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007:城内散策

 俺はあてもなく城内を散策していた。そりゃそうだ。城内すらまだろくに知らないんだ。

 適当に屋内をうろついていると、すれ違う使用人やメイド、兵士達が俺に会釈をしてくれる。

 どうやら客人としてちゃんと迎えられているようだ。邪険に扱われるよりかは断然いい。


「異邦人殿、もしよろしければミネルヴァ聖教の講話を聴いていかれませんか?」


 ミネルヴァ聖教……そういや以前も少し話に出てたな。この国の主要な宗教だったっけ。

 名前からしてミネルヴァ様を主として崇める宗教のようだが、具体的にどういう内容なのかは全く知らない。

 見聞を深める意味でも知っておいた方が良いだろう。俺は案内を受けて講堂に入る事にした。


 講堂の中は割と沢山の人が座っており、その中には城に勤めていると思われる人達の姿が多く目立った。

 休憩中の人達だろうか。それ以外には城に出入りする貴族と思われる人達や商人達、エレナの部下にあたる平神官達の姿が見える。

 さすがに城内で開かれる講話だけあってか、町に住む一般市民の参加者は居ないんだろうな……。


 俺は最後列の一番端に陣取り、講話の開始を待つ。数分経った頃には席も一通り埋まり、立ち見客まで現れる始末だ。

 どんだけ城内には暇人が多いんだよ……。仕事サボって来てる奴とか居ないだろうな。


「皆様、この度は講話にお集まり頂きまして誠にありがとうございます。今回お話をさせて頂くのはこの私、神官長エレナが務めさせて頂きます」


 エレナが登壇し、深く一礼をする。彼女が顔を上げた際、一瞬こちらと目が合ったような気がした。


「では、今回お話させて頂くのは、そもそも『ミネルヴァ聖教』とは何なのか? という事です。皆様方、改めて初心を思い出し、基本に立ち返ってみましょう」




 遥か古代。精霊の姫たる存在ミネルヴァによってこの世界は創世された。

 ミネルヴァは数多の精霊を眷属として従え、大地を、海を、空を作り、やがては生命をも産み出すに至った。

 命の進化を成り行きに任せる事にした精霊達は、地上より姿を消して行く末を見守る事にした。 


 原初の生命は長き時の末に進化を遂げ、ついに我々と同等の『ヒト』の姿へと至る。

 しかし、ヒトが誕生してからまともな知能を得た頃になって、予想だにしない事態が発生してしまう。

 今の時代においては『瘴気』と呼ばれる、この世界に生きる命にとって極めて有害となる悪しき気体の発生だった。

 瘴気は瞬く間に多くの生命を死に陥れた。一方、死に至らなかった命には変質をもたらした。




「この変質した生物達こそ、今の世においてモンスターと呼ばれるものの始まりと言われています。さて、こうして危機に陥った世界ですが、ここで再びミネルヴァ様がご降臨なされます。そうです、初めて……人々の前にその姿をお見せになったのです」


 この事により、世界に生きる人々は初めてミネルヴァ様の存在を知ったのだという。

 そりゃあ人々が生まれる前に世界を作り、それから危機に陥るまでずっと天に居たのだから当たり前だわな。

 さすがに瘴気に関してはどうにも出来ないレベルだから降りてきたって所か?


「今こうして語られている創世記のお話も、当時の人々が主より直に賜ったものです。つまり、主自らが語られた創世の真実――」



 瘴気で溢れた世界の生命は減少の一途を辿っていた。

 そもそも瘴気を消す手段が無い、瘴気に侵されても治療する手段が無い、変質した者を討伐する事が出来ない。

 特に変質してしまった者は異形と化し力も増す。当時の人類では討伐のしようもなかった……。


 そんな中、救いを与えるべく降臨したのが、この世界を作りし精霊の姫ミネルヴァだった。

 さすがに人の手には余る事態であり、看過できる範囲を超えている――と、人間達にとって救いとなるであろう『チカラ』を与えたのだった。

 これこそ、後世において『闘気』や『魔力』『法力』といった形で発現する事となる、人を進化させる贈り物であった。

 

 ミネルヴァは、あくまでも世界に生きる者達の力で未来を切り開いて欲しいと願っていた。

 だからこそ、瘴気を払うための力は与えても、自らが動いて瘴気を払ってやる事まではしなかったという。



「我々が与えられた『チカラ』は、あくまでも我々が自分達の手で危機を乗り越えるために後押しとして出されたものに過ぎません。主は世界の運命を、世界に居る者達に委ねているのです。主が手をお出しにならない以上は、今直面している問題は我々の手でどうにか出来るという事です」


 エレナも今回の講話の締めとして『安易に主に縋るような事はご法度である』と伝えていた。

 基本的に天上の神々ってのは頑張っているからこそご褒美をくれるもんだ。怠惰な奴にはむしろ罰が下るわ。

 主を崇める宗教でありながら、主に縋り過ぎないように釘を刺すあたり、真面目な宗派なんだな……。


 その後、教典らしきものを手にして順番に書かれている内容を読み上げ、一単元ほどを読み終えた所でお開きとなった。

 皆が立ちあがり講堂を後にする中、俺は最後まで座席に腰を下ろしたままその場で待っていた。

 と言うのも、最後にエレナが一礼をした際、ハッキリとこちらにアイコンタクトを取ってきたからだった。

 開始時に目が合ったような気がしたのは気のせいではなかったのだ。


「リューイチさん。講話への参加ありがとうございます。まだミネルヴァ聖教の事を何も知らないだろうと思いまして、基礎からお話をさせて頂きました」

「あー、やっぱ始まった時に気付いて気を使ってくれたのか。迷惑かけてしまったな……」

「いえいえ、他の信者の方々にとっても良い機会となりましたよ。基本に立ち返って信仰の原点を思い返す事は大事です」


 意識してか否か、俺の両手を手に取って笑顔で語りかけてきている。

 中身が三十代のおっさんでも、さすがにこんな形でやりとりしていると緊張させられる。


「ところでリューイチさん、先程から気になっていたのですが……何か聖性を宿したアイテムを持っておられます?」

「聖性?」

「聖なる力を発しているという事です。例えば神々や精霊など、上位存在にまつわる何かから発せられる力といってもいいでしょう」

「んー……あ、そういえば」


 俺は懐から青い光球を取り出して見せた。以前、ミネルヴァ様から頂いた謎の球だ。

 リチェルカーレに渡した赤い方はすぐに役目を果たしたが、青い方は何の変化も見られなかったのだ。

 もしかしたらエレナなら何かに気付くかもしれないな。俺は彼女の掌にそれを乗せてやる。


 直後、光球が激しく光り俺は目を開けていられなくなった。


「な、なんなんですかこれは!? す、凄まじい程の聖性が……」


 光球を手にしたエレナからそんな言葉が漏れるが、視界を防がれている俺には何が何だかさっぱり分からない。


「……そうでした。私は、私は!」


 ようやく目を開けられたと思ったら、エレナが床にへたりこむようにして座っていた。


「一体何が起きたんだ?」

「その光球に触れた瞬間に思い出したのです。私は、貴方を召喚するためにミネルヴァ様と対面を果たしていたのだと……」

「思い出したのか。俺も最初、ミネルヴァ様に会った事は忘れさせられていたんだ。召喚されてすぐ、君の部屋で話した時の事なんだが」

「そう言えば仰っていましたね。神様らしき存在と話をしていた――と」

「あぁ、俺も二回目に会ってようやく思い出して、忘れないようになったんだ」

「二回目!? リューイチさん、ミネルヴァ様ともう一度ご対面なされたのですか! ど、どうやってっ……!?」


 いきなりエレナが立ちあがって俺の肩を掴んでガックガクと揺さぶってくる。

 崇拝する主に二度も会ったという点が、この興奮ぶりを引き起こしているのだろうか。


「お、落ち着け……。これはいわば召喚者特典みたいなものなんだ。異邦人へのアフターケアと言ってもいい」


 間違ってはいない。特殊な形で召喚された身だからこそ、特別な待遇を受けているのは事実なのだから。


「そう……ですか。あの時は願うばかりで、肝心な事を色々聞きそびれてしまいまして……」


 十中八九ミネルヴァ聖教に伝わる話の『真実』を知りたいと言ったところだろう。

 確かに、古代において主自らが創世の真実を語ったのかもしれないが、それを後世に伝えたのは人間だ。

 人間が伝聞した以上、何処かで必ず都合の良い修正や曲解が入っているのがオチである。

 主を崇める以上、正しく主の話を伝えなければならない。たぶんエレナはそのような事を考えたのだろう。

 今度俺が再び対面した時にその辺聞いてみるかな。俺としても正直その辺が気になるし……。




 ・・・・・




 俺はエレナから青い光球を返してもらい、再び城内散策へと戻っていた。

 窓からは何やら訓練場らしきスペースが見える。幾人もの兵達が組み手をやっているようだ。

 よく見ると一対一ではなく、一対多。戦場における立ち回りの訓練だろうか。

 それを指導しているのはレミアのようだ。あの緑髪を靡かせる女性騎士は彼女しかいない。

 次に見るのは兵士達の訓練と決め、俺は訓練場へと向かう。



「ぬぅおぉぉぉぉぉぉぉ!」


 大剣を両手で構えた兵士が、片手用の剣と盾を装備する兵士に向かって突撃していく。

 両手を振り上げて叩き付ける斬撃。まともに受ければもちろんただでは済まないし、ガードしてもノーダメージという訳にはいかない。

 何よりも一対多という状況で、攻撃を受け止めるために止まってしまうというのは死に直結する行為だ。その隙を突いて多方面から攻撃を繰り出されたらどうしようもない。

 さて、盾の兵士はここをどう切り抜ける? レミアは一体どう教えた? 俺は訓練場の端でその様子を見守っていた。


「そこだぁぁぁ!」


 見る限り練習用の木剣のようだが、本番で大剣を真正面から受けてしまったら盾ごと両断される可能性もある。

 盾の兵士はそこを考慮してか、ギリギリまで斬撃を見てから、振り下ろされる大剣の横からぶつけるようにして盾を衝突させた。

 大剣は盾を滑るように振り下ろされる形となり、そのまま先端が地面へと突き刺さってしまう。

 そこを盾の兵士が片手用の剣で斬り付ける。木剣なので、正確には叩き付けたというのが正しいのだが。


「大剣役。負傷により退場」

「や、やった――ぐはぁっ!」


 レミアの一声により、大剣役の兵士が倒されたと判断され、盾の兵士がつい喜んでしまう。

 しかし、そこへ木槍を持った兵士が容赦なく突きを入れる。胴は金属プレートで覆われているものの、衝撃は伝わる。

 思わず転倒してしまう盾の兵士の喉元へ、先程の兵士の槍が突き付けられる。


「はぁ、何をやっているのですか。一対多の訓練と言ったでしょう……。一人倒して喜んでいる場合ではないですよ?」


 倒された兵士が謝罪しながらその場から去ると、また入れ替わるようにして別の兵士が入ってくる。

 メンバーをローテーションする形で訓練は続けられるらしい。


「随分と訓練に熱が入っているじゃないか。一対多は戦場を想定しての訓練か?」

「あら、リューイチ殿ではないですか。こんな所まで何しに?」

「出発前の散策だよ。城内すらロクに知らなかったから、行く前に色々と見ておこうと思ってな」

「兵士の訓練を見に来るなんて変わり者ですね……。興味があったり?」

「向こうの世界では一応戦場にいたからな、興味は津々だぞ」


 レミアによると、まさに戦場における集団の戦いを想定して訓練をしている所らしい。

 一般の兵士は庶民からも広く募集される立場でありながら、戦場における最前線に立たされる事が多いという。


「私としては、捨て駒になんてなって欲しくないんですけどね。誰にだって家族は居るし、守りたいものがあります。可能な限り生き残って欲しいのが本音です」

「本格的な訓練をしているのはそれでか。最初から捨て駒扱いにするなら、特に何も教えなくても問題はないからな……」


 ただ数を揃えて突撃させるだけで肉の壁となる。敵は倒せずとも時間稼ぎくらいにはなる。

 非道な国では、さらに血液感染型の難病持ちを最前線に立たせ、生物兵器のように扱っている場合もある。

 もしツェントラールがそんな事をするようなら……って、あの国王が主なら絶対にやらないだろうな。

 だが、他の国がやってくる可能性は否定できない。特に、平民の扱いが酷いというダーテなら充分にあり得るぞ。


「この国の戦力を知りたいんだが、可能であれば教えてもらっていいか?」

「いいですよ。リューイチ殿には知っておいて頂いた方が都合良いですしね。この国を救うためには、いつか戦わなければならない時が来ると思いますし。まずツェントラールは全軍で約一万人程で、それに対してコンクレンツは五万以上居ます」 

「戦力差は五倍か……。ツェントラールは面積の割に兵力が少ないんだな」

「人の数が少ないのです。首都以外は村が点在するくらいで、大きな町というものがありません。他は兵士の詰め所とか砦とかですし」


 一方のコンクレンツは海に面していて港があるため、他の大陸との往来も盛んで、大きな町が沢山あって人も多いという。


「比率は兵士が八千、魔導師が千、騎士が千と言ったところですね。これらが各所に散って全方向からの進撃に備えて待機しています。現在、城にはそれぞれ百少々しか居ません」


 四方を敵国に囲まれているんだもんな……。分散して警戒に当たらないと気が気じゃないって所か。


「兵士団はここで訓練しているとして、騎士団や魔導師団は?」

「騎士団は一部が屋内訓練場。一部が城内警戒の見回り、さらに首都内を見回りしている者達も居ます。魔導師団は……すいません、あちらの動きは把握していなくて」


 魔導師団と言うくらいだから、管轄はやはりリチェルカーレなのだろうか。

 でも彼女は個人で魔導研究室をやっていると言ってたから、魔導師団とは何も関係が無い?

 今度本人に会ったら聞いてみるか。味方陣営の事も分からないようでは動けないし。


「邪魔してすまなかったな。他にも色々見て回ってみるよ」




 ・・・・・




 再び城内を散策していると、俺が知っているもう一人の少女の姿を発見した。

 俺の世話役を任されたというメイドのセリンだ。世話役ではあるが、残念ながら俺の旅には同行しない。

 地元人なのでガイドは出来るだろうが、戦力的に護衛の方に難があると判断されたのだろうか。


「セリンじゃないか。どうしたんだこんな所で?」

「リ、リューイチ様?」


 彼女が居たのは、王城内の食堂だった。しかも配膳をしているのではなく、厨房で鍋を振るっていた。

 あれ? 普通こういう場所で調理するのって専門の調理スタッフなんじゃ……。

 しかし、当人に疑問を投げかける前に、奥のスタッフから呼ばれて向こうに行ってしまった。

 去り際に「失礼します」と一声残していく辺りは、さすがにセリンと言ったところか。


「おう異邦人の兄ちゃん。疑問は感じるだろうが許してやってくれ。何でも、万能なメイド長のようになりたいから修行させてくれ……だとさ」


 代わりに答えてくれたのは恰幅の良い中年男性だった。この男性が王城の料理長らしい。

 セリンはメイド長に憧れているのか……。万能を目指すって志が高いなぁ。


「リューイチ様。セリンが万能を目指しているのは、全て貴方のためですよ?」

「うぉっ!? いきなりびっくりした!」


 いきなり真横から声がしたと思ったら、いつの間にか隣に見知らぬ女性が立っていた。

 メイド服の白い部分を取っ払ったかのような黒一色のワンピースを身に纏っている上に、腰まで届く程の髪まで真っ黒だ。背はスラリと高く、キリッと引き締まった表情をしている。

 まさに大人の女性……。リチェルカーレにも『黒』というイメージを抱いたが、この女性はそれこそ『漆黒』というイメージを抱かせる。


「お初に御目にかかります。私はフォル・エンデットと申します。王城でメイド長を務めさせて頂いております」

「これはこれはご丁寧に。お……私は刑部竜一です。よろしくお願いします」


 噂のメイド長がいきなり現れるとは……。全く近寄ってくる気配とか感じなかったぞ。

 ついつい応対が丁寧になってしまうのも、その雰囲気故だろうか。


「で、俺のためというのは……?」

「セリンは貴方の世話役として抜擢されていましたが、謁見の場では外の旅にまで同行する事を申し出ませんでした」

「それは道中が危険だからでは無いですか? 最初はレミアが同行を申し出たくらいですし」

「だからこそ、あの子はそこを補おうとしているのでしょうね。主人を脅威から守る事が出来るようになるべく護身術や魔術の使い方を学んでいる他、冒険の道中に生活の世話ができるよう、こうして調理も学んでいます。本当の意味で常時傍に居られる世話役になるため、あの子は今ありとあらゆる技術を身に付けようとしているのです」

「俺の世話役なんかを、そこまでして……」

「あの子にとって初めて与えられた大役なのです。誰かの専属になるというのは、メイドにとってそれだけ誉高い事なのですから」


 数多居るメイドの一人としてだと顔も名も覚えられない事が多いが、有力な者の傍に控えるメイドは主人共々に顔と名を知られる事が多い。

 主人から一個人として認識してもらえると同時、周りからも主人に重用されている優秀な人材として認識される。メイドを志す者達ならば皆が等しく目指すであろう到達点だという。

 現にメイド長のフォルは、王城のメイド達を束ねる長であると同時に『王家の専属』でもあり、業界では広く名を知られる人物であったりするとか……。


「なるほどなぁ。けど、俺なんかの専属って事に価値なんかあるのか……?」

「貴方はいずれツェントラールを救うのでしょう? でしたら、セリンは英雄の専属という事になりますね。至上の名誉ではありませんか」


 英雄の専属――か。何か俺の責任がますます重大なものになってきた気がしたぞ。


「と、ここまで『名誉』を前面に出させて頂きましたが、あの子は『名誉』のためにそこまでやっているのではありませんよ。あくまでも純粋に貴方の役に立ちたいと思っているのです。仮にもし貴方が英雄などではなく辺境の一村人であったとしても、その想いは変わらないでしょう。重く感じる必要はありませんよ」


 読心術でも持ってるんじゃなかってくらい的確に突いてくるな……。

 接した時間は短いけど、確かにセリンは富や名声のためにやってるって印象ではなかった。

 ただただ与えられた役に一生懸命なんだ。旅に同行出来ない事を不覚に思う程に。


「貴方が戻ってくる頃には成長したセリンが待っている事でしょう。その時は、是非とも次の旅へ連れて行ってあげてくださいね」


 メイド長はそう言い残して、目の前でいきなり空間に溶け込むようにして消えてしまった。

 一体何がどうなってるんだ。隠形ってやつか? メイド長は忍者か何かか?

 俺はメイド長の立っていた場所を様々な角度から見てみたり、屈んで机の下とか覗いたりして見るが、当然いるはずもない。

 考えてみればリチェルカーレのような魔術もあるんだ。消えるというのも、この世界では普通なのかもしれない。


「……リューイチさん、何をなさってるんですか?」


 そんな不審者じみた動きをしている自分へと声を掛けてきたのは、当のセリンだった。


「いや、さっきまでメイド長のフォルさんが居たんだが……いきなり消えて」

「いらしてたんですね。ふふ、あの方は神出鬼没ですから」


 それで済んじゃうんだ。メイド達の間ではもはや当たり前の事のようだ。


「せっかくですから、練習で作った炒め物の試食をしていってください」


 さっき鍋を振るっていた時のやつだろうか。見た目は俺も良く知る野菜炒めのように思えるな。

 甘~い醤油の香りが食欲をそそるぜ……って、醤油の匂い!? まさか、この世界にも醤油が存在するのか。


「セリン、この香りは一体何なんだ?」

「これはヒシオの香りです。穀物を原料にして発酵させたもので、炒め物において人気の高い調味料なんですよ」


 とりあえず一口食してみると、間違いない。醤油ベースの炒め物だ。この世界ではヒシオというものがそれにあたるようだ。こりゃあ美味いぞ。

 野菜も気のせいか、元々の世界で食していたものに似てるようだし、あわせて炒めてある肉もしっかり味が染み込んでいて噛むたびに味がしみだしてくる。

 食感からして豚に類するものだろうが、この世界に豚というものが存在するのだろうか。ファンタジーに良くありがちな豚型のモンスター・オークの肉ってオチもあり得るか……?


「野菜はクビスと呼ばれる、炒めるとシャキシャキした食感になるものを使用させて頂きました。お肉はブヒィという、味が染み込みやすく柔らかいものを使ってます」


 ブヒィ……ねぇ。その語感だけで何となくそれが豚に類するものだと解っってしまった。

 贅沢を言えば御飯が欲しい所だが、お米は存在するんだろうか。醤油があるんだから、米もあって欲しい所だが。

 とは思いつつも、野菜炒め単品で充分に美味かったから一気に食べ切ってしまった。


「も、物凄い勢いですね……。ご満足頂けたようで何よりです」

「あぁ、凄く美味かった。この味はたまらないな。食が止まらなくなりそうだ」

「ヒシオの味付けがお好みでしたら、今後はこういったものを主体として考えさせて頂きますね」

「そいつはありがたい。次の機会を楽しみにさせてもらうよ」


 俺は礼を言って食堂を後にした。再び王城へ戻ってくる頃には、セリンはどう変わっているのだろうか。

 パッと見では何も変わらないように見えて欲しい。万能を目指したからと言って、言動がメイド長みたいになったりは……しないよな?




 ・・・・・




 部屋に戻った俺は、ノートパソコンのテキストソフトにこれまで見聞きした話などをまとめていく。

 謁見時の事、リチェルカーレとの話、ミネルヴァ様との話、ミネルヴァ聖教についてや近隣諸国の兵力云々――。

 あと、この世界における様々なものについても、地球における何かと比べたりしつつまとめていこう。

 後々に振り返った際『ル・マリオンのデータベース』とでも呼べるようなものを、今のうちから作り始めよう。


 この先の旅においても、その日々を取材すべく色々な機材を用意しておかないとな。

 俺は私物召喚で色々と愛用の仕事道具を呼び出し、厳選する作業に移った……。

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