280:閑話 旅する魔女と滅びの国
――某所。巨大墓地区画。
ここは並の都市ならば丸々収まってしまう程に広大な墓地。その墓の数は、優に千を超える。
かつては数百人が暮らす小さな国が存在していたが、その国はある日突然に国民が全滅した事により滅びを迎えた。
こうして滅びた国は、残された建物や資源などをそのまま利用するため、近隣国が取り込む場合がある。
しかし、起きた事態が事態だけに後味が悪く思われたのか、この国を形成していたものは全て破壊されて更地にされた。
そして鎮魂の意味合いも込めて、国の敷地を丸々墓地にする事となった。国の犠牲者はここに埋葬された。
やがてそれ以外の場所で亡くなった者達の親族にも埋葬希望者が現れ、時と共に墓地の規模はどんどん大きくなっていった。
「……国が栄えていた頃が懐かしいわね。末路を知る者が居ない訳ではないけど、恐ろしさでその者達は口を閉ざしてる」
そうつぶやくのは、墓地を訪れた旅人だった。煤けたコートを身に纏い、頭部はフードで覆われている。
背中には荷物が沢山詰まっているであろう大きなリュックを背負い、右手に長い杖を持っていた。
声からして女性だ。衣類の汚れから、長い長い旅……しかも相当に過酷な旅を続けていた事が見て取れる。
女性が何も持っていなかった左手に魔力を集中させると、そこに現れたのは花束だ。
ある墓石の前までやってくると、そこに身をかがめて手を合わせ、何やら聞き慣れない文言を口にする。
この世界における墓前で唱える言葉で、平たく言えば『南無阿弥陀仏』のようなものである。
「かつての同胞達よ、そして愚か者達よ。私はまた戻ってきたわ。世は忘れても、私は忘れない――」
「あ、あの……」
彼女が祈りを終えて立った所で声をかける人物が。年頃にして、まだ十代も中頃であろう少女だ。
「あら? 何か用かしら?」
「その格好からして旅人とお見受けします。しかも相当に旅慣れしてる感じの……」
「えぇ、長い年月をかけて幾度となく世界を巡っているわ。私を知る人の中には『旅する魔女』なんて呼ぶ人も居るわね」
「旅する魔女……。貴方なら、もしかしてこの墓地の『かつての姿』について知っているのでは?」
少女の瞳が輝く。その曇りなき眼に、彼女は思わず一歩身を引いてしまう。
「……奇特な子ね。地元の子だと思うけど、この墓地の事はタブー視されてるはずよ。大人達はみんな口を閉ざさなかった?」
「仰る通りです。でも、だからこそ知りたいんです。過去、この地で一体何があったのかを」
「口を閉ざしているという事は、決して知られてはいけない『何か』があると言う事よ。そんな話を知ってしまえば、貴方もただでは済まないわ」
「知ったとしても口外するつもりはありません。知りたいのは自己満足ですし、もしそれでこの地に居られなくなるなら、いっそ――」
一体何がここまで少女の知的好奇心を掻き立てるのか。彼女はふと頭の中で知りたいという欲求の権化とも言える『ある女』の姿を思い出していた。
(ふふ、久しぶりに思い出したわね……大姐の事。もう百年以上会っていない気がするわ)
百年以上――との言葉が示す通り、彼女は既に人間の領域を逸脱していた。
彼女が一か所に長く留まらないこの旅を始めてから、既に数百年が経過している。
「……いいわ、聞かせてあげる。かつてこの地に何が起きたのかを」
・・・・・
かつて、この地には『ヴィーラス王国』と呼ばれる国が存在していたわ。
その国は千人にも満たないような小さな国だったけど、貴族達は贅の限りを尽くしていたの。
全ての面倒事を奴隷達に押し付けて……ね。でも、男性の扱いはまだマシだった。
男性は過酷な労働を強いられてはいたけど、労働力として扱われるが故に衣食住は保証されていた。
食事や睡眠を抜いたり体罰を与えたりすると生産の効率が落ちるからと、理不尽な扱いを受ける事も無かった。
そのため、男奴隷からすれば『きつめの肉体労働』って感じで、奴隷という身分とは思えぬ厚遇だった。
一方で女奴隷は酷いものよ。貴族達の慰み者として扱われ、身の回りの世話はもちろん性的な奉仕までさせられたわ。
それならまだマシで、時にはストレス解消の道具として理不尽な暴力を受けたり、拷問を受けたりもした。
男奴隷が奴隷とは思えぬ良い扱いを受けているのに対し、女奴隷は地獄とも言える苛烈な扱いを受け続けてきたの。
「酷い……。この墓地の以前が、そんな国だったなんて……」
「結末は今の状況を見ての通りよ。ただ、その前にもう少し物語があるの」
けど、悪の栄えた試しはなし。ヴィーラス王国は滅びの時を迎える事になったわ。
苛烈な扱いを受ける女奴隷達が反乱を起こし、次々と悪辣な貴族達を討ち取っていったの。
皮肉なものよね。女奴隷はいつも貴族のそばにいた。殺すにはうってつけの位置ね。
とは言え、今までの女奴隷達は完全に恐怖で支配されていて、また反抗もされないように枷を付けていた。
枷は首輪で爆破式のものだったけど、やがてそれを逆手に取って抵抗する者達が現れ始めたの。
爆破される直前に貴族にしがみつき諸共に自爆。首を爆破するほどの威力よ、間近で受ければただでは済まないわ。
その命を賭けた犠牲をきっかけに、他の奴隷達も次々と覚醒したわ。
さすがに全ての奴隷が自爆を選んだ訳ではないけど、周りには腐るほど凶器が存在したからね。
貴族へ運ぶ食事に付属するフォークなどでも、使い方次第では充分に人を殺せるわ。
やがて、その反抗運動を率いるようになる立場の女性も現れ、その女性を中心に革命が起きた。
最終的にヴィーラスを支配していた貴族達は駆逐され、同時に反抗運動を起こした女性達により国が再生された。
新たな国の名は『モーテリス』。女性達にとって住み良い国を作るべく『理想国家』と称されたわ。
「理想国家……。でも、それでめでたしめでたしではない……ですよね」
「あら、察しが良いじゃない。ここが墓場になっているという時点でもう結果は明らかだわ」
指導者がまず行ったのは男性の排除ね。貴族の男性は消えたけど、まだ平民男性と奴隷男性が残っているわ。
貴族というフタが無くなった平民男性はやがて増長し、貴族達と同じような立ち居振る舞いをするようになってしまうかもしれない。
そして奴隷男性も『労働力を増やす』という目的で奴隷女性をあてがわれる事があり、子を産まされる事を強要されていた。
だから、革命軍はモーテリスから全ての男性を排除した。逃がせばこの国の事を口外されるかもしれないから、全て殺すという形でね。
でもそれだけじゃ終わらなかった。女性だけになって気づいてしまったのよ。今まで過酷な重労働や汚れ仕事をこなしていたのが奴隷男性だった事に。
そこで考えたの。今まで散々甘い汁を吸ってきたヴィーラスの貴族女性や、女性奴隷の境遇を知らずぬくぬく暮らしてきた平民女性達を使おう。
皮肉なものね。女性達の女性による女性のための国を作ろうとしたのに、その中でもまた差別が起きるなんて。
革命軍はその矛盾を埋めるように、モーテリスの労働力として使う事になったヴィーラスの女性達から、女性である事を奪った。
労働力として働かせているのはあくまでも『労働奴隷』であり、そこに性別の概念は存在しない。
「……やってる事が滅茶苦茶ですね」
「わかるでしょ。後々に滅んでしまう理由が」
モーテリスは外部からも積極的に女性を招き入れたわ。もちろん、表向きは『女性の楽園』という体でね。
そのためか、居心地の良さを感じて移住してしまう人も現れる。でも、後々に本性を知ってしまい労働奴隷に落とされた人達も居る。
女性ならば誰でも歓迎するけど、抜け出す事は許さない。まさに、女性にとっての蟻地獄のような国と化していったわ。
そんな中、決定的な事件が起きたわ。革命軍に所属する女性の一人が妊娠していたの。
女性が外へ行ったのか男性を中へ招いたのかは知らないけど、女性だけの国において『男性と交わる』など言語道断。
その女性は『己の中に男性を取り込んだ』裏切り者として、即断即決で公開処刑される事に決まったわ。
十字に縛り付けられた女性は『子孫を繋がなければこの国は滅ぶ』と異論を唱えたが、執行者――代表は聞く耳を持たなかった。
異論に激昂した代表は腹を裂き赤子を取り出した。取り出された赤子は女の子だったわ……でも、その女の子も処刑される事になった。
理由は『男の血が流れているから』という。例え女性であっても、その身に『男』を宿す者は許せないのだと。
「あの、言っては何ですけど、その人ってもしかして馬鹿なのでは……?」
「復讐という行為そのものは否定しないけど、復讐に狂い過ぎるのも恐ろしいものだわ」
そこに、モーテリスに雇われていた専属の魔導師が現れ、代表にある物を進呈したの。
魔導師は言った。これは『男』だけを殺す薬にございます――その言葉を証明するかのように、魔導師は自身で液体の薬を飲んだわ。
しかし、何事も起きなかった。それを信じた代表は魔導師から薬を奪い取ると、強引に赤子の口へと流し込んだ。
すると、赤子は絶叫と共にその身が泡立ち、やがてドロドロと溶けていったの。代表は喜んだわ。
やはりこの赤子の中には『男』が存在した――もっとこの薬は無いのか、この国の中の『男』を全て滅ぼしてやる!
そう言って、魔導師にさらなる薬を要求した。魔導師もそれを想定していたのか、さらなる薬を出した。
空間収納から新たに取り出されたのは、大きな球体だった。その球体は先程の薬を中に詰め込んだ爆弾だった。
魔導師は言う。これを国の上空で爆発させれば、国中に薬が行き渡ります――代表は喜び勇んで、すぐその爆弾を上空へ放り投げた。
その後の経過は言うまでも無いわよね。この日この時を以って、理想国家モーテリスは滅びを迎えたわ。
「……貴方、名前は何だったかしら? オチがどういう事かは分かるわよね?」
「ラフィリアです。人間……いえ、ほとんどの生物は男女の交わりによって生まれるものですし、その身に男を宿さない女性なんてありえませんよ」
「正解。まさか己が男と女の間から生まれた事すら失念してるなんて傑作よね。あれほど意気揚々とした自殺は二度と見れないと思うわ」
「魔導師が毒を飲んでも何ともなかったのは、単に前々から免疫を付けていたからですよね。毒を作る者が、毒の対策をしていない訳がないし」
「そうね。女の魔導師が死ななかったから信じちゃったのよ。相手に毒を盛る前に自分自身で何事も無いように装うのは常套手段なのにね」
「大人達が口を閉ざしていた理由が分かりました。伝えたくなくて黙っていた訳ではなく、単に知らなかったんですね。モーテリスが全滅しちゃったから」
「仮に生き残りが居たとしても、決して語ろうとはしなかったでしょうしね。真実を知るのは、私も含めてごくわずかだと思うわ」
・・・・・
そこまで話して一息ついた魔女が、ずっとかぶっていたフードを取る。
おさげでまとめた茶色い髪をなびかせた美女が姿を現し、思わずラフィリアも見惚れてしまう。
「改めて自己紹介するわね。私はライゼ。私を知る人達からは『旅する魔女』と呼ばれているわ」
「ライゼ……さん。さっき語った話で出てきた『魔導師』は貴方ですよね?」
「え……? ナンノコトカナー……?」
「いや、気付きますよ。ヴィーラスの時から話が具体的すぎます。まるでその場に居たみたい」
実際、ラフィリアの指摘通りライゼはヴィーラス王国に滞在していた過去がある。
そしてモーテリスに代わった後も中に入り込み、自身の魔導知識を売り込んで国の中枢に参加していた。
理由は単純で、面白そうだったから。ライゼは人間の醜さと愚かさを見る事を楽しんでいた。
モーテリスの件では最後の最後で運命の選択肢を与えたが、物凄い勢いで破滅の方を選んだ時には心の中で大笑いしていた。
「そうなると貴方は何百年も生きている事になりますが、魔導を極めた者は寿命を超越すると聞いた事があります。ライゼさんはそれですね?」
「……寿命云々の事まで知っているなんて博識ね。世間では都市伝説扱いされていてまともに取り合ってくれないわよ」
これはもうライゼが件の魔導師であると認めたようなものだ。ラフィリアは予想以上に賢かった。
十代中頃であろうに男女の交わりを既に知っていたり、魔導を極めた者の行き着く先を正しく理解していたり。
ライゼはこの少女に興味が湧いた。もしこの少女に、自身が伝えられる事を全て伝えられたなら――
「決めました。私、ライゼさんに付いていきます」
「え!? ……あ、貴方が良いのなら別に構わないけど」
まさかのラフィリアからの申し出。実はライゼの方から共に来ないかと誘おうとしていたくらいだった。
これは願ったり叶ったりだ。思わず驚いてしまったが、ライゼはラフィリアの同行を承諾した。
「けど、良いのかしら? 身内の方にご挨拶とかは……」
「孤児院育ちですから身請けされたという事にしておいてください」
「身請け金が必要かしら?」
「……要求される事は無いと思いますけど」
この二人の旅路は、いずれ異世界の流離人と交わる事になる……