海の化け物3
武尊が飲み物を買ってくるとボール遊びからいったん離脱した時だった。
「こんにちは」
見当違いのところへ飛んで行ったボールを追いかけていた千穂に声がかかった。千穂はボールを手に顔を上げる。背の高い女の人だった。サングラスをしているから、顔はよく見えない。それでもきれいな人だと分かる。
「・・・・こんにちは」
ちょっと怪しいと思いながら挨拶を返す。それに、女の人はにっこりと口端を持ち上げた。
「楽しそうね、私たちも混ぜてくれないかしら」
「・・・・私たち?」
千穂が首を傾げれば、もう一人の女の人が声をかけて来た女の人の後ろから姿を見せた。
「ごめんなさいね、美由は人見知りなの」
くすくすと笑う。
「私は陸というの。よろしくね」
「あ、はい」
名乗るかどうか迷っていると、背中から声がかかる。
「千穂ー」
ばしゃばしゃと駆けて来たのは優実だ。
「どうしたの?」
「なんかね、お姉さんたちも一緒に遊びたいって」
「そうなの、いいかしら」
陸は優実にも笑いかける。
「二人で来たんだけど、二人でボール遊びは楽しくないでしょう?」
「まあ、そうですね」
優実がそんな風に答えていると、残りの三人も追いついて来た。
「あら、みんな揃っちゃったわね」
陸はまたくすくすと楽しそうに笑った。そして改めて口にする。
「私たちも遊びに入れてくれないかしら」
その言葉に、どうしようかと少年少女は顔を見合わせる。戸惑っている子供たちに、陸はポンと爆弾を投げた。
「自己紹介するわね。私、二階堂陸というの」
「「二階堂!?」」
声がそろう。それにおかしそうに笑いながら陸はサングラスを外した。顕わになった顔は、確かに武尊と似ている気がしたが、武尊よりよほど妖艶で迫力があった。年のころは二十代後半というところか。
「え?武尊・・・君、のお姉さんですか?」
優実がそう問いかける。瞳が好奇心できらきらと輝いていた。しかし、あかりはいぶかしげな顔をしていた。
―お姉さんがいるって言ってたかしら。
―それとも、親戚のお姉さんかしら。
首を傾げていると、陸が口を開いた。
「・・・まあ、そんなものね」
にっこりと笑う。武尊に似た、しかし、武尊だったら絶対にしない表情に少しドキドキする。
「こっちは私の友人の市崎美由。私たちも、一緒に遊んでいいかしら」
「もちろん!」
武尊の血縁者と分かって、優実の警戒レベルは一気に下がる。それに困惑したのは壱華と樹だったが、優実がいいと言ってしまったので取り消すわけにもいかず、顔を見合わせて注意しようと確かめ合うだけとなった。優実が二人を先ほど遊んでいた場所まで案内する。
「千穂ー」
速くーと優実から声がかかる。千穂がいつまでもボールを持ったまま動かなかったからだ。名を呼ばれて、千穂は自分が固まっていたことに気付いて走り出す。壱華と樹も千穂と一緒に走った。
「武尊のお姉さんって嘘かもしれないし、気を付けよう」
「ええ」
「うん」
樹のひそめた声に、壱華と千穂は頷いた。
―嫌な感じはしないな。
感覚は危険を察知しなかった。じゃあ、大丈夫かなと思いながらパタパタと走る。バシャバシャと水に入って、千穂はボールを優実に渡した。
一緒に遊び始めてしまえば、陸は運動神経もよく、話も面白かった。
「わっ!」
千穂が変なところに上げてしまったボールも、陸がフォローしてくれるためラリーはよく続く。
―なんか、武尊みたい。
千穂はそう思った。さっきまで、武尊がフォローしてくれていた。だから、上手く取れなくてもラリーが続いたし、楽しかった。
―お姉さんって本当なのかな
警戒心が薄れ始める。
「武尊はみんなとうまくやれてる?」
突如そんなことを尋ねられる。
「うまくやってますよ」
優実が答える。
「みんなのヒーローですよ」
予習の、と言えば、陸はけたけたと笑った。
「あの子、不愛想でしょう?勉強はできるんだけど」
ちょっと心配でね、と陸は少々顔を曇らせる。
「男子ともうまくやってますよ?大島と佐々木と一緒によくいます」
「あら、その二人の名前は初出ね」
陸はきらりと目を光らせた。
「大島は万年彼女が欲しいって言ってるバスケ部の奴で、佐々木は眼鏡をかけた優等生です」
「タイプが違うのね」
「なんでこの二人が友達やってるのか、ちょっと不思議です」
ラリーをしながら優実は器用に話す。千穂はボールから目を離さないでいることで精一杯だった。
「でもよかった、男の子の友達もいるのね」
陸は心底嬉しそうに笑った。その笑顔は本当に武尊を心配していたのだと思わせる。
―お姉さんなのは、本当なのかも
そんなことを思っていると
「俺も混ぜてくれよ」
声がかかった。すぐに誰の声か分かった。
「もう飛び込まなくていいの?」
壱華が意地悪気にそう言った。
「さすがに飽きた」
一人になっちゃったし、とやってきたのは啓太である。啓太はふと視線を陸にやる。唖然と口を開いた。
「超美人」
「それほどでもあるかな~」
啓太の言葉に、陸は茶目っ気たっぷりにウインクして見せた。それに啓太はぐっとつまる。
「あ、ていうか、誰ですか?」
「武尊のお姉さんです。陸さんっていうの。でお友達の美由さん」
優実が紹介する。
「武尊の!?」
言われれば確かに似てるかも~と啓太はのんきな反応を示す。それに樹がため息をついたのは言うまでもない。
「あ、武尊帰ってきた」
壱華がレジャーシートのほう見てそう言った。全員の注意が武尊に向く。武尊は持ってきたクーラーボックスに新しいジュースを突っ込んでいるところだった。視線が集まったことで、武尊も何か感じたのだろう、こっちを向いた。そして、固まった。
「お姉さんがいるから驚いてる」
優実がおかしそうに笑った。笑っている優実と違って武尊はそうもいかなかったらしい。全力で走ってくる。それに美由が慌てる。
「ほら、やっぱり怒ってるじゃないですか!」
ひいっと美由が縮こまる。
「大丈夫よ。怒ったってどうなるってわけじゃないんだし」
「なんで怒ってるんですか?」
「そりゃー」
「何やってるの!!」
陸の腕をガッと掴む。その手を払って陸は腕を組んだ。
「何って、あんたの友達がどんな子たちかな~と思って」
遊んでもらってるの。と陸は笑った。
「その前に、なんでいるの!」
「いたっていいじゃない。あの別荘はあんたの別荘だけど、私の別荘でもあるんだから」
「じゃあ、なんで行って来いなんて言ったの!」
「私、行かないって言ってないし」
「ああ言えばこう言う」
「頭の回転が速くてごめんね~」
あははっと陸は楽しそうに笑った。二人が話している間、美由はずっと縮こまっていた。
「美由さんまで連れて!」
「ひいっ!ごめんなさい、ごめんなさい。奥様のこと止められなくてごめんなさい!」
「や、俺、美由さんには怒ってないんだけど」
「ごめんなさい~」
「いつも不機嫌そうな顔でいるから怖がられるのよ。もっと笑いさない!」
せっかくの私似の美貌がもったいない!と陸は武尊の頬をつまむとぐるぐると回した。それを武尊は手で払う。
「ちょっと待って」
優実が手を挙げた。
「何?」
武尊の注意が優実に行く。
「今、美由さん、奥様って言った?」
優実の言葉に、美由がハッと顔を上げる。そしてしおしおと小さくなった。それを見て、陸は笑った。
「いいわよ気にしなくて。武尊が来た時点でバレることだったわけだし」
「でも~」
「美由は気にしなくていいことを気にする癖直した方がいいわよ~」
陸は武尊にやったように美由の頬を抓ってぐるぐると回した。
「いひゃい、いひゃいです」
「ごめんごめん」
二人のやり取りに武尊がため息を吐く。疲れた表情で顔を上げる。
「もういい。紹介する。俺の母親」
「「母親!」」
壱華がボールを手から落とす。武尊と陸と美由以外はすべて固まっていた。いや、あかりはそこまで固まらなかった。
―やっぱりお姉さんじゃなかったのね。
―でも、お姉さんに見えるわね。
一人内心で納得し感想を述べる。
「お姉さんじゃなくて?」
「母親」
口をパクパクさせる千穂に、武尊は力強く母親だと繰り返した。
「え?だって、お姉さんだって・・・・。お姉さんじゃないの?」
「だから、母親だって」
外見年齢化け物だけど、と武尊は付け足す。次の瞬間、陸はスパンと武尊の頭を叩いた。その素早さに、大島が不適切なことを発言した時の武尊を思い出す。あの切れの良い突っ込みは血筋なのかと納得する。
「母親に化け物とは何ごと!」
「本当のことじゃん」
痛いなーと武尊は頭を押さえる。陸は不服そうにむすっとした顔を見せる。
「嫌なら年くらいオープンにすればいいんだよ。面白がって不詳にするから」
「女に年を聞くなんて失礼よ」
「・・・・・・そうですか」
武尊は陸と言い争うのをあきらめたらしい。ざぶざぶと海に入ると壱華が落としてしまったビーチボールを拾う。
「それで、もうボール遊びはいいの?」
「・・・・なんかそんな空気じゃなくなったな」
啓太の言葉に、陸が苦笑した。
「もしかして、私のせい?」
「でしょうね」
武尊はてへへと舌を出す陸にボールを投げた。それは当然当たらず、陸がナイスキャッチを披露しただけだった。