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カルトアイランドZ  作者: 冷凍野菜
第3章
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第29話 南南東に進路を取れ

「――誰か聞こえますか。現在、わたしたちは昭野島から二十キロ南の海上を南進中です。これを聞いている人がいたら、海上保安庁に通報してください。繰り返します……」


 操縦席の未来が無線機のスピーカーマイクに呼びかける声が、舳先が波を切り裂く音と風切り音に混じって聞こえてくる。


 京平は、もう不要になった短機関銃と散弾銃をその辺に放り出し、辛うじてまだ水平線の上に顔を出している蛇原山の山頂付近が、だんだんと水平線の下に沈んでいくのを、船尾の段差に座り込んで眺めていた。

 振り返ってみれば、夏海が船首の甲板に寝そべって空を眺めている。


「ダメね、誰も応答しない。もしかしたら使い方が違うのかも」


 未来が、カールコードで無線機本体と繋がっているスピーカーマイクを計器盤の上に放り投げて言った。

 未来は、何年か前まで漁師をしていた父親に船の操縦を教わったと言っていたが、流石に無線機の使い方までは教わらなかったらしい。


「このまま行けば昼前には本土に着けるはずなんだろ? カルト野郎どもも感染者もここまでは追って来れないんだし、本土に着いたら警察に行けばいいさ」


 京平は昭野島が完全に水平線の向こうに沈んだのを確認し、操縦席の後ろの甲板に仰向けに寝転がった。


 朝五時半の太陽が、水平線の少し上から若干黄色味を帯びた日差しで京平たちを照らしている。

 全速だと船が大きく揺れるので、漁船は十五ノット前後で、一直線に本土を目指す針路を取っていた。


「私たち、これからどうなるんだろ。親も故郷もなくして、これからどうしたらいいの?」


 未来が途方に暮れた様子で言った。京平は、船の操舵輪ステアリングを握る未来の後ろ姿をちらりと見た。

 座面の小さいシートに座り、進行方向の海を眺めている未来の背中は疲れ切っていた。


「どうなるんだろうな」


 対して、京平は呑気に欠伸をしながら、腰の拳銃をホルスターごとベルトから外した。


「まあ、なるようになるさ。あの地獄から、俺たち三人は自力で生きて脱出できたんだ。ちょっとやそっとじゃ死にはしないだろ」


「…………そうね、なんとかなるよね」


 何はともあれ、京平たちは昭野島を生きて出ることができたのだ。

 今後のことについて心配するのは、まともな飯を食って風呂に入り、布団で熟睡してからでもいいだろう。


「船の運転、代わろうか?」


「また暴走されたら嫌だし、結構よ」


 京平と未来はお互いを見ることもなく言葉を交わす。


「……こんだけ広いんだから暴走しても平気だろ」


「ここまで来て遭難死なんて冗談じゃない」


「それもそうだな。何か助けが必要になったら起こしてくれ」


 京平は背中にエンジンの振動と波の揺れを感じながら、目を閉じた。



「京ちゃん、夏海ちゃん、来て」


 まだ朝六時だというのにじりじりと肌を焼く日差しによって、浅い眠りと半覚醒の間を行ったり来たりすることを強いられていた京平は、未来の声に目を開けた。

 肌に張り付くTシャツをばたつかせて乾かしながら、疲労を訴える足に力を入れて立ち上がり、船尾側には壁もドアもない狭い操縦席に入る。


「これ見て」


 未来はそう言って、計器盤の上の平らなスペース――車でいうところのダッシュボード――に設置されている古めかしいCRTモニタに手を置いた。

 十インチあるかないかの湾曲した画面上には、黒い背景の上に緑色で、画面の真ん中を中心とするいくつかの同心円と、現れては消える無数の点々が表示されていた。


「ここ」


 未来は、画面の下のほうにある他より一回り大きい点を人差し指で指差す。

 未来の後ろに立つ京平と夏海は、身を乗り出してモニタに顔を近づけた。


 モニタ上では、画面の中心から伸びる直線が時計回りに回転していた。

 直線が通過した場所の点の配置が変わってゆく様は、戦争映画などでよく見るレーダ画面そのものだった。


 直線はゆっくり回転しながら、ノイズと思しき数多の点を消しては作り出しながら、未来の指差す位置に近づいてゆく。

 そして、直線が未来の指す位置を通り過ぎたその時。他の点よりだいぶ大きいその点は、僅かに上に動いた。

 他の細かい点々が消えたり現れたりする中、その点だけは消えることがなく、確かにそこに何かが存在することを示しているようだった。


「これは?」


「たぶん船ね。そこまで大きい船じゃなさそうだけど、真後ろから結構なスピードでこっちに向かって来てる」


 京平は後ろを振り返る。

 白い航跡以外に何もない、一面の青い海が見渡す限り広がっている。


「十五キロくらい離れてるからまだ見えないよ。でも、このままだと追いつかれる」


 京平は眉間に皺を寄せた。

 もう見えないが、真後ろには昭野島があるはずだ。

 その方向から高速で向かって来る船なんて、嫌な予感しかしない。


「増速しろ。それから、少し針路を変えて本当に追いかけてきているのか確かめよう」


「分かった。掴まって」


 未来がスロットルレバーを前に倒した。

 床下のエンジンの低い唸り声が少しうるさくなり、船が加速を開始する。

 

「右方向に針路を変更する。少し揺れるよ」


 未来が操舵輪を右に回す。

 遠心力で左に傾きながら、船が向きを変えてゆく。


 京平は操縦席横の窓枠を掴む手に力を入れた。夏海も操縦席の壁に手を当てて、転ばないようにしている。


 針路を右方向にほぼ九十度変えたところで、未来は舵を戻した。


「こいつがそのままの針路で直進を続ければ、点は左下に向かっていって、すぐに画面から消えるはず」


 未来が言う。

 三人の目がレーダ画面に集中する中、右下に位置を変えた点は、回転する直線が通過すると僅かに左上に移動した。


「向こうも針路を変更したみたいね」


 未来がレーダ画面から目を上げ、振り返って言った。


「こっちに向かって来てるの?」


「うん。真っ直ぐにこっちに向かって来てる」


 夏海の問いに未来が答える。


 京平はレーダ上の緑色の点を睨みつけながら、「敵か」と未来に尋ねた。

 未来は迷うこともなく、「そうなるね」と言った。


「本土までの距離は?」


「まだ百キロ以上。全速でも二、三時間かかる」


 ちらりとカーナビのような機器の画面を覗き込んだ未来が答える。

 京平は苦々しげに舌打ちした。


「クソ、遠いな……元のコースに戻して全速離脱だ」


「了解」


 未来は操舵輪を左に回して針路を本土への最短コースに戻すと、スロットルレバーを目いっぱい前に倒した。

 年代物のディーゼルエンジンが今にも爆発しそうな騒音と振動を発しながら、船底のスクリューをフル回転でぶん回し始める。

 船首が浮き上がると同時に船尾が沈み込み、オンボロの漁船が加速を始める。

 立っていた京平と夏海は、床の傾きと加速度に転びそうになった。


 小さい漁船は波に乗り上げるたびに跳ね、舳先が切り裂いた波の飛沫しぶきが操縦席のフロントガラスに打ち付けて、バタバタと喧しい音を立てた。


「振り切れそうか?」


「……無理ね。敵船のほうが速い。遅かれ早かれ追いつかれる」


「しつこい連中だ。鬱陶しい」


 京平は吐き捨てるように言う。


「どうするの? 追いつかれたら降伏でもする?」


 夏海が言う。


 京平は夏海を見た。

 夏海も、視線を京平に向ける。

 台詞と裏腹に、夏海の目は諦める気など一切ないと告げていた。


「未来、無線で救助を求め続けろ。夏海、戦闘準備だ」


 京平はそれだけ言うと、夏海とともに操縦席から出た。

 そして、耳元で轟々と鳴る風切り音を無視し、おもむろに操縦席の後ろの甲板にどさりと腰を下ろすと、放り出していたエコバッグを逆さにした。

 複数種類の弾倉と、弾の入った箱が転がり出る。


「メーデー、メーデー、メーデー! 現在、カナリア聖教の不審船から追跡を受けています! 敵は銃器で武装していて、あと数十分で追いつかれます。わたしたちは昭野島から約三十キロ南の海上を、二十五ノットで南に向かって逃走中です。メーデー、メーデー、メーデー…………」


 未来が無線機のスピーカーマイクを手に取って、誰かがこの無線を聞いていることを祈りながら必死に呼びかける。

 その後ろでは、甲板にあぐらの姿勢で座った京平と夏海が、銃器と弾薬を確認してゆく。

 持ち出した銃器はあまり多くはなく、確認はすぐに済んだ。


 AK―47自動小銃一丁と三十発入り湾曲弾倉が六個、弾倉に入っていないバラの小銃弾が数十発。

 UZI短機関銃とミニUZI短機関銃が一丁ずつに、九ミリ拳銃弾が三十発フル装填されている細長い箱型弾倉が合計八個。

 ポンプアクション式散弾銃が一丁に、ショットシェルが二十発前後。

 自動拳銃が二丁と、それぞれに予備弾倉が一本ずつ。


 これが、この漁船にある武器の全てだった。

 はっきり言って、全く足りない。一度敵船との交戦に入ればあっという間に弾切れになるだろう。


 だが、泣き言は言っていられない。

 敵に追いつかれれば、これらの手持ちの武器で敵を迎撃し、撃破するか、最低でも追い払わなければならないのだ。

 それが出来なければ、待っているのは死だ。


「敵船との距離は!」


 京平が、風切り音とエンジン音に負けないよう、大声で操縦席の未来に聞く。


「十キロ弱! この調子だと、あと二十分もすれば追いつかれる!」


 未来が大声で応じる。

 こっちもそれなりの速さで逃げているはずだが、敵船はかなりの快速艇のようだ。

 逃げ切ることなど、とてもではないが出来そうにない。


 周囲には陸地も他の船の姿も見えない。

 無線にも誰も応答せず、京平たち三人は絵に描いたような孤立無援だった。


「AKと散弾銃とこの拳銃は俺が使うぞ」


「うん。私はミニUZIとこの拳銃を使う」


「UZIは?」


「お兄ちゃんが使っていいよ」


「いや、そんなに持ってても使いきれない」


 京平と夏海は、まるで子供が玩具を分け合うかのような調子で自分が使う銃器を選び、手に取ってゆく。

 昨日までは遠い世界の存在だったはずの銃器だが、この十二時間で何人も射殺している京平にとって、銃は既に特別な意識を向ける対象ではなくなっていた。

 二時間前は拳銃をおっかなびっくりといった様子で構えていた夏海も、漁協での戦闘で慣れたのか、平然と短機関銃を肩に提げ、空の弾倉に予備の拳銃弾を込めてゆく。


 京平はずっしりとした重さの紙箱を開けて散弾ショットシェルを手に取り、下部の装填口から銃身の下のチューブマガジンにショットシェルを装填してゆく。

 六発込めたところでそれ以上入らなくなり、持ち手と装填ハンドルを兼ねたフォアエンドを引く。

 金属どうしのぶつかるガシャッという音がして、初弾が薬室に装填された。


 散弾銃を脇に置いた京平は、紙箱からさらにショットシェルを取り出し、ズボンのポケットに押し込んでゆく。

 テクニカルの運転手から奪ったベストの腹回りには縦長のポケットがいくつも付いているが、そこは自動小銃と自動拳銃の弾倉で全て埋まっていた。


 二人は黙々と銃の用意を進め、十分とかからずに、出来ることを全て終わらせた。


「敵船さらに接近!」


 未来が叫ぶように言う。

 京平は散弾銃をスリングで背中に回し、自動小銃を持って立ち上がった。

 複数の銃器と弾薬の重さが、疲れ切った身体に堪える。


 京平は、一定の距離をおいて延々と追いかけて来る水平線の上に目を凝らした。

 まだ敵船の姿は見えない。


「無線は応答あったか?」


「ない。そもそも、この無線機の電波が届く範囲には敵船以外に誰もいないのかも」


 京平は、未来の後ろから操縦席のレーダ画面を覗いた。

 敵船を示す緑色の点が、当初の三分の一以下にまで距離を詰めてきていた。

 それ以外に、船らしき反応は見当たらない。


「敵が重機関銃とかミサイルとかを持ってないことを願うしかないな」


「ちょっと、縁起でもないこと言うのやめてよ」


 未来が京平を振り返った。

 不意に二人の視線が絡み合う。

 まだ東の空も真っ暗な早朝、逃げ込んだ崖登集落外れの家で二人の間に生じた変化を思い出し、京平と未来は同時に目を逸らした。


「未来ちゃん、これ」


 夏海が、二人の間に流れる変な空気などお構いなしに京平と未来との間に割り込み、未来にUZI短機関銃を差し出した。

 未来は「ああ、ありがとう」と言いながら、受け取ったUZIをスリングで肩に提げる。


「あれか」


 船尾の先に目を凝らしていた京平が、ついに水平線上に白い船を視認した。

 未来と夏海も、水平線上に目を凝らす。


「ああ、あれ……」


「もう五キロもないわね。腹括るしかないか」


 鳥か何かと見間違いしたことを祈りたかったが、未来と夏海にもそれは船に見えたらしかった。

 まだ遠くに小さく見えるだけだが、ついに敵船が見える範囲まで接近してきたのだという事実は、三人を緊張させるのに十分だった。





「船長入られます」


 海上保安庁第九管区海上保安本部所属のヘリコプター搭載巡視船「PLH08 えちご」

 真横から朝日の差し込むその船橋ブリッジには、朝五時半の早朝にもかかわらず、紺色の制服に身を包んだ十名近い海上保安官が詰めていた。

 数十分前、日の出から間もない空へと搭載ヘリコプターが飛び立つのを見届けるため、普段の夜勤より多くの要員が勤務に就いており、船橋には眠気覚ましのコーヒーの臭いが僅かに漂っている。


「先ほど、『みさご』が救援を求める無線を受信しました」


 ヘリが発艦した後、船内の見回りに行っていた船長が船橋に戻ると、通信士がコンソールから振り返って言った。


「昭野島からか?」


「いえ、昭野島近海を航行中の船舶からです。昭野島を脱出し、現在も逃走中と言っているそうです」


「逃走? 何から?」


「カナリア聖教の不審船と言っているそうですが……」


 昨日夕方から音信不通の昭野島へ調査に向かえと、本部から指令されたのが数時間前のことだ。

 どうせ海底ケーブルの断線か停電だろうと誰も深刻に捉えていなかったが、どうやら認識を改める必要がありそうだと、船橋に詰める永田船長以下全員が思った。

 ぴりぴりとした空気が、気怠い夜勤の雰囲気を消し飛ばす。


「『みさご』に繋げ」


 船長が通信士に命じた。


「繋ぎました」


「『えちご』より『みさご』。通報を受信したのはいつだ?」


『ついさっきです。電波強度が弱くて途切れ途切れですが、40MHz帯で今も聞こえます』


「呼びかけはしたか?」


『しましたが応答ありません。距離があるため、向こうのアンテナでは受信できないものと思われます』


 短いやり取りの後、船長は「みさご」機長に「その船の捜索へ向かえ」と命じた。


「昭野島の調査は後回しだ。本船も『みさご』の後を追う。総員起こし。配置に就かせろ。場合によっては、北朝鮮の不審船以来の実戦になるかもしれん」

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