便箋30 聖鎧のアダン その6
ガシャン!
アダンが砦に入ってきた。
「ぎゃあ!」
「ドヒー! ヒー!」
飛び上がる俺。
魔女はころんと真後ろに倒れこんだ。
「魔女、逃げるぞ! 立て!」
「む、ムリムリムリ! 腰が抜けた!」
「だったら連れてってやる!」
「ひゃあああ!」
ダダッ!
魔女の手をつかんで俺は走る。
走る、走る!
俺はもう魔女を引きずっていた。
「立てって! 頼むから自分で走れ!」
「こ、こ、腰が抜けてムリムリムリ!」
「ジバァアアアアン! 魔ァアアアアアア女!」
ガシャン!
ガシャン、ガシャン!
アダンが追ってくる!
完全武装状態……カブトと鉄仮面に覆われて、兄の顔は見えなかった。それが余計に怖い!
なんで全身に鎧を着て、あんな速さで動けるんだ!?
兄は怒り狂って、我を忘れている!
こ、殺される殺される!
ガシャンガシャンガシャン!
ガシャンガシャンガシャンガシャン!
追ってくる!
追ってくる!
「ひいひい……ギャッ!」
「うおっ! ま、魔女!?」
追いつかれてしまった!
魔女を奪われた。
「弟! ひいいい!」
魔女の襟首をつかんだアダンは、カバンでもひったくるように俺から奪い取ってしまう。
と、同時!
ドゴォ!
俺はアダンに殴り飛ばされていた。
「ぐあっ、ぎゃッ!」
ダン!
ドスンッ!
手甲のパンチ……ブッ飛ばされた俺は、まともに壁にたたきつけられた。
「ガッハ! お、おぅお……!」
吐血。
すさまじい痛みと衝撃で、俺の意識は遠ざかる。い、いや、気を失ってる場合じゃない。
「ぐっ……!」
立ち上がれ立ち上がれ。
寝ている場合じゃない、立ち上がれ。
俺よ頼む、立ってくれ。
「ひいいい!」
魔女の悲鳴。
なんとか逃れようと暴れるが、アダンの腕はびくともしない。
「弟、助けて! 助けて!」
「あ、兄上……おやめください兄上……」
俺はもう懇願していた。
かろうじて上体を起こし、兄上兄上と訴える。
「おやめを……」
アダンは俺を無視しているのか、こっちを見ようともしない。魔女の胸倉をつかんだかと思えば、そのまま右手だけで吊り上げてしまった。
「ひぃいいいいいいいいい!」
泣き叫ぶ魔女。
両足をばたつかせて抵抗するが、もう床には爪先さえ届いていない。完全に宙づりだ。
「く、苦しい……た、助けて……!」
鉄仮面の下で、アダンはどんな顔をしてるのだろう。笑っているのだろうか、怒っているのだろうか。
わからない。
さっきまで悪魔のような怒声をあげていたのに、いまは機械的に動いているようにしか見えない。
アダンの左手が魔女の首に伸びる。
魔女の細首を、鉄の手甲でにぎりこんだ。
「弟、ぐ……お、おどうど……」
魔女は手を伸ばし、アダンの兜を掻きむしる。
ガリ、ガリガリ!
しかし頭部を完全に覆い隠すそれは、アダンを怯ませることさえできない。鉄仮面ですら、ほそい覗き穴がいくつかあるだけだ。
「あ、あが……」
ガリッ。
ガリッ。
魔女のうめき声が、かすかに聞こえた。
アヒルが絞殺されるかのような声。
俺は立ち上がり、アダンに向かっていた。
「魔女を離せ……! 離せアダン!」
立ち向かう。
俺のどこにこんな力が残っていたのだろう。そもそもアダンに勝てるはずがないのに。まして素手で。
知るか!
俺はアダンに殴りかかった。鎧に全身を包んだアダンの、どこを殴ればいいのか……どこでもいい!
鉄兜の上から右ストレートを叩きこんだ。
ガァンッッ!!
ボキィ!
アダンはビクともしない。
逆に、俺の拳から血が噴き出した。
激痛。
だからなんだ!
「魔女を離せ! 離せ離せ離せ離せ離せ離せ!!」
ガン!
ガァン!
ガンッ!
ゴッ!!
ガンンッ!
残された力を振りしぼり、鎧の上から殴りまくる。
もう右手は完全に折れているらしい。左手ももうじきイカれそうだ。血が飛び散り、一発一発がどんどん弱くなっていく。だが俺は殴るのをやめない。
魔女を助けねば。
助けなければ。
ガンッ!
ガンッ!
ガン!
そこまでだった。
「ぐっ……! し、しま、ぐああああああ!」
がし!
アダンに腕をつかまれた。
なんという力……とても引き剥がせない。左手で魔女を宙づりにしたまま、右手だけで俺を捕らえている。
腕が握りつぶされる!
振り払おうと俺は暴れるが、とてもかなわない。
「がああああああ!」
「お、おとうど……やめ……」
魔女は首をつかまれたまま、声を絞り出した。
ガリガリガリ。
アダンをひっかく勢いが弱まっていく。
そしてどんどん若返っていく。
「あ、あ……」
30歳、20歳、10歳……とうとう魔女は4歳くらいになった。
ガリッガリッ……
ずぽっ。
鉄仮面の表面をひっ掻くだけだった指。その指が4歳児の細さになったことで、仮面の目穴に入りこんだ。
「あああああああああ!」
絶叫する幼い魔女。
仮面を引き剥がそうと、全力をこめているらしい。
「ああああああ!」
魔女はどんどん歳をとっていく。
6歳、10歳、14歳、18歳、20歳……魔女の体が大きくなり、それでも指は仮面に差しこまれたままだ。
「ひいいいいい! いぎいいいいい!」
「魔ァアアア! 魔ァ女ォオオアアアアアア!」
ついにアダンが動きを止めた。
さすがに仮面にぶら下がられては、魔女の体重を支えきれないのだろう。体が前のめりに曲がり、ようやく魔女の両足は床についた。
「ぎいいいい! ひいいいい!」
魔女は泣いていた。
顔をゆがめ、絶叫をあげる。
鉄仮面に差しこんだ指は、もう血だらけだ。成長するにしたがって指は太くなり、とうとう目穴の幅を超えてしまった。
魔女の人差し指、中指は輪切りにならんばかりだ。
「ああああああああああああ!」
「魔ァアアア女ォオオオオ!」
「うぐぅ……ぎゃあッ!」
ブチン!
ブヅンッッ!
派手な音がした。
アダンが魔女を突き飛ばした。
魔女が床に転がされる。
細すぎる穴に削ぎ取られ、右手の指が真っ赤に染まっていた。
「うぎゃああああああああ!」
絶叫。
すさまじい悲鳴をあげる魔女。
「魔ァアアアアアアアアア女ォオオ!!」
アダンの咆哮。
返り血に染まる鉄仮面を拭うこともせず、うずくまる魔女に手を伸ばす。
させるか。
させるか!!
「させるか、アダァン!」
ドガッ!
アダンに左拳を叩きこむ。
渾身の力、そして最後の力……俺のパンチで、アダンの兜が外れて飛んだ。
ガランゴロン!
けたたましい音を立てて、鉄カブトが床に転がる。
ガラン!
ガランガランガラン!
兜が脱げた下から、
下から……
「!?」
カブトの下には、何もなかった。
無い。
アダンの首が無い。




