十 「あたしが守ってあげる。あたしの奴隷にならない?」
具合の悪さが薄れてきた。澪に手伝ってもらってガスマスクを装着し直す。
泉も自身で着けていた。
「な……何なの、あれ」
琴吹は女の登って行った崖を横目で伺った。
「アクロバティックサラサラ」
取り出したスマホをスクロールしながら泉が言う。
「いや……上手い描写はいいから」
琴吹はヘラッと苦笑いした。
超アクロバティックな動きに、長いサラサラ髪だからアクロバティックサラサラって。
いつも割とツンツンとした表情の泉だが、そういう面白いこと言うんだと琴吹は思った。
「冗談言ってねえ。十年くらい前からネットに目撃情報出てる」
泉はピンク色のスマホの画面をこちらに向けた。
アクロバティックサラサラを説明した動画が表示される。
異常に優れた身体能力で、建物から建物、走っている車の上にまで飛び乗り追いかけて来る長身の女。
赤い帽子と赤いワンピース、長いサラサラの黒髪が特徴。
目を合わせたら、逃れる方法は無し。死ぬまで追いかけられる。
「は……?」
琴吹は固まった。先ほどバッチリと目が合ったんですが。
「この辺の市町村が特に目撃情報多いんだ」
泉が平然とスクロールを続ける。
「え……あの、さっき」
琴吹は恐る恐る問いかけた。口元がひきつる。
「目が………」
「合ってだな」
泉がさらっと言う。
「し……死ぬまで追いかけられるって……」
「それなんだけどな」
うぅん、と呟いて泉が首を傾げる。
「あぁら、大丈夫」
琴吹の両肩に、するりと白く細い腕が巻き付く。
狐の美女が背後から琴吹の耳元に息を吹きかけた。
「うひゃっ」
変な声が出る。
「あたしが守ってあげる。あたしの奴隷にならない?」
「どどどど奴隷って」
「あたしの着付けを手伝ったりぃ、抱き枕になったりぃ」
着物の裾がはだけて、すらりとした白い生足が覗き琴吹の脚に絡みつく。
「だだだだ抱き枕っ」
妖怪の美女って、痴女みたいな人しかいないんだろうか。琴吹はつい前屈みになった。
泉が、すっと顔を上げてこちらを見る。
「いいいいず……湯守さん」
「究極の選択だな。玉藻姐さんの奴隷と、悪皿に追っかけ回されるのと」
「あ、悪皿って何」
「アクロバティックサラサラの略だって」
泉が再びスマホを見る。
「食中毒フラグ立った料理とか連想するな」
澪が泉のスマホを覗く。
「あの女、あたしのこと蹴りやがったのよ」
狐の美女が不機嫌な声音で言う。琴吹を抱き締めているのかヘッドロックしているのかよく分からない体勢で身体を密着させてくる。
巨乳がグググッと背中に押し付けられ、琴吹は無言でそわそわと両脚を擦り合わせた。
「お陰で崖から落ちて、源泉の上に来ちゃった」
「湯が硫黄臭かった理由は分がったけどな」
泉が言う。蹴ったというのは石の状態のときか。やや時間を置いて琴吹はそう理解した。
「姐さん、源泉の上から自力で動けねえ?」
「無理ぃ」
美女がなぜか喘ぐような口調で答える。
「んじゃ後で人頼んで動かしに来るしかねえな。今日は掃除は出来ねか」
泉が前髪を掻き上げる。
「んで、湯ノ沢さん」
泉がこちらを見る。
後方からの巨乳と生足の攻撃で不自然に下半身をモゾモゾさせていた琴吹は、「はひっ」とおかしな声で返事をした。
「とりあえず今日は、澪ちゃんが書いた御札渡すから。何かあったらあたしのスマホにかけて」
「み、澪ちゃ……さんの」
澪がリュックから御札を取り出した。
「どうぞっ」
両手で御札を持ち、琴吹に差し出す。
身体を屈ませた不自然な体勢で琴吹は手を伸ばした。
「御札って……凄げ。澪ちゃんって巫女さんか何か?」
表面に書かれた立派な筆文字を琴吹は見詰めた。
「ううんっ。普通の高校一年生」
澪が明るく答える。
「……え」
「近くのお不動さんで御札書くアルバイトを募集するときあるんだけど、あんまり人が集まらないんだよね。で、うちの商店に書いてってお仕事が来るの」
にこにこと夢がぶち壊れることを言う澪の顔を、琴吹は絶望的な気分で眺めた。
「あ、何ですか、その顔」
澪が唇を尖らせる。
「大丈夫ですよ。宮司さんに言われてる通り、ちゃぁんと心を込めて書いてるんですから」
澪が可愛らしく握り拳を作る。
不気味な女に取り殺されるか、美女狐の奴隷か。選ぶなら奴隷の方だろうかと琴吹は思った。




