第30話 昭野島沖海戦(上)
敵船は着実に距離を詰めてきている。
水平線上に現れてから、十分と掛からずにこの船の後方一キロまで接近を果たし、なおも接近を続けている。
未来がその間も無線で救助要請を繰り返していたが、それに答える声が無線から聞こえてくることは、ついになかった。
海面を跳ねるように疾走する純白の敵船の上には、高そうな船に似つかわしくない真っ黒な戦闘服に身を包み、銃を持った二人の人影が見える。
「準備はいいな」
船尾の甲板上で膝立の姿勢をとる京平は、勢いよくAK―47自動小銃の槓桿を引いた。ガシャッという乾いた金属音が大海原に消える。
「さっさと片付けて、昼ご飯は本土で食べよう」
そう応じた夏海も、ミニUZI短機関銃の槓桿を引き、折り畳み式のワイヤ銃床を伸ばして肩に当てる。
「高校の近くの美味しいカレー屋さんに連れてってあげる」
狙撃回避のためのジグザク航行を始めた未来が、操舵輪を回しながら不敵に言った。
速力では敵が圧倒的に勝っているが、キャビン前の船首甲板に見える敵戦闘員は二人だけだ。
火力が同等程度ならば、敵船の一定距離以内への接近を阻止しながら逃走を続け、本土に辿り着くことも不可能ではないだろう。
ジグザグ航行によって敵の銃撃の命中率を下げ、百メートル程度まで接近されたら激しい銃撃を加え、敵にそれ以上の接近を許さない。
これを二、三時間続け、本土まで逃げ切るというのが京平たち三人の立てたプランだった。
パン! パパパパ――――
爆竹の爆ぜるような音が、足元で咆哮するディーゼルエンジンの騒音に混じって遠くから聞こえてきた。
敵船上の戦闘員二人が、自動小銃を発砲し始めたのだ。
だが、京平たちの漁船と敵船との距離はまだ三百メートル以上離れており、激しく揺れる船の上から撃って当たる距離ではない。
「まだ撃つなよ」
「分かってる。弾が切れたときが私たちの運の尽きだからね」
京平と夏海は操縦席の後ろの甲板で膝立の姿勢を取り、敵船に銃口を向けて待機する。
船が傾き、景色が流れてゆく。ちらと後ろを振り向けば、操舵輪を回す未来の肩に提げられたUZI短機関銃が、ゆらゆらと揺れているさまが目に映った。
水面に鞭を叩きつけるような音とともに、漁船の間近の海面が弾ける。狙いを僅かに外れた敵の小銃弾が、海面に着弾したのだ。
「撃ち返す?」
「いや、まだだ。十分に引き付けて撃つ」
しかし、この半日で一生分の修羅場を経験した三人は、時折近くの海面が着弾の水飛沫を立てたところで、恐怖でパニックになるようなことはなかった。
相変わらず京平の心臓はバクバクと激しく鼓動し、極度の緊張状態にあることを報せてきていたし、それは未来も夏海も同じだろう。
だが、怖気づいて銃をおっ放り出すような者は、ここにはいない。皆、必ず生き延びてやるという強い決意を抱き、銃を握っていた。
敵船との距離が縮んで行き、ついに目測で百五十メートルを切った。
京平は、既に敵船に向けていた自動小銃の引鉄を引く。
ダン――!
耳元で銃声が鳴り響き、飛び出した薬莢が鈴のような涼しげな音色を奏でて甲板に落下した。
反動で上にずれた銃口を下げ、照星と照門を敵船に重ね、また引鉄を引く。
だが、激しく揺れる船の上からでは全く当たらなかった。これでは、牽制にもならない。弾の無駄だ。
「全然ダメだ。接近阻止ラインを百メートルに縮めよう」
京平の提案に、夏海が頷く。
波による揺れとジグザグ航行のせいで、思っていたよりも狙いが付けられないが、それは相手も同じのようだ。
さっきから敵は派手に銃を撃ちまくっているが、この船を捉えた銃弾は一発もない。
敵は弾薬に相当余裕があるようなので、湯水の如く銃弾を消費しても問題ないのだろうが、こちらは違う。
少ない銃弾を温存して長期戦を生き延びる必要がある今、当たりもしない無駄弾を撃って弾切れになるような事態は避けなければならなかった。
「未来お姉ちゃん! なんか減速してるよ!」
「スロットルはとっくに全開にしてる! 蛇行しながらだとこれが限界なの!」
敵弾の命中率低下に貢献しているジグザク航行だが、代償として船速が落ちていた。
そのせいで、敵船が以前にも増して高速で接近してくる。
フルオートで乱射される小銃弾が漁船の至近の海面を叩き、細い水柱が並び立つ。
確実に、敵弾の精度が上がっている。
突如、トタン板を叩くような音が間近で鳴り響いた。それと同時に、足元の甲板を軽い振動が伝わってくる。
敵の銃弾が、この船のどこかを直撃したらしい。
「大丈夫か!」
京平は振り返ることなく、未来に怒鳴る。未来は「わたしは大丈夫よ!」と怒鳴り返した。
ついに直撃弾がでたことから、夏海がセミオート射撃を開始する。
京平も発砲を再開し、敵船の周囲の海面が水飛沫を立てる。
敵船との距離が百メートルを切った。
京平たちの応射にもかかわらず、敵船はなおも接近してくる。
敵船のキャビンの天井ハッチが開き、甲板で自動小銃を連射している二人と同じ真っ黒な戦闘服の男が現れた。
もう一人いたのか。
呑気にそう思った京平だったが、上半身だけハッチの上に出した男が、肩の上に乗せた筒をこちらに向けるのを見て、目を見開いた。
「回避――!」
未来は京平の指示に即座に応じた。
左旋回中だった漁船が反転して右旋回を始め、船体が遠心力で大きく左に傾く。
京平と夏海はよろけて甲板に手をついた。
落ちていた薬莢が一斉に左舷側に転がっていき、カラカラと喧しい金属音を立てる。
敵船のキャビン上に爆煙が生じた。
発射筒を飛び出したロケット弾が薄い噴煙の軌跡を描きながら、一瞬で数十メートルの距離を駆け抜ける。
そして、ロケット弾は漁船から十数メートル後ろの海面に突き刺さった。
轟音。
小銃弾が海面を叩くのとは次元が違う、漁船の全長を超える高さの白い水柱が生じる。
「今の何!?」
体勢を立て直した夏海が、敵船に向けたミニUZIの引鉄を連続して引きながら、京平に叫んだ。
京平も銃弾の節約など忘れてAK―47を撃ちまくりながら、「ロケット弾だ!」と叫び返す。
「あんなもん食らったら、こんな船、木端微塵だ! 敵船を近づけるな!」
「弾の節約はどうするの!?」
「仕方ない! 弾をケチってる間にロケット弾が命中したら、一巻の終わりだぞ!」
京平と夏海は撃ち尽くした弾倉を抜き、新たな弾倉を銃に挿入した。
セレクタをフルオートに合わせ、数発ごとに区切りながら発砲を繰り返す。
敵船の周囲で水飛沫が上がり、数発の直撃弾が敵船のFRP製ボディを貫く。
突如として激しくなった銃撃に驚いたのか、敵船は急旋回し、こちらに船体の左側面を見せながら離れていった。
「クソ、ヤバいな……」
この五分にも満たない戦闘で、京平は六本あったAK―47自動小銃の弾倉のうち二本を空にし、夏海もミニUZI短機関銃の弾倉一本半に相当する銃弾を消費した。
弾の消費が、想定より遥かに激しい。
現在、敵船はこの船の右側を百五十メートルほど離れて並走しており、船上にいる三人の戦闘員らは銃撃を止めている。
だが、連中に諦めるつもりがないことは、キャビンから上半身だけ出している戦闘員がロケットランチャに弾頭を取り付けていることから明らかだ。
近いうちにまた、ロケット弾と小銃弾をこちらに撃ちこもうと接近して来るだろう。
弾倉に入っていないバラの銃弾、予備の散弾銃や拳銃がまだあるとはいえ、船足でも武装でも優勢な敵船を相手に、二、三時間逃げ続けるには全く足りない。
「この調子じゃ、すぐ弾切れになって終わりだな」
「もういっそのこと、こっちから敵船に突撃して皆殺しにしてやるってのはどう?」
「……夏海、お前だいぶアグレッシブなこと言うようになったな」
京平が驚きの視線を夏海に向ける。
一時間前までは、漁港の敵を襲撃しようとしていた京平と未来に反対していた夏海が、どうしてか今や一番攻撃的になっていた。
「お父さんをあんなふうに殺した奴らを、同じように身体中に銃弾をぶち込んで殺してやりたいと思わないほうがおかしいよ」
夏海が怒りに声を震わせながら言った。
「あんなふう」と言われても、京平には父の死亡そのものが初耳だった。
生きているとも思えなかったが、死んだことを確認したわけでもなかった。だが夏海の口調からすると、恐らく発電所で父の死体を見つけたのだろう。
父がどのように殺されたのか知らないが、京平は今それを知りたいとは思わなかった。
「弾切れになる前に敵船をどうにかするのには賛成だけど、無暗に突撃したって銃弾とロケット弾を浴びて犬死にするだけよ」
銃撃がなくなったためジグザグ航行をやめ、片手で操舵輪を握る未来が、京平と夏海を振り返って言う。
京平は空になった湾曲弾倉にバラの小銃弾を一発ずつ込めながら、「あれは再装填に手間がかかるみたいだし、一発撃たせて、それから一気に突撃かましてやれば良いんじゃないか?」と提案した。
「その一発が当たったら終わりじゃない。そもそも、こっちより向こうのほうが船足が速いのよ? こっちが特攻する素振りを見せたら、向こうは逃げればいい。で、今みたいにある程度距離を取ってゆっくりとロケット弾の再装填を済ませたら、あとは好きなタイミングで攻撃に移れるわ」
すかさず飛んできた未来の反論は、もっともなものだった。
完全に論破された京平は「たしかにそうだな」と返し、小銃弾を三十発装填し終えた弾倉をベストのポケットに収める。
武器の威力でも船足でも、敵のほうが圧倒的に優勢なのだ。正面から戦って勝ち目はない。
かといって、海上には障害物など一切ないので、何かに隠れて近づき奇襲を仕掛けることも、まず不可能だった。
「未来、とりあえずまた無線で助けを求めてくれ。今度こそ誰かに届くかも」
京平が、土壇場で起死回生の名案を閃くような天才なら良かったのだが、残念ながら京平は凡人だ。
ない頭を捩じ切れんばかりに捻ったところで、一発逆転のウルトラCを思いつくことはなかった。
「……分かった、一応やってみる。
メーデー、メーデ―、メーデー。わたしたちは今、カナリア聖教の武装船から攻撃を受けています。現在地は、昭野島から南に三十五キロの海上。誰か応答を――」
未来が、あまり期待していなそうな声を無線機のスピーカーマイクに吹き込み始めた直後、遠くからパパパパ! という発砲音が聞こえてきた。
京平は、百五十メートルほど距離をおいて並走する敵船に視線と銃口を向ける。
AK―47の簡易的な照準器の向こうで、甲板上の戦闘員二人と、ロケット砲を脇に置いて短機関銃に持ち替えたキャビン上の戦闘員の計三人が、こちらに銃口を向けて発砲を再開していた。
敵船が舳先をこちらに向け、猛然と加速を始める。
無線で助けを求められるのがよほど嫌なようだ。
「掴まって!」
スピーカーマイクを無線機に戻した未来が怒鳴る。
京平は左手でAK―47の被筒を握ったまま、右手を銃把から離し、船のへりを掴んだ。
直後、船が左旋回を始めた。遠心力で倒れそうになるのを右手だけで支える。
「とりあえず逃げてるけど、この後どうするの!?」
未来が肩越しに京平を振り向く。進路変更を終え、遠心力がなくなったので、京平は右手を船のへりから離し、ディーゼルエンジンの咆哮と波の音に負けないように怒鳴り返した。
「さっきまでと同じように逃げ続けろ! もう、それしかできることはない!」
立膝の姿勢を取った京平は、自動小銃の銃床を右肩にしっかり当て、右手で銃把を握り、左手で被筒を保持した。
銃床に頬を当てて照準器を覗き込むように首を傾け、照星と照門を一直線上に重ねる。
京平は、揺れて見える敵船が照準器と重なった瞬間、引鉄を引いた。
ダダッ――!
指切り射撃の小銃弾二発が、敵船の前の海面を叩く。
反動で上がった銃口を戻し、再び発砲。
隣の夏海も短機関銃のセミオート射撃を開始し、潮の匂いとディーゼルの排気の臭いに、硝煙の刺激臭が混じった。
突如、トタン板に超音速の石礫を叩きつけるような音が鳴り響いた
敵弾が再びこの船を捉えたのだ。
薄いアルミ製の船体は易々と小銃弾に貫通され、操縦席の未来が悲鳴を上げる。
「大丈夫か!?」
京平は咄嗟に未来を振り向いた。
未来はその場にしゃがみ込んでおり、レーダのCRTディスプレイが画面中央に開いた穴から薄煙を吐いているのが目に入った。
「わたしは無事! ……ああ、もう最悪! レーダと無線機がやられた!」
スピーカーマイクをダッシュボドに叩きつけて苛立ちを露わにする未来。
京平は未来が無事だったことにひとまず安堵し、敵船に視線を戻したが、頼みの綱の無線機がやられたのは最悪だった。
夏海が敵船に猛然と撃ち返し、ほぼ繋がって聞こえる銃声が隣で鳴り響く。
京平は空になった弾倉を自動小銃から外し、ベストのポケットから新たな弾倉を取り出して装填する。
槓桿を引いて初弾を装填し、どんどん近づいて来る敵船に銃口を向ける。
敵船との距離は約五十メートル。
敵弾が漁船のすぐ近くの海面を叩き、また船体のどこかに当たって派手な音を立てる。
京平と夏海の銃撃にもかかわらず、敵船は圧倒的な速力で距離を縮めてきている。
キャビンの上に上半身だけ出している戦闘員が短機関銃を置いて、ロケット弾発射器に持ち替えるのが見えた。
まずい。ロケット弾に狙いを付けさせたら終わりだ。
「撃て撃て撃て!」
怒鳴りながら、自動小銃をフルオートで発砲する京平。
夏海も「死ねえぇ!」と絶叫しながら短機関銃をぶっ放す。
敵船の周辺の海面が水飛沫を上げ、白い船体が被弾して細かい破片を散らした。
立って自動小銃を発砲していた甲板上の戦闘員らが慌ててその場に伏せ、キャビンの上からこちらにロケット弾発射器を向けていた男が驚いて首を竦める。
敵船の上で、手榴弾でも炸裂したのかと思うほどの爆発音とともに爆煙が生じた。
ロケット弾発射時の反動を相殺するため、発射筒後方から噴射されるバックブラストだ。
発射されたロケット弾は京平たちの頭上数メートルを掠め、シュッ! というロケットモータの燃焼音を残して遥か彼方へと飛んで行った。
ロケット弾は外したが、しかし敵船は止まらない。
キャビン上の男は発射筒を横に投げ置いて短機関銃に持ち替え、船首甲板上にいる戦闘員らも伏せたまま自動小銃を撃ち始める。
敵船との距離が三十メートルを切った。
至近距離を通過する銃弾の風切り音が聞こえてくる。
京平は自動小銃に最後の弾倉を叩き込み、敵船にがむしゃらに銃撃を加える。
敵船の船体にいくつもの小さい穴が穿たれ、こちらの船体はそれ以上の銃弾を食らってガンガンと激しい音を立てる。
敵船との距離、二十メートル。
衝突する気かと思うほど一直線に向かって来ていた敵船が突如、波飛沫を立てて急旋回した。
「なんだ……?」
直後、遮るもののないはずの海上に影が差した。
空を見上げる京平。
その目と鼻の先、手を伸ばせばスキッドを掴めそうなほどの低空を、白いヘリコプターの底面が通過した。