便箋10 ミーティング その1
……なにがなんだかわからない。
まだ俺の胸で泣きじゃくる魔女に、俺は……詫びた。
「すまない。ゴーストの魔物を斬ってしまった」
「ぐすん、ぐすん! 殺したのか?」
「ああ……殺してしまった」
「ぐすん」
「あのゴーストが竜王軍の陣営に戻らないとなれば、マズイことになるな」
「ぐす。それで?」
「それでって……だから、マズイことになる。看守のモンスターが戻らないとなれば、竜王軍はなにかあったと思うだろう」
「ぐす。思うだろうな」
「きっと看守の小隊をここに送ってくるだろう」
「ぐす。ぐす……」
「俺たちは、やってくる竜王軍の部隊に殺される。俺のせいだ、すまない」
「ぐす」
「と、その前に教えてくれないか? なんで俺がこの砦にいると、あのゴーストにバレたんだ?」
「……」
「さっきダークコンドルと、なにを話してた? まさか、俺のことがバレたのは……」
「ぐす。ぐす」
魔女はまだ泣き止まない。
俺の胸に顔をうずめ、決してこっちを見ようとはしない。
「私、ダーコンに裏切られた」
「……」
「ぐす。砦の看守に、お前のことをチクられた」
「……ダークコンドルがか? なぜ?」
「……あいつ、私のことをずっと憎んでたんだって。私があんまりムチャぶりばっかするから、いつか思い知らせてやろうと考えてたんだって」
「だから竜王軍に密告したのか。俺のことを」
「グス、ぐすん」
「……鳥が、どうやって?」
「竜王軍の看守が砦に向かってるのを見つけて、手紙を見せたんだって」
「……なるほど。そう言えばあのゴーストも「手紙のとおりだ」とか言ってたな」
「ゴーストを殺したの? あのゴーストの看守、殺したのか?」
「ああ……ゴーストを殺したというのも変だが、殺してしまった」
「グス……ちょっとだけスカッとした」
「すまん」
10分ほどそうしていただろうか。
よろよろと、魔女のほうから離れた。しかしあまりにふらつく様子に、俺は両肩を支えて抱き寄せた。崩れ落ちそうなほど弱々しい姿だったから、その、思わず。
「大丈夫か」
「あ、ああ……」
魔女は80歳くらいの老婆になっていたが、べつになんの負の感情も感じなかった。このピンチの状況は、半分は魔女のせいだと思うのだが……とくに怒りは感じなかった。
ただただ、魔女を哀れに思った。
「弟、ひどい血だ。どこかケガをしてるのかえ」
「俺は平気だ。これは1階の血だまりで転んだんだ。お前こそケガはしてないのか? すごい血だぞ」
「しとらん。私のも返り血だ」
「じゃあ、下の血は誰のなんだ」
「ゴブリンの血。私が殺した」
「なん……はあ??」
「今日来た看守だ。私が殺した」
「……なんで殺した?」
「下で話そう。うう……」
「あ? ああ……そうだな、下に行こう」
俺と魔女は食堂に降りた。
わざわざ場所を変える必要があったのかわからない。ただ俺も、いったん落ち着く場所に移動したかった。
階段を下りたところで、俺と魔女は分かれた。俺はとにかく血まみれの服を脱ぎたくて、自室に戻った。だが俺の荷物がなにもない。
しまった。
ぜんぶ地下に持って行ったんだった。
面倒くさい、着替えなんかもういいや。
俺はふたたびエントランスに向かった。
すさまじい血の臭いが廊下にも充満している。口と鼻を押さえながら、おそるおそる玄関室をのぞきこんだ。
血の海―――さっき確認したばかりだが、やはり奥の扉は開いていない。
いや、いやいや前向きに考えるんだ。
ようやく内ドアが開いたんじゃないか。突破せねばならないふたつのゲートのうち、ひとつが開いたのだ。
だが、どうして内ドアが開いてるんだ?
よくよく見ると、ドアの下に金属片が引っかかっていた。偶然なのか、魔女がストッパーにしたのか……とにかく金属片がストッパーになっている。
しめた!
こいつのおかげで、内ドアが開きっぱなしになっていたのか。しかし、こんなちっぽけな破片では不安だ。いつはずみでドアが閉まるかわからない。
ほかにもっと大きな、ストッパー代わりになるものは無いだろうか。
見渡すと、エントランスに配給の箱があった。
しめた!
今日、看守が持ってきたであろう物資だ。
だがフタがない。
いや、あった。
10メートルも離れたところに落ちていた。なんであんなとこに? まあ蓋なんかどうでもいい。
ズシリと箱を持ち上げる。
お、重い。
ふらつきながら、やっとの思いで玄関室まで運んだ。
内ドアは、蝶番にバネでも仕込んであるのだろう。すこし触れただけで金属片が外れたらしく、勝手に閉じようと動いたものだからメチャクチャ焦った。
あわててドアをいっぱいまで開いた状態にして、閉じないように箱を置く。
ドスン!
さすがにこの重さなら大丈夫だろう。ちょんちょんとドアを動かしてみるが、箱はビクともしない。これなら自然に内ドアが閉じてしまうことはないはずだ。
ようやくホッとした。
やれやれと箱のなかを探ると、ちょうどいい。レモネードのビンがあった。
と……
しまった。
食料も入ってる配給箱を、魔物の血でいっぱいの部屋に運んだりしてしまった。この食料が命綱だというのに、すごく気持ち悪いことをしてしまった。
これを口にしなきゃならないのか……
いや、今はそんなこと気にしてる状況じゃない。
食べ物があるだけでも感謝しなければ。
箱からビンを2本取り出し、いちおう廊下に落ちていたフタを拾ってきて箱に乗せた。せめて玄関室の空気に、箱の中身が触れないようにだ。
……手遅れかもしれないが。
ふう……
なんかもう、死ぬほど疲れた。
よろよろと食堂に戻る。
食堂では、魔女がもう席についていた。
しかもまた年齢が変わっている。10歳くらいだろうか。泣き腫らしたのか、目が真っ赤だ。しかも自分だけちゃっかり着替えている。
「魔女、レモネードがあった。飲むか」
「……うん」
俺は2本のビンのうち、きれいなほうを渡してやった。俺のほうは少し血がついてしまっていたが、べつに気にならない。ビンの中身は無事なんだし、別にかまわない。
いや、やはり気になる。コップに移して飲もう。棚からコップをふたつ持ってきて、ひとつを魔女に渡した。
「魔女、さっきの話のつづきだ。俺はゴーストを殺してしまった。すまん」
「あたしこそゴメン。ダーコンが裏切るなんて思わなかったもん。バレたのは私のせいだよ」
テーブルに向かい合わせになった俺と魔女。
コップに注いだレモネードを、俺はぐいと半分飲みこむ。
魔女も、くいと少しだけ口にした。
そして呟く。
「このレモネード、炭酸が入ってない」
「タンサン? タンサンってなんだ」
「発泡してるって意味。ビールみたいに」
「そんなレモネードがあるのか? 聞いたこともないな」
「魔界にはあるの。あたしの生まれ故郷だと、レモネードは炭酸って決まってる」
「ふうん」
ごく。
ごくごく。
泡の入ったレモネードも美味いような気がするな。