便箋12 ミーティング その3
「……」
「どう? 弟の好きな私になったげたけど」
「誰がお前を好きだなんて言った?」
「言ったも同然じゃん」
「ダークコンドルの話に戻れ。あの鳥が手紙を竜王軍に見せて、そのあとどうなったんだ」
「どうもこうも、ゴーストが来たよ」
「……」
「竜王軍の役人が手紙を読んで、実情を確かめに来たってとこじゃないかな。手紙がガセかどうかわかんないから、念のためにゴーストを看守団に加えたって感じじゃない?」
「ふむ……」
「もしダーコンのやつが自分の口で直訴できたら、おしまいだっただろうね。それこそ竜王の側近クラスが、私たちの処刑に来てたと思う」
「時間の問題じゃないのか? 看守はもう1人いたんだろ? 砦の外で待機してたゴブリンが、逃げたんじゃなかったのか」
「……逃げた、はず」
「そいつが基地に応援を呼びに戻ったとして、今度こそ幹部級のモンスターが来るだろうな。恐ろしく強いやつが」
「だとしたら、来るのは早くて半日後ってとこかな」
「……いちおう聞くが。竜王軍の幹部クラスが来るとして、お前は勝てそうか?」
「勝てるわけないじゃん。弟こそ勝てる自信あんの?」
「勝てるわけないだろうが」
「だよね。勇者アダンじゃあるまいし」
「……」
「なんだっけ、アダンの渾名」
「聖鎧の勇者だ」
「そうだっけ。まあいいや、どうする?」
「お前はどう思う?」
「私? 私はなんにも思いつかない。どうすんのこの状況」
もうレモネードは残っていない。
いまさらだが、ゴブリンの血にまみれた服が気持ち悪くなってきた。ひどい臭いがするし、ネチョネチョしている。
我ながら、よくこの状態で飲食していたものだ。
……魔物の血を浴びるなんて慣れっこだったから、感覚がマヒしているんだな。
「……」
「弟、なんか言ってよ」
「玄関室に行こう」
「……え?」
「……」
「……」
時間が止まったみたいだ。
1秒、2秒……
なんか魔女の歳が若くなる。
1歳、2歳と若返っていく。いまは17歳くらいに見える。
「魔女、玄関室に行こう」
「なにしに?」
「玄関室で、外扉が開くのを待とう」
「……開くわけないじゃん。なんで開くと思うわけ?」
「この砦から脱出できない最大の理由はなんだ? 内ドアと外扉、2枚の扉を同時に開けないという構造のためだ」
「なによ、いまさら」
「いまや突破すべき扉は、外の1枚だけだぞ。なんとかなるかもしれない」
「なんとかってのはなに? 誰かが外扉を開けてくれるかもしれないって意味? 本気で言ってんの?」
「万が一だ。もしかしたらダークコンドルが戻ってくるかもしれない。そしたら誠心誠意、いままでのことを扉越しに謝れ。開けてくれるかもしれん」
「だれが謝るか」
「あるいは竜王軍の役人が来ても構わない。やつらが扉を開けた瞬間に、外に飛び出そう。そのまま振り切って逃げられるかもしれない」
「役人が扉を開けてくれる保証がどこにあんのよ。砦ごと焼き払われるかもしれないじゃん」
「そうなったらむしろ好都合だ。扉が焼失してくれたら脱出できるじゃないか」
「そんな上手くいくわけないってば。あの外扉が燃え落ちるころには、砦のすみずみまで火の海だろうね」
「お前が来なくても、俺は玄関室に行くぞ」
「……」
「お前も来い。いや来てくれ」
「…………わぁった」
魔女はまだ心が決まっていないように見えた。
だが俺は決心した。
俺たちは、玄関室に行く。
そして外扉が開く奇跡を待つのだ。
それしかない。
ほかに脱出できそうな方法があるというなら教えてくれ。
俺と魔女は、玄関室に向かった。
―――エントランス。
もうエントランスは、すさまじい血の臭いに満ちていた。玄関室の内ドアは、当たり前だがちゃんと開いている。俺がストッパーに置いた箱もそのままだ。
そして、そのせいで強烈な腐臭が漂ってきているのだ。いや漂ってるなんてもんじゃない。まだ玄関室に入ってもないのに、もう鼻が曲がりそうだ。
これで玄関室に入ったら、卒倒するんじゃないのか?
いや、一度入ったけど。
あのときは勢いだったし、さすがにここまで臭ってなかったぞ。自分で言い出したこととはいえ、さすがに腰が引けた。
玄関室に入る勇気がない。
だが魔女は強かった。
いつのまにか、また20歳くらいになっている。勇ましく、20歳の魔女は歩み出した。
「覚悟できた。行こう、弟」
床の血だまりなど物ともせず、魔女は玄関室へ入っていく。じつに頼もしい女だ。あわてて後を追いかける俺……まるで使い魔になった気分だ。
うっ、すごい臭いだ。
あらためて玄関室をじっくり見まわす。
壁から天井から血まみれだが、そんなこと今はどうでもいい。考えてみれば、落ちついてこの部屋を観察するのははじめてだ。
5メートル四方ほどの玄関室には、驚くほどなにもない。
窓ひとつない。
あるのは外へ通じる扉と、砦に戻るドアだけだ。
外扉には取っ手などない。
さっきも確かめたが、あのときはゴースト騒ぎでパニックになっていたからな。もう一度、慎重に扉の全体を調べてみる。
……うん。
ドアノブはおろか、なんの部品もない。内側から開けられないのは確実だ。
念のために扉に触れてみようとする。
さっきも試したはずだが、いちおう念のために。もちろんダメだった。呪法のせいでまたく触れられない。容赦がないほど完璧な魔法だ。
そもそも呪法がかかってなくても、そうとう頑丈な扉だ。
全体は木材で出来ているものの、がっしりと鉄枠を組みこんだ作りになっていてスキマひとつない。合わせ目からも、一筋の光さえ漏れていない。
本当にこの部屋からは、外の様子がわからない。
もしもドアの向こうに誰かがいたとして、それを察知しようもない。
いや待てよ。
魔女がゴブリンを殺したとき、その断末魔を聞いたから、外にいた看守は逃げたんだったな。つまり音や声は、外にも聞こえるわけだ。
では次は、内ドアを調べてみよう。
血の水たまりをなるべく踏まないように、俺は内ドアへ引き返した。
そういえば、玄関室側からは触れるんだろうか?
俺は恐る恐る、全開状態の内ドアに手を伸ばす。
「おお」
思わず声が出た。
驚いた……
ドアには触れない。
呪法のせいで、どうしても触ることができない。
なのに、ドアノブにだけは触れる。
いやそりゃ、ノブに触れなければ砦に入れないからな。当たり前と言えば、当たり前なんだが……それにしても、とんでもなく高等な魔法だ。
言うまでもないがこの内ドア、ノブがあるのは玄関室側にだけだ。
つまり閉じたが最後、砦のなかからは開けられない。もうさんざん思い知ったことだが、改めて内ドアを閉じるわけにいかないことを再認識させられた。
いや。
いやいや、それじゃダメなんだよ!
内ドアを閉じなければ、外扉は開かないんだ。
2枚は連動しているんだ。外扉が開くためには、内ドアが閉まってなければならないんだ。頭がグチャグチャしてきた!
本当にどれだけ意地が悪いんだ、この砦は!