海の化け物4
武尊はスーパーで買ってきた材料を冷蔵庫に移した。今日の夕飯はカレーを作ることに決まった。陸が武尊のカレーを食べたいとごねたからだ。
「武尊、あんた食事どうしてるの?」
陸はソファで自分の爪を眺めながら息子に話しかけた。
「夕飯は作ることが多いよ」
「朝は食べてる?」
「・・・・・抜いてる」
陸はがばっと起き上がった。
「駄目よ!成長期なんだからちゃんと食べないと!」
伸びる背も伸びないわよ!と陸は叫ぶ。
「うるさいな。食べてるときは食べてるよ」
「毎日食べなさい!」
「はいはい」
分かりました、と言うと武尊は男子部屋にこもってしまった。その背を見送って陸はため息をついた。
「反抗期かしら」
そっけないったらありゃしないと陸はその見事な足を組んだ。
「武尊君って、料理するんですか?」
優実が話しかける。陸はにっこりと笑った。
「そうよ、食事は基本あの子が作ってくれてたから」
私が台所に立つと怒るのよね、としめる。
「どうしてですか?」
優実は質問をやめない。
「さあ、私10回に1回は失敗するのよね。だからじゃないかしら」
ふふふと陸は笑う。
「親に甘やかされちゃったのよね」
料理なんてしないで育っちゃったの。
「下手は下手なりに頑張ってたんだけど、いつの間にか手伝ってくれた武尊の方が腕が良くなっちゃって、気づけば武尊が夕飯は作ってくれるようになったのよね」
「朝と昼はどうしてたんですか?」
「そこは美由の出番よ」
「家政婦さんって事ですか?」
「そんなところです」
美由は陸の隣に座って小さくなっていたが、首肯した。
「もともとは私の母親がやってたんですけど、私も気づけば母の仕事をやるようになってて」
「そのまま引き継いじゃったのよね」
陸は笑っていたが、美由は居心地が悪そうだった。
「奥様、帰りませんか?せっかく高校生だけで遊びに来たんです。親がいないほうがいいんじゃないですか?」
「逆よ、保護者が必要でしょ?」
陸はばっちんとウインクして見せた。それに美由は頭痛がしたようで額を押さえた。
「まあ、保護者がいたほうが学校もうるさくないですけど」
優実は自分用に買ったオレンジジュースを飲みながら言った。
「でしょう!」
陸が身を乗り出す。優実は頷いた。
「武尊には悪いけど、陸さんといると面白そうだし」
「嬉しいこと言ってくれるわね」
からからと陸は軽やかに笑った。
「まあ、心配はしてたのよね。友達できるかって」
あの子、変な時期に学校変わったでしょう?と陸は母親らしい顔を見せた。
「鎌かけてみたのよ。友達いるなら別荘行ってくればって。そしたら六人も呼ぶって言うじゃない。もう気になっちゃって」
あははと陸は笑った。
「それで機嫌損なったら無意味と言えば無意味なんだけど」
陸は髪をいじりながら小さくため息をついた。優実はペットボトルを置いて尋ねた。
「お母さん的に、ありな友達でした?」
「大あり」
陸は目を細めた。そんな柔らかい表情を武尊はしない。―並んで分かったのだがこの親子は顔がそっくりだ。だから、陸を見ているとドキドキするときがある。武尊の見せない表情を陸は見せる。武尊の隠れた部分を見ているようで照れくさくなるような、恐れ多いような不思議な気分になるのだ。
「さて、ご飯ができるまで一休みしますか」
そう言うと、じゃあねと残して陸は部屋に入って行った。空いていた最後の一室を陸と美由は陣取った。
武尊がいないとつまらないと言って啓太は部屋に戻った。必然的に樹もそれを追うことになる。よって、リビングには女子だけが残った。
「なんか、武尊が壱華ちゃんがタイプって言うの、分かった気がしたー」
千穂は大きなソファにぐでーっと伸びながらそんな言葉を口にした。
「え?!何それ!」
私知らないわよ!?と壱華は慌てる。
「なんかね、一番タイプなのは壱華ちゃんなんだって」
「言ってた言ってた」
「大島からの又聞きだけどね」
からかう気満々の優実の思惑を阻止するべく、あかりが付け足す。それに壱華は少々ほっとする。
「又聞きだったら違う可能性もあるわね」
「なんでほっとしちゃうの?喜ぼうよ!」
優実が声を上げる。それに壱華は何とも言えない顔をする。
「だって、タイプとか言われても、どうしたらいいか分からないし」
「え?壱華だったらたくさん告白されたこととかあるでしょ?」
「無いわよ!」
「嘘!」
「嘘ついてどうするのよ!」
優実と壱華の舌戦が始まる。壱華は顔を赤らめている。
「ほんとよ?告白されたことなんて一回もないんだから」
「・・・・・・案外、啓太さんが頑張ってる?」
「なんであいつが頑張るの?」
壱華はきょとっとした顔を見せる。優実はそんな壱華にギュッと抱き着いた。
「きゃっ!」
「可愛いな~」
頬をスリスリと摺り寄せる。
「ちょっと優実!」
じたばたする壱華から優実は体を離す。そして人差し指を立てて説明を始める。
「壱華に誰も告白できなかったんだとすれば、それは抑止力が働いていたと考える方が妥当でしょ?もう付き合ってる人がいるとか、両想いな人がいるとか、暗黙の了解になっちゃってるというか。そういう相手って啓太さんしかいなくない?」
「なんで私が告白されないことが異常だっていう前提になってるの?」
「壱華ももっと自覚持とう!美人なんだから!」
面倒事に巻き込まれるよ?と優実は心配そうな顔をした。
「面倒事って?」
「自分が好かれてるって自覚しないと、好意を向けてくれた相手の思いを踏みにじっちゃったりすることになるんだよ?」
「余計に傷つけたりね」
あかりが参戦する。優実はあかりの加勢にうんと力強く頷いた。
「その通り!」
「壱華ちゃん大変だね~」
「千穂もだからね!」
びしっと優実は千穂を指した。ええ~と千穂はめんどくさそうな顔をする。
「私も?私、ちっちゃいし、髪だって癖あるし、スタイルもいいわけじゃないし―」
「千穂は十分可愛いの!」
いい加減認めなさい!と優実はどこかお怒りモードだ。
「分かった!気を付けるから!気を付けるから話を元に戻して!」
壱華が悲鳴を上げた。そう言えば、あかりが首を傾げる。
「なんでこの話題になったんだったかしら」
うーんとあかりは目を閉じて考える。優実が指を鳴らす。
「千穂が、武尊のタイプが壱華なの分かった気がするって言ってた!」
「言った言った!」
うんうんと千穂は首を縦に振る。それにでしょう?と優実は笑った。
「で、何が分かったの?」
首を傾げて優実は続きを求めた。それに、千穂は起こしかけていた体をまた寝かせた。
「お母さん美人だったなーと思って。黒い髪だったし。ああいう人がタイプなのかなーって」
千穂は自分の毛先を取って眺めた。
「私も真っ黒な髪だったらよかったのに」
「なに~壱華がタイプって言われて嫉妬しちゃった?」
「!そんなんじゃないもん!!」
千穂はばふっとクッションに顔をうずめた。顔が熱い気がしたからだ。
―そりゃ、かっこいいところもあるなとは思うけど。
千穂は今日までを振りかえる。予習は武尊頼みだし、危ない時はいつも助けてくれるし、場合によっては落ち込んでたら励ましてくれるし、今日だってビーチボールの時フォローしてくれてたし。
―啓太と比べれば何十倍もかっこいいけど。
でもこれは好きとは違う。千穂はそう思った。私が好きなのは―
―貴ちゃん。
もういない人を思い出す。優しい笑顔の人を思い出す。思い出すと落ち込んできて、千穂は首を振った。
「髪の毛が気になるなら、シャンプーとか変えてみたらどうかしら」
あかりがそんなことを提案してきた。千穂は注意がそちらに向いて顔を上げる。
「シャンプー?」
あかりは頷いた。
「そうよ。癖毛用もあるし、ストレートを維持するって言ってるのもあるし」
後はちゃんとトリートメントしたりとかね。とあかりは笑った。―確か、五月末か六月頭にシャンプーを買ったことを思い出す。
―あれは確か癖毛用だった気がする。
「千穂はまずお風呂上りに髪の毛乾かさないとだめよ」
壱華が気になっていたことを口にした。
「千穂乾かしてないの?」
嘘ーと言って、優実は千穂の髪に手を伸ばした。
「ふわふわなのにね」
優実に続いてあかりも千穂の髪に触れた。
「・・・パサついてるところもあるにはあるから、乾かしたりトリートメントしたりするだけでまた変わるわよ」
広がりにくくなったり、とあかりは講義に入ってしまった。
それをなんとなく聞いたり聞き流したりしながら、壱華も自分の長い髪に手を伸ばした。まっすぐな髪は逆に言うことを聞いてくれず、巻いてもすぐ落ちてしまう。そんな髪が、手入れはしているがそこまで好きではなかった。美人だと優実は言ってくれたが、どことなくキツイ顔をしていると思っているし、それにこの直毛が拍車をかけていると思っていた。
『なんか、武尊が壱華ちゃんがタイプって言うの、分かった気がしたー』
タイプだと言われるのは悪い気はしない。それはきっと好きという気持ちとは違うのだろうけれど、素直に喜んでおこうと壱華は思った。
「シャンプー、変えてみようかな」
ぽつりと壱華は小さくこぼした。