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カルトアイランドZ  作者: 冷凍野菜
第2章
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第20話 崖登集落攻防戦(上)

 目を瞑るも結局眠れないまま、時間が過ぎてゆく。眠れないのは、未来に寄り掛かられているのが原因の可能性が高いが。

 未来が肩にもたれ掛かって寝息を立てており、京平は身じろぎすることもできなかった。


『こちら屋上。東側入口のほうに一瞬光が見えた気がする。車が向かってきているかもしれない』


 沈黙を保っていたトランシーバが、ザッという音の後に下田の声を発した。小野田が瞬時に目を開け、トランシーバを手に取る。


「こちら小野田。了解。……細井さん、聞いたな。銃の用意を。我々もすぐ向かう。送れ」


『細井、了解』


 集落入口見張りの細井の緊張で上ずった声が応答した。


 京平は未来を揺り起こす。未来は眠たそうに目を擦りながら起き、京平にもたれ掛かっていることに気づいて慌てて離れた。

 腕時計を見れば、時刻はちょうど二時半だった。


「全員、銃と弾の用意を。東側入口に急行する」


 小野田の号令で、守備隊員たちは立ち上がった。それぞれ自分の銃を持ち、予備の弾倉や銃弾を確認する。

 京平は短機関銃を右肩にスリングで吊り下げ、弾倉はズボンのポケットに突っ込んだ。短機関銃の弾倉は長く、ポケットの口からはみ出てしまうので落とさないか心配になるが、それ以外に収納がないので仕方がない。


 小野田を先頭に、七人は玄関前に用意してあった軽トラに乗り込んだ。座席は二つしかないので、運転手と未来以外の五人は荷台だ。

 小野田と京平は立ち乗りで運転席の後ろの柵に掴まり、他の三人は荷台に座って側面のアオリに掴まる。軽トラの狭い荷台に大人五人は窮屈だったが、崖登には無理やりにでも七人を乗せられる車が軽トラの他にないので、仕方がない。

 八時間ほど前までは、崖登にもミニバンが一台だけあったのだが、京平たちが北集落から逃げてきたときに激突して横転させてしまった。


 セルモータの回る甲高い音がして、軽トラのエンジンが始動する。

 小野田が運転席の天井を叩くと、軽トラは急発進した。京平は柵を握る力を強め、振り落とされないようにする。


 軽トラはぬかるんだグラウンドを横切り、路面に乗り上げる一際大きい衝撃とともに公民館前の道路に出る。そして、減速もそこそこに急ハンドルで左折し、京平は危うく遠心力で振り落とされそうになった。


『――こちら西側入口。不審な人影を確認。応援を要請する。どうぞ』


 小野田の持つトランシーバが唐突に、西側入口で見張りをする林の声を発した。

 小野田がすかさず運転席の天井を叩き、エンジン音に負けないように「止まれ!」と怒鳴る。

 軽トラは荷台の人間などお構いなしにスリップ音を立てて急停止した。


「こちら小野田。詳しく状況報せ。送れ」


『暗くてよく見えないが、数人がバリケード前をうろついている気配がある』


「それは感染者か? 送れ」


『違う気がする……恐らくカナリア聖教の連中だ』


「了解。私がそっちに向かう。いつ襲われてもいいように初弾を装填して待機しろ。終わり」


 小野田は林とのやり取りを終えると、トランシーバを京平の胸に押し付けた。京平は咄嗟にそれを受け取る。


「君たちは予定通り西側入口へ向かえ。臨時の指揮は京平くんが取れ」


 小野田はそれだけ言ってから、軽トラを降りて反対方向に走って行った。

 突然の指名に唖然とする京平。「ちょっと待ってくれ!」と小野田を呼び止めようとしたが、トランシーバが今度は細井の声で『車が現れた!』と叫ぶと、それどころではなくなってしまった。


『車は一台! 北集落からの避難者かもしれない!』


 京平は恐る恐るトランシーバ側面のPTTボタンを押し、応答した。


「こちら長谷川。小野田さんは東側入口に向かったので、俺が代わりです。敵ではないのですか? どうぞ」


『北集落の万代屋が使ってる軽自動車と車種も色も同じだ。逃げてきたのかもしれない。……どうする?』


 細井からの問いかけに、京平は「どうするって言われても……」と内心で思った。

 なぜ小野田は消防団の大人ではなく、最年少の京平に守備隊の臨時リーダーなどという大役を任せたのか。疑問は尽きないが、しかし考えている時間などない。

 任されてしまった以上、やるしかなかった。


 京平は運転席の天井を叩き、「出してください!」と怒鳴って軽トラを発進させた。

 取り敢えず細井には、「いつでも撃てる態勢で待機してください」とだけ言っておいた。このタイミングで現れた車を警戒しないわけにはいかないが、かといって避難者かもしれない相手を先手必勝で銃撃するわけにもいかない。


 最大積載量ぎりぎりの軽トラが非力なエンジンを唸らせながら急坂を駆け上る。西側入口までは歩けば十分程度の距離だが、車なら二分とかからずに到着できるだろう。


『軽自動車がバリケードにぶつかって停車した。なんか様子が変だ――』


 トランシーバの向こうで細井が困惑する声は、そこで途切れた。


 民家の屋根の向こうに強烈な光が生じ、僅かに遅れて届いた凄まじい爆発音が全ての音を掻き消す。

 驚いた運転手が軽トラを急停止させ、京平は危うく転げ落ちそうになった。


「細井さん! 無事ですか! 細井さん!」


 京平がトランシーバに怒鳴る。炎に下から照らされて赤みを帯びた黒煙が、屋根の向こうの空に昇って行くのが見える。距離はそう遠くなく、方向は今まさに向かっている西側の集落入口のほうだ。

 京平は運転席の天井を乱暴に叩き、軽トラを発進させる。


『――――聞こえるか!? 軽自動車が突然爆発した!』


 沈黙していたトランシーバが、音割れする細井の大声を発した。爆発に巻き込まれたのではないかと思ったが、無事だったようだ。細井の声は切羽詰まった様子だったが、京平は細井が生きていたことにひとまず胸をなでおろした。


『爆発でバリケードが大破! まずいぞ、入口はがら空き状態だ!』


 しかし、続く細井の報告に京平は凍りついた。背後の守備隊の面々も息を呑むのが分かった。


「戦闘準備!」


 京平が怒鳴る。

 自動車数台を道路に対して横向きに並べて作ったバリケードを、一撃で吹き飛ばされたのだ。

 カナリア聖教が本格的な攻勢に出てきたことを京平は悟った。軽自動車の自爆攻撃は、崖登集落攻撃の第一段階に過ぎないだろう。バリケードを退かして、それで終わりということはないはずだ。

 絶対に、次がある。


 京平の考えを肯定するように、トランシーバが怒鳴った。


『ダンプが向かって来る! クソッタレ、撃ち殺してや――』


 細井は喋り終える前にPTTボタンを離したらしく、言い切る前に声が途切れる。

 直後、連続した炸裂音が耳鳴りに混じって遠くから聞こえてきた。細井が自動小銃で銃撃を始めたようだ。


 数秒の連続射撃の後、発砲音は途絶えた。


「細井さん、聞こえますか! 細井さん!」


『――した! ダンプは入口を突破! 崖登に侵入! 聞こえているのか!? クソ、爆発で耳が……』


 トランシーバががなり立て、京平は顔を青ざめさせた。

 入口から公民館までを繋ぐ道路はこの一本だけだ。ということは、ダンプトラックが正面から向かって来るということになる。


「止まれ!」


 運転席の天井を何度も殴る。軽トラはここ数分で何度目かの急ブレーキで停車した。


「正面からダンプが来るぞ!」


 京平は、軽トラが完全に停車する前に荷台から飛び降りた。荷台にいた面々もそれに続く。

 運転席から出てきた運転手と未来に「走れ!」と怒鳴り、京平たちは軽トラが来た道を全力で駆け戻る。


 黄色みがかった白い光が、京平たちを背後から照らした。六人の影が細くアスファルトに伸びる。

 肩越しに後ろを見た京平が目にしたのは、ダンプが軽トラをおもちゃか何かのように弾き飛ばす瞬間だった。軽トラは破片を撒き散らしながら吹き飛び、道路沿いの民家のブロック塀を突き破ってどこかに消えた。


 ダンプは全く勢いを減じることなく、こちらに向かって来る。

 距離は五十メートルもない。ここで止めなければ、ダンプは夏海や住民たちのいる公民館にまっしぐらだ。


 最後尾を走っていた京平は足を止めた。そして、後ろを振り返ると同時に短機関銃を発砲した。


 乾いた銃声が連続する。


 ダンプトラックのフロントガラスに、指が入る程度の大きさの穴がいくつも開き、垂直にそそり立つフロントグリルが着弾の火花を散らす。他の守備隊員たちも立ち止まって射撃を始め、拳銃弾に小銃弾、散弾といった多種多様な弾丸がダンプを襲う。


 フロントガラスはあっという間にひび割れて真っ白に濁り、穴だらけになったグリルは脱落し、サイドミラーは吹っ飛んだ。

 よろけたダンプが車体側面をブロック塀に擦りつけ、派手に火花を散らす。しかし、一向に止まる様子はない。


 ダンプまでの距離は二十メートルを切った。


 京平が「退避!」と叫んだ直後、誰かの撃った銃弾がダンプの左フロントタイヤを直撃した。

 短機関銃の発砲音より大きい爆発音とともに、ダンプの大径タイヤがバーストする。


 ダンプはバランスを崩し、片輪が浮くほど車体を傾がせて蛇行しながら、道路脇の電柱に激突した。

 壮絶な破壊音とともに、鉄筋コンクリートの電柱が爪楊枝のようにへし折られる。


 それでもなお勢いの乗ったダンプはブロック塀も容易く破壊し、その先の庭の植木鉢や植栽を全てなぎ倒して民家に突っ込んだ。木造二階建ての民家の壁がメキメキという音とともにぶち破られ、ダンプは運転席まで壁に埋まってようやく止まった。

 ダンプの運転席付近から白煙が溢れ出す。


「弾が切れている人は弾倉交換」


 京平は守備隊の面々に向けてそう言いながら、ミニUZI短機関銃の排莢口を覗いてまだ弾が残っていることを確認する。


 道路の先に目を向けるが、後続の車両が来る気配はない。

 後ろを振り向けば、五人の守備隊員が慣れない手つきで短機関銃や自動小銃の弾倉を交換し、あるいは散弾銃にショットシェルを装填してゆく。


 逆向きに弾倉を入れようとしている未来から拳銃を取り上げた京平は、正しい向きに弾倉を挿入し、スライドを引いて未来に差し出した。


 京平は全員用意ができたのを確認すると、壁に開いた穴から民家の中に入り、ダンプの真横に立つ。

 そして、短機関銃を腰だめに構え、ドア越しに運転席を銃撃した。


 強烈な発砲音と、トタン板を棒で滅茶苦茶に叩きつけるような壮絶な音が辺りに響き渡る。

「(有)昭野島土木」と書かれたドアの鋼板が火花とともに穿たれ、破孔の周囲の塗装がクレータ状に剥がれて銀色の地肌を晒す。

 反撃はなく、短機関銃は何発か撃って弾切れとなった。


 京平は残弾を吐き出し終えた弾倉を捨て、すぐさま予備の弾倉を挿入し、槓桿を引いた。

 そして右手で短機関銃を構えながら、左手で運転席のドアハンドルに手を掛け、勢いよくハンドルを引く。

 軋むような音を立ててドアが全開になった。


 運転席では血塗れの男が絶命していた。車内は、ダッシュボードやメータパネル、シートに至るまで車内のあらゆるものが飛び散った血を被って赤く濡れていた。


「この人、誰?」


 未来が運転席の男を見て呟く。

 男は顔に銃弾を浴びており、人相は分からなかった。だが、京平はこの男を知っている気がした。


 男は、カナリア聖教信者を象徴する白装束でも黒い戦闘服でもなく、もともとは灰色だったと思われる作業着を着ている。

 さらに、奇妙なことに手錠で右腕とハンドルを繋がれていた。


「なんてことだ、マサさんじゃないか……」


 運転席を覗き込んだ有賀が、凄惨極まる光景に目を逸らした。

 京平は、この男を知っているような口ぶりの有賀に「知り合いですか?」と尋ねた。


「土建屋のトラック運転手だよ。カナリア聖教の信者じゃねえ」


 有賀の答えに、京平は「どうりで知っている気がしたんだ」と納得した。

 有賀が「マサさん」とよぶ男の名前は憶えていないが、顔は思い出せる。北集落の住民だ。

 手錠をされていることから考えると、このトラック運転手はカナリア聖教に捕らえられた後、ダンプで崖登へ特攻することを強制されたのだろう。


「奴ら、俺らに同じ島民を殺させやがったんだ。クソッタレどもが」


 誰かが怒りに声を震わせながら呟いた。京平を含め、この場の誰もがカナリア聖教のあまりに残虐な行いに憤怒していた。

 だが、教団の非道はこれだけでは済まなかった。


「おい、これを見ろ!」


 ダンプの荷台を覗き込んだ稲森が叫ぶ。京平はダンプの後ろに回り込み、荷台を覗いて絶句した。


「ああ、なんてこと……」


 未来が口を抑え、逃げるようにダンプから離れる。

 他の者も皆、むせ返るような血の臭いに、激しく咳き込んだり吐いたりしながらダンプから離れた。

 京平も顔をしかめ、急いで荷台から離れる。


 荷台にあったのは、大量の死体だった。


 死体のどれもが知っている顔だった。

 京平に毎年お年玉をくれる近所のお婆さんや、小中学生の頃に毎朝あいさつしてくれた漁協のおじさんや、中学三年生のときに縦割り班でペアを組んだことのある小学生の女の子が、本来なら土砂を載せる荷台に血塗れの死体となって積み重なっていた。

 どの遺体も切りつけられ、溢れ出た血で荷台の床は血の海と化していた。


「カルトのイカレ野郎共、嫌がらせのつもりか」


 京平は吐き捨てるように言う。

 だが、ふと疑問を抱く。


 いくらカナリア聖教の連中が狂っているとはいっても、嫌がらせのためだけにここまでするか、と。そもそも、ダンプに爆薬を積んで公民館に突っ込ませることもできたのに、なぜ死体に傷をつけて寄越すなんて真似をしたのか。


「まさか……!」


 京平は、背筋に悪寒が走るのを感じた。ベルトに引っ掛けていたトランシーバを手に取り、PTTボタンを押し込む。


「細井さん、こちら長谷川。どうぞ」


「……細井さん、こちら長谷川。聞こえているなら返事をしてください。どうぞ」


 京平が繰り返し細井を呼び出すが、応答はない。


 そのとき、連続した銃声が遠くから響いてきた。

 銃声は、細井が見張る西側入口のほうからだった。


「何があったんですか!? 細井さん!」


 京平はトランシーバに呼び掛けながら、西側入口へ走り出そうとする。しかし、トランシーバが細井の声を発し、京平は足を止めた。


『感染者の大群が……気づくのが遅れた……逃げられない…………すぐドアの向こうにいる……』


 震える細井の声の後ろから、ドンドンとドアを激しくノックするような音が聞こえてくる。

 京平はPTTボタンを押し込んだ。


「細井さん、すぐに助けに行きます。それまで耐えてください」


『ダメだ! ……もう無理だ。間に合わん。逃げろ』


 細井が諦めたように言った直後、木材の砕けるバリバリという音が、トランシーバのスピーカーを震わせた。

 細井の雄叫びと銃声、そして感染者の唸り声を最後に、トランシーバは沈黙した。


 京平はふと気配を感じ、ダンプに弾き飛ばされて原形を留めないほどに潰れた軽トラの向こうの、何十メートルも先でカーブしている村道を凝視する。皆、京平と同じように何かを感じ取ったようで、何人かが道路の先に懐中電灯を向ける。


 懐中電灯の白い光に浮かび上がるカーブの向こうに、何かが飛び出してきた。

 最初は大型犬か何かかと思ったが、四足歩行のそれは、汚れて何色かも分からない襤褸切れのようなものを纏っていた。


「なんだ、あれ……」


「人間……なのか……?」

 

 懐中電灯の光を浴びた「それ」は四本の足を止め、落ち葉やごみが絡みついた髪の間から、右目だけで京平たちを睨みつけた。

 左目が潰れ、鼻もひしゃげているが、「それ」は間違いなく人間の女だった。


 四足歩行の女が、無理な体勢からは想像もつかない素早さで、京平たちに向かって走り出した。


 その次の瞬間には、道路の幅いっぱいに広がる感染者の大群が女の後ろから現れた。口々に凄まじい絶叫をあげ、押し合いへし合いしながら、数十人規模の感染者たちが全力疾走でこちらに向かって来る。


「逃げろ!」


 京平が怒鳴り、凍りついていた守備隊の面々は踵を返して公民館に向けて走り出した。


 耳元で轟々と鳴る風切り音に混じり、地響きのような足音が迫って来るのを感じる。

 京平は公民館までの急坂で足を縺れさせて転ばないように祈りながら、とにかく全力で足を回転させる。


「ポンプ車! 聞こえるか!」


 京平が走りながらトランシーバに怒鳴る。相手に応答する間を与えず、京平はさらに怒鳴った。


「感染者侵入! 放水準備!」


 ただでさえ息が上がっている中で喋ったせいで、肺が悲鳴を上げ、危うく意識が飛びそうになる。

 だが、それでも京平は走るペースを緩めなかった。


 運動部所属の未来は京平よりも遥かに俊足で、既に京平の二十メートルは先にいる。

 京平のすぐ前には稲森が走っており、京平の後ろには中年の消防団員が三人いるはずだ。

 そして、その少し後ろには感染者たちが迫っているだろう。もはや京平には、他人を気にしている余裕などなくなっていた。


 公民館の屋上に一瞬光が生じ、銃声が聞こえると同時に数メートル後ろで人の倒れる音がした。

 下田の狙撃だ。


 また屋上に発砲炎が瞬き、すぐ後ろで被弾した感染者が転倒するのが分かった。

 だが、京平に振り返る余裕はなかった。感染者たちの唸り声が、数メートル後ろから聞こえてくるのだ。


 下田の小銃はボルトアクション式で、自動小銃や短機関銃のようには連発が効かない。下田の正確な狙撃も、背後にいる何十もの感染者に対しては焼け石に水だった。


 京平たちは着実に公民館へ近づいてゆく。

 だが、下り坂の中間を少し越えた辺りで、京平の背後で誰かが転倒する気配がした。そして、間もなくして絶叫が辺り一帯に響き渡った。

 絶叫は有賀の声だった。


 京平は仲間の絶叫を聞いても、立ち止まることも振り返ることもなく、ひたすら全力で足を動かし続ける。

 自分を守るのに精一杯で、他人にかまけている暇など一ミリ秒たりともなかった。少しでも足を縺れさせたり気を抜いたりしたら、有賀のように感染者の群れに飲み込まれる。

 そうなれば、命はないだろう。


 坂が終わり、路面が水平になった。

 あと少しで公民館のグラウンドだ。


 未来は既にグラウンドの中に辿り着いており、稲森も今、門を通った。

 京平はちらりと背後を見る。

 二人の消防団員と、そのすぐ後ろに迫る数体の感染者。下田の銃撃のおかげか、数体の感染者と後続の集団との間には少し距離がある。


 京平はグラウンドの門を通ると同時に、身体を捻って後ろを向いた。

二人の消防団員が京平を追い抜く。続いて迫り来る感染者四人に、京平は腰だめに構えた短機関銃の銃口を向け、引鉄に指をかけた。


 横薙ぎに一連射。


 至近距離から九ミリ弾を食らった感染者らが血飛沫(しぶき)を上げ、走る勢いをそのままに、もんどりうって倒れる。


 だが、京平も無理な姿勢で発砲したため、バランスを崩して尻もちを着いた。

 十メートル以上の距離があったはずの感染者集団の本体が、あっという間に迫って来る。


『京平くん、退け!』


 ポンプ車のスピーカーが怒鳴った。

 京平は、慌ててポンプ車と門の間から飛び退く。


 感染者たちの先頭が門を潜った。

 そして次の瞬間、レーザのように真っ直ぐ伸びる水の束が、彼らに叩きつけられた。

 高圧の水流によって先頭にいた感染者たちはなぎ倒され、後ろから次々と殺到する感染者たちはそれに躓いて倒れる。


「ほら、立って! 逃げるよ!」


 駆け寄ってきた未来が京平を助け起こす。

 息も絶え絶えの京平に対して、未来はまだ余裕がありそうだった。


 京平と未来が小走りでその横を通り過ぎたポンプ車の前では、初老の消防団員らが、水を噴き出すホースを横に振っていた。

 グラウンドと道路の境界あたりに足止めされた感染者らは、絶え間なく浴びせられる放水に搦め取られ、立ち上がろうとしては吹き飛ばされることを繰り返す。

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