも間違えれば失敗する。


次に、魔力を集中させる。体の中を流れる見えないエネルギーを、指先に集める。これだけで高度な集中力が必要だ。


そして、適切な体系、正しい公理のもとに実行する。

この三つを、同時に、かつ完璧にこなさなければならない。


当然、失敗する。何度も何度も。


それに、成功しても大したことはできない。

指先にマッチ程度の火を灯す。コップ一杯の水を浮かせる。そよ風を起こす。


その程度。


だから、魔法なんて誰もやらない。


それでも、

僕は魔法が好きだった。


「いつか、みんなに魔法の素晴らしさを分かってもらえたら…」


そんな夢を抱きながら、僕はノートに古語を書き込んだ。

窓の外では、午後の陽射しが町を優しく照らしている。


平和で、穏やかな日常。


夕食の時間。


食卓には、母さん――アンナ・ドレイクのお手製のポトフと、さっき貰ったトマトのサラダ。


「今日も美味しいよ、母さん」


「ありがとう、ライム。たくさん食べてね」


母さんは町の診療所で看護師として働いている。優しくて、街の皆んなから慕われている。

僕が人と話すのが苦手なのを知っていて、いつも気遣ってくれる。

父さんが新聞を広げながら言った。


「北方のバルディン帝国が新兵器を研究...か」


「え?」


「もし南方の国と戦争でもしたら...まあ、ここ千数百年兵器水準はたいして変わらない。それに大きな戦争も起こってない。たぶん杞憂だろう。」


バルディン帝国。

州北部を支配する、軍事独裁国家。十年前のクーデターで皇帝が暗殺されてから、宰相のヴォルフガング・フォン・シュタールが実権を握っている。


彼らは魔法を戦争に使おうと研究しているという噂もあるが、魔法の複雑さゆえ、実用化は難しい。

魔法を知れば知るほどにその確信が強まる。


でも、ここエルデンベルクは中立国グランツェルの田舎町。戦争なんて、遠い世界の話。


しかし、僕たちは知らなかった。


この平和が、あと数時間で終わることを。



その夜。


僕は眠れなかった。

なんだろう、この胸騒ぎ。心臓が、やけに早く打っている。


ベッドから起き上がり、窓辺に立つ。抱きしめていたウサギのぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめる。


月明かりに照らされた町は、静かに眠っていた。

そのとき。


地平線の向こう、西の空が赤く染まった。


まさかあれは炎?いや、違う。もっと毒々しい、不気味な赤。


そして、轟音。


ゴオォォォォォン。


大地が揺れた。


「な、何…?」


遠く、とても遠くから、何かが響いてくる。規則的な、聞いたこともない音。


ドドドドド、ドドドドド。


鳥たちが一斉に飛び立った。町中の犬が吠え始める。

階下から、父さんと母さんが慌てて出てくる音がした。


「ライム!」


「は、はい!」


僕は部屋を飛び出した。

玄関先に集まった三人で、遠くの空を見つめる。


赤い光が、少しずつ大きくなっていく。

そして――見えた。


空に、何か巨大なものが飛んでいる。

鳥ではない。竜でもない。ワイバーンでも、グリフォンでもない。


それは、見たこともない何かだった。


金属のような、灰色の巨体。人工的な形をした翼。そして、異様な轟音。


「あれは…何だ…?」父さんが呟いた。


僕も、まったく見当がつかない。魔法生物でもない。魔法の産物でもない。

あんなもの、見たことも、聞いたこともない。


その「何か」は、こちらに向かってくる。


そして、その腹から、黒い何かが落ちた。

小さな、黒い点。


それが、みるみる大きくなって――


「伏せろッ!」


父さんの叫び。

次の瞬間、町の西端で爆発が起きた。


ドガァァァァン!


衝撃波が家を揺らす。窓ガラスが割れる音。悲鳴。

炎が上がる。


「家の中に!早く!」


父さんが僕たちを押し込む。

窓の外では、次々と爆発が起きている。町が燃えている。


広場が。市場が。診療所が。

あの可愛い天使の噴水も、もう…。

人々の悲鳴が、夜空に響いている。


僕は震えが止まらなかった。ウサギのぬいぐるみを、必死に抱きしめる。


「だ、大丈夫…大丈夫だから…」


誰に言い聞かせているのか、自分にも分からなかった。

父さんは窓から外を見て、青ざめていた。


「あれは…一体…何なんだ…」


爆撃は、延々と続いた。

三十分。いや、もっと長かったかもしれない。


時間の感覚が、麻痺していた。

やがて、その「何か」の轟音が遠のいていく。


静寂。


いや、静寂ではない。炎の音、倒壊する建物の音、そして泣き叫ぶ声。


「外に出るぞ。怪我人がいるはずだ」


父さんが立ち上がる。母さんも、看護師としての顔になった。


「ライム、あなたは家にいなさい」


「で、でも…」


「いいから!」


母さんの強い口調に、僕は頷くしかなかった。


二人が外に出ていく。

残された僕は、震える膝を抱えて座り込んだ。


窓の外、町が燃えている。

赤色の炎が、夜空を照らしている。

これが、全ての始まりだった。


平和な日常は、この夜、終わりを告げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ