第14話 不安全地帯(中)
京平と小野田と下田の三人は公民館を出て、車のヘッドライトが照らす坂を上って行く。懐中電灯はトラック側に見つかる可能性があるので使えない。
急坂のため、坂の上にいるはずのトラックは見えないが、裏を返せばトラックのほうからもこちらが見えていないということになる。
しかし、先頭の小野田が電柱やブロック塀に出来るだけ隠れるようにして進んでいくので、京平と下田もそれに従った。
小野田の右手には拳銃が握られており、下田はライフルの銃口を斜め下に向けるようにして保持している。もちろん、京平もリボルバー拳銃を右手に握り締めていた。
あと少しで坂の上に出るところで小野田は立ち止まり、後ろに続く二人に手の平を向けてきた。
立ち止まった二人は、小野田が手を上下する動作を見て、腰を屈めて近くの民家の塀に身を隠す。
小野田は電柱の後ろから坂の上を窺っていたが、すぐに二人の隠れるブロック塀の影に足音も立てずに戻ってきた。
「トラックは約二十メートル先。男がトラックの前に一人、荷台に一人。トラックの前にいる男は手にAK―47らしき自動小銃を所持。荷台には機関銃」
「機関銃!? 何者なんだ、そいつら」
辛うじて声を抑えるのだけは忘れていなかった下田が、驚きを露わにする。
京平も怪しいトラックだとは思っていたが、まさか自動小銃や機関銃で武装しているなんて夢にも思っていなかった。
「装甲はなく、武装は汎用機関銃しかないテクニカルだが、こっちの武器はライフルと拳銃だけです。厳しいですね」
「テクニカル?」
「機関銃などを搭載した、簡易的な戦闘用トラックのことです。まさか日本国内でお目にかかる日が来るとは……」
「で、どうするんだ? 先に仕掛けるか? そんなヤバそうな奴らを放置するわけにはいかんだろ」
下田の攻撃的な提案に、小野田は首を横に振った。
「明らかに違法な銃器を所持していて怪しいことこの上ないが、まだ敵と確定したわけではありません。先制攻撃はできない」
「なら、出て行って話しかけてみるか」
「敵だった場合のリスクが高すぎます」
「じゃあ、どうするんだ」
二十メートルどころか三メートルも離れたら聞き取れないだろう小声で、小野田と下田がやり取りをしている。
京平としては、自衛隊でもないのに国内で機関銃なんか持っている怪しい連中が味方とは思えないので、先制攻撃で潰したほうが良いと思っていたが、話を混ぜ返しても意味がないので黙っていた。
僅かな沈黙の後、小野田が口を開いた。
「……まず、私が物陰から『武器を捨てろ』とか呼び掛けます。それに奴らが従ってくれれば万事解決です」
「従わなかったら?」
「従わない場合は――」
そのとき、ガラガラという引き戸を開けるような音と、「誰だお前たち」という聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。京平を炎上寸前の車から引っ張り出した消防団員の声だった。
直後、連続した炸裂音が耳を劈いた。
炸裂音にほとんど掻き消されているが、僅かに男の悲鳴のような声も聞こえてくる。見なくても、トラックの機関銃が射撃を開始したのだとすぐに分かった。
京平は、殺意すら籠った射撃音に思わず身体を小さくする。
「援護しろ!」
小野田は立ち上がると、ブロック塀の影から飛び出した。そして、猛然と走りながら、右手だけで拳銃を構え、素早く発砲を繰り返す。
連続する発砲音は、機関銃のそれと比較して随分軽いものだったが、それでも人を殺すのには十分な威力だった。
テクニカルの荷台で銃架に載せた機関銃の引鉄を引いていた男が、後頭部に拳銃弾を食らって荷台から転がり落ちた。テクニカルの白い車体に赤い斑点が飛び散る。
テクニカルの横に立っていた男が、後方から聞こえてきた発砲音に即座に振り返り、自動小銃を腰だめにして薙ぎ払うように連射した。
小野田は咄嗟に近くの電柱の影に身を隠し、小野田を狙った小銃弾がコンクリート製の電柱の表面を抉り取る。
男はしゃがんでテクニカルの荷台の後ろに身を隠しながら射撃を継続し、小野田を電柱の影に釘付けにした。
自動小銃の弾が切れたのか射撃が止み、その隙に小野田がテクニカルに発砲する。
テクニカルの車体に火花が散り、複数の小さな穴が開くが、男には当たらなかった。
再び男が荷台の後ろから顔を出し、自動小銃の銃口が火を吹いた。小野田が隠れる電柱の近くで、着弾によって弾け飛んだコンクリートの破片と粉塵が舞い散る。
唐突に始まった戦闘に、ブロック塀の影で身を縮こまらせることしかできない京平と下田。
小野田は電柱の影からこちらを見ながら、ハンドサインと口の動きで何かを伝えようとしている。
しかし、二人ともハンドサインなど知らないし、薄暗くて口の動きはよく見えないので、「援護しろ」というようなことを言っているのだろうというところまでしか分からなかった。
小野田は繰り返しハンドサインを出しながら、拳銃だけ電柱の影から出して応射の火線をテクニカルに叩きつける。
音だけで身体を強張らせる威力を持つ銃声の応酬。そのただ中に飛び込んでいく勇気など京平は持ち合わせていなかったが、こうなれば自棄だ。
「下田さん、俺が向こうから発砲して気を引くので、その隙に奴を狙撃してください」
京平が隣の下田に言う。下田が了解するのを確認すると、京平は中腰のままブロック塀の影を移動し、胸ほどの高さの門扉を慎重に音を立てないように開けた。
民家の庭に勝手に入り、道路に面するブロック塀の透かし穴から敵の様子を窺う。テクニカルの影から自動小銃を撃ちまくる男は小野田しか眼中にないらしく、京平がいるほうには目もくれない。
京平は手に持っていたリボルバー拳銃の撃鉄を起こした。
カチリという音がして、引鉄が僅かに後退する。こうすることによって弱い力で引鉄を引けるので、狙って撃つときは撃鉄を起こしてから撃てと小野田に言われていた。
京平はブロック塀にいくつか開いている菱形の透かし穴を銃眼代わりに、地面に膝をついて両手で拳銃を構えた。
十五メートルほど先で、テクニカルの影から自動小銃を撃ちまくっている男の頭に、照星と照門を一直線に重ねる。そして、一切躊躇うことなく引鉄を引き絞った。
「クソ……」
感染者と化した母親を射殺している京平だ。住民を撃ち、小野田を撃ち殺そうとしている敵を殺すことに、今さら忌避感を抱くことなどなかった。
だが、爆竹が破裂するような乾いた銃声とともに、リボルバーの短い銃身を飛び出した弾丸は、男を外れた。
男の代わりに、テクニカルのテールランプが赤いプラスチックの破片を飛び散らす。
すぐさまもう一回引鉄を引くも、焦ってしまい狙いもろくにつけていなかったため、今度は車体にすら当たらなかった。
さらに引鉄を引くが、回転する弾倉と撃鉄の動くカチャカチャという金属音が虚しく響く。
弾切れだ。
別方向からの銃撃に驚いてテクニカルの影に身を隠していた男は、拳銃の発砲炎から京平の位置に気づき、京平の隠れているほうに自動小銃の銃口を向けてきた。
「気を引く」とは言ったが、撃った後にどうなるかまでは考えていなかった。暗い中でも、自動小銃の銃口の黒い穴がはっきりと見えた。
「あ、ヤバい」
京平が咄嗟に地面に這いつくばるのと同時に、銃声とコンクリートの砕ける音が鼓膜を乱打した。
拳銃とは比較にならない激しい銃声を響かせて発射される小銃弾は、コンクリートブロックの塀を容易く貫通し、砕かれたコンクリートの破片が京平に降り注ぐ。
聞いたことのない鋭い風切り音が頭上を飛び交い、京平は頭を両手で覆って「早く撃て!」と下田に叫んだ。
自動小銃と似ているが、より大きい銃声が一発。
それを機に、ぱたりと自動小銃の銃声が鳴り止んだ。京平は恐る恐る頭を上げ、銃撃で穴だらけになったブロック塀から外を覗く。
テクニカルの影から自動小銃を乱射していた男の姿は見えない。
銃声で気づかなかったが、いつの間にかエンジンを始動していたテクニカルがヘッドライトを点灯すると同時に急発進した。
ディーゼルエンジンを唸らせ、公民館とは逆の方向に走り出す。
再び銃声が鳴り響いた。テクニカルの車体に火花が散り、小さなリヤガラスが粉々に砕ける。
小野田と下田の銃撃だ。
京平も加わりたかったが、駐在から無断で拝借したリボルバー拳銃は弾切れで、予備の弾もない。
小野田は両手で構えた自動拳銃の引鉄を連続で引き絞り、下田も慣れた手つきでボルトアクションライフルを連続射撃する。
しかし、下田も小野田もすぐに弾倉内の弾を撃ち尽くし、再装填を終えたときには、テクニカルは塀や電柱に車体を擦りながらカーブの向こうに走り去っていた。
「京平くん、大丈夫か!」
怒鳴るように聞いてくる小野田に、京平は立ち上がって手をひらひらと振った。
「出てこないから撃たれたのかと。無事か?」
「無事じゃないですよ。死ぬかと思った」
京平は口に入った泥をペッと吐き、自分の身体を見下ろした。
怪我はなさそうだったが、雨でぬかるんだ地面に這いつくばったため、全身泥塗れになっていた。
顔を上げれば、目の前の塀は銃撃で穴だらけになり、小野田の隠れていた辺りも激しく損傷している。さながら紛争地帯のようだ。
「おぉい、助けてくれぇ!」
弱々しい声が聞こえてきた。声がしたほうを向くと、機関銃の掃射を受けて酷い有様となっている民家から、よろよろと人影が出てくるのが見えた。
小野田が懐中電灯で照らすと、住民の男だった。集落の家々に物資を取りに行った「収集班」の一人だ。
「大丈夫か!」
小野田が走り出した。京平もボロボロになった胸ほどの高さのブロック塀を乗り越え、小野田と下田に射殺された二体の死体の横を通り抜けて住民に駆け寄る。
「怪我は!?」
「僕は大丈夫だが、他の三人は……分からない」
男は声を震わせ、穴だらけになった民家に目を向けた。特に玄関のあたりの損傷が酷く、引き違い戸のガラスはほとんど残っていない。
小野田は民家に向かって歩き出す。京平も小野田の後に続いた。
道路に面する玄関の中では、三人の男たちが夥しい量の血を流して倒れていた。玄関から出ようとしたところで銃撃を受け、まとめてやられたのだろう。
胸に穴が開いている初老の男性は明らかに死んでおり、残る二人も身体の複数個所から血を流している。生きているとは思えないが、小野田は膝をつき、一人ずつ首に手を当てて脈を測る。京平はそれを黙って見ていた。
「全員、死んでる」
小野田が立ち上がった。玄関前で様子を窺っていた生存者の男は俯き、嗚咽を漏らし始めた。
「公民館に戻ろう。対策を練りなおさないと」
京平たちは民家を出て、公民館への道を戻る。収集班で唯一生き残った男も足を負傷しており、下田が肩を貸さなければ歩けなかった。
民家から二十メートルも歩くと、テクニカルがいた場所に着いた。二体の戦闘員の死体が路上に倒れており、散らばっている薬莢が小野田の懐中電灯の光に照らされて鈍く金色に輝く。
「二人は先に公民館に戻ってください。京平くんは手伝ってくれ」
小野田がそう言って、死体の横で立ち止まった。下田と生存者は坂を下りて行った。
「何をするんですか?」
「こいつらが何者か調べる。持ち物を漁ってくれ」
小野田は、下田が射殺した頭の半分なくなった男の横に膝をつき、ポケットが山ほどある黒いベストの中を漁り始める。
京平も、後頭部と背中から血を流し、うつ伏せに倒れる機関銃手の男の横に膝をつくと、身体をひっくり返して仰向けにした。
小野田の拳銃で背中側から何発も撃たれた男だが、拳銃弾に人体を貫通するほどの威力はなかったらしく、身体の前面は無傷に見えた。
京平は男のベストにカラビナでぶら下げられていた懐中電灯を取った。
そして、その懐中電灯を口に咥え、小野田がやっているように男が身に着けているベストのポケットの中を片っ端から取り出してゆく。
折り畳みナイフや昭野島の地図、さらにずっしりと重く長細い弾倉が二本出てきたが、身元の分かるようなものはなかった。
ズボンのポケットも漁るが、財布も携帯も持っていなかった。
「何か見つかったか?」
「弾倉とかナイフとかしかないです。身分証は見つかりません」
「そうか。使えそうなものは回収しろ。今後役に立つかもしれない」
小野田に言われるまでもなく、京平はナイフや弾倉などのベストから出てきた物資、そして男が自衛用に持っていたと思われる短機関銃を回収していた。
短機関銃はプレス加工で作られた直線基調の筐体と、機関部から直角に突き出たグリップが特徴的で、京平はこの短機関銃を映画で見た記憶があった。
下田のライフルと比べると、短機関銃はその名の通りだいぶコンパクトだが、それでもずっしりと重たかった。
立ち上がろうとした京平はふと、男のベストの腹の辺りが不自然に膨らんでいるのに気づいた。
ベストの脇腹の部分を回収したナイフで切断し、捲り上げる。すると、ベストの下に着ていた黒い作業着のベルトに、黒い革表紙の本が挟まれていた。
本を手に取って見たが、表紙には何も書かれていない。得体の知れない薄気味悪さを感じながら、表紙を捲る。
豪勢に分厚い光沢紙を用いた一ページ目には、胡散臭い笑みを浮かべた白装束の中年男の写真と、「Xデー カナリア教国樹立のとき」の青いグラデーションが掛かったタイトルが躍っていた。
皮革を使った高そうな外見とは裏腹に、中身は素人がワープロソフトで作ったパンフレットのように安っぽい。
タイトルの下には、「カナリア聖教革命実行本部監修」の文字が印刷されていた。
「……こいつらがどういう奴か分かりましたよ」
京平は小野田に本を差し出した。小野田は受け取った本をぱらぱらと捲り、「やはりカナリア聖教か」と呟いた。
「やはり? さっきから思ってたんですけど、この島で起きていることについて、何か知っているんですか?」
京平の疑問に、小野田は隠そうともせずに答えた。
「この島に来たのは、カナリア聖教の調査のためだ。詳しいことは公民館に戻ってから話すよ」
京平は眉をひそめた。夕食の後、小野田とは少し話したのだが、小野田が昭野島に来たのは二週間前だと言っていた。タイミングが良すぎる。
「……小野田さんは、こうなることを知っていたんですか?」
京平の硬い声に、しかし小野田は「まさか」と一笑に付した。
「孤立無援の中で重武装のカルト集団と闘うことになるなんて知ってたら、誰が来るものか。もしこうなることを上が掴んでいたら、公安の刑事なんかじゃなくて、機動隊の大部隊が送り込まれていただろうな」
小野田は鹵獲した自動小銃を手に、公民館に向けて歩き出した。
京平も短機関銃をスリングで肩に提げ、小野田に続く。