168:エルフの女王
――時は少しさかのぼる。
「空間転移! 何者です……!?」
「直接乗り込んでくるとは何と大胆な!」
リチェルカーレは転移先で早々に二人の者から激しい敵意を向けられていた。
二人は共に長い耳の女性で、華美なローブを身に纏い手には杖を持っている――エルフの魔導師だ。
既に杖を前方に構えており早くも臨戦態勢。侵入者に先制すべく魔力を練り始めるが……。
「……おやめなさい」
そんな二人をたしなめたのは、二人の背後……高台の玉座に座る小柄な少女だった。
頭に煌びやかなティアラを着用し、額に赤い宝石を輝かせるその少女こそ――
「やぁ、久しぶりだね。レジーナ」
「貴様! 我らが女王に向かって何という口を……」
女王――そう、レジーナと呼ばれたこの少女こそがエルフ達を束ねる者にして頂点たる存在。
そんな相手に対して、片手を上げて気軽に名前呼びをするという無礼極まりない態度。
女王を心底から敬愛する二人の配下にとっては当然ながら許せる行為ではなく、無礼者を討つべく再び杖を構えた。
「……もう一度言うわ。おやめなさい」
「女王! で、ですが……」
「まだわからないのかしら? 目の前の相手は、貴方達如きでは天地がひっくり返っても勝てるような相手ではないわ」
女王が咎めたのは無礼な挨拶をしたリチェルカーレの方ではなく、それに怒った側近の方だった。
「そもそもこの王城――特に王座の間は他ならぬ貴方達が結界で守護している筈よ? にもかかわらず、何故彼女はここへやって来る事が出来たのかしら?」
レジーナのお付きとして傍に仕える二人のエルフは、近衛とも言える立場にある国内でも屈指の実力者たる魔導師である。
当然の事ながら主君を守るために全力を尽くしており、王座の間も虫一匹入り込めないよう空間転移をも防ぐ厳重な結界を張り巡らせていた。
だが、リチェルカーレは結界を破壊するでもなく無視して来た。それはつまり、彼女にとっては結界が無きに等しい事を意味する。
「力量差を感じ取る事もまた実力のうち。それを察せないという事は、貴方達はまだ彼女の足元にも及ばないという事よ。精進なさい」
「「……申し訳、ございません」」
並の術者が相手であれば、空間転移でこの場所へ飛ぼうとしただけで手痛いしっぺ返しを受ける結界。それを完全に無視しての侵入。
例え相手が女王の知り合いと思われる者であろうが、こんな形での侵入を許した事は魔導師達のプライドを大きく打ち砕いた。
この様で何が女王の護衛かと奮起した二人は、後の世に飛躍的な成長を遂げて『女王の双璧』と呼ばれるようになるのだが、それはまた別の話。
「さて……随分と久しぶりね。それで、貴方は今更になって一体何をしに来たのかしら?」
女王は凹んでしまった側近の二人を退室させ、リチェルカーレと二人きりとなった。
玉座からフワリと浮かんで彼女の目の前まで降りてくる。並んで立つと、リチェルカーレの身長とほぼ変わらない小柄さ。
エルフとしてはまだ大人になりきっていない少女の段階だった。それでも、既に人間の寿命以上は生きている。
「ちょっと事情があってね。アルヴィ共々力を貸してもらおうと思って来たんだよ」
「あら。貴方ほどの者が他人に助力を願うなんて……。今宵の天気は槍でも降ってくるのかしら」
「望むのであれば降らせるよ? 槍と言わず、血の雨でも、隕石でも、何だってね……」
「物騒だこと。そんな調子だから人間達から『終焉の魔女』などという二つ名を付けられたりするのよ」
「それはまた懐かしい呼び名だねぇ。けど、個人的には悪くないと思っているよ。終焉……かっこいいじゃないか」
「そういうのを喜ぶ事を何というのだったかしら? 確か、異邦人の言葉で『チュウニ』とか――」
リチェルカーレが指を鳴らすと、空間の中から既にお茶の準備が済んでいるテーブルが出現する。
彼女が腰を下ろすのに習い、レジーナもまた対面に座る。二人の間に上下関係はなく、対等な友人と呼べる間柄だった。
「さて、そんな事より本題だ。当然、ファーミンの状況は把握しているね?」
「わたくしを誰だと思っているのかしら? ことエルフに関しては知らない事などないわ」
ひょいぱくひょいぱく。少しずつ皿の上のクッキーが減っていく。
「だったら話は早いな。一緒に来てもらおうか。面倒事はさっさと解決したいんだ」
「貴方が来た時点で断るという選択肢などないのでしょう? いいわ。お誘いに乗ってあげる」
ひょいぱくひょいぱく。会話が進むにつれて、どんどんクッキーが減っていく。
「さすが、頼りになるね。キミもキミで何か考えていたのだろうけど、直接キミが行った方が早いだろうと思ってね」
「腐敗を取り除くのもまた女王の責務よ。臣下に手を汚させるくらいなら、わたくし自らが手を下すわ」
ひょいぱくひょいぱく。ようやくクッキーの減少が止まった。
「……けど少しお待ちなさい。貴方のクッキーは美味しいから、全て頂いてからにするわ」
エルフの女王はお菓子に目が無かった。しかし、そこはさすがに女王たる存在。安易に下品な姿を決して見せたりはしない。
リチェルカーレだからこそつまみ食いを視認出来ていただけで、実は傍から見れば全く動いていないように見える程の超速で食している。
レジーナは皿の上のクッキーが全部なくなった所で、用意されていたティーを一飲みして締めにしようとするが……。
「こ、これは……! お茶も新しくしたのかしら……?」
クワッと目を見開くレジーナ。かつて飲んだ事のない衝撃が、彼女の小さな身体を駆け巡る。
「あぁ。ミネルヴァ様謹製の品だよ。種を分けてもらったから育てたんだ」
「ミネルヴァ様の? 道理で素晴らしいはずだわ。でも、自然の恵みで生きるエルフとしては悔しくもあるわね」
エルフは森と共に生きる種族。肉や魚を食さない訳ではないが、多くは野菜や果物を愛好している。
当然の事ながら茶葉などと言った木の葉や草花を元にした加工品についても一日の長がある。
ミネルヴァ謹製の茶葉は、そんな加工品の最上級を味わいつくした女王の身でありながら衝撃を受ける程の物だった。
「そう。だったらおすそ分けは無しでいいかな。沢山育てたから売るほどあるんだけどね」
「要らないとは言っていないわ。そうね……急なお誘いに応じるお礼代わりとして受け取らせて頂くわ」
「はいはい。ちゃんとあげるから安心するといい。じゃあ行くよっと」
「あっ、そんないきなり……」
二人はお茶会状態のまま、イスやテーブル諸共にその場から姿を消した……。
――数刻後。
さすがにあれから何も通達が無い事を不審に思って、二人の近衛が王座の間へと踏み込む。
彼女達がそこで見たのは、女王にはあり得ないほど満面の笑みでサムズアップしてみせる偽者の姿だった。
「……偽者である事を微塵も隠す気がないようですが」
「どう……しましょうか……」
悩む二人を尻目に、偽者はてくてくと玉座にまで歩いていくと、ポンッと腰を下ろしてそのまま……動かなくなった。
そのため、女王本人が戻ってくるまでの間、二人は訪れる者達を相手に口八丁手八丁で何とかその場を凌ぐ慌ただしい時間を過ごす事になってしまった。