便箋13 ミーティング その4
「魔女、内側のドアはもう閉めるか? ここを閉めとかないと、外扉が開かないぞ」
「いや……いまはまだ開けといてよ。さすがにもうちょっと換気しとこうよ」
「たしかにひどい臭いだな。そう言えば、折れた聖剣はまだ持ってるのか?」
「剣の先っぽ? うん。ここにある」
真っ黒な上着のどこからか、魔女は剣の先端を取り出して見せた。先端と言っても、15センチくらいのけっこうな長さだ。
魔女は大したもので、折れた部分に厚布を巻きつけている。まるでナイフのような姿になってるじゃないか。
俺が確認したのを確かめると、魔女はまた上着に剣先を仕舞った。
俺の聖剣なのに、いい気なもんだ。
あんな抜身のままポケットに入れて、危なくないんだろうか。
そう言えば、俺も剣をベルトに差したままだった。さすがに邪魔だからどこかに置いときたいが……いやよそう。
血まみれの床に置くのは気持ち悪い。
腰にぶら下げたままのほうがマシだ。
「じゃあ内ドア、開けとくぞ」
「うん」
「閉めなきゃいけないときは、言ってくれよ」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あの」
「なに?」
「ゴブリンに襲われそうになったとき、さぞ怖かったろ。平気か?」
「はい? そんくらいでビクつくような女に見えんの?」
「……いや」
「失礼な」
「……」
「……」
「……」
「……」
会話がなくなった。
いままで緊張を紛らわせるために、無理に話していたようなものだったからな。必要なことを話し終えると、急に話題がなくなってしまった。
俺がゴーストに見つかって、もう半日くらい経っている。あの看守騒ぎから、12時間は経過してるはずだ。
つまり逃げた看守が応援を呼びに行ったとして、もう戻ってきてもおかしくない。
俺は外扉を睨みつけてたが、いきなりこれが開いたらと思うと怖くてたまらない。
いや、開くはずがない。
だって内ドアを開けたままにしているからだ。だから外扉が開くなんてことは絶対にない。
何度も説明しているが、外扉と内ドアは連動している。どちらか片方を閉めないと、もう片方は開かないのだ。
……じゃあ、内ドアを閉めるべきだ。
わかってる。
内ドアを閉めないと、外扉は開かない。外扉を開けてもらおうという作戦なわけで、さっさと内ドアを閉じるべきなのだが……
魔女も俺も、内ドアを閉じようは言わない。
いきなり外扉が開いて、完全武装の役人がなだれこんで来たら……そう思うと、内ドアを閉める勇気がどうしても出なかった。
竜王軍が来るのはもう覚悟した。
だから、もし来たらノックしてくれないだろうか。開けるかどうかはそのあと決めるから。
俺は子どもの頃に読んだ「七ひきの子ヤギ」の童話を思い出した。
オオカミが子ヤギを食うために、わざわざ家までやってくる物語。さしずめ、いまの俺は子ヤギのお兄ちゃんだ。いちばん最初に食われる役だ。
どうしてもくだらないことを考えてしまう。
いや不吉なことを考えてしまう。
さて……時間が経過する。
玄関室に俺と魔女が入ってから、もう2時間は経っただろうか。
「弟、来て」
「えっ? え、なに、なんだ?」
魔女がいきなり部屋を出た。
砦のなかへ引き返す魔女を追って、あわてて俺もついていく。
何事かと思えば、魔女が向かったのは食堂だった。
「弟、玄関室に椅子持っていって。私トイレ行ってくる」
「……あのな」
なんのことはない。魔女はずっと立っているのに疲れただけだった。しかし情けないが、俺も足が痛い。
俺は言われたとおり、椅子をふたつ抱えて玄関室に運び入れた。
しばらくすると魔女が戻ってきた。
礼も言わず、俺が運んだ椅子に座る。当たり前のように。
「俺もトイレ行ってくる。俺が戻るまで内ドアを閉めたりするなよ」
「わかった。すぐ戻ってきてよ」
俺は大急ぎで便所に行き、急いで用を足した。
なにしろ、いつ役人が来るかわかったもんじゃない。ただ玄関室に戻る前に、階段を上ってみた。そして一瞬、窓穴をのぞいてみた。
鉄格子の向こう。
平野の果てに、真っ赤な夕日が沈むのが見える。
太陽だけは人間界も魔界も変わらないな……いや、そんなことどうでもいい。もう夕方じゃないか。どうりで薄暗いと思った。
「まだ来ないのか、役人どもは」
もしかしたら、闇夜に紛れて突入してくるのかもしれない。だとしたら明かりが必要だな。いったん食堂へ向かい、蝋燭と燭台を持った。
こんなのでも少しは明かりの足しになるだろう。
だが玄関室へ戻ると、なんかもうすでに明るかった。
ハンパな明るさじゃない。
昼間よりも明るいくらいだ。
「戻ったぞ……ちょっと待て、なんでこんな明るいんだ?」
「おかえり……あれ? 燭台なんか持ってきたの。もう私の魔法で明かりつけたけど」
そうだった。
この魔女、明かりの魔法が使えたんだった。
玄関室の天井に、小さい光球が浮いている。まぶしい……本当に太陽の下にいるみたいだ。
弱ったな。
せっかく持ってきたけど、ロウソクなんかの出る幕じゃない。しょうがないから、燭台といっしょに部屋のすみに置いた。ゴブリンの血だまりはもう渇いて固まっていたが、さすがに血の上に置くのは避けた。
魔女とふたり、椅子に座って外扉を眺める。扉にはぜんぜん、なんの変化も起こらない。本当に竜王軍はここに向かってるのか?
もしかして来ないんじゃないのか?
「……それにしても竜王軍はいつまでたっても来ないな。どうしたんだろうな」
「それはわかんないよ。入ってきてないだけで、もう砦の外はもう包囲されてるかもしんないじゃん」
「怖いこと言うな。まさか、いきなり外からドアを叩きまくられたりしないだろうな。心臓が止まるぞ」
「5歳の私なら失禁するかもしんない」
「じゃあずっと20歳でいろよ」
「20歳でも漏らすかもしれない」
「……」
「……」
「……ふ、ふふ」
「あははは」
俺と魔女は、そのあと夜明けまで玄関室にいた。ときどき思いついたら会話を交わす、そしてまた会話が無くなる。そうして夜は過ぎていった。
そして朝―――