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カルトアイランドZ  作者: 冷凍野菜
第2章
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第10話 安全地帯(上)

 事故の衝撃に三半規管を揺さぶられ、視界がぐるぐる回っている。

 酔っ払いのように足元の覚束ない京平は両脇から村民の男二人がかりで支えられ、半ば引き摺られるようにして公民館の玄関まで運び込まれた。

 公民館の中は電気が通っているらしく、天井の蛍光灯が無機質な白い光で古びた公民館の内装を照らしている。


 消火器を持った消防団員たちが、炎上する車の消火のために駆けてゆく。十人以上の崖登住民が、奥のホールから廊下に顔を出して心配そうにこちらを眺めている。

 その様子を見て、京平は張りつめていた緊張の糸が一気に緩むのを感じた。狂った人間か死体かしかなかった地獄から命からがら抜け出してきた京平たちにとって、多くの正常な人間が集まっている状況というのは、それだけで絶大な安心感を与えてくれた。

 口には出さなかったが、自分たち以外の人間は全て死んだか感染者と化したのではないかという最悪の状況も、想定できないわけではなかったのだ。


「未来ちゃん、無事だったか!」


 ホールから出てきた中年の男が、ばたばたと足音を響かせながら廊下を小走りでこちらに向かって来る。京平と違い普通に自分の足で歩いていた未来が、「あ、おじさん」と言った。


「山向こうが大変なことになってるって聞いて、心配してたんだよ! 怪我してないか!?」


「ちょっと首が痛いけど大丈夫です」


 大声で未来の無事を確認するおじさんに、未来は苦笑いしながら答えた。おじさんは「いや、無事でよかった」と胸を撫で下ろし、視線を夏海と数歩後ろで肩を支えられている京平に移した。


「京平くん、大丈夫かい? 夏海ちゃんも怪我してない?」


 夏海は「大丈夫です」と一言答え、ようやく足元のふらつきが治ってきた京平は、支えてくれていた若い村民二人に礼を言って放して貰った。まだ少し頭がくらくらするが、それもすぐ収まるだろう。


「三人ともびしょ濡れじゃないか。山向こうで何があったのかとか聞きたいことは色々あるけど、このままじゃ風邪を引いちゃうよな。風呂に案内しよう」


 未来のおじさんに案内され、三人は風呂場に向かう。

 人口約四十人の崖登集落だが、郷土資料館兼公民館は人口規模に比べて無駄に豪華で、鉄筋コンクリート造二階建てで風呂まで付いている。税金の無駄な気もするが、少なくとも今の京平たちにとってはありがたいので、建設当時の村長には感謝しなければなるまい。


「はい、未来ちゃんと夏海ちゃんの替えの服。夏海ちゃんのは梓ちゃんが貸してくれたから、後でお礼言っておいてね。未来ちゃんは背高いから、もしかしたらこれだとサイズ合わないかも。小さかったら言ってね」


 おじさんの後ろから現れた未来のおばさんがそう言って、持ってきた紙袋を未来に渡す。未来は「ありがとうございます」と頭を下げ、夏海もそれに続く。

 未来と夏海は脱衣所に消え、おじさんとおばさんはホールに戻って行った。


 京平は、ドアの向こうから聞こえてくるシャワーの水音と、内容までは分からないが微かに聞こえてくる未来と夏海の話し声になんとなく耳を傾ける。腕時計を見れば、時刻は十九時四十分過ぎを指していた。僅か二時間半前まで流れていたはずの日常が遥か昔に感じられる。


 白装束に追い掛け回され、必死に逃げて、襲いかかってきた駐在の奥さんを殺し、そして狂ってしまった母親を殺した。たったの二時間半の間に、これだけのことがあったのだ。

 夢であってほしいと願いながら京平は手の甲をつねるが、何度やっても手の甲の皮膚は痛みを返してくる。夢の中で肌を抓ったときに感じるような鈍くぼやけた痛みではなく、正真正銘現実の鋭い痛みだ。


 しかしそれでも、京平は夢見心地というか、これが現実とは思えなかった。

 いっそのこと自分の頭を撃てばたちの悪い夢から目覚めて現実に戻れるのではないかと思い、ポケットから拳銃を取り出すが、その銃口を自分に向けるだけの勇気を京平は持ち合わせていなかった。


「君、すごいの持ってるね」


 唐突に話しかけられ、驚いて顔を上げると、目の前に見慣れない男が立っていた。歳は三十代後半から四十代前半と思われ、島では珍しいスラックスとワイシャツという出で立ちだが、服越しでも分かるほど筋肉質でがっちりした体格をしている。身長は京平とほとんど変わらないのに、一回りは大きく見えた。


「誰ですか?」


 京平は拳銃を隠すようにポケットに戻しながら、男に聞いた。この島の人口は三百人弱であり、全員の名前を憶えているわけではないにしろ、島民の顔は見れば分かる。だが、男の顔は記憶になかった。


 男は「失礼、私はこういう者でして」と言いながら、ズボンのポケットから黒い皮製のカードケースのようなものを取り出し、縦に開いた。カードケースの下半分には「POLICE」と文字の掘られた重そうな金色の徽章が輝いており、上半分には男の顔写真と「警部補 小野田一雄」の文字が印刷されていた。


「その拳銃、本物だよね。どこで手に入れたの」


 男――小野田の放った台詞に、京平の心臓は電気ショックでも食らったかのように跳ね上がった。

 仕方がなかったとはいえ、京平は駐在の奥さんを殺し、駐在から銃を盗み、その銃で母親を射殺しているのだ。知られれば、この場で手錠を掛けられても不思議ではない。というより、そうされないほうが変である。


「おっと、すまない。つい職質みたいな聞き方をしてしまった。山向こうがとんでもないことになっているのは薄々分かっていたんだが、見に行った人は帰って来ないし、山向こうで何があったのか教えてほしいんだよ」


 小野田は京平の緊張に気づき、なだめるように言った。


「回転弾倉の中の弾が何発か撃たれているようだ。駐在さんが撃ったにしろ、君が撃ったにしろ、山向こうでは銃を使うほどのことが起こっているんだろう? 銃の所持で君を逮捕しようとか考えているわけじゃないから、そこは安心してほしい」


 小野田はそう言って京平の様子を窺った。冷静さを取り戻してきた京平も、小野田を観察する。

 小野田は、北集落を「山向こう」と呼んだ。小野田は多少なりともこの島について知っているのかもしれない。北集落と崖登の住民がお互いの集落を「山向こう」と呼び合うことを、島外の人が知っているとも思えない。


「山向こうで何があったのか、話してくれないか?」と言って視線を向けてくる小野田。京平は眉間に皺を寄せて目を閉じた。思い出そうとしなくても瞼の裏に浮かんでくる凄惨な光景。それを頭を振って追い払い、重い口を開く。


「…………北集落は酷い――いや、酷いなんてもんじゃない、地獄でした。地獄としか言いようがない、あれは」


 京平はそれだけ言って、口を閉じた。だが、小野田がそれで納得するはずもなく、「頼むよ、山向こうで何が起きているのか知っているのは君たち三人だけなんだ」と食い下がってきた。


「様子を見に行くと言って山向こうに向かった集落会会長は帰って来ないし、ボロボロの車が突っ込んできたかと思えば、中から泥と自分のではない血で汚れた君たちが出てきた。山向こうで、いったい何が起きているんだ?」


 小野田に言われ、京平は俯いて自分の身体を見下ろし、そこで初めて服に血が赤くこびり付いていることに気づいた。駐在の奥さんを刺し殺したときの返り血だろうか。――まあ、この血がどこで付いたかなど、どうでもいい。


「……どこから話したらいいですか?」


 京平が小野田に聞く。


「覚えていることを、最初から全部頼む」


 小野田はそう言って、京平の目を正面から見てきた。京平は、思い出したくもない直近の記憶を探る覚悟を決めた。


「最初っていうと……事故の音を家で聞いたのが異変の始まりでした。大通りでは軽自動車が燃えていて、その横では運転手が白装束に喰い殺されていた――」


 京平は、北集落で自分が体験したことを話し始めた。記憶を時系列順に並べ替え、それを言葉にしてゆく。

 京平が話すあまりに衝撃的な内容に、小野田は絶句していた。山向こうで何かがあったことは分かっていても、これは流石に予想外だったらしい。


「――雑木林を抜けた先の大通りは、撃ち殺された死体が二十くらい転がっていて、この世とは思えない有様でした。死体は村人のもあれば白装束のもあって……」


「撃ち殺された?」


 それまで黙って話を聞いていた小野田が、京平の話を遮った。


「はい。多分、猟師か誰かが自衛のためにやったんだと思いますけど。これが落ちていました」


 京平は拾った薬莢をポケットから取り出し、小野田に差し出した。それを受け取った小野田は薬莢を一目見て、表情を険しくした。


「これは……薬莢はどのくらい落ちていた?」


「山ほど。五十や六十どころではない量が、道路に散らばっていました」


 京平の答えに、小野田は「まさか」と驚いたように言った。


「この銃弾はロシア製のライフル弾だ。正規の手続きを踏めば手に入らないことはないだろうが、国内ではほとんど流通していないはずだぞ。……まさか、奴らが――」


 小野田はさらに何かを言おうとしていたが、脱衣所の引き戸がガラガラと音を立てて開き、身体を洗ってさっぱりした様子の未来と夏海が出てきた。湿気を帯びた未来の日焼けした肌と濡れた髪に、京平は思わず目が釘付けになりそうになり、慌てて目を逸らした。


「この拳銃はお渡しすれば……?」


「また必要にならないとも限らない。君が持ってていい。私にはこれがある」


 拳銃を小野田に差し出そうとした京平に、小野田は自分の腰のホルスターを叩いて言った。ズボンのベルトに掛けられた皮革製のホルスターからは、銀色の銃把グリップが突き出ていた。


「早く体を洗い流したいだろう。話の続きはまた後で」


 小野田はそう言うと、踵を返した。

 未来は小野田を気にすることもなく、「お湯が熱いから気をつけてね」と言って、夏海と一緒にホールのほうに歩いていく。

 京平は濡れ髪の未来の後姿をボーっと見送ったが、未来の姿が角に消えてしばらくしてから、ふと我に返り脱衣所の引き戸を開けた。


 雨でずぶ濡れになり、さらに汗や誰かの血で汚れた服を脱ぎ、京平は風呂場に入る。

 年季の入ったタイル張りの浴槽は空で、三つ並んだシャワーは二つが故障中のため、真ん中の唯一壊れていないシャワーの前に座り赤い蛇口ハンドルを捻る。途端にシャワーヘッドから熱湯が噴き出し、京平は「あっち!」と叫んでヘッド壁に向けた。熱湯を青いほうのハンドルを捻って冷水を混ぜることでお湯にして、丁度良い湯加減になったのを確認してから、京平は頭からシャワーを被った。


 緊張と雨によって冷え固まっていた身体が、ほどよい温度の湯で解凍されてゆく。思わず、「はあぁぁ……」という呻き声のような溜め息が漏れた。欲を言えば風呂に入りたいところだが、今の京平にはシャワーでも十分に心地よく感じられた。


 水を無駄遣いしないように注意されていたのを思い出し、京平は普段より多めにシャンプーを取って髪を洗い始める。なかなか泡立たないのでさらにシャンプーを追加し、自分の汗だけでなく泥や自分以外の血液で汚れた髪を念入りに洗う。


 目を瞑り、一心不乱にごしごしと両手で頭を洗いながら、京平はふと疑問を感じた。小野田は何者なのだろうか、と。

 警察官と名乗っていたが、この島の警察官は死んだ駐在ただ一人だけであり、他にもいるというのは聞いたことがない。人口三百人の離島に警察官が何人も必要とは思えないし、そもそも小野田はスラックスにワイシャツという格好で、警官の制服など着ていなかった。

 彼は本当に警官なのだろうか。疑念が湧いてくる。同時に、さっき風呂の前で話した際に言いかけていた独り言から、この事態について何か知っているような感じもした。彼はいったい、何者なのだろうか。


 髪を洗い終え、体もボディソープを大量に使って念入りに洗うと、京平は風呂場を出た。せっかく身体を綺麗にしても、また汚れた服を着れば意味がないことに京平は今さら気づいたが、京平がさっきまで着ていた汚れた服は脱衣所からなくなっており、代わりに乾いた綺麗な服が用意されていた。

 未来のおばさんが用意してくれたのだろう。後で礼を言わなければと考えながら、用意されていた服を着る。


 脱衣所の引き戸を開けると、香辛料の効いた食欲をそそる匂いが鼻についた。匂いとがやがやとした話し声に釣られるようにして、京平はホールに向かう。

 廊下からホールを覗くと、中では四十人程度の崖登集落住民が集まり、テーブルごとに談笑しながらカレーを食べていた。呆気にとられる京平だったが、「こっちこっち」と手を振る未来に気づき、そちらに向かう。


「どうなってんの、これ?」


「炊き出しだって」


「…………つい二、三十分前まで、生きるか死ぬかだったのが嘘みたいだな」


 公民館に避難してきている崖登集落の住民たちからは、台風のときの避難所と同様の雰囲気を感じる。深刻さは全くなく、子供に至っては非日常の雰囲気を楽しんですらいるようだった。

 まるで別世界である。一周十キロもない昭野島の中にある北集落と崖登集落で、ここまで状況が違うなんて京平には信じられなかった。


 京平はもやもやした思いを抱きながらも、未来に「そこ座りなよ」と言われ、空いていた椅子を引いた。長机には未来の他に未来のおじさんとおばさんがおり、京平は彼らに「服、ありがとうございます」と礼を言いながら、テーブルの高さと微妙に合っていないパイプ椅子に腰を下ろした。


「いや、お礼を言うのはこちらのほうだ。話は聞かせてもらったよ。山向こうでは大変な経験をしたんだってな。よく未来を守ってくれた。本当にありがとう」


 京平が座るや否や未来のおじさんはそう切り出し、神妙な顔で深々と頭を下げた。おばさんもそれに続く。未来にまで「ありがとう」と頭を下げられ、感謝されることにあまり慣れていない京平はぎょっとした様子で、「あ、いや、とんでもないです」としどろもどろになりながら頭を下げて返す。


「カレー取って来ましたよ」


 声と同時に、白米だけがよそわれた紙皿が目の前に置かれた。

 顔を上げると、両手にトレーを持った夏海と小野田が立っていた。

 小野田は全員分の紙皿をトレーから取って皆の前に置いていき、夏海は銀色のレトルトパックが人数分積まれたトレーを長机の中央に置く。そして、小野田は京平の隣に、夏海はその横に座った。


 夏海は京平を見ようともせず、京平も夏海に対して何を言ったら良いか分からず、また何かを言う気もなかった。

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