001-1:異邦人
――長い夢を見ていたように感じられた。
僕は、とても深く、長い長い眠りからようやく目覚めたかのような、不思議な感覚を抱いていた。
ふと、まぶた越しに目映いばかりの光が差し込んでくる事に気が付いた。
最初はあまりの眩しさにより強く目を閉じてしまったが、少しするとその明るさが和らぎ、心地良く感じられるようになり……。
「おぉっ! 儀式は成功じゃ!!! さすがは我が国が誇る神官エレナ、見事じゃ! お主なら必ずや儀式をやり遂げてくれると思っていたぞ……」
「はぁ……はぁ……。いえ、これは儀式をサポートしてくださった同胞達、見届けてくださった皆様方のおかげです」
目を開いたと同時、最初に見えたのはそんなやり取りをする男女の姿だった。
男は一目で分かる高貴な衣装に身を包んだ中年の男性で、女は白を基調とした司祭服を身に纏っている若い女性。
男性の方は立ったまま大きく両手を広げ、大声で女性を称えているようだったが、女性の方はその場に座り込み、額に汗を浮かべ肩で息をしているようだった。
自分が身を起こすと、周りからどよめきが起こった。それに驚きつつも、周りを見回してみる。
ここは礼拝堂のような場所であり、先程見たエレナと呼ばれた女性の他にも多くの司祭服を纏った男女の姿が確認できた。
高貴な衣装の男性の近くには、護衛なのか全身を鎧で覆った騎士らしき者達が二人居る。
「エレナよ、異邦人がお目覚めのようじゃ」
男性と目が合った事で、俺の目覚めが女性にも伝えられる。
それを受け、エレナと呼ばれた女性が立ち上がり、ゆったりとした歩調でここまでやってきて、その場へ腰を下ろす。
その些細な動作で金色の美しいロングが靡き、服の上からでも良く分かる大きな胸が揺れる。
女性と言うよりは少女と言う感じの、美人と言うよりは可愛らしい印象の顔立ちが、不覚にも心を高ぶらせる。
「はじめまして、私はエレナと申します。貴方は異世界より召喚された異邦人……で良いのですよね?」
それ故か、彼女の言葉に対して若干反応が遅れてしまった。
「え? あ、あぁ……。はい」
「良かった。言葉は通じるようですね。名前を聞いても?」
「刑部……竜一です」
「オサカベリュウイチ、確かに私達の名前とは異なる独特な形式のものですね」
「えっと、ここは『ル・マリオン』で合ってますか?」
「はい、相違ありません。異世界からようこそおいでくださいました」
言葉は通じる――今しがたエレナの発した言語が気になった。
国どころか『世界が異なる』のだ。文字や言語も異なって当然だろう。にもかかわらず、言葉がよく知る『日本語』で聞こえてくる。
文字はまだ見た事が無いから分からないが、もしかして『日本語として読める』のかもしれない。
「では、貴方の事はリューイチさんと呼ばせて頂きます。色々と説明する前に、一つだけ先に済ませておく事がありますので、お付き合い願います」
エレナに手を引かれ立ち上がると、先程の高貴な服を身に纏う人物のもとへと連れて行かれる。
「こちらは、私が所属する国『ツェントラール』の王、ティミッド様です」
「良くぞ参られた、異邦人よ。私がツェントラールを治めておるティミッドじゃ」
「刑部竜一と申します。この度は、お招き頂きまして誠にありがとうございます」
「ほほぅ、リューイチか。なかなかに出来た若者のようじゃの」
ツェントラールの礼儀作法は分からなかったので普通に西洋風の礼儀作法を真似て言葉を述べてみたが、特に問題は無かったようだ。
「まぁ、お主の歓迎を含めた催しは翌日にするとして、まずはそこのエレナからこの世界に関する知識と、お主に与えられる役割を聞くと良い。本日はそのための時間に充てるでの」
「そういう訳ですので、リューイチさんは共に私の部屋へ来てください。ではティミッド様、失礼致します」
軽い会釈をするエレナに習い、同じようにして王に挨拶し、彼女の後をついていく事になった。
・・・・・
先程まで居た場所は、ツェントラールの王城内にある儀式部屋であったらしい。
ザッと見た限りでは教会のような感じであり、十数人の神官と、国王と護衛がその場に居合わせていた。
しかし、口を開いたのは国王ティミッドとエレナのみで、他の者達は終始言葉を発さず様子を見守っていた。
あの場では二人の発言力が一番強く、他の者は許可も無しに言葉を発する権利を与えられていなかったのだろう。
先程の事を振り返りながら歩いていると、エレナがその歩みを止めた。どうやら彼女の部屋に着いたらしい。
女の子の部屋、しかもこんな見目麗しい少女の部屋である。年甲斐も無くドキドキしてしまっていた。
そのせいで、エレナが入室した後にすぐ続く事が出来なかった。
「どう致しました? まさか、女性の部屋に入る事で緊張を?」
「い、いや……そんな事は無い、ぞ?」
「無理しなくていいですよ。貴方くらいの年なら、それも仕方のない事ですもの」
……そうなのか?
自分はもう今年で三十六になる。もう『お兄さん』とは呼ばれないような年齢だ。
それこそ『おじさん』と呼ばれる事の方が多くなってきている。
そんな年齢の男が、自身の半分程の年齢であろう少女の部屋に入る事でドキドキするのはおかしくないのか?
そう自身で抱いた疑問は、エレナの部屋に入った事ですぐ解決した。
「な……なんじゃこりゃあ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまい、真横に居たエレナに「きゃあ!」と驚かれてしまった。
しかし、それも無理は無いだろう。何故なら、入室直後に鏡を見てしまったからだ。
正確には、そこに映された姿が自分の良く知る姿とは異なっていたからだ。
どうみても三十六歳のおじさんではない。それこそ『少年』で通じてしまうような、高校生くらいの若々しい姿が、そこにはあった。
(……どうなってる!? まさか、これは――)
思い出すのは、神様に言われた言葉だった。自覚無き欲望――まさか『これ』がそうだったとでも言うのだろうか。
(否定……できないな。確かに、俺にはそういう願望があったのかもしれない)
戦場を巡るために身体を鍛えてはいた。しかし、年月の経過はどうしても心身に劣化をもたらす。それを内心で苦々しく思っていた事を否定できない。
肉体がもっと若ければ、思う存分に世界を駆け巡る事が出来ただろうに――、と。
「いきなりどうしました?」
「いや、申し訳ない。鏡に映った自分にびっくりしちゃって」
「ふふっ、可愛らしい所があるのですね」
そう言って笑むエレナの表情は、まるで『弟』を見るかのような暖かさに満ちていた。
『今』の自分は、外見からしてエレナより年下に見える。現在の姿を十五歳程度と仮定するなら、エレナは二十歳程度であろうか。
どういう経緯であれ、この世界に来て本来の半分以下の年齢にまで若返ってしまった。
ル・マリオンにおいて、自身は少年として認識されている。ならば、『らしい』言動を心がけた方が良さそうだ。
落ち着いた物腰のおじさんとしてではなく、年相応に少し砕けた話し方をした方が違和感ないだろう。
そんな事を考えている間に、エレナはテーブルに二人分の飲み物とつまみのお菓子を準備していた。
「では、王様に言われたようにお話をしましょうか」
……『俺』は、現状で認識している事を一通り伝えた。
神様らしき存在により、死ぬ直前で魂を救われた事。
異邦人召喚を願った者が祖国の救済を願っている事、自身がその願いの条件に合致する魂を持っているらしい事、など。
ただし、実年齢に関してはややこしくなりそうだったので、現時点では触れない事にした。
「神様とお話をされたのですか?」
「あぁ。どうしてか姿も名前も、声すらもハッキリとは思い出せないんだ。でも、神様らしき存在と話をしたという点と、その内容は間違いなく覚えている」
今の俺の中には、会話した相手の明確な姿形と声は印象に残っていない。
ただぼんやりと『神様らしき存在』程度の認識が残るのみだ。しかし、不思議と会話の内容は克明に記憶できていた。
「私達の世界において神様の如く信仰されている存在と言えば、ミネルヴァ聖教において創世の女神と崇められている『精霊姫ミネルヴァ』様ですが……」
「会話していた時はハッキリと対面していた気がするんだけどな……。今やその『創世の女神』なのかどうかもわからない」
「神様ともなりますと、我々とは根本的に異なる上位の存在です。本来はその存在を認識する事すら難しいと言われております。その時まだ貴方は異世界の存在であり、法則が当てはまらなかったから……という事でしょうか」
ル・マリオンに生きる存在となった時点で上位存在に対する影響力が生まれたのではないか、エレナはそう解釈した。
幸いにも話の内容は覚えているのだ。俺は神様の姿形が思い出せない事に何ら不都合は無いと結論付ける。
「それにしても、あちらの世界において貴方が故人だなんて……」
「神様と話している間にそこは割り切ったから大丈夫だ。今は第二の人生を思う存分に満喫させてもらうつもりで居るよ」
こうして呼ばれたからこそ、俺はここで存命しているのだ。
もしあの時、神様によって魂を救済されていなかったら、刑部竜一と言う存在は消滅していた。
だから、異世界でとは言え『生きていられる事』が何より嬉しい。
「それで、祖国の救済との事だけど……どうしたらいい? 俺に何が出来る?」