数学の授業で恋の方程式の解法を教えてくれ
僕は、意気地なしだと思う。
いつから好きだったなんて、誰に自慢できるわけでもない。
むしろ、何年も内に秘め続けて行動に移せない弱さの証明だ。
一途なんて言えば、聞こえはいいけれど。
今年で十七になったから……もう七年。
片思いなんだと気づいて、もう三年。
仕方ないよね。あいつの好きな蓮はいいやつだし、かっこいいし。
僕と違って行動力もある。
変に意識しちゃうせいで、「一緒に帰ろう」も言えなかった僕と違って。
初めて勇気を出したあの日を、今も思い出す。
「ごめん、今日レンくんと帰る約束しちゃったんだ。」
いい加減忘れてしまえよ、なんて。
何度自分に言い聞かせても、無理なものは無理なんだって。
いっそのこと、早く二人がくっついてしまえばいいのに。
そんなことを思うようになったある朝、僕はある噂を耳にした。
「ねえ、あれほんとかな。蓮くんと美鈴ちゃんが付き合い始めたって。」
美鈴というのは、蓮と同じで小学校から一緒の女子の名前だ。
学校一の美少女と有名で、気取らない性格の彼女は学年を問わず人気がある。
また、たいそうモテるにもかかわらず、浮かれた話を聞かないことでも有名だった。
その噂は、僕に少なくない衝撃を与えた。
だって、違うんだもん。
てっきり僕は、蓮の相手はあいつだと思っていたのに。
「まなかちゃんに聞けばわかるんじゃない?」
そう言ってクラスの女子たちは去っていった。
その後も一日中、衝撃は僕の中を駆け巡り続けた。
放課後、園芸部の部活で花どもを愛でているときでさえ、そのことで頭がいっぱいだった。
そのころには、衝撃はかすかな希望に変わりつつあった。
もしかしたら、まだ希望があるのかもしれない。
あいつと蓮がデキてないってことは、もしかしたらまだ……。
ふと、視界の端に人影があることに気づいた。
いつもならそんなの気にしないんだけど、なんとなく顔をあげてみると、そこにいたのは一人の男子生徒とあいつだった。
何かを話しているようだけど、少し離れた僕にもわかるほど異様な雰囲気があった。
確かめるまでもなく、告白の現場だ。
僕はとっさにその場を離れた。
フレンドリーな性格で、誰とでも仲良くなれる彼女は美鈴ほどではないにしても人気がある。
僕と同じように、蓮とのつながりの可能性が絶たれた今をチャンスと見たのかも入れない。
ただ僕と違うのは、その行動力の有無だろう。
結果を確かめる勇気も、ない。
あいつとしても告白していた彼としても、あの現場を見られたくはなかっただろうし、あいつに「何で知ってるの?」って言われたら答えられない。
僕はこの一件を忘れ去ることを決意した。
といっても三年前の出来事すら忘れられない僕にできるわけもなく、一晩中考え続けて寝られなかった。
次の日、僕はその結果を知ることになる。
三年前のあの日に負けず劣らずのどん底にいた僕にとって、それはある意味では希望で、ある意味では絶望だった。
教室で、美鈴と奴が話しているのを盗み聞きしただけなのだけど。
「結局どうするの?」
アレはやっぱり告白だったようで、その時点ではまだ返事をしていないようだった。
美鈴の問いに奴が答える。
「……やっぱり断ろうと思う。だって、アドバイザーはいつでも中立でいないといけないかなって。」
そう言って奴は笑う。
奴はしょっちゅう友達の相談に乗っている。
恋愛や勉強、部活に友人関係。なんでもござれで的確なアドバイスをくれる。
とくに恋愛関係に関して超強いらしくて、どんな恋愛経験をしたらああなるんだって噂されていたりする。
奴が恋愛をバチバチしてるイメージなんてないから、その知識はどこから来てんねんって思うけど、アドバイスできるってことは知らないところでやっぱりそうなんだろうなって。
ちょっと悔しいけど。
奴が告白を断ってフリー継続ってことは希望。
断った理由からして僕は絶望。
美鈴たちの会話を聞いたのは朝のこと。
そのあと、絶望に打ちひしがれて半日つぶしてあっという間に放課後になった。
「ケイタ。」
人の減った教室で、蓮が僕の席にやってきた。
「蓮。」
「今日、一緒に帰らね?」
「……珍しいね。部活は?」
「今日はオフ。」
ブラックで有名な吹奏楽部は木曜が定休らしい。
なんとなく教室を見回したが、奴の姿はなかった。
「いいよ。帰ろう。」
中学のころはよく蓮と一緒に帰ったものだ。
僕が勝手に距離を置くまでは。
そんな僕をまた誘ってくれた蓮は仏か何かか?
帰り道、あのころこんなことした、こんなことがあった、なんて思い出話をしながら歩いた。
そのなかにちょくちょく奴の名前が出てきて複雑な気持ちになる。
「そうえば、美鈴とは帰らなくていいの?」
「え?」
「付き合ってんでしょ?」
「えっと……そうだよ。おまえも知ってるんだな。」
「……まあ、噂になってるからね。」
蓮は返答に困っているようだった。
困るような質問をしたつもりはなかったんだけど……。
「実は美鈴が一緒に帰ればって言ってくれて……。」
「……え?」
「あ、ちょっと今の忘れて。」
本当に意図がわからない。
小学校からの中とはいえ、別に美鈴とよく話すわけでもないし、蓮に僕と帰ることを勧めるって何事?
「あ、この公園でメントスコーラしたよな。な、なつかしいなぁ。」
蓮は無理やり話題を変えてきた。
「ああ、したね。そうえば。」
その公園の前を通り過ぎようとしたとき、蓮の携帯が鳴った。
「美鈴からだ。……なんか呼んでるから学校戻るわ。」
そう言って蓮は学校とは逆の方向へ足早に去っていった。
本当に謎すぎて訳が分からない。
少なくとも途中までは普通の蓮だったし、中学のころと変わらない彼に懐かしさを感じていた。
おかしくなったのは美鈴のことを聞いてからだから……何か地雷を踏んだのかもしれない。
明日謝ろう。
そしたらもしかしたらまた話せるようになるかも、なんて。
そんな期待してないさ。ないったらない。
ドンっ
唐突に、背中に衝撃を感じて自分が道の真ん中で棒立ちだったことに気づく。
「あっ、すみませ……?」
とっさに振り返ろうとして、後ろから回された腕に気づく。
加えて背中に感じる確かな存在感。
「……けいちゃん。」
今も僕のことをそう呼ぶのは一人しかいない。
「大井さん?」
僕の片思いの相手。
ずっと、好きだった人。
その彼女が何でここに?
「なんでよ。」
「え?」
「前は名前で呼んでくれたじゃん。なんで呼んでくれないのよ。」
「……まなか。」
ぎゅっと、少し締め付ける力が強くなって、
「……はい。」
か細いまなかの返事が聞こえた。
まなかがいるのが後ろでよかった。前にいたなら、どんな顔をしていいのかわからなかった。
はずかしいような、落ち着くような。でもちょっとうれしいような。
「ごめん、距離を取ろうしたわけじゃないんだ。なんか……いや、でも……ごめん。」
まなかの返答は、ない。黙って後ろにしがみついている。
なんでって言われても、言えるわけないじゃん「好きだから」なんて。
今それが言えるならもっと前に告白してるで。
昨日、あそこにいたのは名前も知らない男子生徒なんかじゃなくて、僕だったはずだ。
できないから今、こうなんだって。
「……」
耳から心臓が飛び出そう。
頭に血が上ってくらくらする。
まともなことを考えられている気がしない。
好きな人がすぐそこにいるのに、密着しているのに……。
密着してるせいだろこれ!
絶対向こうは僕の鼓動に気づいてるだろうし、僕も背中に伝わる鼓動に気づいてる。
もう心臓が一つになってるんじゃねってくらいわけわかんない。
「……好き、だから。」
言うしかない、そう思った。
ほんとはもっとロマンチックに、『ずっと前から』とか勝率上がりそうな言葉と一緒に言いたかったんだけど。
なんのこだわりもないアスファルトの上って何だこれ。
こんなとこで言うなよって思われたかな。
てか、まなかは怒っているんだろ?俺に。
なら勝率もクソもないじゃないか。
なんにせよ、僕の片思いもここでおわり、と。
「知ってる。」
「……なんて?」
「知ってる。」
えっ?
知ってる?
「私も、好き。」
そう、か。
なんかほっとした。
もちろんうれしい。ずっと好きだった理想の人が好きだなんて、これ以上ない喜びを感じてる。
でも、好かれる喜びよりも嫌われる悲しみのほうが大きいみたいだ。僕は。
「じゃあなんで今まで……その、言ってくれなかったんだ?」
「だってけいちゃん、私がレンくんと付き合ってるって勘違いしてたでしょ?」
「うん。」
「それで好きなんて言ってもさ、男の子キープしてる悪女みたいじゃん。」
「それで?」
「……それだけ、だけど。」
「言えばいいじゃん。違うよって。付き合ってないよって。」
「……うん、たしかに。」
なんか責めているような口調になってしまった。
そんなつもりはなかったんだけどな。
「まあ、ありがと。」
「……うん。」
その声は静かだったけど、どこかうれしそうに聞こえた。
「あの、そろそろ離れない?」
何がとは言わないけど、当たってるんだ。ずっと。
意識をそらそうとしても無理なものは無理。
起き上がってくる前に……
……
起き上がってきても抱き疲れてるの後ろだし問題ないんじゃね?
今更だけど、離れないほうがいいんじゃね?
そんなことを考えている間にまなかはパッと離れてしまった。
「ご、ごめんねっ!」
名残惜しいなんて、言ったら笑われるだろうな。
感想待ってます