第16話 蛇血島人喰伝説
昭野島はかつて、「蛇血島」とよばれていた。
このあからさまに不吉な名前だが、昭和四十七年に「昭野島」へと改名されるまでは、正式な島の名前として地図にも載っていた。
この島名の由来は諸説あったが、数百年前に島で起こったとされる大規模な土砂崩れの伝承が語り継がれてきていたことから、この伝承が島の名前の由来だとする説が最有力であった。
「蛇」の漢字が用いられる地名は、かつて土砂災害のあった場所に付けられることが多いので、蛇血島もその例に漏れずというわけである。
昭和六十年頃に昭野島村役場が行った調査で、現在では公民館の資料室に収蔵されている古文書や、隣――といっても百キロ以上離れているが――の有人島にある寺から見つかった古文書が解読された。
その結果、昭野島に口伝で受け継がれてきた大規模な土砂崩れの伝説が事実であることが確認された。
最大で島民の九割が死亡したと考えられるこの「蛇血島山津波伝説」が、縁起でもない旧島名の由来であると公式に認定されたのだ。
この伝説は島民ならば小学校の社会科で習うし、親や祖父母から聞くことも多いので、昭野島の島民ならば誰でも知っている話である。
だが、京平を含む大多数の島民が知っている「蛇血島山津波伝説」は、実は伝説全体の一部に過ぎないと老婆は言った。
京平が知っているのは、「大雨の後に蛇原山が大きく崩れ、麓の集落を直撃して島民の多くが犠牲になった」というような話だが、老婆が言うには伝説には続きが存在するらしい。
伝説の後半部分は土砂崩れの後の蛇血島で起こったとされる異様な事件に関するものであり、その内容の突拍子のなさから、後年に誰かが戯れに付け足した作り話だろうと思われていた。
昭和六十年の調査でも、伝説の後半部分については裏付けが取れず、また内容がまるで血みどろのホラー小説のようだったため、不吉な「蛇血島」のイメージを払拭したかった当時の島民は伝説の前半部分しか語らなくなった。
その結果、今では伝説の後半部分の存在自体、知る者も少ない。
「わしはの、伝説の続きは真実だとずっと信じておったのじゃ。だが、無知蒙昧な役場も、学者連中も、お前らも、わしの言葉には耳を貸さず、嘘と決めつけてきた。わしは――――」
「あの、すみません。言いたいことはあるかと思いますが、伝承の説明をお願いします」
老婆の話が熱を帯びてきて脱線し始めたところで、小野田が遮った。
老婆も一刻を争う現状を認識できていないわけではないらしく、話の腰を折られて機嫌を悪くしながらも、本の束の一番上から「蛇血島人食伝説」と書かれた冊子を取って、説明を再開した。
※
永禄六年(西暦一五六三年)、夏。
蛇血島では桶を逆さにしたような雨が止むことなく降り続いていた。
雨が降り始めて十日目の夜、島の中心にそびえる蛇原山が大規模な土砂崩れを起こし、土石流が麓の村を直撃した。
当時は、現在の北集落にあたる村が島で唯一の村落であったため、全島民の約半数が土砂に飲まれて行方不明になるか死亡したとされる。
その後も雨は降り続き、やっと雨が止むと、今度は異常な暑さが蛇血島を襲った。
地面を覆い尽くす緩んだ土砂はあっという間に乾燥し、風が吹くたびに砂埃が舞い上がった。
土砂に埋まらなかった唯一の井戸は、しかし泥水しか出なくなり、清流であった沢は茶色い濁流と化していた。
田畑は全滅し、備蓄されていた米や保存食も流されるか水没するかして、ほぼ全てが失われた。
強烈な飢えと渇きが生き残った島民に襲いかかった。だが、島民を襲ったのは飢餓だけではなかった。
潰れた家屋や土砂の下で放置された死体が腐敗し、飲用や調理に使われるのが泥水という劣悪な衛生環境は、赤痢などの疫病の流行を促進した。
土砂崩れを運よく生き残った島民たちは、今度は飢餓と病気に倒れていった。
港にあったはずの船は全て嵐で流され、島民たちは島から逃げ出すこともできなかった。
※
ここまでが、「蛇血島山津波伝説」の大まかな内容である。
京平が知っている伝説はここで終わりであり、多くの場合「その後、ご先祖様たちは飢えに苦しみながらも何とか村を元通りにしました」というようなハッピーエンドが付け加えられる。
だが、本来の伝承では、山津波伝説の後にはもう一つ伝説があるという。
「蛇血島人食伝説」である。
※
土砂災害から一ヶ月ほど経った蛇血島。復興は程遠く、飢えと渇きと疫病で島民はさらに数を減らしていた。
ある日、島民の少年が母親と幼い弟を殺し、その肉を食らうという事件が起きた。極度の飢餓が、少年に親殺しと人肉食という二つの禁忌を破らせたのだろうと、当時の島民らは考えた。
少年は二人を喰った後、帰ってきた父親にも襲いかかり、父親の手で殺された。
事件の翌日、今度は少年の父親が正気を失って暴れ出した。
騒ぎを聞いて駆け付けた島民らが見たのは、血塗れで倒れ伏す隣家の若い娘と、血の海の真ん中で赤ん坊に喰らいつく少年の父親の姿であった。
彼は島民らに気づくと、野良犬のように吠え猛りながら突進し、島民らに斧や鍬で滅多打ちにされて死んだ。
彼の獣のような行動から、原因は「狐憑き」と考えられた。
「狐に憑りつかれた」一家は全滅したが、狐憑き――または「人食い」とも呼ばれたが――はその後も繰り返し、蛇血島に現れた。
「狐憑き」によって、土砂災害とその後の劣悪な衛生環境を耐え抜いた島民らは、さらに数を減らしていった。
お祓いをしようにも島の神社は土砂崩れで神主ごと消失しており、島民らはただ怯えることしかできなかった。
島民らは飢餓に加えて、また「狐憑き」が出現し、今度は自分が襲われるのではないかという恐怖に苛まれることになった。
忽然と姿を消した島民が「狐憑き」となって戻ってきたり、「狐憑き」に寝込みを襲われて一家が全滅したりといったことが相次ぎ、隣の島に助けを求めるための船が完成する頃には、島の人口は十人を割っていた。
もはや土砂に埋もれた集落を復旧するどころではなく、生き残った僅かな島民たちは、「狐憑き」がうろつく蛇血島から這う這うの体で逃げ出した。
蛇血島に人が再び足を踏み入れたのは、その数年後のことである。
蛇血島出身者と、隣の島からの入植者たちからなる開拓団が、無人になって久しい蛇血島に上陸した。
入植者たちの多くは隣の島で居場所のなかった者たちであり、蛇血島の生き残りは入植者に比べて少数であった。
隣の島から来た入植者たちは土砂の上に新たな集落をつくり、蛇血島出身者たちは自分たちの島に戻って来たにもかかわらず差別を受けて追いやられ、島の反対側の急峻な斜面を開拓することを余儀なくされた。
これが、現在の北集落と崖登集落のルーツである。
崖登への差別は時代を下るにつれて徐々に弱まり、高度経済成長前には自然消滅していたようだが、崖登集落の公民館がやたらと豪華なのはその辺りの事情もあるという。
※
普段なら老婆の話が終わると、老婆に批判的な島民たちが野次を飛ばすのだが、今回は誰も何も言わなかった。
皆、絶句しているのだ。
老婆の話した「蛇血島人食伝説」に出てくる「狐憑き」は、まさに現在の昭野島に現れた感染者そのものであった。
数百年前の真実かも怪しい昔話だが、無関係と言い切ることなど誰にもできない。
「……しかしその話、本当なのか?」
いつも老婆に突っかかる老人が、説明を終えて息を整えている最中の老婆に絞り出すように聞いた。
「話が事実なら人骨が出土したりしそうなもんだけど、調査で何も出なかったから無かったことにされてしまったんだろう?」
「それは違う! 古文書には『狐憑きの犠牲者は蛇原山頂上に埋葬した』とある。だが、発掘調査はホテルの建設業者に拒否されたのじゃ! 発掘調査さえしていれば証拠は――――」
老婆は元気にまくし立てるが、小野田が「待ってください」と遮った。
「伝説が本当なら、山頂のホテルの下には数百年前の『狐憑き』の骨が埋まっているわけですよね。で、そのホテルの今の持ち主は――」
――カナリア聖教だ。
突如として現れた感染者とカナリア聖教の関係が、パズルの最後のピースがはまったかのように繋がった。
「何百年も前の伝染病を、カナリア聖教が掘り起こして蘇らせたってことか」
京平が呟いた。
「蛇血島人食伝説」で「狐憑き」と呼ばれているそれは、実際には感染者だったのだろう。
五百年近く昔にウイルスや細菌といった概念など無かっただろうから、当時の人々は呪いや霊的なものの仕業と理解した。
蛇血島の人口のほとんどを死亡させた「狐憑き」はその後消滅し、数百年に渡って細々と伝わってきた伝承すらも現在ではほぼ忘れ去られていた。
だが、カナリア聖教は島民すらほとんど忘れていた伝承をどこからか聞きつけ、周到な準備の末に地獄の釜の蓋を開いた。
教団は五百年前の「狐憑き」こと感染者の死体を掘り起こし、どうにかしてそこからウイルスだか細菌だかを取り出し、培養し、現在の昭野島でばら撒いたのだ。
「なんでこんなことを。カナリア聖教のせいで、お母さんは……」
夏海は怒りに身体を震わせながら、静かに涙を流した。夏海の親友である下山梓が、慰めるように夏海の肩を抱く。
「狂った奴らの考えることなど分かりませんが、カナリア聖教は国家転覆を目的とする危険思想のカルト宗教として、我々、公安警察の捜査対象になっています。細菌兵器の開発・製造は、テロによる国家転覆のためと思われます。もしくは、細菌兵器で日本政府を恫喝するつもりなのかもしれない。まさか半年程度で細菌兵器の開発に成功するとは、私を含め公安の誰も予想していませんでしたが……
「この島で生物兵器をばら撒いたのは実地での実験のためか、もしくは事故で漏洩してしまったのか。信者も多数感染して犠牲になっていることを考えると、私は事故の線が濃厚だと思います。また、ワクチンも存在しない可能性が高い」
小野田が、まるで報告書を読み上げるかのような調子で淡々と述べる。
つまり、母親が正気を失い、京平自ら手を下すことになったのは、カナリア聖教のふざけた国家転覆計画のせいということか。
京平は気づかぬ間に拳を固く握りしめていた。未だかつて感じたことのない怒りが、カナリア聖教に対して沸き上がってくる。
同時に、テクニカルに乗ってきたカナリア聖教の戦闘員を自分の手で撃ち殺せなかったことへの後悔の念すら湧いてきた。
あのときに銃身の短いリボルバー拳銃ではなく、この短機関銃を持っていれば、あいつの身体を穴だらけにしてやっていたのに、と。
今度カナリア聖教の信者と遭遇したら間違いなく撃ち殺してやると、京平は心に決めた。




