便箋17 魔女について その4
「大丈夫か? 水飲むか?」
「はあ、はあ。い、今はいい。大丈夫、落ち着いてきた。はあはあ」
「うーん……なんだろうな」
「はあはあ。な、なに?」
「いや……たぶんお前が気を悪くするだろうし、言いにくいな」
「なにが? なんのこと?」
「その、奴隷商人というのは言い得て妙だと思ってな」
「言い……妙? なに、どういう意味?」
「人間界のことわざだ。「なかなか上手いこと言うじゃないか」って意味だよ」
「はあ?」
「お前はアレだろ? つまり魔物の斡旋で手数料を稼いでいたんじゃないのか?」
「当たり前でしょ、仕事を仲介するのも経費かかるんだから。手数料取るの当たり前じゃん」
「べつに悪いとは言ってないが」
「そもそも奴隷商人とか言われる意味がわからない。奴隷ってのは、本人の同意なしに働かされることじゃないの?」
「そりゃそうだ」
「言っとくけど私、無理やり働かせたことなんかないからね? 私のギルドには、ちゃんと雇用契約を結んだ魔物しかいなかったもん」
「うーん……理屈はわかるんだが」
「なに?」
「なんというかその……持続できるのか、このシステム」
「どういう意味?」
「たとえばさ。さっき有能と無能の話が出ただろ?」
「それがなに?」
「なんの能力もない魔物に割りふられる仕事となると、賃金もそれだけ低くなるんじゃないか?」
「当たり前じゃないの。仕事のレベルと報酬は、比例するに決まってるでしょ」
「それだと労働力の安売り合戦になるんじゃないか?」
「安売り?」
「そう安売り。いくらでも労働者が集まるんなら、賃金を下げ放題にならないかと思ってな」
「そんなことないって。労働者に払わないといけない最低限度額ってもんが決まってるんだから。それより低い賃金だと、そもそも募集できないよ」
「へえ」
「ほうら、奴隷とはぜんぜん違うでしょ? 労働者だって、ちゃんと最低賃金のシステムで守られてんのよ」
「じゃあ市場は、その最低賃金の求人ばかりになるんじゃないか?」
「なにが?」
「その最低ラインの賃金さえ守ればいいわけだろ? ぜんぶの仕事が最低額にならないか?」
「低ランクの仕事の場合は、そういうこともあるかもね。高いランクだと、オークションみたいな高額の報酬合戦になってたけど。有能なモンスターは、どこの企業も軍団も欲しがるからね」
「いや、そういうハイレベルな魔物はいいんだよ。そうじゃなくて」
「さっきからなにが言いたいのよ」
「底辺っていうと聞こえは悪いんだが。低レベルなモンスターだと、いつまでも低賃金の仕事しか紹介してもらえなくなってさ」
「うん」
「そのうち、誰も仕事をやりたがらなくなるんじゃないか? 働いても働いても収入が上がらないんじゃ、だれも働きたくなくなるだろ」
「それならそれでいいんじゃない?」
「は? なんだって?」
「誰も働いてくれなくなったら、いちばん困るのは誰よ」
「そりゃ……市場だ」
「50点。いちばん困るのは社会そのもの。市場も軍隊も平民もふくめた、社会すべてよ」
「よけいマズいじゃないか」
「そうならないように、今度は賃金を上げざるを得なくなるわけよ。そしたら少しでも高額な求人に、労働者が集まるようになるじゃない」
「労働者が応募したくなるように、高い賃金の求人が増えるってことか」
「なかなか悪い言いかたするわね。満足に人員を確保したければ、労働者のほうから働きたくなる給与を出せってだけの話よ」
「そ、それはそうだ」
「私の作ったギルドは、それを救済するシステムだったわけ」
「救済って。また大げさな」
「弟があのころの魔界を知らないだけだから。いかに社会に、短期的なマンパワーを必要とする事業が多かったか知らないでしょ」
「マンパワー?」
「人手って意味。ほんの1週間、1カ月だけ人手がほしいことってあるじゃない? ようするに労働力を欲しがってるところは、いくらでもあんのよ」
「……あるだろうな」
「なのに、その仕事にありつけない魔物がいっぱいいたの。当たり前だよね。どこでだれが人手を欲しがってるかなんて、知りようがないもん」
「ふむ」
「ようするに、需要と供給の両者が出会うシステムがなかったのよ」
「あっただろ。ギルドがそうだ」
「何度も言わせないでよ。いままでのギルドは専門家を集めるための専門ギルド。私が作ったのは、そういう垣根を超えたスーパーギルドなわけ」
「スーパーって」
「剣士をカバン工場に、船乗りを農場に、未経験者を王宮に。私はその出会いの場を発明したわけ」
「ミスマッチすぎる」
「向き不向きなんてやってみなきゃわかんないし、なにより仕事がないよりマシでしょ。べつに一生そこで働く必要なんかないのよ。短期の労働力を確保するのが目的なんだから」
「うーん」
「労働者のほうも、短期的とはいえ仕事にありつけるわけ。いいことずくめじゃないの」
「それは置いといて、ギルド内の格差ってどうなった?」
「格差って? さっきの低賃金の話?」
「有能な魔物と、無能な魔物の賃金格差だ。誰にもできる仕事をあてがうと言ってたが、それって賃金の低い仕事だろ?」
「またその話? 何回目よ」
「これが最後だから。えーと、ギルドのなかでも貧富の差が生まれるんじゃないか?」
「なに言ってんの。貧富の差に直結するからこそ、各人が自己研鑽しなきゃいけないんじゃないの」
「いや、そりゃそうだが」
「上昇志向のない者が貧しくなるなんて、当たり前じゃない?」
「そこのところがなあ。どうも……」
「なによ?」
「優秀なやつって、やっぱりどこにでもいるだろ?」
「は? いるけどなに?」
「そういう有用な人材を、いつでも自由にレンタルできるようになるわけだろ?」
「また! レンタルなんて言いかたする!」
「じゃあ言いなおすよ。短期雇用ならどうだ」
「そう。そういうふうに言って」
「短期雇用のせいで、長期雇用が減ったりしないかな」
「はい?」
「お前のギルドがあるなら、正規で人員を雇う必要ないって考えに行きつくんじゃないかと」
「……ちょっと待って。長期雇用が減るって言ったのは、定職がってこと?」
「そうそう。どんな仕事にでも言えることだけど、正規の職員ってのがあるだろ。そのシステムが崩壊して、誰も彼もがいつでも求職中みたいな状態になるんじゃないか……ってのは考えすぎか?」
「……」
「もしも。もしもだよ? 軍事や行政なんかにも、人材は短期雇用すればいいって考えが蔓延したらどうなる?」
「……」
「労働者はたらいまわしをくり返されて、ひとつの分野に特化した……いわゆるベテラン選手がいなくなるんじゃないか?」
「……」
「社会全体から、エキスパートと呼べる人材が減少してしまうんじゃないか?」
「……」
「短期労働者ばかりの社会になったら、いよいよ社会がスムーズに回らなくなるんじゃないか。ド素人ばかりの軍隊とかになったら、治安を維持できないだろ」
「……弟。あのさあ」
「なんだ?」
「さっきから竜王と同じこと言ってるわよ」