272:掌と拳
夕焼け空が美しい、赤き土の大地。あのテキサスを思わせる、地平線の彼方まで続く壮大な荒野が――
「い、一体何をどうやりゃこんな惨状になるんだ……?」
数百メートルはあろうかという巨大なクレーターが地面を抉り、そこから遥か彼方にまで削られた地面の跡が伸びている。
岩山の数々は大きく形を崩し、地面は細かくひび割れ、今にも大地ごと崩壊してしまいそうな惨状……。
まるで巨大な爆弾でも落としたかのような状態になっている。俺が取材していた戦地の惨状とは比較にならない。
「……リューイチ様、失礼致します」
そう言って、フォルさんが髪をかき上げて額を露出させ、俺の額へとくっつけてきた。
おいおいおい! これは精神年齢がおっちゃんの俺にとっても、ちょっとばかり刺激が強いぞ。
「おそらくですが、今何が起きたのか全く把握できていない事でしょう。私が見たものをそのまま貴方の意識へ送ります」
な、何と言う直接的な伝達手段だ。キス出来そうなくらい近い所に、フォルさんの顔が……。
あぁ、良い匂いがする……。息遣いが暖かい……。変に意識してしまう。な、何だか恥ずかしいぞ。
「こ、これで思い出すようにして先程の状況を見る事が出来るはずですっ」
よく見ると、ほのかにフォルさんの顔が赤い。無表情のように見えて、完全に隠し切れていないようだ。
リチェルカーレとやり取りする際は本来のキャラが崩れて表情も声も感情が丸出しになるから、感情自体はしっかりあるんだよな。
それ以外の相手に対してもあの時のような百面相になってくれたら、こちらとしても嬉しいんだが。その辺は気長に考えるか。
「で、何だったか。思い出すようにすれば先程の一幕を見る事が出来るのか」
俺は目を閉じて『先程までの自分には存在しなかった記憶』を思い出す事にした。
・・・・・
少し距離を置いて対峙する『終焉の魔女』リチェルカーレと『闘神』カンプナル。
不気味なほど静かなリチェルカーレに対し、カンプナルは激しく闘気を立ち昇らせている。
その闘気は周りの地面を砕き、クレーターを作り出してしまう程の濃密なもの。
己の足元だけがお立ち台のように残ったが、リチェルカーレに向けて踏み込むと共にそこも崩れ去った。
一瞬にしてリチェルカーレに肉薄したカンプナルは、右手を大きく後ろに引いて力を込め、勢いに任せてその拳を突き出した。
直後、リチェルカーレの姿が一瞬ブレて、気付いた時には爆発音と共にカンプナルが大きく吹っ飛ばされていた。
・・・・・
「……フォルさんの視界でも、リチェルカーレが何をしたのかが見えないのか」
「見えはしませんでしたが、何をしたのかは察しが付きます。おそらくはカウンターを仕掛けたのでしょう」
カウンター、つまりカンプナルの攻撃の勢いに自身の攻撃力を上乗せして叩き付けたって事か。
それであの凄まじい大爆発が起きたのか。お互い、どれだけ力を込めてたんだよ……。
「カンプナルは格闘に関しては弟子内でも随一です。それを迎え撃とうとなれば、姉様であっても真剣に向き合わなければなりません」
今まで何事も軽く済ませてきたような、あのリチェルカーレが真剣に……か。
やはり同じ師匠を持つ弟子同士、戦いが成り立つ相手として見なければならない程度には実力が近しいのだろう。
「で、結果はどうなったんだ……?」
スッ……とクレーターの方を指し示すフォルさん。そこには、リチェルカーレが一人立っていた。
さっきフォルさんの視界で見た限りではカンプナルだけが吹き飛んでいたから、彼女がこの場に残っているのは当然か。
俺はクレーター状になっている斜面を駆け下りて、リチェルカーレの所へと向かう。
「おい、大丈夫か!」
爆心地の中心で平然と突っ立っているリチェルカーレ。背から見る限りでは、髪の乱れや服の痛みすらも見えないが……。
「やぁリューイチ。何をそんなに慌ててるんだい。まさかアタシが負けるとでも?」
「別にそうは思っていないが、聞いた話だと実力は近しいらしいから反撃の一つ二つは受けたんじゃないかと」
正面を向いたリチェルカーレ。こちらから見ても、衣服には汚れ一つすらない。
あれほどの衝撃の只中に居てこれとは、自身を守る防護結界でも展開していたんだろうか。
「心配性だね。とは言え、カンプナルは格闘に関しては間違いなく天才だ。このアタシも――つっ!?」
ちょっとした水鉄砲みたく、リチェルカーレの左目の外側――こめかみ辺りから血が噴き出した。
量としてはそんなに多い訳ではないが、そもそもこいつが『血を流す』なんて事態が今までに一度でもあったか?
普段じゃれている時はちょっかいを受け入れているが、戦闘時においてはガチで防御を固めてるはずだ。
「ははは、さすがはカンプナルだね。アタシに傷を付けるとは、成長したもんだ」
どうやらさっき、カウンターを繰り出した際に回避しきれなかったようだ。
フォルさんの視界ですら一瞬で移動する程のスピードだ。どれだけ馬鹿げた速度かは言うまでもない。
それに反撃を合わせたリチェルカーレに至っては、もはやその動きすら視認できない。
「当たる前にぶっ叩いたつもりだったんだけどねー」
右手で噴き出した血を拭い、手に付着した血を眺めつつしみじみと語る。
攻撃を受けたはずなのに何処か嬉しそうなのは、彼女が実際口にしているように、弟弟子の成長を喜んでいるからだろう。
その一方でフォルさんの表情には少し不快感が出ているようだ。若干だが眉毛と目が平時と違うのが分かった。
彼女は逆に弟弟子の成長が喜べないのかもな。何せ彼女自身もリチェルカーレを超えたいと思っている挑戦者だ。
リチェルカーレにわずかにでも傷を付けた事で『弟弟子に先を越された』と思ったのかもしれない。
「……さて、と。キミはいつまで寝てるんだい?」
リチェルカーレがそうつぶやくと同時、空から何かが降ってきてズドンッと地面を揺らした。
その影響で、ひび割れていた地面がさらに崩壊したが、今となっては誰もそんな事を気に留めない。
「無茶を言わないでもらいたい。貴方の一撃をまともに受けて、無事でいられる方がおかしいのだ」
現れたのはカンプナルだった。腹部から胸元にかけて、その中心に右掌の痕がハッキリと残っている。
かなり深く撃ち込まれたらしく、目に見えてヤバいくらい凹んでいるぞ。あれじゃ肋骨とかバキバキに思えるんだが。
口では「無事でいられる方がおかしい」と言いつつ、何で動ける程に無事なんだ。明らかにおかしいだろ……。
「相変わらず分かりやすい動きだった。けど、その上でさらに精度を突き詰めて強引に押し通る手法は正直言って嫌いじゃない」
左手で血が出たこめかみ部分を指し示しながら言う。カンプナルを誉めるため、あえて即時に治療しなかったのだろう。
カンプナルが戻ってくる前に治療してしまっては、彼が『リチェルカーレに傷を付けた』という証明が無くなってしまうからな。
「……届いたのか? 俺の拳が」
「あぁ、良くやったよ」
右拳を震わせるカンプナル。その拳にそっと手を添えてストレートに褒めるリチェルカーレ。
余程感極まったのか、カンプナルは一筋の涙をこぼして天を仰いだ。拳が届いただけでこの喜びよう……。
もしかして、以前に挑んだ時はかすり傷一つ負わせる事もなく負けてしまったのかもしれないな。
「しっかし、見るも無残な世界になってしまったな……この世界」
「問題は無い。心象風景であるが故に、再び世界を再構築すれば元に戻る」
便利だな、この領域。これ程の大崩壊を引き起こしても、通常世界には何も影響がないんだから。
通常世界であの闘いをやっていたら、間違いなく甚大な被害が生じていただろうな。