第15話 不安全地帯(下)
京平と小野田が戻ったときには、公民館は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
物資を回収しに行った住民たちが崖登集落内で正体不明の武装集団に銃撃されて死亡し、小野田たちと銃撃戦を繰り広げたことは、先に戻っていた下田と唯一の生存者によって公民館の人々にも知れ渡っていた。
全身泥だらけのまま玄関に上がった京平に、未来が「大丈夫、怪我してない!?」と心配そうに駆け寄ってきた。後ろから、心配そうな顔の夏海も現れ、京平は少し安心した。
夏海が「死んでくれればよかったのに」と言いたげな目を向けてきていたら、流石に京平も落ち込んでいただろう。
「皆さん、お集まりください」
小野田がそう言って住民たちを集めた。京平は風呂に行こうと思っていたが、仕方がないので泥塗れのままホールに向かう。
子供たちとその親を除く全住民がホールに集まると、小野田が話し始めた。
「状況は思っていたより悪い。というか最悪です」
小野田は、先ほどの戦闘と現状について、手短に住民たちに説明していく。
感染者の脅威に、新たに機関銃や簡易戦闘車両といった強力な武器を装備したカナリア聖教の脅威が加わった。ただでさえ悪かった状況は、輪を掛けて絶望的になった。
カナリア聖教の武装集団の人数や装備の陣容は分からない。
だが、カナリア聖教昭野島支部には百人以上の信者がいたことから考えて、少なくとも追い返したテクニカルで全てということはないだろう。
連中は態勢を整え、また崖登に襲撃を仕掛けてくる可能性が高い。
少なくとも小野田はそう予測している。京平も同意見だ。
だが、住民側には、殺害した戦闘員から鹵獲したミニUZI短機関銃とAK-47自動小銃の他には、住民の私物のボルトアクション式ライフルと水平二連散弾銃が一丁ずつしかない。
機関銃を搭載し、全員が自動小銃や短機関銃といった強力な銃器で武装している戦闘員を乗せたテクニカルの襲撃を再び受ければ、火力で圧倒されることは目に見えていた。
「正面から戦い、教団戦闘員らの崖登侵入を防ぐのは、現実的ではない。だが、こちらには地の利がある」
そして、テクニカルの集落内への侵入を防ぐために崖登集落入口にバリケードを設置する計画が実行に移された。小野田の発案だった。
崖登集落への入口に自動車を並べれば、テクニカルの侵入は防ぐことができる。道路を塞いでも、降車した戦闘員らが集落内に浸透して来る可能性はあるが、テクニカルの機銃掃射を受ける可能性がなくなるだけで、住民たちが教団の武装集団に勝てる可能性はだいぶ高まるだろうと小野田は話していた。
消防団員を中心とする十人弱の住民たちは二班に別れ、二つある崖登集落の入口に向かった。
京平も短機関銃を握り締め、東側入口に向かうバリケード設置班に護衛担当として付いて行った。
崖登集落内部は、気分的にはもはや敵地だった。
京平含め、設置班の面々はびくつきながら崖登集落を横切り、大急ぎで入口近隣の住宅から自動車を運び出した。
キーはどの車も差しっぱなしだったので、時間はあまり掛からなかった。
集落入口の道路を横向きに並べた自動車で塞ぎ終えると、設置班の面々は逃げるように公民館に帰ってきた。
結局、京平たちが感染者や武装集団の襲撃を受けることはなかった。
泥塗れのまま、バリケード設置班の護衛を任されていた京平は、ようやく風呂でシャワーを浴びることを許された。
一段落ついたことで意識に余裕が生じ、射殺した母親のことが脳裏を過ることもあったが、即座に他の思考を割り込ませて考えないようにした。
少なくとも昭野島を脱出するまでは、生存を妨げる可能性があることは考えないようにしなければならない。
とっくに乾いてしまった泥を洗い流し、新しい服に着替えて脱衣所を出た京平は、何やらホールが騒がしいことに気づいて足早にホールに向かった。
「警察はこうなることを分かっていたのか? 知っていたのか、おい!」
ホールに入った京平が見たのは、回収班の唯一の生き残りで、自らも足を負傷した住民の男が鼻息荒く小野田に詰め寄ろうとし、周囲が慌ててそれを制止するところだった。
制止した周囲の住民たちだったが、彼らも小野田に睨むような視線を向けている。
「何があったんだ?」
京平は、壁際で騒ぎを見ていた未来に聞いた。未来は「小野田さんが、この島に来たのはカナリア聖教の内偵調査のためだって打ち明けたの」と答えた。
「ああ、なるほど……」
京平は既に聞かされていたので特になんとも思わなかったが、そうではない住民たちの多くは衝撃を受けたようだ。
「警察はこうなることを知っていて、カナリア聖教を野放しにしていたのかよ!? おい、答えろよ!」
生存者の男が複数の住民たちに羽交い絞めにされながら、小野田に怒鳴る。
「私が聞いていたのは、ここ最近カナリア聖教が不審なものを昭野島に持ち込んでいたということくらいです。警察も、教団をカルトと見なしてはいても、突然銃器を振り回して暴れるほど危ない団体だとは――」
「でも鉄砲を持ち込んでいるのは掴んでいたんでしょ? なんでそこで強制捜査だか何だかをやってくれなかったのよ!」
小野田が答えるが、初老の女性がそれをヒステリックな甲高い声で遮った。何人かが同調の声を上げる。
小野田は「あれだけの銃器の不法所持を見抜けなかったのは我々、警察の落ち度です」と冷静に認めた。
女性はまた何か言おうとしていたが、微妙に話がかみ合っていないことに京平は気づいた。
「カナリア聖教が持ち込んでいた不審な物ってなんですか? これのことじゃないんですか?」
京平はそう言って、短機関銃を持ち上げた。
息を吸い込み、小野田を批判すべく口を開く直前に京平に遮られて不完全燃焼を起こした女性が、京平を振り向いて睨みつける。
「カナリア聖教昭野島支部――通称『昭野島道場』には、ヒト、モノ共に不審な点が多々ありました。まず、昭野島に来た教団信者のほぼ全員が理系、それも化学系または生物系の大卒または院卒でした。また、電子顕微鏡や培養器などの専門的な機材がいくつも持ち込まれていたことから、我々は昭野島の教団拠点にはなんらかの研究施設があるのではないかと考えていました」
小野田が淀みなく答える。
カナリア聖教は日用品や食料品は島の商店に発注し、島では手に入らないものは島民と同様に一週間に一回の定期船で仕入れていた。
だが、それとは別に教団所有の大型ヘリコプターが頻繁に昭野島に飛来し、何かを運び込んでいたらしい。
積み荷の正体はほとんど分かっていないが、一部の判明しているものは、大学の化学か生物系の研究室に置いてあるような機材ばかりだったという。
そういえば、この夏休みに帰省してから、島ではほとんど聞いたことのなかったヘリコプターのバタバタという騒音を何回も聞いていたことを京平は思い出した。
東京ではヘリコプターの騒音など日常のことであるため、気にもしていなかった。
「研究施設って、奴ら何をやっていたんだ?」
「我々が最も警戒していたのは化学兵器の密造です。本格的に調査を始める前にこうなってしまったので、真実は分かりませんが」
住民と小野田のやり取りを聞いて、京平はある可能性に思い当った。京平だけでなく、ここにいる全員が同じことを考えただろう。
カナリア聖教の怪しい研究施設と、突如発生した人間を凶暴化させる未知のウイルス。どう考えても、繋がりがありそうだった。逆に、これらに関係がないと考えるほうが不自然だ。
「その研究施設からゾンビウイルスが漏れたんじゃないのか?」
誰かが、住民全員が思っていたことを代弁した。
だが、小野田は「その可能性はあります」と前置きした上で、否定的な見解を述べた。
「ただ、カナリア聖教の研究活動が活発になったのはここ半年のことです。たった半年で、人をゾンビに変えるウイルスだか細菌だかを作り出すなんてこと、信者数五千人にも満たない新興宗教団体ごときに出来る芸当では――」
「作ったんじゃなくて、元からこの島にあったんじゃよ」
小野田の話を、しわがれ声が遮った。住民たちが一斉に声のほうを振り向く。
ホールの入口に「妖怪ババア」が立っていた。
老婆は年寄りとは思えないしっかりとした足取りでホールを横切り、中央のテーブルに本の束を乱暴に置く。
一番上のB5ノート程度の古びた冊子には、海上から撮った昭野島と思われる粗い白黒写真と、「蛇血島人食伝説」の明朝体が躍っていた。
「また訳のわからん話を次から次に……」
さっきも老婆と言い争っていた老人がうんざりしたように言うが、小野田はそれを遮って「なんの話ですか」と食いついた。
老婆は「よくぞ聞いてくれた!」と言わんばかりに、嬉々として語り出す。