便箋7 破綻の日 その1
翌日―――朝。
俺は食堂に行き、自分の食事だけを持って部屋に引き返した。本当は食堂に行くのもイヤだったが、空腹には勝てない。
魔女と顔を合わせたくなかったが、残念ながら廊下で出くわしてしまった。あろうことか魔女は7歳くらいの姿になっていた。
「あ、ちょっと」
小さな魔女が、俺を呼び止めた。
知ったことか!
無視して自室に戻る。さっさと食って手紙の続きをするんだ。
ベッドに寝転び、乾パンをかじる。ひどくマズい。もさもさと気持ちの悪い食感を味わううち、また腹が立ってきた。
魔女にだけじゃない。
兄にもだ。
本当に兄は竜王に勝てるんだろうな。
不思議なものだ。
元凶である竜王よりも、それをまだ倒せない兄に腹が立っている。
2年前のあのとき……竜王が人間界に現れたあの日、きちんと倒してくれればよかったのだ。そうすれば俺が魔界探索を命じられることもなく、こんな砦に囚われることもなかったんだ。
兄はまだ人間界だろうか。
さすがにそうだろうな。
現在、人間界は竜王軍の侵攻を受けている。防衛のため、兄は前線で戦っているはずだ。さすがの兄と言えども、竜王軍の大隊を殲滅するにはしばらく時間がかかるだろう。
正直そんなもん放っぽって、さっさと竜王を倒しに行ってほしい。
いや、万が一だが。
兄ならこの砦の魔方陣を解呪することもできるのではないか? 魔法の天才と言われた兄なら、もしかしたら竜王の呪法をも破れるのでは?
もしそうなら手紙作戦は大失敗だった。なんとしてもアダンに、この砦に来てもらわねばならない。俺を助けてもらわねば。
兄が俺を助けてくれ……るとは思えないが、万にひとつ。そう、万が一だ。
さてどうしたものか。
いまからでも手紙の文面を、SOSに変更するべきだろうか。
と―――コンコン。
ノックだ。
ちッ!
ドアをノックされた。
「弟! ねえ、ちょっとってば」
魔女の声に、俺は舌打ちをする。
まさか部屋までからかいに来たのか!
コンコン。
さらにノック。
「ねえ聞いてる? 昨日のことまだ怒ってんの?」
当たり前だ!
たぶんこの声は12、3歳くらいだろうか。どうでもいい、どっか行け!
「今日たぶん看守が来ると思うよ。隠れなくていいの?」
「……!? しまっ……!」
ガバッ!
飛び起きる。
しまった……そうだ、今日はこの砦に看守が来る日だ。魔女の定期監視のために、魔界の役人が来るのは今日だった。
「や、やばい」
俺はベッドを下りるや、床に散らばる紙やらペンやら、とにかく全部シーツにくるんで担いだ。おっと、精霊の剣も持っていかないと!
とはいえもう両手がふさがってる。とりあえず腰のベルトにぶら下げた。
バン!
大慌てで部屋から出ると、30歳くらいの魔女がいた。すごい色香だ。いや、ちがう。
「食事はすんだの?」
「そ、そんなことどうでもいい! はやく隠れないと!」
「わかってるんなら、さっさと地下に隠れなさい」
俺は荷物を抱えて地下に向かった。地下には便所と、まったく使っていない1室しかない。陽の光などまったく当たらない場所だ。
もちろん俺が隠れるのは、その使っていない部屋だ。ほぼ真っ暗闇の奥へ進み、ホコリだらけの木箱のなかに体を押しこんだ。
かなり大きな箱だが、荷物もいっしょに入ったから身動きさえできない。
いつもここに隠れてやり過ごすのだ。
もうこの箱も7回目くらいだが、圧迫感と息苦しさのはぜんぜん慣れない。ホコリくさいし、なによりこの闇の恐ろしさ。
正直ものすごく怖い。
こんな暗闇でじっとしてると、ロクなことを考えない。いっそ寝てしまえればいいのだが、さすがに緊張感で寝れたものじゃない。
もう看守は来てるんだろうか。
来てるなら、どんなやり取りをしてるんだろう。
いつまで隠れていればいいかわからないのも、ひどくストレスだ。
こないだは、30分くらいで魔女が呼びに来てくれた。これはまだ早かったケースだ。最長のときは4時間くらいだったか。
いったいそんな長時間、上でなにをしてるんだろうか。魔女が生きてることを確認して、食料や水などを配給するだけだろうに。
なんで毎回毎回、時間が変わるんだろう。
というか待てよ?
そもそも俺がこんな地下に隠れる必要あるのか? ふつうに自室にでも籠ってれば十分なんじゃないか。
だって竜王軍の役人と言えども、この砦には入れないはずだ。入ったが最後、出られなくなってしまうんだから。
だったら内部を隅々まで調べられるようなこともないだろうし、ここまで厳重に隠れる必要なんかないんじゃないか?
まさか、これも魔女にからかわれてるんじゃないだろうな。
もしそうなら今度こそ許さん。
しかし今日は遅いほうだ。
もう3時間は経ってるんじゃないか?
まさかまだ看守は来てないんだろうか。参ったな、さすがに体を丸めているのも限界だ。圧迫された腕や足の感覚がなくなってきた。
体を左右逆向きにしよう。
ぐっ……ダメだ。
いったん箱のそとに出ないとどうにもならん。
どうしたものか。
どうしたもなにも、我慢できるところまで耐えるしかない。ああ、本当に参った。
すると―――
「どこだ、ここにいるのか?」
「え?」
女の声に、俺は答えた。
「あ、ああ、ここだ」
……やっとか。
どうやら魔女が呼びに来たようだ。助かった。
「遅いぞ、今日はずいぶん時間がかかったんだな」
ガタン。
やれやれとフタを押しのけ、箱に入ったまま背伸びをする。
「うーむ……肩がこった。おい、どこだ。明かりの魔法くらい使え」
ゴキゴキと首をひねる。
真っ暗な地下室、当たり前だがなにも見えない。いるはずの魔女に声をかけるが返事がない。おかしいな、気配もしないぞ。
こう真っ暗だと、なにがなんだかわからない。
いや……なんだ?
ふわふわとなにか白いものが浮いている。
なんだろう?
目の錯覚か?
モヤのような、クラゲのような……風もないのに、半透明の煙みたいなのが宙に浮いている。まるで泳いでいるようにも見える。生き物みたいだ。
くるくると回転しながら、なんだか人のカタチみたいになって……
「侵入者、見ぃつけた」
……煙がしゃべった。
煙じゃない!
ゴーストだ。