065:共和国の始まり
「全てを知ったのは、隠されていた一族の手記を目にした時だ。まぁ、一族とは言っても、祖父から始まった短い系譜だけどね」
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当時の私は、国においてはただの一兵卒でしか無かった。敵国を攻め自国を護る。そんな最前線で活動する兵士のただ一人。
あの時も苛烈に攻めてくるコンクレンツ帝国軍を迎え撃つ――いつもと変わらない任務のハズだった。しかし、その日は違っていた。
空の彼方より舞い降りる一つの影。地響きをたてて降り立ったそれは、身の丈五メートルはあろうかという巨人だった。
全身が赤黒い筋肉質な人型で、着衣の類は見られない。形は人間に近く、顔も額に第三の目がある以外は人間に近い造形をしている。
今まさに降りてきたように、空を舞うための大きな翼を有しており、側頭部から天に向かって突き立つ一対の角も良く目立った。
誰かに言わるまでもなく分かった。そいつは……魔族だ。しかもこの巨体と、それでいて人に近いその姿は上級魔族に他ならない。
おそらくは私以外の者達も瞬時に悟っただろう。そう、上級魔族と対峙してしまった時点で、我々はもう終わりなのだと。
上級魔族と言えば、一般的には国家の全戦力を総動員して戦うような相手だ。もちろん、入念な準備と緻密な戦略、兵の頭数を揃える必要もある。
つまり、こんないきあたりばったりでどうにか出来るような存在ではないという事だ。故に、皆が早々に諦めて立ち尽くしていた。
我々を睥睨した魔族はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、右手を天に掲げ魔力を撃ち放った。
雲を突き破り天へ上ったかと思うと、直後――雨のように我々に降り注いだ。魔力には破壊の力が込められており、それを受けた者は一撃の下に消滅していった。
阿鼻叫喚。私は丸まるようにして地面に伏せ、死ぬであろう直前に現実から逃げた。しかし、それがしばらく続いたかと思うと急に静かになった。
疑問に思って顔を上げると、辺り一面はボコボコに抉れており、見るも無残な人っ子一人いない荒野と化していた――
『この場にいた人数から一人分だけ引いて仕掛けてみたが、どうやら貴様が生き残りのようだな』
魔族から信じられない言葉を聞く。あのわずかな間にこちらの人数を把握するとは、そんな芸当が出来るのか……。
『喜ぶがいい。只今より、貴様がこの国の王だ』
「……は?」
あの時の私は素でそう返してしまった。すると魔族は私をわしづかみにして空へ舞い上がり、眼下の首都に向けて魔力の砲撃を叩きつけた。
たった一撃……たった一撃で、一瞬にして何万もの大人数が暮らす首都が壊滅。後に残されたのはただ大きなクレーターのみ。
『これでかつての王は居なくなった。貴様を王とした新たな国を作ろうではないか』
魔族は言った。これは『国造りゲーム』なのだと。人間の国を奪い、造り替え、同じ事をしている他の魔族と覇を競う。
自分達の領土・手勢ではなく、現地の領土と手勢で何処までやれるのか。異世界の国々を巻き込んだ、傍迷惑な魔界の遊びに我々は巻き込まれたのだ。
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「つまり、突然現れた上級魔族によって無作為に選ばれた人間を代表とし、今の国が作られたと……」
「そう。それが僕の祖父に当たる人物さ。以降は、その魔族の方針に従い国を作って行く事となる。そして、その流れは父へと続くんだ」
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父から話を聞かされた私は正気を疑った。この国は魔族に支配されている――などと誰が信じるというのか。
しかし、私に後継者の座を譲ると言われたその日、父の話を嫌でも信じざるを得なくなってしまった。
国のシンボルにして、その支配者たる者の居城として作られたオーベン・アン・リュギオン……その頂上に、奴は居た。
玉座に腰を下ろす巨体。放たれる圧倒的な力。明らかに我々とは異なる異世界の生物。これが魔族というものか。
『ほう。こ奴が貴様の息子か……。良かろう。次はこ奴が支配者だ』
土下座の姿勢を崩さない父。偉大なる指導者として、民の前で威風堂々としていた様子は微塵も感じられない。
だが、それも仕方がないのだろう。自分もこの魔族を前にしている今「跪け」と言われたら喜んでそうしてしまうだろう。
それほどこの存在は次元が違う。敵性存在とはよく言ったものだ。こんな存在が世に溢れたらル・マリオンは滅ぶぞ。
『我が国の駒たる証として、我の血――魔族の血を授けよう。さぁ、グイッといくがいい』
私の手元に禍々しい器に入れられた、赤黒くドロドロした液体が手渡される。父の方を見ると、目配せで強く「飲め!」と言っているようだった。
ええい、ままよ! どちらにしろ目の前に居るのは魔族。拒んで殺されるくらいなら、これを受け入れる! 後継者にすると言っているのだから死にはしないだろう。
不思議な事に、特に味らしきものは感じない。だが、体の芯から熱い何かが滾って来るような……そんな感覚だ。これで、私は魔族の駒となってしまったのだ。
父と魔族から聞かされた国の現状は、自分が想像していたよりも遥かに凄まじい変貌を遂げていた。
かつての首都が滅ぼされ、新たな首都となったリュギオンに住まう事を許された選ばれし民と、特別に役割を与えられた者以外は全てが実験台。
首都リュギオン以外一面の荒野と化したこの国の土地は、新たな手駒とするべく『人間を元にして変貌させられた魔族』の牧場になっているという。
加えて、この町において法に背き処刑された人間はゾンビとして蘇らせ、予備選力として運用するためも準備がされているらしい。
なんという事だ。この国は既に滅んでいるにも等しいではないか……。そう思ったが、父が何とか一つの妥協案をねじ込む事に成功していた。
国全土を実験場にしてしまっては、この国が既に魔族の手の内にある事がバレてしまう。手駒が揃うまでは、対外的に悟られないように隠すべきだ。
魔族は当初耳を貸さなかったらしいが、他の魔族と競う事を話に出され、勝つための戦略だと諭された事で案を受け入れたという。
国造りゲームをしている魔族としては絶対に相手に勝ちたい。ならばこそ『その勝敗を左右する』と進言されては受け入れない訳にもいかない。
その案こそが『人間達による軍』も組織して、彼らに対外的な活動を行ってもらう事。そして、国境沿いに外部から訪れた者を欺くための豊かな町を設置する事だった。
実験場と化した国土を見られてしまっては、下手をすれば世界的な規模での警戒対象とされてしまい、最高峰の戦力を送り込まれて潰される可能性がある。
かと言って、あからさまに入国を拒めば怪しまれる。だが、逆を言えば受け入れさえすれば不信感は抱かれない。そのために、何の不審も無く受け入れられる場所を用意する。
国外から来た人達を存分にもてなして満足してもらい、内部に言及されたり興味を抱かれる前に素早くお帰り頂くという、波風を立てないようにするための策だ。
父の案は自国民も他国民も一人でも多くの民を犠牲にしないためだったが、今思えば隠蔽した事によって魔族の支配が長く続く結果を招いてしまったのかもしれないな。
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「それで、今はアンタが指導者になった……という訳か」
「そうなんだが、少し事情が違う。僕は父と違い、駒たる証の魔族の血を受け入れてはいない」
拘束を解かれ、椅子に座りなおしたジョン=ウーはさらにその先の事を語り始める……。
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それはあまりにも突然の事だった。父であるジョン=ウィル・ゴルドーが急死したのだ。
今まで病気だった事もないし、体調を崩しているような兆候も無かった。それが何故……僕には全く理由が分からなかった。
一応は暗殺などの外部要因を疑ってみたが、既に遺体は手の届かない場所にあり、直に調べる事は叶わなかった。
『お坊ちゃま。次は貴方が後継者で御座います』
そんな僕の許へ、祖父と父の側近を務めていた男スオン=ティーク・プラートが現れて告げる――。
僕が? 正直言って、指導者としてはまだまだ若造だぞ……。いくら父が急死したからって務まるとは思えない。
『そう仰るだろうと思いました。ですが、ご安心ください。この私めが全身全霊でお支え致します。裏の顔は私が受け持ちますので、お坊ちゃまは表の顔をお願い致します』
この時の僕は、まだスオン=ティークの言っている言葉の意味が分からなかった……。
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「それから僕は、側近の言う通り表の顔――民の前に顔を出したりする時だけ『指導者』として振る舞う事になったんだ。実務は全て側近がやってくれている。だから、そういう用事が無い時の僕は軟禁されているんだ。うっかり民の前に出て、ボロを出さないようにね……」
「言い方は悪いが、お飾りの指導者って訳か……」
「いや、まさにその通りだよ。手記を見つけるまでの僕は、本当にただのお飾りでしかなかった。けど、今は違う」
「それが、さっき俺達を襲撃してきた事と繋がっていくわけだな?」
「察しが良くて助かるよ。魔族による支配を知った僕は、密かに対抗する策を練った。その一つが、この歌劇団さ。他所の国から高レベルの戦力を拉致してくるという強引な手段で、魔族に対抗できる戦力を集めたんだ」
エリーティ歌劇団は、元々軟禁されているジョン=ウーのための娯楽として側近が用意したものであったらしい。
彼はそれを隠れ蓑として利用できると判断し、各国の美女を集めるという名目で、信頼できる私兵にのみ他国から美女――しかも本来の目的のために強さも兼ね備えた者――を連れてくるように指示した。
ただ、本来の目的を誤魔化すために、身近な者以外には一般的な女性や男性も拉致させるように言っており、拉致の対象となる者は無作為であると思わせるようにしていた。
「周りの国々には申し訳ない事をしたと思っている。裁きはいくらでも受ける。しかし、この国を支配する魔族を打ち倒し、革命を果たすまでは待って欲しい」




