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カルトアイランドZ  作者: 冷凍野菜
第2章
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第22話 崖登集落攻防戦(下)

 ドアを完全に閉め、サムターンを回す。

 カチャリという音とともに、鍵が閉まった。


 強力な懐中電灯の光がドアの隙間から外に漏れることを恐れ、スマホの画面の僅かな明かりだけで視界を確保する。

 青白い光に、恐怖で引き攣った未来と夏海と梓の顔が浮かび上がる。

 鏡があれば、自分も似たような顔色をしていることだろうと、京平は思った。


「誰か聞こえますか? 小野田さん、下田さん、林さん……誰か応答してください」


 京平がトランシーバを握り、吐息だけで呼び掛ける。

 だが、何度やっても、限界まで音量を絞ったトランシーバのスピーカーがノイズ以外の音を返してくることはなかった。


 ドア一枚隔てた向こうから聞こえてくる、三十人の住民たちの断末魔の絶叫と、感染者らの咆哮。

 逃げ惑う住民たちと、それを追い掛け回す感染者らが生み出すドタバタという振動が床と壁を震わせ、ドアに何かが当たってドンという音を立てる。その度に、京平たちは身体をびくつかせた。

 ドアの向こうで繰り広げられる殺戮に、京平たち四人はただ息を殺して縮こまることしかできない。


 数分も経たないうちに、感染者の咆哮と住民の悲鳴はどんどん数を減らし、小さくなっていった。

 間もなく、最後の悲鳴がラジカセのコンセントを抜いたかのように唐突に途切れ、咆哮も聞こえなくなった。


 残ったのは、感染者の不気味な気配だけだ。

 時折聞こえてくる低い唸り声に、京平たちはドアの向こうに感染者がまだいることを改めて認識し、身体を強張らせる。



 四人はドアの向かいの壁にもたれ掛かり、ドアに視線を向け続けていた。

 ――今にも、物置部屋に隠れた生存者に気づいた感染者がドアをぶち破って突入してくるのではないか。気を抜くと発狂しそうになるほどの壮絶な恐怖が、四人の神経をグラインダにかけるかのように削ってゆく。


「これからどうするの」


 何時間にも思えるほど続いた沈黙を、未来が破った。

 未来は残弾僅かな拳銃をドアに向け続けながら、疲れ切った表情で京平のほうを向く。


「いつまでもここにいるわけにはいかない。逃げないと」


 京平はそう応じたものの、具体的なプランなど思いつかなかった。

 槍と残弾三発の拳銃だけで、気配からして感染者が十人以上うろついている団欒室を突破できるとは思えない。

 ドアを開けたが最後、四人はあっという間にバラバラ死体に早変わりするだろう。あるいは、感染者となって生き延びる可能性もあるかもしれないが。


「逃げるったって、どうやって? ドアの向こうの感染者がどっか行ってくれない限り、出来ることはないよ」


 夏海がやけくそ気味に呟く。

 京平としても、全く同意見だった。

 トランシーバは誰も応答せず、助けは期待できそうもないが、自力で物置から逃げることもできそうにない。


 腕時計を見ると、午前三時を回っていた。

 昨日の夕方五時頃から約十時間で、一生分の修羅場を潜り抜けてきたつもりだったが、まさかここで万策尽きるとは。


 京平は諦めの境地で溜息を吐いた。

 窓どころか通気口すら見当たらない物置部屋は、真夜中の現在ですら、何もしていないのに汗が噴き出してくるほどの蒸し暑さだ。日が昇れば、間違いなくサウナと化すだろう。


 簡単に確認した限りでは、部屋の中には食料も水もなかった。

 人間は飲まず食わずでも何日も生き延びられるというが、室温が三十度を超えるような場合もそうだとは思えない。

 恐らく、四人とも今日の昼前には熱中症になり、明日の朝を待たずに死ぬことになるだろう。


「来週の定期船で帰ることにしてれば、こんなことに巻き込まれずに済んだのに……」


 未来は体育座りの姿勢で、顔を膝の間にうずめた。僅かに肩が震えている。

 京平は未来になんと言ったら良いか分からず、おずおずと背中をさすることしかできなかった。

 未来の背中は、汗でじっとりと湿っていた。


 物置部屋に隠れる判断をしたのは京平であり、こうなった責任は自分にあると考えていた。

 だが同時に、あのときは他にどうすることもできなかったとも考えている。

 決断したのが未来でも夏海でも梓でもこうなっただろう、と。


「……夏海ちゃんには言ってなかったけどね」


 物置部屋に隠れてから一言も喋らなかった梓が口を開いた。


「私、志望校下げようと思ってたんだ」


「……え、なんで?」


 夏海が少しの間の後、困惑と驚きの混じったような声音で言う。梓が力ない笑みを浮かべた。


「模試返ってきたでしょ? どうだった?」


「一応、判定はAだったけど――」


「私、E判定だったんだ。もう無理そうだから、もっと偏差値低い高校目指そうと思ってる。同じ高校行くって約束、破っちゃってごめん。本当にごめんね……」


 梓が申し訳なさそうに謝罪を繰り返す。


「別に今生の別れってわけじゃないんだから、そんな謝らなくてもいいよ。志望校は別でも、これからも一緒に勉強頑張ろう?」


 夏海が慌てて梓をフォローする。

 夏海と話す梓は、暑さのせいか具合が悪そうだった。

 喋るうちにどんどん息が荒くなっていく梓を心配した夏海は梓の額に手を当て、そして驚いたように手を引っ込めた。


「すごい熱……!」


 京平は床に置いていたスマホを手に取り、モニタの明かりで梓の顔を照らした。


 梓は脂汗を浮かべ、浅く荒い呼吸を繰り返している。

 額に手を触れると、まるでカイロのように熱かった。

 京平は、夏休み前の保健体育の授業でこんな症状を習ったのを思い出した。


「熱中症かもしれない。水を探すぞ」


 京平は立ち上がり、スマホ片手に棚を物色し始めた。

 未来も、落ち込んでいる場合ではないと思ったようで、京平と同じようにスマホのライトを点けて物置部屋を物色する。

 夏海は梓に横になって休むように言ってから、二人とは別の場所を探し始めた。


 三人は、物音を部屋の外に漏らさないように細心の注意を払いつつ、物置部屋をひっくり返さんばかりの勢いで飲み物を探し回った。

 どうしても生じてしまう小さな物音が、やけに大きく感じられる。


「見つかったか?」


 数分後、棚の捜索を終えた京平が二人に聞いた。


「ダメ、見つからない」


「こっちも全然」


 未来と夏海が首を振る。


 結局、飲み物も食料も見つからなかった。

 このままでは梓の命が危ない。

 さらにいえば、梓一人だけでなく、日が昇れば他の三人も危険だ。

 一刻も早くここを脱出したいが、しかし、この部屋のドアを開けてしまえば、ほぼ間違いなく殺到してくるであろう感染者たちに喰い殺されることになる。

 八方塞がりだ。


 もはや京平には、公民館から感染者が出て行ってくれることを、ただ祈ることしかできない――――


「ねえ、ちょっとこれ見て」


 夏海が小声で京平と未来を呼ぶ。

 夏海はスチール製のアングル棚から段ボール箱を取り出し、床に置いた。

 京平は箱を覗き込むが、中には黄色と黒のトラロープが入っているだけだった。


「そっちじゃなくて、こっち」


 夏海が棚の奥を指差す。

 京平は少し身をかがめて棚の奥を覗き込んだ。

 今、何よりも求めているものが、そこにはあった。


「この部屋、窓あったのか」


 てっきり物置部屋に窓はないと思っていたが、棚に隠れていただけで、実際には窓はあったようだ。全く気付かなかった。


「二階だから飛び降りられるかな」


「足を怪我したら終わりよ。このロープでゆっくり下りたほうがいい」


 未来と夏海が窓を見ながら話す。

 京平は、棚が床や壁に固定されていないことを確認し、「よし」と呟いた。蜘蛛の糸を掴んだ気分だった。


「棚をずらすぞ。そっちとそっちを持ってくれ。音をさせるな」


 小さい「せえの」の掛け声とともに、京平と未来と夏海の三人で、百五十センチほどの高さのアングル棚を数ミリだけ持ち上げる。そして、ゆっくりと横に動かしてゆく。

 棚をずらすと、隠れていた窓が姿を現した。

 埃でざらつくクレセント錠を開け、固着したパッキンが剥がれるミシミシという音に一々怯えながら、窓を全開にする。


 外は無風だったが、室内に比べれば幾分か涼しい空気が物置部屋に流れ込んでくる。


「飛び降りるには高いな」


 京平は窓の下を覗き込んで言った。


 窓は公民館の裏に面しており、京平が持つ懐中電灯に円形に照らされる地面は砂利敷きだった。

 三メートルほどの高さがあるので、飛び降りれば大きな音がするだろうし、足を痛めるかもしれない。

 この状況で足を負傷することは、死を意味する。未来が言った通り、素直にロープを使って降りたほうがいいだろう。


「最初に下に降りて見張っていてくれないか?」


 京平の頼みに未来は頷き、夏海からトラロープを受け取った。

 未来はロープを胴に何周も巻いてから固く結び、窓枠に足を掛ける。

 未来を支えるため、京平と夏海はロープを握り締めた。


「じゃあ、行くよ」


 未来は全体重をロープに預け、ぴんと張ったロープを握って体勢を安定させながら、外壁に足を着けてゆっくりと下に降りて行く。


「意外と重いな」


「ちょっと、女の子になんてこと言うの!」


 トラロープが手に食い込む痛みに耐えながら呟いた京平を、夏海が小声で叱る。

 小学生のとき、体重の話題に触れた後に未来がえらくご機嫌斜めになったことを、京平は思い出した。

 幸い、ドアの向こうの感染者らに聞こえないように小声で言ったため、未来には届いていないだろう。


 ロープが軽くなった。

 窓の下を覗くと、着地した未来が親指を立てて見せていた。

 ロープを解く時間すら惜しいので、京平が肥後守ひごのかみで手元のロープを切断する。


「次は夏海が行け」


「梓はどうするの?」


「俺が負ぶっていく」


「……変なとこ触ったりしたら殺すから」


「しねえよ」


 状況が多少マシになり気が大きくなったのか、夏海は軽口を叩きながら、未来と同じようにトラロープを身体に巻きつけ、窓から身を乗り出した。

 そして、おっかなびっくりといった様子でロープを頼りに地面に降りてゆく。


 一分もかからずにロープが軽くなった。

 次は京平と梓の番だ。

 京平は、部屋の隅で床から天井に一直線に伸びる配管にロープを結び付けた。

 引っ張ってもロープとパイプがびくともしないことを確認し、自分の身体にもロープを巻き付ける。


「下山さん、大丈夫か?」


 京平はロープを何重にも結びながら、ちらりと梓を見た。


「うん、ちょっと頭が痛いけど大丈夫。迷惑かけてごめんなさい」


「謝らなくていい。ほら」


 京平が梓に背を向け、立膝の姿勢を取った。

 いい歳をして他人におんぶされるのが恥ずかしいのか、梓は少し躊躇いがちに京平の肩に手を回す。

 そして、意を決したように京平の背中に体重を預けると、両足を京平の腹の前で交差させた。


 汗で湿ったシャツ越しに、少しやせ気味な梓の身体が背中に密着する。

 梓の吐く荒い息が京平の首筋を撫でる。


 京平とて思春期の男子高校生であり、人並み程度には異性に対する興味はある。普段なら、心臓バクバクで背中に全神経を集中させていただろう

 だが、梓の異様に高い体温が、雑念を生じる隙すら京平に与えなかった。

 凄まじい高熱だった。さっきよりもさらに熱くなっている気がする。


「本当に大丈夫か? すごい熱いぞ」


「……ほんとはちょっとキツイかも。ごめんなさい」


「だから謝らなくていい。外に出たらすぐに水を飲ましてやるから」


 背中に梓を負ぶったことによって、普段の一・五倍以上に増えた荷重を受ける両足の筋肉が震える。

 だが、京平は根性を振り絞り、どうにか腰ほどの高さの窓枠に足を乗せることに成功した。


 サッシを掴み、窓枠の上で立ち上がる。

 手をサッシからロープに移し替え、体重をゆっくりと後ろにかけてゆく。

 梓を背負っているため重心が後ろに寄っており、すぐにバランスが崩れた。

 梓が「ヒッ」と息をのみ、京平を掴む腕の力を強める。


 そのまま何もしなければ落下していたが、京平はロープを全力で握り締め、それ以上後ろに倒れるのを防いだ。

 ロープがぴんと張りつめる。


「ちゃんと掴まってろよ」


 京平は、壁を地面にして後ろ向きに歩くかのように、ゆっくりと下へ降りて行く。

 急がないと握力が抜けてしまいそうだったので、京平は途中から駆け足気味になったが、なんとか着地することに成功した。

 梓は「ありがとうございます」と礼を言って、京平の背中から降りた。


「ひとまずここを離れよう」


 未来が拳銃を片手に周囲を警戒しながら言う。


 感染者の大半は公民館の中にいるらしく、外には数体の感染者がうろつくだけだった。

 京平たち四人は音を立てないように注意しつつ、公民館の敷地を出た。

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