便箋14 魔女について その1
そして朝―――
「どうなってるんだ?」
「どうなってんの?」
眠い目をこすりながら、俺と魔女は顔を見合わせる。
来ない、ぜんぜん。
てっきり今夜、竜王軍のモンスターに襲撃されると思っていた。
来ない。
念のため2階の窓から外をのぞいてみたが、やっぱり人影ひとつない。2階の窓から、見えるかぎり外部の様子を探ってみるが……なんの異常もない。
ある程度の集団が接近していれば、ぜったい気配くらいするはずだ。
……いや、なんの気配もしないが。
おかしい。
本当に来てないぞ竜王軍。
俺は玄関室まで戻り、本当に誰もいないっぽいことを魔女に説明した。
「なんか外にも気配ひとつないぞ。もしかして来ないんじゃないか?」
「まさか! そんなわけないって」
「だよなあ……じゃあホントにまだ来てないってだけか。しかしなぜだ?」
「うーん。それよか、起きてんのそろそろ限界なんだけど」
「だったら魔女、無理しないで寝てこい。俺は2日起きてるくらい平気だから」
「……大丈夫?」
「心配しなくてもいい、なにかあったらすぐに起こしに行くさ」
「そう? じゃあお願い」
魔女はふらふらと玄関室を出て行った。足がふらついていたが無理もない。一晩中、緊張状態だったんだから。
正直俺もキツかったが、修業時代は飲まず食わずで3日間の山越えをしたこともある。あのときと比べれば、体力的には大した負担ではない。
とは言え、万全の体調とはとても言えない。
かなり体力を消耗しているのが自分でもわかる。疲労はもちろんだが、玄関室に満ちた腐臭のせいだ。
魔女が何度か空気清浄の魔法を使っていたが、それでも血と死肉の臭いは完全に消えない。ようするに空気の浄化では追いつかないほど、この玄関室は汚れているのだ。
「掃除でもするか」
なんとなくの思いつき。
ひとりごとを呟いて立ち上がる。
とは言え、水もなければモップもない。
どうしたものか……
そうだ。
砦の倉庫に、消火用の砂があったのを思い出した。
少しくらいなら、ここを離れても大丈夫だろう。ふた部屋となりの物置に行き、砂袋を抱えて戻る。
「よっと」
ドザア!
袋の中身を床に全部ぶちまけ、まんべんなく足で均していく。まるで砂場みたいになったが、血が隠れただけでも臭いが軽減された気がする。
つぎは箒だ。
砂まみれの肉片を集めて、空っぽになった砂袋に掃きこんでいく。ゴブリン2匹分とは思えないほど肉片の量は少ない。おそらく聖剣の力で、大部分は消滅してしまったのだろう。
とはいえ、さすがに袋ひとつに収まりきる量じゃなかった。それに壁の血もなんとかしないと。砂袋が、あと5袋は必要だ。
ゴブリンの肉片と血砂でいっぱいになった袋を抱え、ふたたび物置に向かう。とりあえずこのゴミ袋は物置に置いとくとして、つぎの砂袋を担いで玄関室へ戻った。
自分でもこの緊急時になにをやってるのかと思うが、なにかしていないと落ち着かない。それに玄関室の有様にも、もう耐えられなかった。
気持ち悪すぎる。
よく一晩も、あんなところで過ごしたものだ。
新しい袋を運びこみ、血染めのカベに何度も砂を投げつける。血はほとんど乾いた状態だったので、当たっては当たっては床に落ちた。
それでも小さい砂粒が、広範囲にへばりついてくれた。真っ赤だった壁が、すこしは覆い隠された。おかげで玄関室は、すっかり砂だらけになってしまった。
いいさ。
臭いが完全に消えたら、ぜんぶ掃き捨ててしまおう。窓からでも放り捨ててしまえばいいんだ。俺はゴブリンの肉片を袋詰めする作業を再開する。
もうなんか、生理的に無理とかいう気持ちはまったく無かった。ただただ、玄関室の環境をマシにしたい一心だった。
いま内ドアは、俺が持ってきた燭台を使って開放してある。燭台がドア下の隙間にぴったりハマったときは、笑ってしまった。まるで誂えたように、ドアストッパーとして活躍してくれている。
はじめにドアストッパーに使っていた配給箱は、血が浸みこんでしまったので物置に持って行ったのだ。
箱の中身はすべて出して、食堂に移してある。そのなかから1日分の水だけをポットに入れて、玄関室の外に置いた。
さて……
ひと通りのことが終わって、することがなくなってしまった。いつもなら兄宛ての手紙を何百枚と書いているわけだが、もうその必要もない。
俺はどっかりと椅子に腰かけた。
ベルトから聖剣を外し、砂の上にそっと置く。
……どうして役人が来ないのか。
看守のモンスターが逃げてから、丸1日くらい経ってるはずだ。いくらなんでも、もう来ていなければおかしい。
来ないなら来ないでいいんだけど、さすがにここまで無反応だと不気味だ。
いや待て。
来てくれないと困る。
ここの生活は、竜王軍が差し入れる食料で凌いでたんだからな。来てくれないと、そのまま飢え死にだ。
もう一度、落ち着いて考えてみよう。
どうして竜王軍はここに来ない?
可能性として考えられるのは……
いちばん現実的なのは、逃げた看守が死んでいるとか?
死んでないにせよ、事故かなにかで動けなくなっていたらどうだ。まだ竜王軍の基地に戻っていないとしたらどうだろうか。
竜王軍は、昨日この砦でなにがあったかまだ知らないのかもしれない。
ただ、そう考えると引っかかる。
昨日の看守は、当たり前だが誰ひとり基地に戻らなかったことになるわけだ。だとすれば竜王軍、とっくに大騒ぎになってるんじゃないか?
非常事態とみて、砦にやって来てなきゃおかしい。
……じゃあやっぱり、なんでまだ来ないんだ?