叶わぬ出会い
中学二年の冬、叶わぬ恋をしてしまった。きっかけは小説だった。
私は何度も同じ本を読み返すタイプで、学校の図書館で様々な本を繰り返し借りた。毎回貸出カードに名前を書くけれど、小説を借りる人は少ないようで、私の名前、尾花 悠が連続で並ぶことも少なくなかった。
ある時、数冊の貸出カードに私以外の名前が並んでいることに気がついた。木枯 怜。彼、あるいは彼女はどんな人なのだろう。同じような本を同じように何回も読んでいる。気にならないわけがなかった。
その日から、本を選ぶ基準が変わった。片端から手に取り、貸し出しカードを見ては戻す。
この時はまだ恋愛なんて感情はなかった。同じような趣味の人が、他にどんな本を読んでいるのか、ただ気になっただけ。
やっていることはちょっとしたストーカーかもと思ったけど、本人に迷惑をかけるわけでもないし、と両面本棚ひとつ、全て確認するまで続けた。
結果名前のあった本は全部で十八冊。そのうち五つのタイトルは私がまだ借りたことのないものだった。ジャンルはバラバラ。ミステリーもあれば恋愛や戦記物もある。
もちろん内容も気になった。すぐにでも借りて、彼か彼女と同じように読みたかった。
しかし私は本棚の前から動けなかった。
ある一つのタイトル。私がまだ借りたことのないものだ。一巻目には木枯怜の名前があった。
何が気になっているかと言えば、三巻目が貸出中なのだ。おそらく借主は次に四巻を借りるだろう。高鳴る胸を押さえつつ、恐る恐る二巻の貸出カードを見てみれば、なんと木枯怜が一番下に書かれている。
ハッ、といつの間にか詰まっていた息を吐き出した。三巻目の借主は、高い確率で木枯怜だろう。そして次に四巻目を借りる人も。
またと無いチャンスだと思った。
急いで受付横の藁半紙の束から一枚拝借し、お世辞にも綺麗とは言えない字で手紙を書いた。
『木枯 怜 様
突然のお手紙、こんな形でごめんなさい。
何度も貸出カードでお見かけして、
感想など語り合いたいと思いました。
よければお返事ください。 尾花 悠』
A5ほどの紙を折りたたみ、四巻の後ろ、貸出カードのポケットが貼ってあるところより一枚前のページに挟んだ。ここなら借りる時、読み始める時には気がつかないだろう。読む時はなんの雑念もなく読んで欲しい。
いい返事が来たら嬉しい。むしろ気味悪がられるだろうか。
急ぐ心音を聞きながら、木枯怜を追いかけようと一巻を開く。
とっぷりと日も落ち、いつの間にか野球部の声も聞こえなくなっていた。あと少し、あと少しで読み終わるからと、読むペースをあげ、図書委員に小突かれながら最後のページを捲る。
はらりと落ちた一枚の紙。
半分に切られ、丁寧に折られたルーズリーフ。中にはこれまた丁寧な字で『あなたならこの本を手に取ると思いました。』
なんと言うことだろう。木枯玲も全く同じ思考をしていたのだ。趣味が似ているのだから当然と言えばそうかもしれない。しかし先回りするだなんて。してやられた。
悔しいやら嬉しいやら。複雑な気持ちを抱えながら四巻に挟んだ紙を抜き取った。書いた文の上に線を引き、『負けました。次は二巻を読みます』と書き殴った。
図書委員に謝りながら帰路につき、無事家に帰り寝支度まで終えたが、帰り道も、夕飯の内容も、一巻の終わり方も、何も覚えていなかった。
明日には返事が来るだろうか。いや、むしろ図書室に行けば会えるかもしれない。なんて、明日が祝日であることさえ忘れ、木枯怜のことだけ考えた。この時点で多分な好意は抱えていたと思う。
興奮で頭は冴え、眠れる気がしなかったが、ことのほかすんなり寝入ることができた。
翌日、母に「今日は学校ないでしょ」と言われるまでウキウキと支度をしていた。ひどく落胆したが、木枯怜も休みなのだから、と自分を納得させた。
そして登校日。早めに学校へ行き、取りつかれたように図書室へ向かった。二巻を引っ掴み、急く気持ちを抑え、徐にページを捲る。
私の心は歓喜に包まれた。最初のページに挟まった小さなメモ用紙。そこにはアドレスと、『もしかして、朝に来た?』と言う丁寧な文字。
ああ、どうしてこの人はこんなにも私のことがわかるのだろう。
おそらくこの時から、憧憬と少しの恋心が生まれていた。
早速アドレスを登録してメールを送る。とりあえずきっかけとなったタイトルの一巻の感想と、自分が今二年生であることを伝えた。
返信は昼休み開始とほぼ同時に届いた。同学年らしい。昼休み終わりに私が返しては、また放課後に届く。その次は朝。
一ヶ月間毎日、電子上の文通は続いた。
同じ本を読み、同じところで感銘を受け、同じ想いを抱き、同じ先を予想する。
運命の相手だと、思ってしまった。
出会い方も、こんなに近しい感性も、一等特別なものだと思った。生き別れの双子だと言われても信じるだろう。
未だに木枯怜の性別はわからないけれど、正直どちらでも良かった。
ただ、この人に会いたかった。会って、おすすめの本を贈りあって、感想会を開いて、二人で新しい本を探しに行って、隣にいながらそれぞれ本に浸る。そんな関係になりたかった。
三月入ってすぐ、いつもとは違う時間帯にメールが届いた。
『言わなければいけないことがあるんだ』
この一文の他に場所と時間が書いてあった。明日の授業が終わる時間の少しあと。校庭の端、サルスベリがぽつんと立っている、校舎からは見づらい場所。
遂に会ってしまう。彼、あるいは彼女はどんな人なのだろう。名前を知った時と同じことを、でも少し違う意味で、想いを馳せた。
放課後本屋で自分が選びそうにない小説を二冊買った。明日、片方を渡して、感想会がしたい。
出会っても変わらない関係性でありたいと、伝えたかった。
当日サルスベリの下で待っていれば、一人の女子生徒が来た。女の子だったか、と思えば「これ、木枯から渡してくれって頼まれたの」と、手紙を渡され、彼女はすぐに去ってしまった。
封を開けてみれば、相変わらず丁寧な字で、いや、いつもより少しばかり乱雑気味な字で書かれていた。
『結局会えずじまいで、寒い中待たせてごめんなさい。家の用事が急に入ってしまったので、こうしてお手紙を預けました。
突然になりますが、尾花さんとの文通はこれで最後にします。メールも含めて。
うちの親は厳しく、小説など勉強の妨げになるとしか思っていないのです。』
『今までこっそり、学校などで読んでいましたが、来年から親戚の先生がいる進学校に通うことになったので、今までのように読めなくなりました。
同い年だと偽っていたのは、受験生だからと遠慮されたくなかったからです。嘘をついてごめんなさい。』
『この数ヶ月、今まで生きてきた中で、一番幸せでした。本当にありがとう。この思い出を糧に辛い勉強も頑張ろうと思います。
あなたにとっても、この数ヶ月が良いものだったら嬉しいです。これからも、良い読書生活が続きますように。 木枯怜』
手紙に丸いシミがポタポタと増えた。
斑点だらけの手紙を、破かないよう丁寧に畳んで封筒にしまった。
二冊の文庫本が、ハードカバーのように重たかった。