絶望だった日々の②
「月並みなきれいごとを言いたいわけじゃない。さすがに30年も生きてればさ、こういう時にどういう風に言うと、凛子ちゃんの心に響くとか分かってくるんだよ。
でもさきっと、今必要なのはそんなきれいごとじゃなくて、あたしの心からの言葉なんだよね。だから、ここからの言葉はあたしの嘘偽りのない言葉」
私は少しだけ息を吸った。聞こえるのは川の流れと虫の声ばかり。
「死なないでほしい。至って普通のことだけどさ、あたしはそう思うよ。だって、あなたは死ぬべき人間じゃないもの」
私は語気が荒くなるのを止められない。
「あなたに私の何が分かるんですか? 何が分かるんですか!! まだ会って半日くらいしかたってないのに!!」
里美さんは相変わらず微笑む。
「分かるよ。分かる。それくらいさ、分かっちゃうんだよ。凛子ちゃんがいい人だってことくらい、半日あったら分かっちゃう。だってあなた、ずっと自分を責めてた。
他人に傷つけられてきたんでしょ? 確かにあたしは凛子ちゃんの人生を見たわけじゃない。でもあなたは優しい。優しい人はさ、損だよね。世界ってさ案外優しくない人がいっぱいいてさ、その優しくない人はさ、優しい人を探してるんだ。自分の利益のために」
蛍が空に舞い、揺らめく星達。
「きっといいように利用されて、そして生きていけなくなって、いや、生きていけなくさせられて、死ぬしかないって思い込んでる。
そんな優しい人にあたしは死んでほしくないんだ」
私は叫ぶ。
「でも、でも、私にはもう何もないんです!! 仕事もやめちゃった。実家にも帰れない!! だから、私の居場所なんて、もうどこにも……」
「ここがあるよ」
里美さんは静かにそう言った。
「無責任なこと言わないよ」
蛍が一匹里美さんの肩に乗った。
「無責任なこと言えないよ。でもさ、ここに住んでさ、この希海ヶ原の復興を手伝ってくれない? ここをあなたの居場所にしてよ」
里美さんは微笑んだ。
「復興もさ、手伝っても手伝わなくてもいい。体や心が辛い日は休んでもいい。衣食住も保証する。給料だって、ちょっとは出せる。あんまり高くはないかもだけど、それでも出せるように頑張る。条件は一つだけ。もう死のうとしないこと。それだけ。だから、ここを居場所にしてよ」
涙が地面に落ちる。
「なんで……、なんで私なんかを……」
「自ら死を選んでいいはずがないから。あなたみたいな優しい人が。それにさ、これは私の都合で悪いんだけどさ、一人で復興するの、しんどいなぁって思ってたんだ。だから、凛子ちゃんと楽しくやれたらいいなって思えたの」
私は頷いた、泣きながら。今流れている涙は何の涙なのだろう? また死ぬのを失敗した自らの愚かさを呪うものだろうか? いやきっとちがう。私は全身を包む安堵感に気づいていた。
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。里美さんが満天の星空の下、満面の笑顔を作った。
「あはは。良かった良かった。それじゃ、契約成立ってことでいいね。こっからよろしく」
里美さんは肩についていた蛍を優しく手で取って、地面の草に返した。
「さて、帰って寝よう。あたし、眠たくなっちゃったよ」
「私が来るかもしれないから、ずっとここで待っててくれたんですか?」
「うふふ、内緒。でも、明日からはいないからね」
里美さんは少しくぎを刺すような形で、私にそう伝えた。
「里美さんてきっと、私なんかと比べ物にならない程優しいんですね」
「あはは、そうかも」
里美さんが茶目っ気たっぷりに笑う。
確かに絶望の淵に追い込まれた今日だったが、人生で一番と言っていいかもしれない程に私は安堵していた。
ありがとうございます。心の中、私は深く深くお礼を言った。