五 「何でバスタオル一枚!」
「聞こえますか、聞こえますか」
ペシペシペシッと頬を叩かれる。
琴吹はうっすらと目を開けた。ほんのりと硫黄の匂いが鼻を突き、そのせいなのか軽い吐き気を覚える。
「お名前、言えますか」
ペシペシペシッと頬を叩きながら女性の甲高い声がそう問いかける。
泉の顔が目の前にあった。
「お名前、言えますか」
もう一度問いかけられ、琴吹はゆっくりと口を開いた。
「湯ノ沢 琴吹です……」
「ご住所は? 町名まででいいです」
「F市……」
琴吹はついついアパート名まで言ってしまった。
「へえ、あのアパート。今度遊びに行くわぁ。携帯番号は?」
別の女性の声がする。大人っぽいセクシーな声だ。
「080……」
「妃永さん、やめろで」
苛々した泉の声が遮る。
意識のはっきりしてきた琴吹の頬に、もう一度強めの平手打ちが食らわされる。
「たっ」
「あら、痛いって」
大人っぽい感じの女性が面白がるように言う。
「お名前。もう一度言ってください」
もう一度か。さっきも言ったのにとぼんやりと思いながら口を開いた琴吹の目の前に、バスタオルを巻いた巨乳が迫る。
「へっ?!」
「もう一度。名前」
動揺して目線を逸らした先には、瓢箪柄の手拭いを巻いたボリューミー過ぎるバスト。
「ふぇ?」
思わずおかしな声が出てしまう。
「うゎ。ちょ、ちょっと待って」
タイルの床に手を付き、思わず琴吹は起き上がった。途端に自身が全裸なのに気づく。
「うわわわわわー!」
下半身にタオルは置かれていたものの、女性二人の前でこれとか。股間を押さえて臀部で後退る。
「一応、救急車呼んだから。乗って行って」
バスタオル一枚だけを巻いた泉がそう言う。
「何でバスタオル一枚!」
琴吹は声を上げた。
ややぽかんとして泉がこちらを見る。
「さっき湯に落ちてびしょ濡れになったがらでないの。服、澪ちゃん家で乾かして貰ってんの」
何が問題なのかという顔をする。
貞操観念がちょっと違うんだろうか。琴吹は体育座りで縮こまった。
「おっぱい二人分くらいで動揺するなんて、可愛いぃぃ」
二十代前半ほどの黒髪の美女がけらけらと笑う。
先ほど「妃永」と呼ばれてたのは、この人だろうか。
顔立ちのくっきりとした美女顔と長い黒髪、瓢箪柄の手拭いを巻いた大ボリュームのバストは見覚えがあったが、下半身は今は大蛇ではなかった。通常の人間と同じ二本脚だ。
括れた腰と美脚。大人っぽい綺麗な顔にぴったりだ。
モデル並み……と、そこまで考えて琴吹は再び臀部で後退り壁に背中をぶつけた。
下半身まで覆う波打つ黒髪で気付かなかった。
下には何も着けてない。
「パパパパパンツ! パンツ履いてください!」
琴吹は体を更に縮こませて喚いた。
「んあ?」と呟いて妃永が泉を見る。
「泉ちゃんも履いてないのに、何であたしだけ?」
泉を指差す。
「妃永さん、そういうこと言わねで」
泉が顔を顰めた。
「だいたい、湯ノ沢さんがのぼせたの、妃永さんのせいだべ? あんまり迷惑だと調伏するで」
「こっわ」
妃永が肩を竦める。
「意識戻ったなら、救急車の誘導して来るな」
泉はそう言って立ち上がり、脱衣場の方に向かった。そのまま履き物を履き、紺色の暖簾を捲って男湯を出て行く。
サンダルらしき音が遠ざかって行くのをしばらく聞いてから、琴吹は、はっと目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待って。あの格好で誘導すんの?!」
「そうじゃない?」
タイルに脚を崩して座り、妃永がけらけらと笑う。
「ううううら若い女子高生が?! え、ちょっと待って」
「この辺、湯上がりの浴衣で歩く人がちょくちょくいるから、あんまり気にする人いないんじゃない?」
妃永が崩した脚の上に肘を付く。
出来ればそれ以上おみ足を開かんでくださいと琴吹は心の中で懇願した。
「そ、そういうものなんですか……?」
「海水浴場の周辺も、水着で歩いてても誰も気にしないでしょ?」
「……知りません」
「あ、そうなの」と妃永が答える。
「彼女と海行ったこと無いの?」
「彼女いませんし。男子校だったから」
琴吹は答えた。
「ああー!」と声を上げて妃永が再びけらけらと笑い始める。
「だから、おっぱいに免疫ないんだぁ。童貞くんだぁ」
何が愉快なのか、けらけらけらと愉快そうに笑い続ける。
「いいいいいや、そういうのに俺、かかか価値があると思ってませんし」
魔法使いまでまだ十二年あるし。全然おかしくないと思う。
「泉ちゃんにお願いしたらぁ?」
けらけらと笑いながら妃永が言う。
途端に泉のカットソー越しに揺れた胸や、先程のバスタオルを巻いた胸が頭を過る。
「いいいいず……湯守さん、け、経験あるんですか?」
「全然」
妃永はますます笑った。
「ある訳ないじゃぁん。色気ないもん。見て分かるでしょ」
分からないですと琴吹は内心で答えた。
「いやつうか……あの」
もう話題を変えようと琴吹は思った。別の話は無いかと脳内を探る。
「さっきの調伏って? 修験者みたいなこと言ってたけど」
「修験者みたいなこと出来んのよ。ここら辺の湯守って、大半は近くのS山にいた修験者の子孫だから。戦国時代が終わったくらいの頃に、温泉地の管理人の地位を賜ったの」
妃永が髪を掻き上げる。
「ま、今は、ただの市役所の嘱託なんだけどね」
そうと続けた。




