海の化け物8
夕食後、陸が用意してくれた花火で遊ぶことになった。場所は昼間遊んだ海だ。
「風強いかな~」
優実が横の髪を気にしながら言った。
「まあ、これくらいなら大丈夫だとは思うけど」
武尊は持ってきた花火を砂の上に置いた。けっこうたくさん買い込んできてくれたようで、武尊だけでは持ち切らず啓太も荷物運び要員だ。ちなみにバケツは樹が持っている。
「暗いね~」
「星が綺麗に見えるわね」
千穂と壱華は空を仰いだ。晴れた空では数えきれない星が瞬いていた。少し、村を思い出す空だった。
「水汲んだよ」
樹がバケツを海水で満たしてくる。それを確認して、武尊が花火の封を切った。各々手を伸ばし、好きな花火を持つ。陸が用意してくれたライターで火をつけた。しゅっと鋭い音がして、光がはじけた。
「わ~」
千穂は自然と口角が緩むのが分かった。暗い浜辺のあちらこちらで光が燃え上がる。その様は美しかった。
「見ろよ。魔法使いみたいじゃね?」
啓太が花火を振り回し始める。樹が顔をしかめた。
「やめてよ、危ない。火傷しても知らないよ」
てか、こっちに飛ばさないでよ?と樹は兄から距離を取った。
「若いっていいわね~」
ね、美由。と陸は笑いかける。花火を楽しむ子供たちに、美由も顔を緩ませていた。
「そうですね。可愛いですね」
保護者が一応ついていた方がいいだろうと言って陸と美由はついて来た。確かに、花火の最中に止められるのもつまらないと言って、ついてきてもらったのだ。しかし、距離は取って遠くから眺めている。せっかく遊びに来たのだ。大人に見張られているのも面白くないだろう。
「高校生に戻りたーい」
「高校時代は旦那様にまだ会ってないじゃないですか」
「それはダメね。今のままでいいわ」
陸は顔をきりっとさせて力強く頷いた。陸が、夫である貴昭のことを心の底の底から好いているというのは二階堂家に関わる者にとって分かり切っていることだった。夫婦仲は良好だ。それに対して父親と息子の関係はあまり良くないということも有名である。
「反抗期なんですかね」
「反抗期はあったほうが健全なのよ」
陸はちっちっちと指を振って見せた。
「まあ、貴昭さんの血のせいかそこまで攻撃的じゃないけど」
「そうですか?」
武尊が父親に向かって長々と文句を言っているのを聞いたことがある美由は困ったように笑った。なかなか辛辣な言葉を口にしていたと思う。
「私、家出しまくってたもの。帰ってくるだけ偉いのなんの」
「―そうでしたね」
世に言う、元ヤンなのだ。陸は。美由は若いため、荒れていた陸を見たことはなかった。しかし、母親はよく大変だとぼやいていた。それと比べれば、武尊はまだかわいい方な気がする。
―でも、金髪だしな。
不良みたいな髪形をしているが、相変わらず成績は良いと聞く。まだ学生のうちは、このままでもいいのかもしれないなと美由は思った。遠目に見る武尊は花火に照らされて一層その整った顔を強調されていて幻想的だった。何やら友人と話して笑っている。それを見ると美由はどこか心がほっこりとなる気がした。
「笑うと可愛いですね~」
「そうなのよ。あいつ、笑うと可愛いのよ」
陸の声は力強くはあったがどこか震えていた。横を見れば、陸は目頭を押さえていた。
「よかったー。いい友達ができて」
確かに、前の学校の時は友人という友人は遊びに来なかった。じゃあ、遊びに行っていたかと問われればそうでもなく。どちらかと言えば引きこもっていた。トラブルを起こすでもなく、成績も問題なく、誰も咎めなかった。―さすがに髪を金色にしたときは騒ぎになったが。
まさか己の成長をしみじみと感じられているとは露とも思っていない武尊は線香花火を手にした。ついでに数えてみる。
「10本か」
「どうした?」
啓太から声がかかる。武尊はしゃがみ込みながら上を仰いだ。
「線香花火、余るなと思って」
「じゃあ、陸さんにも渡せば?」
「誰か持ってって」
「持っていきたくないのかよ」
「嫌だ」
「そんなもんかね」
啓太は二本線香花火を手にすると、陸と美由の元へ向かって走った。その背を見送る。立ち上がると、千穂が寄ってきた。
「啓太どこに行ったの?」
「母さんと美由さんに線香花火持ってくってさ」
「なるほど」
千穂も一度しゃがんで線香花火を手に持つ。花火が終わった面々が続々と次の花火を求めてやってくるが、もう線香花火しか残ってはいなかった。
「意外に早く終わったわね」
あかりが髪の毛についてしまった臭いを気にしながら言った。
「そうだね」
あんなにあったのにね、と武尊も同意を示す。全員、線香花火を手に持ったところで啓太が戻ってきた。
「ほれ、ライター」
啓太がみんなの花火に火をつけていく。勢いよく燃え上がる花火もきれいだったが、線香花火も線香花火できれいだと、千穂は微笑んだ。
―風流って感じがする。
「きれいね」
壱華はあかりとしゃがみ込んでじっと線香花火を見ていた。風に流されないよう髪の毛を片手で押さえている。
「ね」
千穂も壱華の隣にしゃがんだ。そして、視線を壱華の線香花火にやったあと、自分の線香花火に戻した。
「きれい」
千穂はにっこりと笑った。ふと視線をやれば、優実と啓太と武尊と樹は誰が一番長く線香花火がもつか勝負をしているようだった。
―言い出しっぺは啓太だろうな。
そんなことを思っていると、膨れた橙の灯りがぽとんと浜辺に落ちてしまった。
「終わった」
「私のも終わっちゃった」
「あら、私のも落ちちゃったわ」
三人は立ち上がる。すると突如啓太が飛び上がった。
「しゃあ!俺の勝ち!」
「勝負してたのね」
くすくすとあかりは笑った。
「さて、帰る準備をしますか」
優実がうーんと伸びながら言った。その言葉に、ごみ袋にバケツに入れていた花火を移し替える。そうやって片付けていると、ぴんと空気が張った。
優実以外の六人が顔を見合わせる。あかりはその変化を自分が感じ取ったことに驚いていた。
―やっぱり、碧に体を貸したから。
ぎゅっと胸元で手を握る。皆の視線は海に注がれていた。
―海から、来るの?
あかりは胸元で両手を握りながら微かに震えた。
「これ、なかなか入んないや」
折ろうと言って、優実が花火が結び付けられていた台紙を足を使って折りにかかる。その時だった。ざざ、ざざという海の音にばしゃんという音が混じったのは。その変化に、優実もさすがに顔を上げた。
「今、変な音しなかった?」
「優実!千穂連れて家まで走って!」
「え?何?」
混乱する優実の手に、武尊は千穂の手を引っ張り掴ませる。
「ちょ、痛い!」
「そんなこと言ってる暇ないでしょ!」
速くと優実をせかす。なんだか分からなかったが、武尊から緊張感が伝わってきて、優実は一つ頷くと走り出した。
「千穂!ついてこれる?」
「うん、どうにか」
千穂に合わせながらなるべく速く走る。走る先には保護者組が待機していた。子供組の異変を察知し、二人は困惑した顔をしていた。
「どうしたの?」
「緊急で家までマッハで戻ります」
そう答えたのは啓太だった。後ろを振り向けば、啓太があかりの手を引いて走っていた。
「啓太!」
「俺は、こっち組!」
ほら立って立って、と大人組を急かす。
「どうしたの?」
陸は困った顔をしながら立ち上がる。
「家で説明するんで」
陸は大丈夫だと踏んだ啓太は美由の手を掴んだ。
「なるべく早くここを離れたほうがいいんで」
そうとだけ説明して啓太は走り出した。それを追う形で優実が走り出す。一度振り替えった優実の視界で、黒い何かが波を叩いていた。気になったがすぐに前を向く。千穂を託されたのだ。無事に家まで届けなければ。きゅっと唇を引き結んだ。
ドンという鈍い音が海から聞こえて来た。ギャーという金属をひっかいたような音が響く。
「他の三人は?」
「すぐ合流するんで!」
啓太が陸に答える。
別荘から海まではそう遠くない。昼、別荘にたどり着いたとき、壱華が簡易な結界を張っていた。そこまで行けばいったん大丈夫だろうと啓太は判断する。坂を無理やり駆け上がる。千穂とあかりと美由は息も切れ切れだったが、ここは容赦している暇はない。啓太と優実は速さを緩めず走った。陸は一人で走っている。速い。さすがは武尊の母親、と啓太と優実は感心していた。どたばたと階段を駆け上る。玄関のカギは陸が開けてくれた。そこからまず、啓太は優実と千穂を押し込んで、次にあかりと美由を、最後に陸の背を押して玄関に無理やり入れる。自分も入って玄関の扉を後ろ手に閉めた。そのままずるずると座り込む。ぜーはーぜーはーとみんなが息を切らし玄関で伸びている中、陸だけは元気だった。冷静に玄関の電気をつけ、リビングの電気も付けた。
「さて、説明してもらうわよ」
にっこりと笑んだ顔が、どこか恐ろしかった。