13.嫌がらせは蜜の味
ここは、蜘蛛車の中だろうか。
自分は魔王に敗れて気を失っていたはずなのだが。
味方が救出してくれたのだろうか。
騎士団長、ホムンクルスは魔王との戦いで完全に気を失った。
次に目覚めてみれば、蜘蛛車の中だ。
朦朧とした意識の中で周囲の状況を見ようとするが、幌の中なのであまりよく把握できない。
次第に鮮明になる意識と感覚。
起き上がろうとしたところで、異変に気が付いた。
動けない。
自分の手足が拘束されている。
「これは……僕は捕らえられたのか!?」
身をよじってみるもののうまく力が入らない。
魔王との戦いで魔力を消費しすぎてしまったかと臍を噛む。
負けた場合の事も考えるべきだったのだ。
魔力を残しておけば、拘束されていてもある程度の抵抗はできる。
敵を甘く見過ぎていたのだ。
「くっ……何か、何かないのか」
もぞもぞと動き、状況を打破しようと試みる。
木箱を背にし、何とか上体を起こした。
その時だった。騎手側の幌が開けられ誰かが入ってきた。
「お目覚めですか団長様」
見下ろすように語り掛けてきたのはシャイズ兵長だった。
「シャイズ兵長、これはどういうことですか」
「どうもこうもありませんよ。
アンタは死んだことになった。そういう事」
こいつは何を言っているのだ。
ホムンクルスは自分の耳を一瞬疑った。
だが、冷静になり自分が死んだことになったと言う意味を反芻し、状況を即座に理解する。
指揮官が死んだことにされる。そうせざる得ない状況と言えばだいたい想像がつく。
「まさか、敗北したと?」
「そのまさか。装甲虫も失う結果になっちまった」
「装甲虫も……僕一人に罪を被せる気ですか」
無能な上官が無茶な命令を出した挙句戦死する。
不名誉極まりない話ではあるが、兵達が団結して保身を図ればそうしたほうが都合がいいのだろう。
「その通り。アンタが死ぬことで俺達の罪は軽くなる。
部下を思うなら大人しくしてるんだな」
「これは兵団の意思なのですか」
「そうだと言いたいが、生憎アンタはそこそこの人望を持ち合わせている。
全体に通達すれば反抗するものが多いだろう。
だから、ここでは俺の部下たちだけが知ってる」
「つまり、貴方の独断であると」
独断ならば、わが身可愛さに仲間を売った反逆者とも言える。
何故生かしているのかは分からないが、魔力が回復すれば希望が見える。
「半分間違いだ。独断で生かしている」
「まさか、国王陛下の命令ですか?!」
「おっと黙れ。余り騒ぎ立てるんじゃあない。
その通り。国王陛下はお前さんの事を恐れている。
ならばと丁度良く出現した魔王にぶつけて、弱った所でとどめをさせと言われたのさ」
今まで尽して来たはずの国王による命令。
それが国王のすることなのだろうか。
国に捨てられたという現実に、言葉すら出なくなる。
「そう落ち込むな。言っただろう?独断で生かしていると。
まだ魔王は倒れていない。もしもの時はもう一度お前をぶつけなければならないかもしれん。
それに、お前の見た目は実に俺好みなんだよなぁ。
拘束したまま飼いならすのも悪くない」
「兵長も物好きですねー。へへ、解らなくもないですけど」
おぞましい。
心底嫌悪するホムンクルスだが、このまま諦めるわけにもいくまいとどうにかして拘束を解けないか身じろぎする。
魔王が倒れていないならば、今向かっているのは吸血鬼が支配している町の筈だ。
屋敷を包囲している騎士団と合流できれば兵長の小隊程度なら簡単に無力化できる。
なんとしてでも逃げ出さねばならない。
「無駄な足掻きしてるんじゃねえよ。
団長様は力があっても頭は弱いのかね?
アンタを縛ってるのがただの紐なわけあるかよ」
シャイズ兵長はホムンクルスの黒くしなやかな長髪に指を絡ませて引っ張り上げた。
予期せぬことに戸惑ってしまい細い声が漏れる。
「良い声だ。くく、魔封じの紐は簡単に切れるものでは無い。
何をしても無駄だ。アンタは終わったんだよ!」
掴み上げた頭を床に投げ捨てる。
支える手が縛られているホムンクルスは身をよじり、顔面から落ちる事態だけは回避した。
「器用なことをする。だが抵抗する限り何度でも……」
再び髪を掴み上げたその時だった。
兵士が慌てて声を上げる。
「敵襲です!奴、魔王の追撃です!」
「なんだと!?」
「魔導士隊によると、強力な魔力反応が急速接近しているとの事です」
「は、はっは、ふっはっはっは」
魔王が単体で来ていると知り、笑いながら掴んでいるモノを揺さぶる。
「他の者達を先行させろ!あまり見られていいものでは無いからな。
こいつを囮に使うぞ。
魔族の事だ。取り逃がした獲物を追ってきたに違いない!」
豪語する兵長。
だが、ホムンクルスは予期していた。
人に止めを刺さないあの魔王が、態々逃げられたなどと言う小さな理由で追って来るとは思えない。
魔王の部下たちも彼女の単身特攻を良しとしないだろう。
ならば、魔王の反応に隠れて付いてきてる者も居るはずだ。
奴らは何かを企んでいるに違いない。
この機を逃してはならない。この男よりも、魔王の方が信頼できる。
戦いの中で感じた事だった。あの魔王に捕まる方がまだ安全だと断言できる。
なので、抵抗をやめて蜘蛛車から逃げ出すべく機を伺うのだった。
----
「はやいはやいはやいはやい!」
怪我を直してもらった恩を感じているのかどうかは解らないが、装甲虫は今まで以上の速度で荒野を駆け抜けた。
団体行動している蜘蛛車が最大速度で走行できるはずもなく、追いつくのにそこまで時間を要する事は無かった。
作戦通り相手はこちらが単騎であると誤認したのか、一台の蜘蛛車だけが速度を落とした。
「魔力反応もあの蜘蛛車から感じるのであるが、妙であるな」
「何かあるのか?」
「極端に反応が鈍いのである。別人ではないな……何かで魔力を封じられているのかもしれないのだ」
なんというか身に覚えがある話だ。
ゲデルの場合、腕力が元々備わっている魔人だから難なく打開できたものの、人間が同じことをされれば他人の手助け無しでの脱出は厳しいだろう。
もっとも、同じものとは限らないので油断はできない。
「人間と言うのは私たちに比べると非力なものだね」
「非力だからこそ言葉を交わし文明を築き上げたのである。人間無くして今の魔族も存在しえないのだ」
「ねるほど。こうして言葉を交わすのも人間の恩恵という事か」
人間から魔族が生まれたのか、魔族から人間が生まれたのかは分かっていないらしい。
少なくとも、ゲデルが教わった知識の範疇ではそういう事になっている。
同じ形である以上、無関係ではない筈だと知的好奇心を掻き立てられる。
「さて、蜘蛛車もそろそろ見えてくる頃だ。
私が先陣切って突入するから皆は蜘蛛車を抑えて部隊から完全に孤立させてほしい」
速度を落とし始めたとはいえ、まだ王国兵団は即座に対応できる位置にいる。
停車させてしまえば用事を済ます程度の時間は稼げるだろう。
何より、装甲虫から降りたほうが取り巻きも処理しやすいだろう。
「何かあればすぐ呼んでください。俺の耳で有れば多少離れてようが聞き分けられます」
「ああっと、ちょっと待つのだ!」
飛び立とうとするゲデルを引き留め、ナインはあるものを投げ渡した。
------
「魔王、来ます!」
「弓兵!撃ち落とせ!」
いくら魔王を射ようとも無駄な徒労に終わる。
それは織り込み済み。少しでも魔力を削り、魔封じの鎖で縛りあげるためだ。
紐程度では引きちぎられると言う情報は既に得ていた。
いくら魔王でも鎖で縛られてしまえば手も足も出ない。
また、この蜘蛛車事態にも魔力を拡散させる素材をちりばめてある。
念には念を入れて、という事だ。
あの国王にしては羽振りがいいが、それだけに手柄無しでは帰れない。
ホムンクルスを餌に使い魔王の気をそらし、生け捕りにすれば装甲虫の件もあまり咎められないだろう。
「魔王、止まりません!」
「それでいい!さぁ突っ込んで来い魔王!」
幌の後部を破壊し、魔王が蜘蛛車に降り立った。
「お前が頭だな?覚悟してもらおうか」
「ま、まて!誤解だ!俺は命令に従っただけだ!討伐命令を出した奴ならほら、この通り戦犯として捕らえている」
シャイズ兵長はゲデルが来ると否や態度を急変させ、ホムンクルスにすべての罪を擦り付けようとする。
ゲデルは演技だと見抜いていた。
蜘蛛車に降り立った瞬間から何とも言えない居心地の悪さを感じていた。
それもそのはず。魔力感知に意識を集中すれば、ほんのり吸われているかのような動きが視える。
時間稼ぎに違いない。ゲデルにはあまり支障のない問題だったが、縛られている彼女の方が心配だ。
ここは一つ、わざと隙を見せよう。変に念入りなものほど勝った気になると口を滑らしやすいものだ。
「そうか、ではこの子は貰っていくとしよう」
ゲデルは兵長に背を向ける。
明らかな誘いではあるが、兵長も人間である。
兵を一人で薙ぎ払った魔王を前に余裕がなかったのだろう。
「かかったな!」
ゲデルの傍にあった木箱が弾け、鎖が飛び出しゲデルに巻き付く。
「俺が得意とするのも遠隔操作魔法!流石に貴様の部下ほどではないが鎖程度なら自由自在よ!」
魔封じの鎖で縛られればいかに魔王とて脱出は困難極まる。
シャイズ兵長は勝利を確信した。
騎士団長と魔王の無力化を成し遂げたのだ。
「罠とも知らずにのこのこ来てくれるとはついてるぜ!まったく!」
ゲデルはその場に倒れ、軽く抵抗して見せる。
「無駄な足掻きはするんじゃねぇ。
アンタはそこの団長さんと仲良くお昼寝の時間だ」
「ふぅん、団長さんと……ね。
つまり君の狙いは最初から私だけじゃなかったと」
「そうさ!国王の座を脅かす騎士団長の始末と王国を脅かす魔王の始末!
それが俺の役目だ!まさかうまくいくとは思ってなかったがな!」
よほどうれしいのか高笑いする兵長。
思った通り。勝った気になっている人間はよく口を滑らせる。
ゲデルは再びもぞもぞと動き出す。
「おい、だから無駄な抵抗はするんじゃないと……ん」
「これなーんだ」
「は……?貴様、まさか!」
ゲデルが懐から器用に押し出したのは通信水晶の欠片だった。
兵長が声高らかに説明した内容は全て筒抜けていた。
状況に答えるかの如く、水晶から声が発せられる。
「ご協力ありがとうございますゲデル様。
今しがたの発言は全て屋敷の蓄音機にて記録しました。
これで、屋敷を包囲している騎士たちとは停戦、うまくいけば和解も見込めるでしょう」
声の主は事前に打ち合わせしていたであろうナインの家臣だ。
ゲデル以外にも聞こえるように計らったのか、こちらもまた大きな声で快く話してくれた。
「流石はナインだ。ここぞという時には頼りになるね」
貴族は交渉による駆け引きや話し合いの場に立つことが多い。
いざという時の為、高位の貴族は必ず通信水晶と蓄音機を備えている。
言った言わないの問答は唯々時間とお金を無駄にするだけなのだ。
お互いを安心させるためにも重要な話し合いは書面だけでなく音声でも残しておく。
今となっては暗黙の了解という物だ。
ゲデルの性格上また相手を煽るのだろうと見たナインは、より状況を確実な方向へ動かす為に通信水晶を彼女に投げ渡したのだ。
結果、予想以上の効果を上げたのは言うまでもない。
シャイズ兵長は青ざめていた。
蓄音機?騎士?水晶から聞こえた言葉は彼の頭の中で反響していた。
すべての計画が破たんした瞬間だったのだ。
半場放心状態にある彼だが、部下の報告が更に追い立てる事となった。
「さらに敵襲!あれは、装甲虫です!我々の装甲虫に乗って亜人共が攻めてきてます!」
「なんだとぉ!?」
でたらめを言うんじゃあない!と、叫びたい所だったのだが、目に入る情報がそうさせてくれない。
失ったはずの装甲虫に多数の亜人が乗っている。部下の情報に間違いはなかった。
兵長と言う役職は飾りではない。地位に恥じぬ程度には戦術眼を持ち合わせている。
それ故に、魔王が何をしたのかは嫌でも理解してしまう。
亜人達の魔力反応を覆い隠しながら来るために、わざわざ装甲虫を引っ張り出したのだと。
「何故だ……!何故あれが動ける!」
「あぁ、うちの森に投棄されてたから治して再利用させてもらった。
私はこう見えても貧乏性でね。まだ使えそうな物は捨てられないんだ」
何か問題でも?と、言いたげな様子で当然のごとく答える魔王。
失ったと悔いていた程だったのに、使えるものをわざわざ捨てた等と言われる始末。
馬鹿にされたも同然の発言にシャイズ兵長の青ざめた顔は次第に赤くなる。
シャイズ兵長が堪らず何かを言いかけた時、狭い蜘蛛車の中に二人のものでは無い笑い声が響く。
「くっくっく、魔王が貧乏性って、一通り聞いてましたがもう限界ですよ!」
シャイズのあまりの滑稽さや、魔王らしからぬ魔王の発言に思わず吹き出してしまったのはホムンクルス騎士団長だった。
「もう諦めましょうシャイズ兵長。私だけでなく、貴方もこの魔王にしてやられたんですよ」
魔王に煽られ怒りを感じたことは記憶に新しい。
しかしながら、この魔王が他人を煽るときのやり取りはこうも面白いものなのか。
兵長の滑稽さに自らの滑稽さも重なり、こうも愚かしかったのかと笑い飛ばす。
「馬鹿にしやがって!馬鹿にしやがって!」
シャイズ兵長は剣を取り出し、ホムンクルスに斬りかかる。
相手が激昂するのを予期していたゲデルは咄嗟に起き上がり、角で剣を弾いた。
「大丈夫なんですかその角!?」
「ぞわっとした。もう二度とやらない」
余裕のある態度がシャイズ兵長の神経を逆なでして更なる斬撃を誘う。
ゲデルは狭い場所ながら細やかな足取りで巧みに剣を避け、蹴りを入れる。
「剣が無ければ戦えないと思ったのかい?生憎、私の師匠は格闘家でね。
私もどちらかと言えばこちらの方が好みなんだ」
「くっそがぁ!」
挑発され、より勢いのある斬撃を繰り出す兵長だったが、それこそがゲデルの狙いだった。
振り下ろされた剣を避けず、巻き付いた鎖で受けたのだ。
鎖が部分的に砕け、ゲデルの拘束が解ける。
「しまった!」
「ありがとう!」
ゲデルは御礼とばかりに渾身の力を込めてシャイズ兵長を殴り飛ばした。
勢い余って蜘蛛車の幌を突き抜けた兵長は御者を巻き込み転落したのだった。
岩蜘蛛は突然落ちて来た二人に驚き急停止した。
「私の勝ちだ!抵抗する者に容赦はしないぞ!投降するのなら武器を捨てるんだ!」
蜘蛛の上に飛び乗り、取り巻きの兵士たちに聞こえるように大声で叫ぶ。
伸びてる兵長と置かれている状況を見て勝てないことを悟ったのか、次々と兵士たちは武器を置く。
「ゲデル殿、無事で何よりなのだ」
ナインがゲデルの傍に降り立ち、安否の確認をする。
特に問題はなさそうなので安心した様だ。
「君のおかげで良い結果を出せたよ」
「我輩も屋敷の者が心配だった故の判断である。
うまく敵から発言を引き出してくれたゲデル殿の狡猾さには感心するのである」
「いやぁ、照れる、照れ……ん?」
「ちょうど王国兵達も引き返してきたのだ。
騒がしくなる前に暗示を解かなくてはならないのである」
これは、褒められたのだろうか。
言い方にちょっとした引っ掛かりを感じるが、ともかく褒められたことにする。
褒められるのは良い事なのだから。
ともあれ、事は重大だ。
騎士団長はナインと同じく人に慕われている者だとか。
ならば、今回の事件は王国を大きく揺るがすだろう。
一人ならともかく二人を手にかけようとしたのだ。それも、国王の独断と来た。
多少の賠償と不可侵を約束させることで手を打とうとは考えていた物の、それでは納得しないものが大勢出るだろう。
もはや、ゲデル達だけで終わる様な問題ではなくなっていたのだ。