便箋5 砦の生活 その5
いまの俺にできるのは、明日も明後日も手紙を書き続けることだけだ。手紙を拾った者よ、砦のワナを兄に伝えてくれ。それだけを祈って書き続けるだけだ。
とはいえ、さすがにもう今日はもう疲れた。
用を足してさっさと休むことにしよう。
地下の便所を出た俺は、なんとなくエントランスに行ってみた。ひどく薄暗い通路の奥に、分厚い木製のドアがある。
砦に入る唯一の入口がこれだ。
もちろんいまは閉ざされたままだ。当たり前だが、俺がこの砦に入ったのもここからだった。
ドアの内側にはノブがない。
開けられないのだ、中からは。
だがノブが無いことより、もっと深刻な問題がある。何度も言うように、そもそもドアに触れられないのだ。鉄格子とおなじく、触れない魔法がかけられている。
念のために手を伸ばしてみるが……やはりダメだ、触れない。このドアは、外からしか開けられないのだ。
だが、このドアが開いても意味はない。
ドアが開いたとしても、外には出られない。
なぜか?
このドアは、「内側のドア」だからだ。
このドアを、俺と魔女は「内ドア」と呼んでいる。
内ドアが開いても、そこは外ではない。
入念なことに、ドアの向こうにも部屋がある。広さは10歩分くらいだっただろうか。魔女はその部屋を「玄関室」などと呼んでいた。
なんとかして内ドアを越えても、そこはまだ砦の玄関なのだ。そしてその玄関にある扉、それこそが外に通じる「外扉」というわけだ。
当たり前の話だが、外扉だって内側からは開けられない。
魔女が脱獄できないよう、2重のセキュリティになっているのだ。つまり……まったくどうやっても出られない。
本当によくできた構造だ。
監獄として。
いっそ、手紙に書くのはどうだろう。
「兄上へ。妹のニニコといっしょに、2人で私を助けに来てください」
■■
・兄上へ。妹のニニコといっしょに、2人で私を助けに来てください
・ドアは外からしか開きません。そのドアは、2枚あります。
・外の扉を開けたら、まずニニコを砦に入れてください。
・で、なかにある内ドアを開けるように指示してください。
・兄上は、砦の外で待っててください。ぜったいに兄上は入らないでください。
・外扉と内ドアは連動していて、どちらかが開いているともう片方は開きません。
・なのでニニコを入れてから、いったん外扉を閉めてください。
・そのあと内ドアをニニコに開けてもらって、私は玄関室に出ます。
・そのあと内ドアを閉めたら合図しますんで、兄上は外扉を開けてください。
・そしたら私とニニコは、そろって外に出られます。
・面倒ですけど、この手順じゃなきゃ外に出られないんで、よろしく。
■■
「……そんな手紙出せるもんか」
ブル……背中が冷たくなった。
兄に助けを求めるだと?
冗談じゃない、もしも兄に会ったら間違いなく殺される。
なぜなら俺は、教会から精霊の剣を盗んでしまったからだ。いまにして思えば、なんであんなバカなことをしてしまったのかと思う。
だけど仕方ないじゃないか。国から支給された2級品の装備で、どうやって魔界調査なんかやれっていうんだ。
それに引き換え、兄に支給されるマジックアイテムはどうだ。剣はもちろん、ペンダントやベルトまで祝福儀礼を受けた特級の神器だ。
とくに、兄の代名詞でもある「聖鎧」。
まがまがしい真っ黒な騎士鎧だが、その神力は凄いなんてもんじゃない。鎧全体が魔力を蓄積できる電池なのだ。
だから兄は、寝るとき以外はいつも聖鎧を身に着けている。
ふだんから魔力を鎧に充電するためだ。
いざ戦闘となれば、蓄積した魔力を開放しての猛特攻だ。
こんな神器、この世にふたつとないぞ。
いや、兄が勇者にふさわしい支援を受けるのはわかる。
だがそれでも、俺と兄でここまで待遇を差別するか?
俺に与えられるアイテムは、市販品ばかりじゃないか。冗談じゃない、俺は兄より弱いんだぞ! それなのに兄より粗末な装備で魔界に行って、無事に帰れると思うのか?
俺は、俺がかわいそうでならなかった。
たまたま勇者の弟なんかに生まれたせいで、俺は国王の命令を断れなかった。魔界調査の任務を命じられたときは、気を失いそうになった。
俺はどうしても特級神器がほしかった。死にたくなかったのだ。だから教区長をダマして、教会から精霊の剣を盗んだ。
いや、任務が終わるまで借りるだけのつもりだったんだ。適当に1か月くらい魔界をブラブラしてから、しれっと返すつもりだったんだ。
そして半年がたった。
もう笑うしかない。
剣の盗難のことは、間違いなく大事件になってるだろう。もしかしたら、俺は指名手配犯になってるかもしれない。少なくとも、兄の耳にも入っているはずだ。
一族の名誉に傷をつけた俺を、兄は決して許すまい。
だからこそ手紙に書いたんだ。
勇者の弟は、ファイアードラゴンに殺されましたと。
兄にしても、俺がモンスターに殺されてるほうが都合がいいはずだ。それならば、まだ名誉の戦死を遂げた弟として、剣の盗難についても申し開きが立つというものだ。
手紙に書いた「ジバンが死んだ」の一文は、兄にとっても最良のウソのはずだ。
それが本当は魔界で生きてるなんて知られたら、たぶん……いや間違いなく殺される。冗談じゃなく、保身のためなら弟だろうが殺す。そういう男なのだ、勇者アダンは。
どうしてそう思うのかって?
簡単だ、前例があるからだ。
俺たちはもともと4人兄弟。アダンは次男だが、15歳のときに長兄を殺している。しかもその死体の始末を、俺と妹に手伝わせた。
アダンが長兄を殺した理由は、じつに下らないことだ。
長兄が、魔界調査の命令をバックレたから。
一族の面汚しに制裁を加えたというわけだ。
……俺が魔界調査の任務を断れなかった理由も、これで理解してもらえたはずだ。
こう言っては何だが、兄の恐ろしさは竜王と変わらない。昔からそうだ。自分のメンツを潰した者に、情け容赦しない男なのだ。
聖剣の盗難だけでも殺されかねないのに、まさかその剣を折りましたなど口が裂けても言えない。やはり兄に助けを求めるなど考えられない。
いかん。
また憂鬱な気分になってきた。