第32話 昭野島沖海戦(下)
「お願い、掛かって!」
未来がイグニッションキーを回してエンジンの再始動を試み、セルモータの空回りする耳障りな甲高い音が鳴り響く。
京平は自動拳銃から空になった弾倉を取り出し、最後の弾倉を勢いよく挿入した。
後退していたスライドがカシャッという音を立てて前進する。
もはやこれまでか。
そう思った次の瞬間、再び影が差した。
腹に響くロータ音とともに漁船の真上を海保のヘリコプターが通過し、高度を下げながら一直線に敵船に突っ込んでいく。
敵船はヘリコプターから逃げるように進路を変え、船上の戦闘員らは大慌てで自動小銃を空に向けて発砲する。
ヘリが側面ドアから何かを投下した。
敵船の正面に、着水の水飛沫が上がる。
敵船はそれを回避するため、急旋回でさらに進路を変えた。
離脱に移ったヘリに対し、敵船の甲板上の戦闘員二人がさらに激しく銃撃を加える。
ヘリの機体が着弾の火花を散らし、ロータ下の排気口から黒煙が噴き出した。
エンジンに小銃弾が直撃したらしい。
ヘリは不安定に揺れ動きながら、対空射撃の中を飛び去ってゆく。
「掛かった……!」
海保のヘリコプターが敵船の気を惹いてくれている間に、漁船のディーゼルエンジンが奇跡的に息を吹き返した。
その間に、京平も散弾銃へのショットシェルの装填を済ませ、ついでに足元に散らばっている邪魔な空薬莢を足で払って退けた。
ディーゼルエンジンが妙な音と振動を発しながら、不満げに漁船を加速させ始める。
京平は立ち上がり、一時的にこちらの存在を忘れてヘリコプターへの銃撃に集中している敵船に散弾銃を向けた。
五十メートルほど離れた敵船の上に狙いを付け、引鉄を引く。
銃声。
狙ったのはキャビン上のロケット砲手の男だったが、散弾は甲板上に立って空に自動小銃を向けていた戦闘員の背中を直撃した。
戦闘員は背後からタックルでも食らったかのように吹っ飛び、船から転げ落ちた。
敵船の向こうで、落水の水飛沫が上がる。
もう一人の戦闘員が振り返り、こちらに向けて自動小銃を撃ち始めた。
京平が散弾銃を撃ち返す。
敵船の至近距離の海面が弾けた。
敵船は、被弾し船から落ちた仲間を助けることもなく、船を後ろに傾けて加速しながらこちらに向かって来る。
「仲間思いな連中だな」
京平は皮肉を言いながら散弾銃に弾を装填し、敵船に向けて数発発砲。
撃ち尽くす前にポケットからショットシェルを取り出し、また装填する。
夏海も自動拳銃を敵船に向け、連続して発砲する。
敵船の甲板上で自動小銃の発砲炎が瞬き、漁船のすぐ後ろの海面が白い水飛沫を立てた。
着弾の水飛沫が、漁船を追いかけるように一直線に迫って来る。
船体後部で火花が散り、そして次の瞬間、京平は左肩に強烈な衝撃を受けて後ろに倒れた。
目の前に、一面の青空が広がる。
「お兄ちゃん!」
遠くで、夏海の悲鳴が聞こえる。
「京ちゃん!」
視界の上のほうに微かに見える操縦席で、振り返った未来が叫ぶのが分かった。
未来が操縦席を飛び出し、その後ろで、操縦席のメータ類が小銃弾を食らって細かい部品と火花を飛び散らせ、フロントガラスが木端微塵に砕けて落下する。
未来が悲鳴を上げながら倒れ込むように京平に飛びつき、下敷きになった京平の左肩に激痛が走った。
「痛ってええぇ!」
被弾の衝撃で麻痺しかけていた意識が、強烈な痛みによって瞬時に再起動する。
「大丈夫!?」
「いいから俺から手を退けろ!」
京平は、よりにもよって左肩に体重を乗せてきた未来を右手で押し退けた。
左肩が焼けるように痛む。痛みに混じって、生温い液体が左腕を伝って流れていっているような感覚を感じる。
視界の左下に映る左腕は、やはり真っ赤に染まっていた。
京平は、恐らく穴が開いているであろう左肩を直視する気にはなれず、目を逸らした。
敵弾が船体を叩く音と、至近距離を駆け抜ける銃弾の風切り音が京平たち三人を威嚇する。
銃弾が船体に穴を穿ち、黒煙を噴きながらもなんとか動いていたエンジンの振動が消える。
またエンジンが被弾し、今度こそ完全に死んだようだった。
「どうするの!?」
夏海が京平に叫ぶが、京平は痛む肩を押さえて青い空を見上げたきり、何も答えなかった。
はっきり言って詰みだった。
多少の時間を稼いでくれた海保のヘリは何処かへ飛び去り、本土は百キロも先。
エンジンが破壊されたため敵船からの逃走を続けることは出来ず、残弾も僅か。
回避も応射も出来ないこちらは、敵の小銃とロケット弾の良い的だろう。
この半日で数々の修羅場を潜り抜けてきたが、もはやこれまでだ。
「まさか、諦めるの?」
未来が、諦念に身を沈めつつあった京平に冷や水を浴びせるかのように言った。
京平を見下ろす未来の瞳は怯えに揺れていたが、そこに諦めの色はなかった。
「最後まで抵抗してやる」と宣言し、弱気を振り払うかのように勢いよく引かれたミニUZI短機関銃の槓桿が、乾いた金属音を大海原に響かせた。
そうだ。ここで死のうとも、せめて最後まで戦い、カルトのクソ共をもう一人くらい殺してやろうじゃないか。そして、あわよくば全員殺してこの戦いに逆転勝利する。
残弾は僅かとはいえ、あと斉射一回ぶんくらいはあるのだ。
「夏海、使え。ロケット砲を狙うんだ。未来は船首のライフルの奴を狙え」
京平は、夏海に散弾銃を押し付けるようにして渡した。
反動のきつい散弾銃は、左手が使えない京平にはまともに撃てない。
夏海はホールドオープンした拳銃を捨て、無言で散弾銃を受け取った。
京平は腰のホルスターから拳銃を抜く。
拳銃も散弾銃も、弾倉内の数発が最後の銃弾だ。未来の短機関銃も、予備の弾倉はなかったはず。
次の射撃が最後になるだろう。
動力を失った漁船に、敵船がどんどん近づいて来る。
敵船との距離が三十メートルを切った。
僅かに頭を上げた京平には、獰猛な笑みを浮かべるロケット砲手が発射筒の引鉄に指を掛ける様子すら見えた。
京平は上体を起こし、右手を伸ばして自動拳銃を構える。
狙うは、敵船のキャビン上に上半身だけ出しているロケット砲手だ。
未来と夏海も勢いよく起き上がり、立膝の姿勢で短機関銃と散弾銃を構える。
漁船を捉えた敵弾が着弾の音をかき鳴らすが、三人は動じることなく敵に狙いを定めた。
「撃て!」
京平が拳銃の引鉄を引いた。
乾いた銃声が鳴り響く。
それに続いて、未来と夏海の短機関銃と散弾銃も銃口から火を吹いた。
拳銃の軽い発砲音と短機関銃の連射音、散弾銃の一際大きく重い銃声が入り混じる。
轟音とともに、漁船と敵船の間の海面が連続して爆発した。
陽光を受けて輝く白い水柱の列が、まるでカーテンのように敵船を覆い隠す。
京平たち三人は驚きに目を見開き、あり得ない威力を発揮した自分の銃をまじまじと見遣った。
『こちらは海上保安庁巡視船PLH08「えちご」である! 船名不明のクルーザーに警告する! ただちに発砲をやめ、停船せよ! その漁船は我々の保護下にある! さらなる攻撃を行えば、我々は該船の保護のために必要な措置を取ることになる!』
拡声器を通して数百倍に増幅された男の声が、どこまでも広がる濃い青色の海に響き渡る。
声のほうに目を向けると、純白の大きな船が二、三百メートル先にいた。
白い船の側面に描かれた青い三本線と「JAPAN COAST GUARD」の文字列。
海保の巡視船だ。
いつの間にか現れた全長百メートルはありそうな巡視船は、この漁船や敵のクルーザーとは比較にならない巨体で波を蹴散らしながら、こちらに向かって来る。
巡視船の前甲板に搭載されている大型の機関砲は、こちらに向けた砲身の先から白煙を立ち上らせ、先ほどの攻撃を成したのが自分であることを喧伝している。
「助かった……」
京平は、ホールドオープンした拳銃を握り締めていた右手を下ろした。
先ほどの前例があるので油断はできないが、拳銃は弾切れだ。
出来ることはない。
敵船は威嚇射撃に遮られて停船し、船上の戦闘員は発砲を停止していた。
ハッチから上半身を出しているロケット砲手も、肩に乗せたロケット弾発射器を空に向けて、忌々しげに巡視船を睨みつけている。
『武器を捨て、臨検に備えよ! 繰り返す、武器を捨てろ!』
速度を落としながら接近してくる巡視船のスピーカーが、音割れした男の声で怒鳴る。
巡視船は、船橋にいる紺色の制服を着た男たちの表情が分かるほどの距離まで迫って来ていた。
前甲板の大口径機関砲と、そのすぐ後ろの一段高い位置にある防盾付き回転砲身機関砲は油断なく敵船に砲口を向けている。
船橋の真下の外通路に立っている数人の海上保安官たちも、自動小銃を構えて敵船に狙いを定め、いつでも発砲できる態勢を取っていた。
ロケット砲と自動小銃で武装した敵船だが、その十倍近い全長に機関砲を二門搭載した巡視船の前には、筏も同然だった。
陽光を受ける白い巡視船が、京平には救世主か何かのように頼もしく見えた。
「主よ! 今こそ、我が信仰にお応えください!」
大海原に響き渡る絶叫。
流石の敵ももう諦めただろうという京平の予想に反し、彼らはどこまでも往生際が悪かった。
三十メートルほど先の敵船の上で、ハッチから上半身だけ外に出ている戦闘員が、発射筒を巡視船に向ける。
バックブラストの爆炎が発射筒後方に噴射され、衝撃波で敵船の周囲の海面が白く波立つ。
発射されたロケット弾は一瞬で巡視船との距離を詰め、巡視船の側面を直撃した。
着発信管が船体に接触した瞬間に弾頭を起爆させ、商船構造の薄い外板を薄紙か何かのようにぶち破り、捲り上げる。
だが、全長百メートルの巡視船を相手取るのに、携行ロケット弾一発ではあまりに力不足だった。
『正当防衛射撃!』
巡視船のスピーカーが叫んだ。
次の瞬間、敵船に向けられていた二門の機関砲と複数の自動小銃が、一斉に火を吹いた。
機関砲の腹に響く発砲音が連続し、複数の自動小銃が発する銃声を掻き消す。
二門の機関砲から発射される機関砲弾が次々に敵船に吸い込まれ、高級クルーザーだった敵船を滅茶苦茶に破壊してゆく。
京平たちを散々苦しめ追い詰めた敵船は、圧倒的な威力を持つ機関砲によって、あっさりと細切れにされていった。
曳光弾が燃料に火を点けたのか、それともロケット弾が銃弾を食らって爆発したのか、敵船が盛大に爆発し、火柱を吹き上げる。
数秒でスクラップと化した敵船は炎上しながら真っ二つに折れ、黒煙を立ち昇らせて急激に沈んでいった。
「私たち、助かったんだよね……」
最後まで海面の上に出ていた敵船の舳先が海中に没するのを見届け、夏海は手にしていた散弾銃をその場に置いた。
未来もUZI短機関銃から手を放す。
四キロ近い重さのUZIが甲板に落下し、その衝撃で付近に転がっていた空薬莢が跳ねて金属音を立てる。
京平は痛む肩を庇いながら、甲板に仰向けに寝転がった。
背中の下で空薬莢が居心地悪そうにしているが、疲れ果てている京平には全く気にならなかった。
夏の青い空が、どこまでも続いている。
耳が割れそうな音量で何か言うスピーカーの声に、近づいて来る船外機の音。
未来と夏海が両手で大きく手を振る。
横を向けば、船尾に日の丸を掲げ、紺色の防弾ベストに紺色のヘルメットという格好の海上保安官らを乗せたゴムボートが巡視船を発進し、こちらに向かって来ていた。