操り糸
「人間って、何で生きてると思う?」
私の隣に座っている花田 凛が、たっぷりとシロップの入ったアイスコーヒーをかき混ぜながら言いました。
「なんで急にそんなこときくの?」
凛は普段、ふわふわしていて何も考えていないような人なのです。
みるからに甘ったるそうなコーヒーをおいしそうに飲む凛をみていると、自分のコーヒーまで甘ったるく思えてきました。
今、私たちは都会の15階ほどのビルの6階で、お茶をしています。
景色がいいらしいので、窓側の席を選んだのです。
外には、私のいるビルよりも、もっと高いビルもあって、若干閉塞感があるのでした。
下を見下ろすと、交差点でたくさんの人が信号が青になるのを待っていました。
凛がふぅとため息をつくと、ぱっと顔をこちらに向けて、
「なんとなく~。」
と言いました。
ああ、やっぱりふわふわしてるな、いつもの凛だな、と少し安心しました。
「凛は、どう思うの?」
こういうとき、私は先に答えないことにしているのです。それは、お母さんからうつったのだと思います。
「うーん。なんか、操り人形みたいに他の人に動かされてる気がしない?」
そして凛はまた一口コーヒーを飲んで、「足りない。」とつぶやきました。
近くにおいてあったシロップを三つとると、全部入れてしまいました。
もはや、コーヒーとは呼べなくなっているでしょう。
「皐月もシロップいる?」
凛からシロップを三つ差し出されましたが、私は首を横に振りました。
「よくお砂糖いれないでコーヒー飲めるよね、皐月は。」
「いやいや、凛ほど入れる人もなかなかいないって。」
「で、皐月はどう思う?人間。」
そのことを考えるのを忘れていました。
私は外を少しみつめてから、言いました。
「宇宙の流れかな。」
宇宙にあるもの、星も銀河も動いているのですから、人間もそんなものでしょうとふと思いました。
「何それー。面白くない。」
「え、これって面白さ求めてるの?」
凛が突然真剣なことをきくので、真剣に答えたのでしたが、凛は凛でした。
凛はまた、シロップコーヒーを飲んで、ふぅと息をはきました。
これだけお砂糖をたくさん飲んでも太らないのは、とても不思議です。
人間じゃないように思えてくるのです。
「なんで、操られてると思うの?私はそうは思えないけど。だって私たちがここに来たのも、自分の意思があってこそだし。」
すると、凛が真剣な表情になりました。なにか、聞いてはいけないことをきいたのでしょうか。
普段、凛はこんな顔をしないので、少し怖くなりました。
「本当にそう思うの?外を見ても?」
何を言っているかよくわかりませんでしたが、言われた通りに外を見てみました。
交差点では、やはり人がたくさんいました。
ただ、ひとりひとりからつうと糸が空高く伸びているのでした。
よく見てみると、その人達も、白いマネキンのようにツルツルつやつやしているのでした。
顔に凹凸はあるものの、目とか眉毛とかは付いていません。
みんな同じ顔で、同じ表情で、一定の動きをしているのです。
怖くなって、凛は大丈夫かと見てみました。
少し微笑みながら、でも目は死んでいながら、私を見ていました。
ああ、幻想か、と思ってもう一度外を見てみましたが、幻想ではなかったようです。
頭、手首、足首などから糸が伸びていて、その糸が上下するたびにマネキンも動くのです。
ふと、手元をみてみました。
すると、私の手も白く骨のようになっていて、手首から糸が伸びていました。
足首からも糸が出ていました。
「嘘でしょ。」
「嘘じゃないよ。」
凛はふふふと笑いました。なぜ、凛には何もおきていないのでしょうか。
私は、どうにか糸を切ろうと、引っ張ってみましたが、マネキンのはずの手首が痛いだけでした。
歯で噛み千切ろうとしたのですが、切れません。
だんだんイライラしてきました。恐怖のせいもあり、鼓動が速くなっていきます。
息苦しくなって、必死で深呼吸しました。
それでも苦しくて、叫ぼうとしたのですが、うまく声になりません。
息を吸おうにも吸えないし、吐こうにも吐けないのです。
自然と手が首の周りに絡みつき、力が入りました。
もともと息ができていないので苦しさはほとんど変わりません。
だんだんと頭に血がのぼってくるような感覚がしました。額のあたりがかゆくなってきました。
それでも凛は平然と見ているのでした。
悔しくて、睨みつけようとしました。しかし、目の前がパチパチしだして、だんだんと暗くなっていきます。
もう無理だと思って目を閉じてしまいました。あのマネキン達と一緒になるのです。
しばらくすると、何か聞こえてきました。死んだはずなのです。声が聞こえるのはおかしいはずです。
どうやらその声は近くで聞こえるようです。同じことを何度も言っているようでした。
黒くも白くもない世界で、上も下もわからず、ふわふわと浮いている私に、誰かが応答を求めているようです。
神様でしょうか。仏様でしょうか。天使はたまた悪魔なのでしょうか。
何度もきいているうちに、少し懐かしい気がしてきました。最近のような、昔のような、いつか聞いたことのある声なのです。
何度も同じリズムで聞こえるその声に、私は心地よくなってきました。
クラシックのような音楽まで聞こえてきました。
死後の世界というものは、こんなにもいいものだったのでしょうか。
きっと私は今、天国にいるのだと思いました。想像していたのとまるっきり違いますが、気持ちが和むので天国なのでしょう。
いざそう思うと、少し悲しいものです。ああ、お母さんにもお父さんにも何も言っていないな、と。
あの懐かしい声がよりはっきりと聞こえてきました。今まで無かった手の感覚も戻ってきました。
足の指もあるようです。握ったり開いたりしてみました。
手も、足もあるのなら、この空間を動けるはずです。
私は中学校で習ったときのように、手と足を動かして平泳ぎをしてみました。
すぅと前に進めた気がします。また声に近づいたようです。
すると、光が見えてきました。私はその光に向かってさらに平泳ぎをしました。
光がちょっとずつ大きくなって、私を包み込んでいきます。
最後、光に全体を包まれてから、はっきりと、声がなんと言っているかわかりました。
「皐月ちゃん!!!」
私は目を覚ましました。夢だったのでしょうか。
となりには、凛がいました。
私に不安と少しの安心が混ざった顔を向けながら言いました。
「私が話をはじめると、突然倒れちゃうんだもん。正直、怖かったよ。」
小さな声で、ああよかった、とつぶやくと、あの甘ったるいコーヒーを飲みました。
怖い夢だったな、と私は思いました。
まさか、私がマネキンでみんなも糸でつながれているとは思えません。
「ごめんごめん。」
私はえへへと笑いました。
自分のコーヒーを飲んで、甘くないことを確認してから、足元をみてみました。
私は驚きました。たくさんの糸が地面に這いつくばっているのです。
怖くなって足を引っ込めました。
その糸はある一定の場所に集まっているようです。
糸の先を目でたどっていきました。
凛が、たくさんの糸の束を持っていたのです。
そして、怪しげに笑っていました。