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カルトアイランドZ  作者: 冷凍野菜
第2章
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第12話 安全地帯(下)

 外がにわかに騒がしくなり、口喧嘩を続けていた老婆たちもそれに気づいて口を閉じた。

「おい、やめろ! 離せ!」「押さえろ!」といった怒号が窓から飛び込んでくる。


 京平は横にいる未来を見た。一瞬、二人の視線が絡み合う。

 直後、京平と未来は弾かれたように走り出した。状況が理解できず不安げに周りを見回すだけの住民たちの間をすり抜け、ホールを出てスリッパのままで玄関から公民館前の広場に飛び出す。


 いつの間にか雨は上がっていたが、ところどころに雑草が生えている土の地面は一面水浸しだった。

 玄関の脇に設置された発電機付きの投光器が広場を照らしており、玄関のすぐ前で黒焦げになっている京平たちが乗ってきたセダンと横転したミニバンの近くで、二人の消防団員と女の白装束一人が取っ組み合いの乱闘をしていた。


 白装束は歯を剥き出しにして、黒板に爪を立てて引っ掻いたときの音のような、人間の出せる声とは思えない絶叫を上げながら初老の消防団員に掴みかかり、歯をカチカチ鳴らしてその首筋に喰らいつこうとしている。


「こいつ、俺を噛もうとしてやがる! 早くどうにかしてくれ!」


「離せ! このイカレ女!」


 若い消防団員が、後ろから白装束を羽交い絞めにして引き剥がそうとする。白装束はお世辞にも力があるようには見えない痩せ型の女だったが、大人の男に全力で引っ張られているのにびくともしない。

 京平は消防団員らに駆け寄った。


「引っ張ります! せぇのっ!」


 京平は白装束に捕まれている初老の消防団員の背後に回り、腰を掴んで思い切り引っ張った。掛け声と同時に、反対側の若い消防団員も白装束を一気に引っ張る。

 いくら馬鹿力の感染者といえども男三人の力には勝てず、白装束は初老の消防団員を掴んでいた手を放した。京平と初老の消防団員は勢い余って後ろに転び、若い消防団員も白装束を掴んだまま後ろに倒れた。湿った音とともに地面の泥水が跳ねる。


 初老の消防団員を助けることには成功したが、誰もその後のことを考えていなかった。京平は「あ、まずい」と思ったが、時すでに遅かった。

 白装束の女を掴む若い消防団員の腕は倒れた衝撃で緩み、女はその隙に消防団員の上で身を捩った。若い消防団員は下敷きになった状態で女と向き合う格好になり、その直後、女は彼の首筋に喰らいついた。

 絶叫が辺りに響き渡り、噴き出した真っ赤な血が茶色い泥水に広がってゆく。


 消防団員が「捕食」される様子を、尻もちをついたまま凍りついたように眺めることしかできない京平と初老の消防団員の耳に、ブチッという何かの千切れる音がはっきりと聞こえてきた。

 それまで叫びながらじたばたと藻掻いていた若い消防団員は、音がすると同時に電源を切ったかのようにぱたりと動きを止めた。

 白装束の女が消防団員の上に馬乗りになったまま、口を忙しなく動かしているのが見える。湿り気を帯びた咀嚼音が、やかましい発電機の音に混じって聞こえてくる。


「きゃあぁぁ!」


 後方で悲鳴が上がり、振り返ると、公民館から出てきた住民の女が腰を抜かしていた。玄関からは今さら住民たちが出てきて、口々に驚きや悲鳴の声を上げている。


 声に気づいた白装束は首だけを回すようにして振り返り、十メートルほど先に見える二十人以上の人間と、二メートルも離れていないところで固まっている京平と初老の消防団員を視界に収めた。

 白装束は動かなくなった若い消防団員の肉を頬張るのをやめ、唸り声を上げながら立ち上がる。その目は明らかに京平たちを目標に定めていた。


 京平がズボンの右ポケットに手を突っ込むのと同時に、白装束の女が飛びかかって来た。

 京平はポケットから拳銃を抜こうとするが、銃身の上の凸凹とした簡易照準器アイアンサイトがポケットの口に引っ掛かって取り出せない。

 立ち上がって逃げる時間はもうない。迫り来る白装束に対して京平は無意識に目を固く瞑り、左腕を顔の前に持ってきて防御の姿勢を取った。


 ガン! という鈍い金属音がした。そして、それから一秒とせずに、何かが地面に倒れて水飛沫(しぶき)を飛ばすバシャッという音が、京平の真横から聞こえてきた。飛び跳ねた飛沫が、頬に冷たい感触を伝えてくる。

 目を開けると、白装束が京平のすぐ横にうつ伏せになって倒れていた。水飛沫は、白装束が倒れたときに跳ね上げた泥水だった。白装束の女は側頭部が抉られたように陥没しており、ぴくぴくと痙攣している。


 いつの間にか、京平の目の前には未来の後ろ姿があり、未来の手には剣先スコップが握られていた。尖ったスコップの先端には、べっとりと赤い液体が付いている。

 未来が京平を振り向いた。


「大丈夫?」


 そう言って、未来は京平に手を差し伸べる。

 未来にとって、感染者を殺すのはこれが初めてだろう。自分が銃を取り出すのにもたついたために、未来の手を汚してしまった。

 助けて貰ったことに「ありがとう」と言うべきか、それとも自分の不手際のために殺人という禁忌を冒させてしまったことに「ごめん」と言うべきか。一瞬迷ってから、京平は差し出された未来の手を取った。


「助かった」


「お互い様よ」


 謝罪とも感謝とも取れない京平の言葉に、未来は当然のことをしたまでといった風情で答える。

 既に、未来の視線と意識は倒れている若い消防団員のほうを向いている。未来も、とっくに覚悟を決めていたのかもしれない。

 京平も、もやもやとした思いを振り払い、意識を消防団員に向けた。


 白装束の女は既に動かないが、消防団員のほうは胸が上下していた。首筋を噛み千切られたものと思っていたが、彼が噛まれたのは肩だったようだ。溢れ出した血で紺の出動服が血塗れになっているが、喉や頸動脈は無事だったらしい。


「大変だ! 手を貸してくれ!」


 初老の消防団員が若い消防団員に駆け寄り、玄関の辺りで呆然と立ち尽くしている住民たちに叫んだ。

 住民たちはぞろぞろと小走りで向かって来るが、京平が「近寄るな!」と怒鳴ると、彼らは反射的に足を止めた。


「なぜ止める! このままでは息子が死んでしまう!」


 初老の消防団員が京平を睨みつける。京平はさりげなくポケットに手を入れ、今度こそすぐに拳銃を取り出して撃てるように準備しながら言う。


「さっきも話しましたが、感染者に噛まれた者は感染する。その人は恐らく感染しています」


「なんの根拠があってそんなこと……!」


 初老の消防団員はなおも突っかかってくるが、京平はお構いなしに拳銃を引き抜いた。

 住民たちがどよめくのも気にせず、短い銃身の上にオマケ程度に載っている照門と照星を若い消防団員の頭に合わせる。しかし、初老の消防団員が庇うように前に立ちはだかった。

 その後ろでは、若い消防団員が上半身を起こそうとしている。ついに目を覚ましたようだ。


「後ろ! 危ないから離れて!」


 未来が叫ぶ。


「そんな手に引っ掛かるか! 大人を舐めるな!」


 だが、初老の消防団員にはハッタリか何かと思われたらしく、まるで相手にされなかった。

 若い消防団員が立ち上がる。焦点の合わない白濁した目と、口角から血の混じった涎を流す彼は、明らかに感染者と化していた。


 京平は拳銃を両手で構え、感染者と化した若い消防団員を狙おうとするが、前にいる初老の消防団員に当たる可能性を考えると撃てない。

 五メートルと離れていない至近距離ではあるが、京平は今日初めて銃に触れた素人だ。ただでさえ狙いにくい短銃身拳銃による狙撃など、例え数メートルの至近距離でも不可能だった。


 感染者と化した若い消防団員が口を大きく開き、すぐ目の前の初老の消防団員に背後から襲い掛かる。見ていた住民たちが悲鳴を上げ、京平は拳銃を握る手に力を込めた。


 唐突に乾いた銃声が鳴り響き、今まさに後ろから初老の消防団員の首筋に喰らいつこうとしていた若い消防団員は、アッパーカットでも食らったかのように大きく仰け反った。そして、背中から地面に倒れて盛大に水飛沫を跳ね飛ばした。


 若い消防団員の眉間には直径一センチ程度の小さな穴が開いており、目を開いたまま、自分が死んだことにすら気づいていなさそうな顔をしている。もちろん京平に眉間を正確に撃ち抜く腕前などあるはずもなく、そもそも引鉄を引いてすらいない。


 京平は後ろを振り返った。

 玄関前に固まっている住民たちの先頭に、両手で自動拳銃を構える小野田が立っていた。小野田が握る拳銃の銃口からは、薄い煙が立ち昇っている。

 感染した消防団員を撃ったのは、彼だった。


「どうやら、京平くんたちの言っていたことは事実だったようだ」


 小野田は拳銃を腰のホルスターに仕舞い、近づいてきた。


「山向こうに感染者はどのくらいいた? 二、三十人くらいか?」


「聖教信者の感染者だけで二十人は見ましたし、北集落の人口は二百人以上です。少なくとも百人はいるんじゃないですかね」


 京平の答えに、小野田が絶句する。


「……そんなにか。そいつらが皆でこっちに来たら、俺たちはお終いだな」


 小野田の言う通り、感染者が一人現れただけで住民一人が犠牲になったのに、山向こうの北集落から感染者が大挙して押し寄せてくるようなことになれば、間違いなく崖登集落は北集落と同様の地獄と化すだろう。


「中に戻ろう。今すぐにでも守りを固める準備を始めないと」


 小野田はワイシャツの胸ポケットから取り出した煙草に火をつけながら、踵を返して公民館の中に戻っていった。

 人を殺したというのに、あまりにもあっさりとした小野田の様子に若干戸惑いながらも、京平と未来もそれに続く。


 息子の死体を抱きかかえる初老の消防団員の悲痛な慟哭が、発電機の奏でる騒音とともに背後から聞こえてきた。

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