二十 「ご迷惑……かけまふ」
入浴場にもうもうと湯気が上がる。
湯船に浸かり、琴吹は、はあっと大きく息を吐いた。
以前は熱すぎて数秒ほどしか入っていられなかった共同浴場の湯は、今では三十五秒ほどは入っていられる。
本当に慣れてきたなと思う。
初日は不安で仕方なかったが、今では熱い湯で暖まった身体で布団に入る瞬間が気持ち良くて幸せだ。
アパートでの女子会はその後さすがに無くなったが、澪が、お婆ちゃんとお母さんがと言って、いくつかのタッパーに入れたおかずや炊き込みご飯をくれる。
四年間コンビニ食中心になるかなと思っていたので、もの凄くありがたい。
第六志望くらいで来た土地だったが、大当たりかなと思った。
湯気を逃がすために大きく開けられた窓からは、夜空と向かい側の観光ホテルの明かりが見える。
ふぅっと琴吹は息を吐いた。
先程まで一緒に入浴していたご老人二人はとっくに上がり、入浴場の中は一人だ。
伸び伸びとした気分で身体を反らした。
脱衣場と入浴場を隔てるガラスの引き戸が、開く音がする。
おっと、他の入浴客かと思い、体勢を直した。
入って来たのは、泉だった。
Tシャツと短パン姿で、髪をポニーテールにしている。
「すぐ済むがら、気にしねで」
そう言い、小さな試験管のような容器で湯を少し取った。
泉質検査だと前に一緒に入浴していたおじさんがいってたか。定期的にやる決まりらしい。
そういや前に、泉質検査に現れた泉が湯船に落ちてびしょ濡れになったことがあったなと思い出し、琴吹はついつい湯の中で彼女に背中を向けて縮こまった。
「今回は、申し訳ねがったな」
背後で泉がそう言う。
「まさか源泉の掃除手伝って貰うつもりが、あんなんなると思わねがった」
「いや……」と琴吹は苦笑した。
「結果的に大丈夫だったし」
いい子なんだなと思ったが、どちらかといえば入浴場から上がった後にして欲しかった気が。
「婆ちゃんに相談しながら、やっと片付けだ。湯ノ沢さん居ねがったら無理だったかもしんね」
あの時スマホで喋ってたの、お婆さんだったのか。
本来の湯守とか言ってたっけと琴吹は思い出した。
「湯ノ沢さん、弱っちそうだと思ってだけど、結構頼りになんだな。婆ちゃんもうちに来て修行すっかって言ってだ」
湯船に入ってからそろそろ三十五秒だ。湯から出たいが、泉はまだ背後にいるんだろうか。
熱い。
申し訳ないが、危機感で泉の話を聞くどころではない。
「一緒に修行できだら楽しいかもな。湯ノ沢さん、面白え人だし」
目の前に薄暗い雲がかかる。
「湯ノ沢さん?!」
泉が声を上げる。
口元でしばらくブクブクと泡が立った後、脇をグッと掴まれる。
意識が朦朧としたが、湯から引き上げられるのは分かった。
何とか自分で手足を動かす。
女の子に全裸で引き上げられるとか凄え恥ずかしいと思うが、「大丈夫だから」と口にする余裕もない。
何とか横たわったタイルの上で、泉にピシャッと頬を叩かれる。
「お名前、言えますか!」
「ゆ……湯ノ沢、琴吹でふ……」
「ご住所! 町名まででいいです」
「F市……」
以前よりも湯に慣れていたせいか、今回は意識を失くすところまではいかなかった。
「一応、救急車呼ぶがらな」
泉が脱衣場から出ていく足音が聞こえる。
「ご迷惑……かけまふ」
下半身にタオルすら掛けられてなかったことに気づいたのは、救急車の到着を知らせに泉が戻ってきた時だった。
終




