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カルトアイランドZ  作者: 冷凍野菜
第1章
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第1話 アウトブレイク(前)

「ねえ、ねえってば!」


 自室で昼寝していた長谷川京平は、妹の苛立った声を受けて睡眠の中断を余儀なくされた。

「まだ寝足りない」と抵抗する瞼をこじ開け、ベッド脇に立つ妹を見上げる。蒸し暑い部屋の中は薄暗く、夕食の準備ができたのかと思ったが、サイドテーブルの上の時計に目をやれば針はまだ五時過ぎの辺りを指している。夕食にはまだ早い。


「……人がせっかく気持ちよく寝てたってのに、何の用だよ」


 京平は重たい頭をもち上げ、妹――長谷川夏海を睨んだ。

 夏海はそれを意にも介さず、いつも通りの仏頂面で京平を見下ろしながら、「ブレーカを上げてきて」と不機嫌そうに言ってきた。

 

「は? ……また落ちたのか?」


 ようやく意識が覚醒してきた京平はベッドから身体を起こし、天井の蛍光灯からぶら下がっているスイッチ紐を引っ張った。普段なら点灯管が数回瞬いてから丸形蛍光管が白い光を放つはずだが、スイッチを何回引いても蛍光灯は点かなかった。

 二十年選手の蛍光灯本体が壊れたのかとも思ったが、窓際で常に首を振っているはずの扇風機も止まっている。

 どうやら、またブレーカが落ちたらしい。夏休みに入ってからもう二十回以上ブレーカが落ちていて、京平はいい加減うんざりしていた。


 原因は分かっている。約半年後に迫った高校受験の勉強に精を出す夏海のため、夏休みに入ってから毎日朝から晩まで運転しているリビングのエアコンのせいだ。エアコンが動いていることを忘れ、普段の感覚で電子レンジやドライヤーを使うと、すぐにブレーカが落ちるのだ。

 ブレーカが落ちるたびにゲームのデータが飛び、テレビの録画は失敗し、夜なら真っ暗になる。

 京平は契約アンペア数を上げるように何度も母に上申したが、「家計の事情」を持ち出した母によって全てにべもなく却下されていた。


「ブレーカくらい自分で上げればいいだろ」


「私の背じゃ届かないでしょ」


 昼寝を妨げられた京平は不機嫌さを隠す気もなかったが、夏海はそれを気にもしない。京平は身体を仰け反らせるようにして大きく伸びをしてから、渋々立ち上がった。


「てかさ、なんで制服着てんの?」


 部屋を出て、電気の消えた薄暗い階段を下りながら、京平は後ろを歩く夏海に聞く。夏海は夏休みにもかかわらず、何故か昭野島中学校指定のセーラー服を着ていた。


「他に着るものがなかったから。学校がなかったら着ちゃいけないなんて決まり、ないでしょ?」


「決まりはないけどさ、しわが付くって母さんに叱られるぞ」


 洗面所のドアを開けると、昼間でも薄暗い洗面所は、ほぼ真っ暗だった。

 京平は携帯をポケットから出し、フラッシュ用のLEDライトを点灯させる。狭い洗面所を弱々しい光が照らし、天井の蛍光灯を点けたときとは異なる陰影が不気味な雰囲気を醸しだす。


 京平は壁面の高い所に取り付けられた配電盤を照らした。そして、手を伸ばしかけ、ブレーカのレバーが上がったままになっていることに気づいて固まった。

 過電流でブレーカが落ちていたら、レバーが下がって「切」側になっているはずだ。だが、分電盤に収められた漏電ブレーカも、いくつもある小さなレバーも、全て「入」の状態のままだった。


 京平は取り敢えずブレーカのレバーを上げ下げしてから、洗面所の入口に立っている夏海に「電気点けてみろ」と言った。夏海が洗面所の蛍光灯のスイッチを入れるパチッという音が響くが、案の定、天井の蛍光灯は点かなかった。


「なんだ? 停電か?」


 ブレーカが落ちたのではないとなると、停電だろうか。本土ではそうそうないことだが、この島では台風や落雷で停電になることが珍しくない。


「ブレーカが落ちたんじゃないの?」


 洗面所から出てきた京平に、夏海が聞く。京平は「違うみたいだ」と答えながらリビングルームに向かい、引き戸を開けた。

 少し前まで動いていたであろうエアコンが作り出した冷気が溢れ出てきて、京平の身体を包み込んだ。肌の上に、被膜のように纏わりついていた湿った熱気がたちまち吹き飛ぶ。エアコンは吹き出し口を開けたまま運転を停止しているので、冷気を堪能できるのは今のうちだけだろう。


 大きな窓のあるリビングは階段や洗面所に比べればまだ明るかったが、それでも八月の夕方五時とは思えないほど薄暗い。

 窓際に立って外を眺めれば凄まじい雨が降っており、向かいの家の屋根に触れそうなほど低く、鉛色の雨雲が垂れ込めていた。普段ならこの窓から一望できるはずの蛇原山へびはらやまは雨のカーテンの向こうに灰色の影として捉えるのがやっとであり、標高二百メートル程度の山頂付近は雲の中にあるらしく、輪郭すら分からなかった。


「街灯も消えてるし、停電かな」


 京平の隣で外を見ていた夏海の言う通り、明暗センサが壊れて常に点きっぱなしになっていた家の前の街灯が、消灯していた。さらに、分厚い雨雲のせいで大分暗くなってきているというのに、向かいの家の窓には一切明かりが見えない。

 どうやら、停電で間違いなさそうだった。


「でも、台風でもないのに何で停電したんだろう」


 夏海が首を傾げる。京平はあまり興味なさそうに「さあ」と応じた。


「父さんがミスして発電機か何かぶっ壊したんじゃないか」


「縁起でもないこと言わないでよ。お父さんがクビになったら、私、高校行けなくなっちゃうじゃない」


 京平の軽口を夏海が窘める。

 京平と夏海の父は、この島の電力を賄う昭野島発電所の所長をしている。発電所といっても、島の人口三百人分の電力を賄えればよいので、大型のディーゼル発電機が数台置かれているだけの小規模なものだが。

 父は、台風のときなどには発電所に泊まり込みで停電の発生に備えることもあり、今日も復旧するまでは帰って来られないだろう。


「そうだ――」


 夏海が何か言いかけた直後、至近距離への落雷を想起させる凄まじい破壊音がそれを遮った。


 ビー――


 間を置かずに鳴り出した自動車のクラクションのような音が、辺り一帯に響き渡る。慌てて窓を開けて外を見れば、向かいの屋根の向こうに黒煙が上がってゆくのが見えた。


「なにあれ……」


「さあ。ちょっと見て来る」


 事故でも起こったのだろうか。そう思い、京平は玄関に向かった。中学時代に使っていた長靴は既にサイズが小さくなってしまい履けないので、いつも履いているスニーカーを履き、ビニール傘を傘立てから取って玄関の引き戸を開ける。激しい雨音と、一定の音程で鳴り続けるクラクションの音が一段と大きくなる。


 傘を広げ、軒先から一歩足を踏み出すと、雨粒が傘に弾けてバタバタと喧しい音を立て、たちまち靴の中に水が染み込んできた。

 錆びついてキーキーとうるさい胸の高さほどの門扉を開け、家の前の細い私道に出る。同じタイミングで向かいの星野さんの家の玄関が開き、中年の女性が出てきた。京平が挨拶をしようと口を開く前に、星野さんは「さっきの音聞いた? 凄かったわよねえ」と話しかけてきた。


「それに、このずっと鳴ってる音、なんなのかしら」


「クラクションじゃないですかね、車の。煙も上がってるんで、多分車が事故を起こしたんじゃないですか」


 京平が指差す先、大通りのほうから黒い煙が濛々と立ち昇っている。振り向いて確認した星野さんが、「まあ、なんてこと」と言いながら口を手で押さえた。

 衝突音が気になったのか、他の近隣住民も何人か家から出てきて、立ち昇る煙を見ながら何事か話している。家から出てこないまでも、窓を開け、外の様子を窺っている人もいる。

 この土砂降りの雨でも家から出て来るか否かによって、その人の野次馬根性の度合いが測れるなと、京平はなんとなく考えた。


「なんだか車の事故みたいですってね」


 星野さんが、二人で話していた近隣住民たちに話しかける。三軒隣の家の老人が「みたいですね」と答え、斜向かいのおじさんが「通報しようとしたんだけど、携帯が圏外ってなってて繋がらないんだよ」とポケットから二つ折りの携帯電話を取り出して言う。

「やっぱり携帯繋がらないですよね。停電で固定電話は使えないし。そういえば、少し前に基地局に非常用電源を導入したとか言ってたけど、全然役に立たないじゃない」と、私道の奥のほうから歩いて来たおばさんも話に加わった。


 井戸端会議の様相を呈しそうになったその場だったが、こんなところでいつまでも話していても仕方がないので、当然の流れとして煙の上る大通りのほうに向かうことになった。京平は四人に続き、両脇に人家が疎らに立ち並ぶ細い市道を歩いてゆく。


 大通りに近づくにつれて、鳴り続けるクラクションに混じって怒号や悲鳴が聞こえてきた。不安感を煽るクラクションの音階と悲鳴、さらにガラスの砕ける音まで聞こえてきて、京平は歩調を緩める。

 自動車事故でも起こったのだろうと予想していたが、それにしては様子が変だった。京平は怪訝に思いながらも、それでも足を止めることなく大通りに向かった。


 あと十メートルほどで市道を抜けるところまで来て、見慣れない真っ白な服に全身を包んだ男女が大通りを駆けて行くのが見えた。私道の両脇にそそり立つブロック塀に阻まれて視界が狭く、白装束たちが見えたのは一瞬だったが、彼らは何かから逃げているかのような必死の形相で走っていた。

 彼らが視界から消えた直後、今度はそれを追い掛けるように、全く同じ白装束に身を包んだ連中が大通りを駆け下りてゆく。「誰だあいつら」と思ったが、口には出さなかった。


 京平は、四人の近隣住民と共に市道から大通りに出た。

 大通りとは言っても、乗用車が辛うじてすれ違える程度の幅の道路沿いに、民家と数軒の商店が間隔を開けて並んでいるだけで、本土の者からすればとても「大通り」と呼べるような代物ではないだろう。

 普段は人通りも疎らなその大通りだったが、今そこで繰り広げられている現実離れした光景を目にして、京平は凍りついたかのように動きを止めた。


 白い軽自動車が路肩の電柱にボンネットをめり込ませ、炎と黒煙を上げていた。鳴り続けるクラクションはその軽自動車が発している。

 軽自動車の脇には、つい今しがた走って行ったのと同じ白装束の連中が数人集まり、四つん這いになって運転手と思われる男性に覆い被さっている。


 京平は最初、彼らは男性の救護をしているのだと思った。だが、それにしてはどうにも様子がおかしかった。心臓マッサージや怪我の手当てをしているようには見えず、彼らは男性の胸や腹に顔をうずめ、顎だけを忙しなく動かしていた。

 京平は「何をしているんだろう」と思いながら、白装束たちを眺める。彼らの口元は真っ赤に汚れ、倒れている男性の腹からは赤黒いチューブのようなものが引き摺り出されていた。男性の腹の部分は、ぽっかりと穴が開いているかのように窪んで見える。


 京平は五秒ほどかけてじっくりとその様子を眺め、ようやく彼らが何をしているのかを認識し、戦慄した。

 彼らは男性を助けるどころか、男性を喰っていたのだ。

 白装束たちの足元からは夥しい量の赤い液体が流れ出し、肉を噛み千切るたびに飛び散る赤い液体が白い服を汚してゆく。京平は思わず顔を背けるが、人間に覆い被さって一心不乱に口を動かす白装束の集団は大通りのあちこちに見えた。


 わけが分からなかった。

 いったい、何が起こっているんだ? これは現実か? 暑い中で昼寝をして、悪い夢でも見ているんじゃないのか? そう言えば、昨日か一昨日に衛星放送でやっていたゾンビ映画を見たっけ。そうか、俺はそれに影響されて、こんな夢を見ているんだ。


 早々に限界を迎えた京平の頭は、目の前に広がる光景を現実ではないと否定した。まるでゾンビ映画のような、人間が人間を喰らうようなことが現実に起こるわけがないのだ。

 ゾンビがこの昭野島に現れる可能性より、そういったシチュエーションの悪夢を見ている可能性のほうが遥かに高いだろうと、冷静を保っていた脳の一部が結論付ける。

 だが、手の甲を力いっぱいにつねってみれば、夢ではあり得ない鋭い痛みが走った。


 ガラスの砕ける音が響いた。音がしたほうに目を向けると、白装束の女が素手で大通り沿いの民家の窓ガラスを叩き破って、家の中に侵入するところだった。民家の中からくぐもった悲鳴が聞こえてくるのと同時に、恐怖に顔を歪ませた小太りの男が、ゴルフクラブを片手に玄関を開けて飛び出してくる。

 玄関のすぐ前にいた白装束が男に気づいて襲い掛かるが、ゴルフクラブのフルスイングを側頭部に食らい、飛び掛かる勢いのまま頭から玄関の横の壁に突っ込んでいった。モルタルの壁が鈍い音とともに砕け、白装束の首から上が壁に埋まる。


 男は、壁に刺さった状態でぴくりとも動かなくなった白装束には見向きもせず、内側に倒れ込んだ門扉を踏みつけて大通りに飛び出した。

 物音に気づいたらしい他の白装束一人が、陸上選手並みの足の速さで男に駆けてゆく。男が雄叫びを上げながらゴルフクラブを振り抜く。

 ガードしようともしなかった白装束は、ゴッ! という頭蓋骨の砕ける鈍い音とともに頭頂部を陥没させられ、走る勢いのままもんどりうって倒れた。


 しかし、雄叫びを上げたのは不味かった。目の前の死体に喰らいつくことに集中していた大通りの白装束十数人が、一斉に男のほうを見たのだ。

 男は自分が犯した過ちに気づいて目を見開き、ひしゃげて使い物にならなくなったゴルフクラブを取り落とした。アスファルトに金属の打ち付ける甲高い音が、思いのほか大きく響く。

 男は助けを求めるように辺りを見回し、二十メートルほど先で呆然と立ち尽くす京平に気づいた。

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