生まれから消えるまで
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらや、いいところに。
なあなあ、この間の講義のノート、写させてくんね? 時間があったら、いますぐに。メシおごるからさ。
やー、ありがたいありがたい。あの教授のテスト、一回でも講義受けないときがあると、しんどい出し方してくんだよな。必修の単位だから、とらないわけにはいかねえんだけど。
――ん? コピー機があるのに、どうしてわざわざ手書きで写すのかって?
おお、それなんだけどさ。
うちの大学、あっちゃこっちゃにコピー機あるだろ? そりゃ学部も専用棟もたくさんあるからおかしくねえけどよ。実はそのコピー機って、思わぬトラブルを招くケースがあるらしいぜ。
だから念のため、手書きでノート写しているわけだ。
――どんなことがあったのかって?
うーん、あくまでウワサばなしなんだがな。
これはうちの学部の先輩。それこそ在籍期間ギリギリまでいたっていう人の話だ。
その先輩、将来は漫画を描く仕事をしたかったらしくてな。講義中のノートの片隅にも、自作のキャラや景色を描く練習をしていたそうだ。
締め切りに追われたとき、何としても間に合わせるスキルを磨く、とか話していたらしいな。90分の講義の中、ゼロから4コマ漫画を2つも3つも仕上げることなんか、日常茶飯事だったとか。しかも講義内容は、きっちりおさえた上でだぞ。
ゆえに、先輩は多くの知り合いから、ノートを借りられる立場にあった。先輩の受講ノートはたちまち、同じ講義を受けている皆の間に広まり、普段は出席しない者にも人づてで回るほどだったとか。
そして大学にいられる最後の一年、先輩はひとつの試みとして、オリジナル言語の作成に望んだとのことだ。
漫画であれば、意味深かつ理解困難な文字で描かれた手紙や石板などを作り、提示することは難しくない。
先輩の漫画を知って、楽しんでいる仲間もいたそうだからな。そういう熱心なファンだけに読み解ける法則も付け加えて、先輩は作品を重ねていった。
自分の中でもこなれてくると、ノートに描く漫画たちにも、無理なく盛り込めるようになっていく。やがてまたテスト時期が近づいてきて、先輩はこころよくノートを貸し出したんだが、ちょっとした問題が起こった。
先輩のノートの一部が、コピー機だとどうしても潰れてしまうというんだ。
実際に見せてもらったところ、ところどころに黒い斑点が浮かび、文字を潰してしまっている。
もう少し注意深く観察すると、その斑点はひとつの文字をすっぽり覆い隠し、たとえ隣り合っているものでも、別の文字には影響を及ばさない丁寧さだったらしい。
元となるノートに、どこもおかしいところはない。先輩は手ずから、近場のコピー機で試しに刷ってみる。
出てきた紙は、やはり前もって聞いた通りの箇所が潰れている。もう一度、読み取る部分に汚れなどがないかも確かめたが、これもダメ。
ならばと、別の棟にあるコピー機を使ってみるも、見事にすべてが二の舞、三の舞を踊ることになる。
コピー機の異常じゃないと、先輩は悟った。
みんなからの話をもう一度まとめ、被害の遭ったページすべてを、あらためてコピーしてみる。
いずれも、話で聞いたものから一分のずれもない、潰れ方だった。
先輩はそれらをつぶさに見ながら、やがてあることに気がついたんだ。
余白に描かれた先輩の漫画たち。講義内容を記した文字に比べれば、ずっと小さいサイズである、それらの中の手紙。
そこに浮かぶオリジナル言語たちの一部も潰れていたんだ。
作者でなかったら、気にも留めなかった細かさ。
あらためて何ページにも及ぶコピーたちを見比べ、先輩はある規則性に気がつく。
先輩のオリジナル言語は、アルファベッドにならい、26文字を組み合わせることで意味を成すつくりになっている。その記号の無くなり方は、日本語の50音+んの51文字に対応していたんだ。
この文字を含むなら、「あ」と「け」。あの文字を含むなら「え」と「に」が一緒に潰される……といった形だ。
奇妙なことに、漫画内のフキ出しに同じ文字があっても、それは潰されない。あくまでノート部分の文字のみだ。
少しうすら寒い気がしてくる先輩。もっと細かく見ると例外もあったらしいけれど、枚数が限られていることもあって、完全な究明には至らない。
だが、このままだと写す側に迷惑がかかるのも確か。
先輩はやむなく、漫画たちをページから削ることにした。
もし留年が可能な年なら、講義部分を消していただろうけれど、さすがに除籍がかかった立場でやるのはリスキーがすぎる。
すると、文字の潰れはぴたりとおさまった。これまで通り、自分のノートは問題なく借りられていったし、自分の漫画を気に入ってくれている人には、別の紙に描いたものを見せる。
事態はひとまず落ち着いたし、先輩もぼちぼち漫画を封印して、卒論仕上げにシフトしていくことを決めたそうだ。
やがて年末近く。
ひと通り論文を書き終わった先輩は、いったん印字を試みた。
先輩のゼミでは、卒論を製本化して提出するように、という指示が出ている。一度、紙に出しておかないと、文字のずれや見づらい区切りになっていることに、気づかないまま提出する羽目になりかねない。
パソコンルームは同じことを考える生徒が多いらしく、数十分単位で印刷待ちを強いられる。
こいつは待っていられないと、先輩は卒論入りUSBメモリ片手に、図書館一階のコピー機へ向かった。
コンビニに置いてあるものと同じ、USBから読み取って印字してくれる機能が、このコピー機にもある。
いまだたっぷり度数が残っているコピーカード。どれくらい減らされるかと、リーダーにセットした上で、設定入力。ほどなくコピー機はうなりをあげはじめる。。
ところが、吐き出された一枚目をひょいとめくってみて、今度は先輩がうなる番だった。
本来、文章が書かれているはずの紙面。それが紙いっぱいに遠慮なく描かれた、ひとつの記号によって、完全に潰されていたからだ。
忘れるわけがない。かつて自分が作ったオリジナル言語。あのコピーする際、潰れていたもののひとつだ。
それがいま、これでもかと拡大された姿で、先輩の論文たちを食らっている。
次の一枚も、その次の一枚も同じ有様だ。すぐ先輩はコピーをストップし、別のコピー機へ走った。
あの日、あの時。ノートに起こる事象を確かめるため、世話になった各学部棟のコピー機たちへ、だ。
そのうちの一台へ駆けつけたとき、ちょうど先にいた生徒のひとりが印字面を見て、苦々しい表情をしたところだった。
くしゃくしゃに丸められ、コピー機横のゴミ箱へ突っ込まれたそれを二度とかえりみることなく、学生はその場を後にする。先輩がそれを拾い上げて広げると、案の定、自分の記号がでかでかと覆う紙面があった。
図書館のコピー機とは違う、一文字の姿がね。
他のコピー機も次々と回り、先輩はいよいよ確信を強めていく。
あの日、潰れた文字たちはただ消されていたわけじゃなかったんだ。
彼らは自分のノートたちから抜け出し、このコピー機たちの奥深くでずっとずっと眠っていたんだ。
そうして成りをひそめながら、じっくりと育ち、満を持していま、コピー機の紙を通じて外へ出ようとしている……。
放っておけば、これから印刷するものがすべてパアになりかねない。
先輩はもう一度図書館へ取って返し、一人用の自学スペースでありったけのルーズリーフを取り出した。
あいつらを消す方法の検討はついている。あのとき記号と一緒に潰されてしまった、日本語の文字だ。その対応する文字たちを、それぞれのコピー機にたくさん食わせてやるんだ。
おそらく、あの時のページに載っている文字量じゃ消去に不十分だったのだろう。そして対消滅を免れた余力はコピー機奥へ隠れ、新しく同じ文字たちが読み込まれても、難を逃れ続けてきた、といったところか。
――表に出てきた今が、対処のチャンスだ。そしてそれは、法則を知る俺にしかできない。
先輩はまず、手近な図書館のコピー機用の文字を用意する。
やけくそで並べた、ひらがな2文字でいっぱいのルーズリーフ数枚。そいつをコピー機へくぐらせる。
想像した通り、文字いっぱいのはずのページのコピーは、ほぼ新品そのもの白紙となってコピー機から出てきた。原本からも文字が消えている。
そして新たに投入した無関係の一枚は、正常にコピーされて出てくる。
計画通りのできに、笑みを浮かべる先輩だったが、対処の時間はそう長くは取れなかった。
ほどなく、コピー機の会社の作業員たちが到着し、学内へ散った。
先輩より先に被害へ遭った人たちが職員へ報告し、それが企業への連絡につながったんだろう。コピー機は使用を禁じられ、先輩は特効薬になるだろう大量のルーズリーフを抱えて、足踏みするよりなかった。
自分のシュールな言い分を理解してくれると思うほど、先輩も子供じゃない。
やがて業者の方々が引き上げる。その報告内容は定かじゃないが、ひとまずコピー機は正常に印字がされるようになっていた。
だが、ほどなく新しいざわつきが、校内のあちらこちらで起こり始める。
気がついたとき、先輩の抱えていたルーズリーフから文字たちが消えていた。コピー機を通していないにもかかわらず、だ。
そして校内にある掲示物や食堂のメニュー。生徒の持つノートや参考書、生協の宣伝や図書館の一部の図書に至るまで、特定の文字たちがいっぺんに消失するという事件が起こった。
そいつは、間違いなく先輩の件の記号のカウンターとなる文字たち。
おそらくコピー機が業者の手で開かれたことで、隠れていたそいつらは外へ飛び出していったのだろう。
それを察した校内の文字たちが、奴らの飛散を防ぐため、次々と飛びかかっていき、ともに姿を消してしまったのでは、と先輩は考えているそうな。